約束
――― 守れない約束ばかり、重ねてしまうのは何故だろう。
「悪かったな。今度ちゃんと、あれよりいいやつ買ってやるから」
「ホントに?」
言いながら向けられた疑いの目を、今でもはっきり覚えてる。
あの時の約束は、たしかにほんの気休めだった。
壊してしまったガラスの灰皿の代わりを買ってやるなんて。
些細な、その気になればいつでも叶うだろう約束。
だけどアイツは多分、それが叶う事が無いと知ってたのかもしれない。
降り積もる雪が、いつか溶けて無くなるのと同じように。
熱情も愛欲も、いつかは夢みたく醒めてしまうんだと。
・・・・読み切り小説【約束】・・・・
サクサクと、歩く度に音がする。
白い世界に足跡が残って行く。
吐く息が白く霞んだ。
辿り着いたアパートの階段をカンカンと音をたてて昇る。
痛いくらい冷たくなった鍵束を取り出して、鍵穴へ差し込み回す。
ガチャリと何の抵抗も無く鍵は開き、扉を開けて中へ足を踏み入れた。
冷え切った部屋の冷気は、外より幾分ましといった程度だった。
扉の鍵をカチャリと回し、冷たい床に腰を降ろして革靴を脱ぎ捨てる。
代わりに履き替えたスリッパが、歩く度パタパタ音をたてる。
少し前に買い替えた冬用のコレは、温かいけど音がうるさくてかなわない。
もっとも、気にするべき相手はこの部屋にはいないんだが。
「ふぅ・・・・・・」
もうストーブを点ける気にさえなれず、ただゴロリとベッドに横になった。
上着を脱ぐのさえ面倒だ。
ぼんやりと窓を見る。
ぽっかり浮かんだ大きな月が、寒々しくも綺麗に映った。
最低限の物しか無い殺風景な部屋は、その白々とした灯りに照らされ、何とも言えない寂寥感を漂わせている。
小さなテーブルの上に置かれた青いガラスの灰皿が、月明かりを受けて一際キラリと冷たい光を放つ。
買ったその日に使うべき主がいなくなったアレは、結局一度も使われる事なく、美しくそこに鎮座したままだ。
「煙草、買いに行くか」
唐突に思い付いた。
使う事なく光り輝くばかりのソレは、何処か哀れにさえ見えて、いっそ思い切り汚してやりたかった。
この時間では自販機は無理でも、コンビニに行けば買えるだろう。
身体を起こしたその時だった。
―――ガチャガチャ
鍵が開く音が響き、扉が開いた。
「起こした?ごめん」
驚きに目を見張る。
冷たい月に照らされたその人を、穴が開くほど見つめる。
間違い、無い。どうして―――・・・・。
「ソレ、取りに来た。それだけ」
短く言い、黒い靴下を履いたその人は中へと入り、青いガラスの灰皿へと手を伸ばした。
「じゃあね」
そのままソレを持って踵を返す。
「待て!!」
その背が、ピクリと震えて足を止めた。
「何?」
振り返ったその顔は、息を飲むほど綺麗だった。
冷たい月の光を受けて立つその姿は、まるで何かの神話みたいで・・・・。
「用、無いなら行くよ」
「!!」
踵を返したその背を追い、手を掴んだ。
「――――っ!!」
身体ごと引き寄せて、組み敷いた。
「何のつもり?」
綺麗な眉がしかめられ、冷たい抗議の声が響いた。
「約束したろ。次に戻ったら、離さないって」
熱を帯びた問いかけに、相変わらず冷たい声が返って来た。
「こういう時だけ?約束なんか、守った事無いくせに」
「それでもだ。今だけでいい。約束、果たさせろ」
黙って唇を塞いだ。
重ねた手に指が絡む。それだけでもう、後は何も要らなかった。
もどかしい思いで引き剥がしたコートのボタンが飛んだ。
そのまま下の衣服に手をかけ、その素肌に手を滑らせる。
滑らかな白い肌の感触が、指に、全身に、震えるような感覚を与えて行く。
息も出来ないくらい激しく口付けながら、もどかしい思いで自分の上着を脱ぎ捨てた。
下に着ていたジャケットもシャツも、何もかも全部放って、肌と肌を重ねる。
熱が、伝わる。唇から、肌から、お互いに、お互いの熱を、伝えて、伝わって。
「好きだ・・・・」
呟いたそれは熱を持ち、冷たい部屋に響いた。
「・・・・知ってる」
「知ってて何で!?」
冷たい声は答えた。
「怖かった。どんなに好きでも、いつか離れる時が来る。そう思うと、たまらなかった」
――――あなたは嘘つきだから。
呟かれたソレは、冷たい部屋の中、シンと響いた。
「・・・・嘘じゃ、ねぇよ」
堪らず叫んだ。
「他にどんな嘘吐いたって、お前を好きって気持ちだけは、嘘なんかじゃねぇ!こんな、自分でもどうにも出来ない想いが、嘘なわけあるかよ!!!!」
何事か言おうと動いた唇を乱暴に塞いだ。
身体中に伝わり始めた熱が、もう何もかもどうでも良いと思わせた。
頭はもう真っ白で、目の前の快楽以外、何も無かった。
冷たい床はもうすっかり熱を帯び、月明かりだけの薄暗い部屋の中、二人の熱が果てた。
そうして荒くなった白い息を吐きながら、互いに手足を床に投げ出し、そのままぼんやり窓の外を見ていた。
「・・・・ねえ」
ふいに冷たい声が響いた。
「・・・・約束はしないでいい。ただそばに、いさせて」
答えの代わりに唇を重ねた。
その目がゆっくり閉じ、背に腕が回った。
冷たい月はその姿を隠し、外はまた、雪の華が降り始めていた。