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体験学習 7日目①


 昨日買った花柄のワンピースを着て、リボンのついた帽子を被って、お出かけの準備は完了。

 今日は日曜日。舞白と会う約束をしている日だ。

  

 「じゃ……じゃあ、いってくるね。つーくん」


 今もまだ、【なりきりごっこ】は続いている。

 靴を履いて玄関を出るまで、『稚愛ちゃん』はずっとそれをやめずに、春崎稚愛のままでいた。


 *

  

 (昨日の夜は、楽しかったなぁ……)


 昨日も訪れた、病院近くのショッピングモール。

 そのエントランスで、遅れてくる舞白を待ちながら、『稚愛つぐひと』は想い出にひたっていた。


 (誰かに甘えるなんて、何年ぶりだろう)


 甘えは弱さ。弱さとは、男子には不要な物。

 小学生から中学生になり、母親になるべく頼らず生きていけるようにならないと……という意識いしき芽生めばえ、継人はいつしか親への甘えも捨てていた。

 だから、新鮮だった。「これやって」だの、「あれをしてほしい」だの……要望ようぼうを伝えれば、相手がその通りにやってくれることに。もちろん、『稚愛ちゃん』本人はワガママに振る舞ったつもりはなく、指先が上手く使えないから最低限の補助ほじょがほしいという正当な理由で、『つーくん』にはその都度つどの要望を伝えたつもりだが。

 

 (ご飯も、着替えも、お風呂も……全部、手伝ってくれたなぁ。文句も言わず、嫌な顔一つせず。ほんと、優しいな……つーくんは)


 ちょうどいい気遣きづかいをくれる、優しい兄のような存在の『つーくん』の魅力に、兄弟も父親もいない環境で生きてきた『稚愛ちゃん』は、心をかき乱されていた。素直に甘えられることが嬉しくて……昨日は、つい、甘えすぎてしまった場面もある。

 

 (今日もまた……同じ布団で寝てくれるかな)

 

 トクンと、高鳴る。


 「お、いたいたー! おまたせー♪」

 「……!」


 明るく陽気ようきな、舞白の声。

 『稚愛つぐひと』は顔を上げて、声がする方へ振り向いた。


 「おおー、しっかりと女の子のオシャレしてきたねぇ。まずは合格点をあげよう、継人くん」


 その姿を見て、少し、驚いた。

 当然、いつものセーラー服じゃない。今日のお出かけのために「オシャレしてきた」のは、舞白も同じだ。


 「うん? どーしたの?」


 袖口がフリルになってるオフショルダーのトップス。シルエットがワイドに見えるデニムパンツ。ブラウンのシンプルなサンダル。

 中学三年生にしては、やけに大人ぶった、落ち着いたファッションだ。子どもっぽいのは、手首につけたピンク色のシュシュくらい。


 「もしかして、あたしに見とれてるー?」


 見とれてる……のは、確かにそうだ。オシャレだな、と思ったのは事実。

 でも、『稚愛つぐひと』は、舞白の服装と同じくらい、今の自分の服装も気になっていた。

 

 (こっちも、しっかりと……今日のために用意してきたはずなのに。舞白とは、全然違う……)


 ただ服装が違うだけじゃない。

 身長の差。もちろん、舞白のほうが高い。

 体型の差。舞白はスラッとシャープな体型をしているが、一方の春崎稚愛の身体は、姿勢の悪さ(猫 ねこぜぎみ)も相まって、体型の丸っこさがより際立っている。

 同じ歳の女子中学生なのに、二人で並んで歩けば、それはまるで……大人と子ども。恥じるべきなのは、子どもの方。


 「い……いや、なんでもない……」

 「そっか。じゃあ、行こ? 継人くん」

 「う、うん……」


 誰が悪いわけでもないのに、なんだか少し、モヤモヤとした気持ちを抱えた。

 

 *


 日曜日なので、混み具合は昨日以上。目的のウィンドウショッピングを行うには、道行く人を避けて進まなければならない。

 流れに乗るようにスルスルと歩き、自分に似合う服やアクセサリーを見つけていく舞白の後ろで、『稚愛つぐひと』は小さな身体と狭い歩幅ほはばに苦労し、息を切らしていた。


 (はぁ……はぁ……。後ろをついていくだけで、やっとだ……。昨日は、こんなに大変じゃなかったのにな……)

