(1)
プロローグが終わり、第一章が始まります。
姫倉桃は平塚直樹に片想いをしている。
初めて意識し出したのは驚くなかれ、6年も前だ。
当時、学区の関係から二人が通っていた小学校が違っていたわけだが、桃はある行事で強くその少年を記憶に焼き付けたのである。
その行事とは、「百人一首ジュニア区大会」。
彼女がその大会に行ったのは全くの偶然だった。
その大会が地区センターの体育館で行われており、隣接する図書館に本を借りに来ていた少女は、ちょっとした好奇心から体育館を空いた隙間から垣間見たのだ。
そこは静かな熱気に支配された空間だった。
不思議なアクセントでよくわからない文章が歌われて、それを遮るように「はいッ!」という叫び声が発される。
その動作を延々と繰り返す世界。
その熱に圧されて、当時11歳だった桃は呆然としていた。
ふと気がついた時には「興味があるなら見学してみて」という高齢の男性の言葉に甘えて館内に入って勝負を見ていた。
折しも決勝戦。
片や中学生と思しき長身の少年。
片や………自分と同い年と見える、やや小柄な少年。
勝負を始めた二人を横から見ていた少女は、不意に小柄の少年の目を見てどきりとした。
顔は別に普通の造りをしている。表情も緊張でややこわばった無表情だ。だが、目だけは違った。
輝いていた。
勝負に挑み、勝ちにいく。その覚悟と高揚感を、顔や行動で語るよりも遥かに強く目の燦然とした輝きが物語っていた。
その目の輝きに桃は惹き込まれずにはいられなかった。
平塚直樹というその少年の名を、彼女は忘れなかった。
結局その少年は優勝し、全国大会にまで出て優秀な成績を残したという。
もう二度と会う事はないのだろうかと思っていた翌年。
中学校でその顔を、目を見かけた時には運命の女神というものに本気で感謝した。彼は成績も多少偏りがあったものの普通に優秀であったため、元々真面目だった桃もかなり本気で受験勉強をして、高校も同じところに入る事に成功した。
……しかし、未だに告白する事が出来ていない。否、中学、高校と一緒なのに満足に会話も出来ていない。
親友のアリスは同じゲームをしてみればいいと言う。ゲーム音痴ならば手取り足取り教えてもらえばいいとも。
家で別に禁止されている訳でも、そう言ったモノに対して批判の目が厳しい訳でもないので、それは実行不可能な事ではない。
しかし、そうやって彼に近づこうとするたびに、いつも考えてしまうのだ。
彼のように目を輝かせる事の出来る対象を持っている訳でもない自分は、彼に釣り合うような人間なのか。
もし付き合ったとして、彼のために、何が出来るのか。彼に、何をしてほしいのか。
だが、今は少しずつ前に進もうと桃は思っている。
たとえ、その答えが分からなくても、進まなければ何も始まらない。
彼が解き明かしてみせたおみくじの答えが、まるで女神から自分へのエールのように聞こえたのだ。
(………だけど、こんなところでそんな話できないよー!)
心の中で桃が叫んだとき、恋話に盛り上がっていた少女達の矛先がついにこちらに向けられた。
「それで、姫倉さんは誰の事が好きなの?」
その質問に「えっと……」と思わず俯いた。それと同時にアリスが立ち上がって何かを言おうとして、
「……………えっ?」
その瞬間、桃の視界から床が消えた。
比喩でもなんでもない。布団も床も一切が消失して、目の前に見えるのは、
数メートル先の、黒い大地。
「………………………っ!」
人間は本当に驚愕した時には声もでないらしい。
悲鳴すら上げられないまま僅かに浮遊感を味わい、
全身がバラバラになるような衝撃とともに大地に叩きつけられた。
同時刻、平塚達も同じ状態にあった。
辺りはまさに惨状と呼ぶにふさわしい状況だった。
激痛に呻くもの。あるいは既に事切れているもの。
しかし、平塚は不思議なことに落下の衝撃を他者ほど強く感じなかった。精々、階段の五段目辺りから思いっきりジャンプをして着地した時に足に感じる程度の衝撃だった、と言えばいいだろうか。
平塚はどうにか立ち上がり、辺りを見回した。立ち上がる事の出来ている人間が何人か見える。
