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体験学習 終わり


 はかなげに咲く白い花。今にも、しおれてしまいそうな。

 ひかえめで、幸の薄そうなその女性の名は、伊佐川いさがわ瀬良せら伊佐川いさがわ継人つぐひとの母親だ。


 「やっと会えたわね。継人」

 「母さん……」


 大好きな母親に会えて嬉しい……と、思ったのは一瞬だけ。

 まさか、他人の娘の姿で、実の母親に会うことになるとは思っていなかったので、『稚愛つぐひと』はそれ以上に動揺どうようしていた。


 「ふふっ……。何から何まで、すごく変わったのね。あなたと身体を交換した、その女の子の名前は……」

 「稚愛ちゃんだよ。ゆず子さんの娘だ。体験学習で、この子と入れ替わることになるって、母さんだけには話しただろ?」

 「そうだったわね……。ふふっ、稚~愛~ちゃんっ♡ とっても、素敵なお名前……♡ 継人、なんかよりも、ずっといいわぁ……♡」

 「そ、そうかな……」


 今まで聞いたことないくらいに甘くて優しい、母親の声。

 何がそんなに嬉しいのかは分からないが、いつもの弱々しくて何かにおびえているかのような声に比べればマシか、と息子はそう思っていた。


 「ねぇ、稚愛ちゃん……♡ お家に入らない? 私たちの、新しいお家に」

 「新しいお家って……やっぱりこれ、したのか。俺が二週間、いない間に?」

 「ええ。あなたを、びっくりさせたくて」

 「そりゃあ、びっくりはしてるよ……。相談もなしに、いきなりすぎるって。中学校までの登校とか、どうしたらいいんだよ。これから」

 「それは大丈夫よ。とにかく、詳しいことは中で話すから、早く入って」

 「いや、でも……いいのかな?」

 

 瀬良の勢いに押されながら、『稚愛つぐひと』はゆず子がいる方をチラリと見た。

 その視線の動きで、瀬良もゆず子の存在に気づき、今度はゆず子の方にせまっていった。


 「春崎はるさきさんっ……」

 「うふふ。すっかり元気になったわね。瀬良せらちゃん」

 「はい。何もかも、新しく生まれ変わったような気分で……。春崎さんが助けてくれたおかげです。ありがとうございます」

 「こちらも、瀬良ちゃんには感謝しているわ。あなたのおかげで、私の人生も良い方に変わりそう。ところで……荷物の整理は、もう終わったの?」

 「ちょうど今朝、終わりました。今は片付いているので、春崎さんもどうぞ」

 「そうね。お邪魔しようかしら。忙しいから、少しだけになるけど」

  

 スタスタと、ゆず子は他人の新築物件にも、お構いなく上がっていった。

 残ったのは、親子二人。辺りは暗く、このまま外にいる理由もないので、瀬良と一緒に、『稚愛つぐひと』も家の中に入ることにした。

 

 *


 一階のリビング、ダイニング、キッチンを見て回った。当然、設備がすべて新品なので、天井、壁紙、フローリングなどは、ピカピカに輝いており、生活感はまだない。 

  

 「次は二階よ。ほら、こっちに来て」

 「母さん、ちょっとはしゃぎすぎだよ」

 

 と言いながら、息子は少女のように笑う母親を、微笑ほほえましく見ていた。

 突然の引っ越しには驚いたものの、継人も引っ越し自体には賛成している。というのも、今まで親子二人で暮らしていたアパートは、狭くて暗くて古臭くて、身体が弱い瀬良の療養りょうようにはてきしていないと思っていたからだ。自然豊かなこの場所で、美味しい空気を吸って、母親が元気に生きられるなら、それが何よりだ。


 (やっと幸せになれたね。母さん)


 父親の家庭内暴力。そして、離婚後の貧困。心労による入院。     

 それを息子は、幼い頃からずっと見ていた。いつか母親がむくわれてほしいと、願い続けて、今日まで生きてきた。


 「そしてここが、あなたの新しいお部屋。さあ、中に入りましょう」

 「あははっ、楽しみだな」


 瀬良は銀色に輝くカギを取り出し、息子のために用意したとっておきの部屋の扉を、ガチャリと開けた。

 そして、三人で室内へ。

  

 「え……?」


 足を踏み入れ、中を見渡し、そして……息子の顔からは、笑顔が消えた。


 「な、なんだ……!? この部屋……!!」


 床にはピンク色の絨毯じゅうたん。一部には子供用のプレイマット。

 ベッドはあるが、布団はハート柄のとても可愛いデザイン。枕元には、クマさんネコさんウサギさんのぬいぐるみなどが、ベッドからこぼれるくらい大量に。

 ハンガーにかかっている洋服は、すべてが女物。そして、夏用の白いセーラー服が一着。


 「ち、違う……! 全部、違うっ!」


 ここは間違いなく、女子が生活する部屋。

 見覚えのないものばかりで、伊佐川継人という男子の私物しぶつなど、一つもない。


 「誰の部屋だよ、これ! 母さんっ……!」

 「今日からここが、あなたの部屋よ。伊佐川いさがわ稚愛ちあちゃん」

 