  

 理由は分かっていた。

 昨日の『つーくん』は、『稚愛ちゃん』に歩幅を合わせ、歩くペースを落としてくれていた。だから、二人並んで歩くことができたのだ。

 今の、舞白は……悪気わるぎはないのだろうが、継人が今、春崎稚愛になっているということを、あまり考えてくれていない。


 「あら、歩き疲れちゃった? じゃあ、映画でも見に行こっか。継人くん」


 そう、今でも継人を「継人くん」だと思って、接している。

 それは間違いではないし、姿が変わっても、今まで通り普通の友達として接してくれるのは、むしろ喜ばしいことではあるが……。


 「今日は、どんな映画やってるかな~?」

 「……悪い。俺、ちょっとトイレ行ってくる」

 「いってらー。チケット売り場の近くで待ってるね」


 5階のシネマフロアに到着した後、一旦、二人は別行動を取ることにした。

 『稚愛つぐひと』はそのまま映画館のトイレへと向かい、舞白はスマホの画面を見ながら、そばにあったベンチに腰を降ろした。


 (う……。思ったより並んでるぞ……)


 女性に人気の映画でも公開されてるのか、女子トイレには少し列ができていた。

 一方で、男子トイレの方には列はなく、代わる代わる男性がトイレを利用していった。


 (どうしよう。この身体、あまりガマンできないんだよな……)

 

 春崎稚愛になって気づいたのが、男子の身体より女子の身体の方が、ガマンできる時間が短いということだ。しかし、「何故なぜか」どこへ行っても、男子トイレより女子トイレの方が混んでいる。つまり、トイレに行きたい時、女子の方がピンチになりやすい。

 

 (今、おむつを穿いてるけど……これはあくまで、ガチン症の時のためだ。何もない時に漏らして、おむつに頼るなんて、ただ情けないだけだぞ……)


 おむつなんて、積極的に使いたいものじゃない。継人の中三男子としてのプライドが、「情けない事態じたい」を避けようとした。

 とはいえ、危機は迫っている。対策は今のところ……ない。時間の流れと共に、焦りはどんどん増していく。


 「はぁ……はぁ……。まだか……?」


 まだだ。列の進みは遅い。

 そうしているうちに、だんだんと、隣にある男子トイレがうらめしく思えてきた。


 (くそっ。俺も、元の姿の……男子なら、こんなに苦しまなくて済むのに……)

 

 太ももをモジモジさせて、ひたすら待った。それでも列は進まない。お腹も痛くなってきた。

 こうして窮地に追い込まれると、どうにも手段を選べなくなっていく。


 (というか、俺、男子だろ……。男子でいいよな? 間違ってない。俺は男子だ。ちょっとションベンするだけだし、すぐに入って、すぐに出れば、大きな問題にはならないはず……)


 まずは、自分を説得し。

 ガマンの限界を悟り、『稚愛つぐひと』は女子トイレの列を離れた。そして、その足で男子トイレへと突入した。


 (あっ……!?)

  

 そこで目にして、思い出した。

 男子トイレの方が、「何故か」混んでいない理由。


 (そっか……! 小便器があるんだ……!)


 立って排尿をするための便器。女子トイレにはない。これが、恐ろしく回転率を上げているのだ。男子トイレにだけ、そういう特殊な便器があることを、『稚愛つぐひと』はすっかり忘れていた。

 チラッと横目で見ると、数少ない個室(大便器)の方は、埋まっている。そちらには入れない。そして、『稚愛』が今すぐしたいのは……小の方。


 (できる……よな? 別に、ションベン、くらい……。俺は、男、だし……)

  

 極限状態の精神が、無茶な行動をさせている。

 スカートをまくりあげ、おむつをずり降ろし……もう、止められない。


 「はぁ……はぁ……。出、た……」


 ずっと身体に溜め込んでいたものが、一気に外へ出る解放感。惨事さんじにならず、無事に間に合ったことへの安堵。それらを深く味わい、『稚愛つぐひと』は目を閉じた。

 が、それもつかのこと。


 「あっ、ダメだ! もっと前に行かないと……!」


 慌てて、目を開けた。

 ボタボタボタ……と液体が落ちていくのは、真下。少し降ろした、おむつの中。便器の中にシャーッと入っていかない。

 男と女では、出る位置が違うのだ。小便器の使い方も変わってくる。


 「く、くそっ……!」


 悪戦あくせん苦闘くとう。たかがおしっこで。

 おむつを完全に脱ぎ、股を大きく広げ、小便器に触れるぐらいグッと腰を近づける。楽じゃないうえに、まるで品がないポーズだが、やっとこれで安定した。


 (なんだ、これ……。何をやってるんだよ、俺は……)