「何が、どうなっている………!?」
「全く、だよ……」
と、言葉を漏らしてどうにか立ち上がった矢島を見て、平塚は再び目を見開いて驚愕の声を上げる事になった。
「お前、その格好……!」
「え? ……ッ! 君も………!」
言われた平塚は自分の身体を見下ろした。
「………ッ!」
古代の衣服、直衣を現代風に動きやすいようにアレンジした姿、と言えばいいか。袴がズボンのように二つに別れて細くなっており、裾も引きずらない程度の長さ。袖の方も腕の太さに合わせた細いものとなっている。
一方、矢島の方は着流しで腰に刀を帯びている。江戸時代の浪人のような姿だった。
顔は二人とも大した変化はないが、平塚は黒髪に銀のメッシュが入り、矢島は完全に銀髪だった。
……アナザース・オンラインでの姿だった。
「なあ、俺たちログインしてなかったよね!?」
「ああ、そもそもデバイスを使わなかったはずだ。しかも、AOをやったことのない人までいるようだ」
矢島の問う声が震えている。平塚も声は静かだが瞳が揺れていた。やはり動揺しているようだ。
「ステータス画面は見ることができるがログアウトは……できないようだな」
「今時デスゲームなんて流行らないよ……」
VRMMOが想像の産物だった時から様々な物語が生み出された。デスゲーム……つまりゲームでの死が現実世界での死と直結するという物語は特に多かった話の一つだ。そのためかデスゲームを心配するものが非常に多いこともあり、VRMMOのリスク管理は徹底していた。現にAOに使われた器具は異常とも言えるほどの基準をチェックしたのちに発売された。強制的なログアウトシステムも含めて、安全面は完璧なはずだった。
「だがこの状況は…」
「た、助けて…」
平塚が言いかけた時、下から声が聞こえた。慌てて二人がその方を見ると、クラスメートが虫の息で倒れていた。
「……この格好が本物なら……!」
これ位、出来てくれ。
祈るような気持ちで空中から一枚の紙切れを取り出し、そのクラスメートに向かって投げ放った。
小さく、言葉を添えて。
「急急如律令」
放たれた紙切れ…否、符は物理学的には不自然な程に真っ直ぐ飛んで、瀕死のクラスメートに張り付き、柔らかな光を発した。
「………」
放った治癒符によって苦痛が和らいだのか、荒かった呼吸が静かになる。
「どうやら、上手くいったようだ」
「……どういうことだ、と取り乱している時間はないようだね。……俺がここ一帯をやる。君は他のところに回って治しつつ応援を呼んでくれ」
「わかった」
平塚は首を縦に振った。
二人ともステータス画面を展開し、装備を変更する。
麻仁は着流しの姿から、黒地に緋色のきらびやかながら落ち着きのある陣羽織とそれに調和するように黒の袴を纏った姿に。
出月は宿直……つまり魔の現れる夜の警備に向く、動きやすい黒の衣冠を着る。闇に沈むその姿は魔をもって魔を討つ姿を想像させた。
装備変更が完了するやいなや、それぞれ被害の大きい場所へと走り出す。
平塚の向かう先は西。女子のいたところだ。
………死屍累々、という言葉を平塚はリアルに感じることができてしまった。辺りからは助けを求める声、痛みを訴えるうめき声が聞こえてくる。少女達が涙をこぼしながら必死で友達らしき少女に呼びかけているのが視界の端に見えた。
AOでも薄く血が香る事はあったが、ここを満たすのは、
異常なまでに濃厚な、血の臭い。
自分のするべき事を意識しているからこそ吐き気はこらえているが、それでも相当なものだった。
幸い旅館のようなどっしりとした階層はそれほど高くないホテルだったのでほとんどの遺体の損傷がそれほど激しくなかったのは、彼らにとって不幸中の幸いと言っても良かった。
幸いなことに、学生の方はもともとAOをプレイしていた者が多く、身体が頑丈なのもあって治癒は順調に進んでいた。唯一厄介なものがあるとすれば、精神的な心構えが一切出来てない状況において命を救わなければならないというプレッシャーであろう。
当然、悠長にやっている暇はない。終わったら即座にプレイヤーでなかった人が多くいるだろう他の人を助けなければならない。