 『伊佐川いさがわ稚愛ちあ』。聞き慣れない、その名前。

 しかし、最愛の母親から今確実に、それを渡された。


 「い、いや……何言ってるんだ……? 何を考えてるんだ!? か、母さんっ……!?」

 「ふふふふ……そうね。私は、稚愛ちゃんの、お母さんになったの」

 「訳がわからないっ、意味がわからないっ!! 本気なのかっ!? 正気かっ!? おいっ!!」


 うそだと思った。何かの冗談だと。

 『稚愛つぐひと』は、瀬良の二の腕をガシッと掴み、自分の方へと乱暴に振り向かせた。目を見て、正直に、本当の事を話してほしいという、気持ちを込めて。


 「ええ。私はね、自分の息子と、春崎さんの娘を、交換することにしたの」


 瀬良は、平然とそう言った。つまりこれは、嘘でも冗談でもない。

 気持ちの悪い汗が、だらりと。『稚愛つぐひと』のほおを伝う。


 「じゃ、じゃあ……もう、二度と、元の身体には……」

 「戻れない。あなたは残りの一生を、稚愛ちゃんとして生きていくのよ」 

 

 戦慄せんりつ


 「ふ、ふざけんなっ……! ふざけんなよっ!! 今すぐ元に戻せ、身体をっ!! もう体験学習は終わったんだろ!?」

 「体験学習なんてものは、最初からないの。この二週間の病院暮らしは、入れ替わり手術の経過けいか観察かんさつの期間よ」

 「は……はぁ!? じゃあ、そ、そういうつもりだったってことか……!? 母さんも、ゆず子さんも、稚愛も……全部、最初から、こうなることをのぞんでたのか!?」

 「もちろん。……春崎さんの方も、そうですよね?」


 瀬良は唐突とうとつに、ゆず子の方へと話を振った。


 「ええ。この部屋にあるのは、全て私の娘の物。でも、あなたにあげることにしたの。その身体と共に、ね」

 

 ゆず子は、自分の娘……と同じ姿をした存在に、冷たく言い放った。


 「つまり、俺をだましてたってことかよ……!! あんたも、稚愛もっ!」

 「いいえ、稚愛は違う。あの子には最初から、『身体を交換してくれる相手が見つかった』と、伝えてある。だから、あの子は……この入れ替わりが、()()()()()()()()()()()であることは、知らないはずよ」

 「じゃあ、稚愛は……一生元には戻れないってことを、事前に聞かされたうえで、俺と入れ替わったのか!?」

 「ええ。かなり悩んでたけど、決断したみたい」

 「どうして、だ……!? どうして稚愛は、赤の他人の……どこかの知らない男子になって、生きていくことを選べたんだ!?」

 「解放されたかったんじゃない? その身体に刻まれた、ガチン症という永劫えいごうの苦しみから」

 「が、ガチン症……!?」


 激しく感情がれると、全身が固まって動けなくなる。

 それは、怒りでも、悲しみでも、喜びでも。


 「幼い頃の稚愛はね……。楽しく遊んでいても、突然動けなくなって、倒れてしまうような子だった。おしっこやウンチも漏らすし、救急車も呼ばないとだし、もう大変で。だから、思うように友達ができなかった」

 「……」

 「手指が不自由だから、ゲームなんかの一人遊びも、ロクにできない。『わたし、なんにもできない』って、自虐じぎゃく口癖くちぐせにして笑ってたわ。ほんとは思い切り泣きたかったでしょうけど、それすらもできない」

 「稚愛……」

 「私は医者として、手を尽くした。娘を治すために、ありとあらゆる手段を使った。でも……本当に例が少ない、未知の症候群だから。十数年、戦っても成果はなかった。そして去年、あの事件が起きた」

 「ああ、ひまわり組の男子たちの……」

 「表向きは平静へいせいを装っていた稚愛は、その日の帰りの車内で、私にポツリと言った。『ママ、もう注射しなくていいよ』と。つまりそれは、もう生きていたくないから殺してほしいと、言ってるのと同じ」

 「えっ!?」

 「ガチン症の時、すぐに弛緩剤を打たないと、やがて死ぬ。死因はいくつか考えられるけど、まあ窒息ちっそくでしょうね。呼吸がし辛くなって、酸素が取り入れにくくなるから」

 「たしかに、息苦しかったけど……」

 「もちろん、可愛い娘を見殺しにはしない。私はガチン症の治療をあきらめ、別の方法を探した。稚愛が生きる希望を持つためには、どうすればいいか。……そして、見つけた」

 「それが……入れ替わり手術か」

 「某国ぼうこくの山奥で、極秘に研究が進められているという、眉唾まゆつばものの謎の装置でね。私は、わらにもすがる思いで……研究に協力するという名目で、それを貸してもらった」

