プロローグ
遠い過去か、はたまた遙かな未来か
それはどこか日本によく似た国
その国のとある街
そこは様々な情念の混ざり合う魔女の鍋。
そしてこの国で唯一、妄想と現実が同居する不思議な場所。
人々はその街を『趣都』秋葉原と呼んだ。
秋葉原が趣都と呼ばれる理由は、その街全体がその国の人々の多彩な趣味の品々が集まっていることにあった。
コンピューター、テレビゲーム、コミック、アニメーショングッズ、アイドル商品、電気機器、模型…… 実に多種にわたって集まっており、種類と量においては、国内どころか世界的にも類を見ない規模であった。
その多種にわたる趣味の品々のなかで、フィギアと呼ばれる立体人形があった。
古くはヨーロッパで使われ始めた言葉で、一般的には彫刻・彫塑・立像などの分類から外れたものを指すことが多く、偶像崇拝などの宗教的な意味合いも含んでいたという。
英語圏では一般に「人の形を模した物」という意味であるが、ここ秋葉原ではアニメやコミックに登場するキャラクターや、アイドル達のミニチュア立体立像を指す言葉として用いられる。
アイドルは別にしても、元々2次元の存在であるアニメやコミックに登場するキャラクターを立体的に創造するには、それ相応の技術がいる。
フィギアのほとんどは商品化される前に、その『原型』を作成する。その原型を作る人は、以前は「モデラー」と呼ばれていたのだが、現在ではよりアーティスティックに『マイスター』と呼ばれるようになった。秋葉原のフィギアマイスター達は作成するフィギアがどれだけオリジナルに近づけられるかに神骨を注いでいた。
そんな秋葉原のフィギアマイスター達の中で、ずば抜けて卓越した技術を持ち、『神』とまで呼ばれた1人のマイスターがいた。
彼の創造するフィギアは、美少女限定だったが、その表情やプロポーション、細部の精細さは群を抜いており、彼が手がけた作品を原型とした商品は売り切れ必死の物ばかりで、その人気はファンどころか同業者にまで及び「生きたフィギア」とまで賞された。
そのフィギアマイスターの名はMA・JIN。
もちろん本名ではないだろう。だが、彼の本名は誰も知らなかった。彼が何者で、何処に住んでいて、何処でその神の手によるフィギアを作っているのか、すべてが謎だった。
ある時、MA・JINはマイナーな同人誌に登場するキャラクターのフィギアを作成した。そのフィギアに、彼はまるで魂を込めるかのように、自分のもてる技術をすべて詰め込んだという。そうして7体のフィギアができあがった。
そのフィギアの名前は、原作同人誌の名前をそのまま使い「舞・カレン」と名付けられた。後に「魔人の舞・カレンシリーズ」と呼ばれる伝説の7体である。
だが、彼がすべてを注ぎ込んだこの7体のフィギアは、商品化されることはなかった。それは、なぜか作者であるMA・JINたっての希望だったという。
その後、神の手を持つフィギアマイスター、MA・JINは秋葉原から忽然と姿を消した。彼を惜しむファンや同業者が集まって大規模な捜索を行ったり、そんな騒ぎを聞きつけたマスコミがニュースで取り上げたりしたのだが、彼の行方はようとして知れなかった。今では自殺説が一番有力とされている。
それと同時に、彼が秋葉原で最後に作り上げた7体の舞・カレンもまた、作者同様行方がわからなくなっていた。
一目見た者を虜にする魔力を秘め、どのフィギアよりも精細で美しく、そして可憐な美少女フィギア『舞・カレン』
数多くの海外コレクター達も、彼とその7体のフィギアの行方を追ったが、依然として発見の報はもたらされてはいなかった。一部では自殺したとされるMA・JINと共に灰になったなどという噂も耳にする。
だがこの説は最近になって覆ることになった。7体のフィギアの1体が秋葉原の小さなフィギアショップで発見されたのだ。何でもそのショップのオーナーは、かつてMA・JIN本人から直接託されたのだという。そのニュースは瞬く間に秋葉原中を席巻し、日本を離れ遠く海外コレクター達の耳にも届いた。
この世に1体づつしか存在しない、かつて『神』とまで呼ばれた伝説のフィギアマイスターMA・JINの最後の作品シリーズである。状態が良ければ9桁越えの値もあり得るとされる伝説のフィギアシリーズの1体。当然たくさんのコレクター達が大金を積み上げ、ショップオーナーに詰め寄ったが、オーナーはどんな条件にも首を縦には振らなかった。だがその代わりに、MA・JIN本人が直接オーナーに最後に残した言葉を伝えた。
『舞・カレン達が秋葉原を出ることはない。彼女たちはフィギアである限り、この街を出ることは出来ないのだ。だから間違いなく、彼女たちは秋葉原のどこかに眠っている』
コレクター達は彼の言葉に首を捻る。『フィギアである限り』とは……?
だが、伝説のフィギアの残り6体がこの秋葉原のどこかにあるという情報に、コレクター達の頭を掠めた些細な疑問など、どこかに吹っ飛んだようで、彼らは残りの6体を探すべく我先にと店を飛び出し秋葉原の街に散っていった。
静かになった店先で、店主はポケットから煙草を取り出すと、若干曲がったその先に静かに火を灯し、続いて肺に入れた紫煙を深々と吐き出して唇を僅かに歪めた。
「MA・JINが何を残したのか、何を創造したのか、彼女たちを物としてしか見ないおまえ達にはわかるまい。だが、それを知るのは、ただ1体の彼女と、その『舞繰り』のみ…… 最後の1人と1体になる者は、果たしてどのような結末を知るのだろうなぁ? 『時雨』【シグレ】よ……」
店主は手にした透明のケースに入ったフィギアにそう呟いた。長い黒髪と紫の艶やかな着物のような服で着飾った舞・カレンシリーズの1体『紫の時雨』は、自分を抱える店主の問いに無言の答えを返した。
だが、その薄紅を引いた口元には、うっすらと笑みを浮かべているように見えた。
店主は再び深く紫煙を含むと、日の傾いた空に向けて煙りを吐き出し再び呟く。
「もうすぐ始まる…… おまえ達とその舞繰り達の願いを遂げるための聖戦が。この混沌渦巻く趣都…… いや、魔都を戦場として、人の魂の根元を探る戦がだ」
茜に染まる夕日が、いつもよりその色を濃く写す夕暮れに、フィギアショップ『ネバーランド』の店主、柊純一【ヒイラギ・ジュンイチ】はそう宣言した。
後にフィギアファンの間で長きにわたって語り継がれていく奇跡の戦い『人形戦争』の幕が、静かに上がった瞬間だった。