周りにいる傷ついた少女達を見る。一人一人治癒符を使っていたら間に合わないだろう。平塚は六枚の硬貨を取り出した。
効果は全て同じ形で片面が白、もう片面が黒となっている。それらを指の間に一枚ずつ挟んで、宙を睨んで呟く。
「『確率介入』。『地雷復』の発生率を99.9%に固定」
淡い光が平塚の体を覆う。直後に彼は白黒の硬貨…陰陽貨を上に放り投げた。
陰陽道易占術。様々な道具を使って六つの陰陽の結果を占い、結果を具現化する。
平塚の場合、六枚の硬貨の裏表によって陰陽を占う。
通常、この術はその特性上、確率に則ったギャンブル同然だ。
しかし、彼はある事情から手にしたスキルでこの結果を制御出来る。
当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉はこの易占から生まれたものだが、彼の八卦は必ず当たる。
キン、と済んだ音を立てて、地面に落ちる。
左手の三枚の陰陽貨が天に晒すのは白、黒、黒。示すは八卦の「震」。
右手の三枚の陰陽貨が天に晒すのは黒、黒、黒。示すは八卦の「坤」。
その二つが重なって生み出される、陰陽道易占術、『地雷復』。平塚の使える治癒の中でも特に範囲と効果に優れた術だ。蒼い稲妻が地に伏した少女達の身体を弾けるような音とともに走り回り、次々と癒していく。
平塚の足下で仰向けに倒れていた少女が、うっすらと目を開けた。
姫倉桃だ。
「あ……。平塚、くん……?」
「ああ」
確認の言葉に平塚は短く答えた。
「あれ、私………。床が、消えて、それで……」
「……混乱しているようだ。少し、休んでいるといい」
「あ………うん………」
桃はぼんやりと頷き、目を閉じた。すぐに穏やかな寝息が聞こえ始める。
ショックを今下手に与えるよりも、一度落ち着かせたほうがよさそうだと、平塚は判断した。
「さて……」
平塚はけが人の多い次の所へ向かおうとして、
「グルルル………」
不意に後ろからしたうなり声に振り向く。
「……薄々そういうこともあるのではとは思っていたが」
そこには目を爛々と赤く輝かせ、口からよだれを垂らす野犬がいた。モンスターだ。
しかし、彼は少なくとも恐怖はしていなかった。
相手の野犬……モンスターはレベル3。
平塚直樹………否、彼のアバター、陰陽師、天原出月はレベル300。すなわち限界値。
もはや雲泥の差である。
以前説明した通り、AOでは五感すべてを仮想世界に送り込む。つまり、当然痛覚もあった。しかし、その痛みはダメージ量に比例するので、いくら攻撃されてもダメージは0ならば、何をされても毛ほども痛みを感じないのである。
平塚/出月は攻撃用の符も取りださず、ただ一言命令した。
「潰せ、雪音」
「了解、ご主人」
答える声が聞こえると同時、中空に符が現れ、そこから「ポンッ!」とコミカルな音をたてて真っ白な猫が飛び出した。
その白猫は魔犬をつまらなさげに眺め、
「グルオッ!」
襲ってきた犬など興味もないと言わんばかりに主の方へと向き直りつつ尻尾を魔犬に叩きつけた。
軽い一閃でその犬は吹き飛び、体を木に叩きつけて絶命した。
「ご主人ー、こんな雑魚倒す必要ないんじゃないですか?」
「ちょっと事情があってな。ここ一帯の雑魚掃討を頼みたい。湧出したらすぐにだ。横取りとかは一切気にしないでいい。香墨、濡羽、氷菜、銀砂、闇縄。お前達もだ」
雪音の不満げな声に答えを返して、再び呼びかけると、雪音と同じように黒猫や白いカラス、黒いカラス、白蛇に黒蛇が現れた。
彼らは式神……陰陽師に仕える使い魔だ。
「承知ー」
白蛇……銀砂がのんびり答えるやいなや、その声に反して素早い動きで闇に消えた。
他の式神も次々と姿を消していく。
それを見送って、平塚/出月も身を翻す。
ホテルの窓から見えていた、眩しいほどに輝く灯りはもはやどこにもない。僅かに原始的な火の灯りが所々で点されているだけだ。
暗く、長い夜になりそうだった。
始まった時点で死者数が想像を絶するであろうという理不尽。ただまあ、一応ここにも理由はあります。
平塚のHNの由来分かった方はもう既に結構いるのではないでしょうか。懐かしいなーとでも思っていただければ幸いです。