 「じゃあ、俺と稚愛が、もう一度入れ替わるには」

 「ふふ。謎の装置と、手術する医者と、稚愛本人の承諾しょうだくと。残念ながら、それらがそろう奇跡は、もう起きない」

 

 くらく、あやしく、微笑ほほえむ。


 「……だ、だからなんだよっ! 納得なんかしてないっ! 許可なんかしてないっ! 俺の身体だぞ!? 早く返してくれよっ!!」

 

 そして、『稚愛つぐひと』の両肩に、背後からポンと手が置かれる。

  

 「許可したのよ、私が……♡ あなたの保護者だから♡」

 「……っ!?」


 最愛の母が。お互いに助け合って生きてきたはずの、母が。

 今はもう、味方の顔をしていない。


 「母さん……! 俺は、母さんのためにっ!」

 「ありがとう。私の幸せを願ってくれて。愛してるわ、稚愛ちゃん♡」

 「稚愛じゃないっ! 俺は、継人だっ! そう呼べよ、母さんっ! あんたがつけた名前だろっ!?」

 「ううん。それは、あなたのお父さんだった人がつけた名前よ」

 「え……!?」

 

 瀬良の顔から、フッと笑みが消えた。

 よみがえるのは、まわしき記憶。


 「名前だけじゃない。お父さんの趣味は野球観戦。野球も教えてもらったわね」 

 「だ、だから……なんだよ」

 「ふふ、ふふふっ。顔も、声も、大人になるにつれて、だんだん似てきてしまって。あの野蛮やばんな、暴力的ぼうりょくてきな男性に、あなたもなってしまうのかと思うと……私はとっても悲しくて、心の傷がとても痛くなった」

 「そ、それは仕方ないだろっ!? 二人の息子なんだからっ!」

 「可愛い息子だったのに……。いつしか、あなたが怖くなって、出会うたびにおびえてしまうようになった。本当に、苦しかったわ」

 「そうか、だから……いつも怯えたような震え声を」

 「でも、病院に行って、春崎さんに相談してよかったわ。『うちの娘と、そちらの息子さんを、交換してみない?』って、初めて言われた時は、びっくりしたけど……。ふふふ、おかげで今はもう全然怖くないのっ! やっと、ちゃんと、愛してあげられるっ!!」

 

 背後から、するすると、からみつくように。

 黒い愛情を込めて、抱きしめられて。

 

 「な、なんだよ、それ……。俺は、本当に母さんのために、将来のこととか、考えて……」

 「これが私の幸せよ。稚~愛~ちゃんっ♡」

 

 もう、どこにも逃げられない。


 「い、嫌だっ……! やめろっ! 放してくれっ、母さんっ!!」

 「うふふっ、ふふふふ……♡ いつまでも、ここにいればいいの。ここはあなたのお部屋だからっ♡」

 「放せよっ!! くそぉっ!!」

 「そんなに激しく怒っちゃダメよ。ほら、だんだん……身体が」

 「うわあぁっ!? が、ガチン症っ!? うぐ、うぐぐっ……!!」

 「あらら。腕も脚も、もう動かないのね。でも、大丈夫。これからは、私がいつも注射とマッサージをしてあげるから♡」

 「お、お前……絶っ……対、に……! ぐぎぎっ……!」


 アゴまで完全に閉じてしまい、歯ぎしり以外は何もできない。

 恐怖と、後悔と、絶望に。どうすることもできず、『稚愛つぐひと』は全身ガッチリと固まったまま、大粒のなみだをポロポロとこぼした。


 「フーッ……フーッ……。ぐすんっ……」


 ガチン症になったら、すぐに弛緩剤が必要だ。

 ゆず子はスティックのり型の注射器を取り出し、瀬良に手渡した。


 「はい、これ。注射のやり方は、前に教えたでしょ?」

 「ええ。やってみますね。これからはもう、私の娘ですから」

 「……でも、本当によかったの? あなたの息子は、私がもらっていくけど」

 「どうぞもらってください。私は春崎さんの娘と、たくさんのお金をもらったので、私の方が得をしてるくらいですよ」

 「得、ねぇ……。そうなのかしらね」

 

 ゆず子も、瀬良も、『稚愛つぐひと』を見ていた。

 苦しみや憎しみを抱えながらも、ただ泣きながら立っていることしかできない、あわれな少女を。


 「『許さない!』って顔してるわね。『殺してやる!』とすら思ってるかも。瀬良ちゃん、大丈夫?」

 「あの人そっくりです。すぐ『殺す』とか言っちゃう、バイオレンスな性格。でも、今はもう、私だけの大切な娘だから……ちゃんと矯正なおしてあげないと」

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