 どこで何を間違えて、こうなったのか。

 男子トイレの利用者が、静かに背後を通り過ぎていくなか、どう見ても異様な女でしかない『稚愛つぐひと』は、恥ずかしさにもだえながら、それを考えていた。


 *


 「結局、漏らしたのとあまり変わらないな……」


 苦い顔をして、『稚愛つぐひと』はそそくさと男子トイレを出た。

 そして、しっかり液体を吸って膨らんでいるおむつを、近くにあったゴミ箱に捨てた。替えのパンツは、残念ながら持っていない。

 

 (とにかく、舞白と合流しよう……。あいつなら、なんとかしてくれるはずだ)


 一人ではできないことが、たくさんある。だから昨日、『稚愛ちゃん』は『つーくん』にたくさん甘えたし、『つーくん』はいつも『稚愛ちゃん』を助けようとしてくれた。

 今は、『つーくん』がそばにいない。だから、舞白に力を借りるしかない。そう思って、『稚愛ちゃん』は集合場所へと急いだ、が……。


 「あれ? 舞白? ど、どこだっ?」


 いない。どこにも、姿がない。

 今は彼女しか、頼れる人がいないというのに。

  

 「おかしいな。このチケット売り場の近くのベンチで、待ってるって言ってたのに……」


 見回しても、舞白の姿はない。待っていても、帰ってくる気配はない。

 今は、『稚愛つぐひと』が一人。何もできない身体で、ひとりぼっち。


 「どうしよう……。どうしよう、どうしよう……」


 不安はやがて、パニックへと変わった。

 

 「連絡先……、スマホ、あれ? どこだ?」

 

 ポシェットの中に、スマホがない。どこかに置いてきた気もするし、誰かに預けた気もする。なんだかもう、落ち着いて思考ができない。

  

 「頭ん中、ぐしゃぐしゃだ……。舞白っ、どこだよ……! 舞白っ!! 舞白ぉっ!!」


 声がだんだん大きくなってきて、いつの間にか、『稚愛つぐひと』は叫んでいた。

 その叫びが届いたのか、ようやくそいつは、このベンチへと戻ってきた。

  

 「わー、ごめんごめん! お待たせ、継人くん」

 「舞白っ……!?」


 大きなポップコーンと二つのドリンクを携えて、そいつは現れた。ここにいなかった理由は、一目いちもく瞭然りょうぜんだ。


 「はぁっ……はぁっ……」


 落ち着かない。心にある熱が、まだ消えない。


 「舞白っ……!! お前、どこに行ってたんだよっ!!!!」

 「だから、ごめんってば! 継人くん、ちょっと時間かかってたからさ」

 「時間、かかってた……!? 俺が、遅かったのが、悪いって言うのかよっ!!! トイレが混んでただけで、俺のせいにされるのか!?」

 「いや、そーじゃないってぇ……。ほらほら、とりあえず涙と鼻水ふいて」

 「むぐっ……!?」


 ティッシュを顔に当てられて、『稚愛つぐひと』は自分の顔がめちゃくちゃになってることに気が付いた。舞白は幼い子の面倒を見るかのように、涙と鼻水を拭き取った。

 その行動が、『稚愛つぐひと』のかんさわった。「まだ話している途中なのに……こいつは完全に、俺をナメてるな」と、心に黒い感情を作り出した。

 

 「やめろっ……! ちゃんと聞けよっ!! 俺の話っ!!」

 「もう、聞いてるってば。ってか、なんで怒るの? 助けが必要なんでしょ?」

 

 その通り。助けが必要だ。

 しかし、『つーくん』と舞白の優しさは、何かが絶望的に違う。思いやりとか、対等な目線とか……舞白には、何かが欠けている気がする。それが上手く伝わらないからこそ、『稚愛つぐひと』はこれほどまでにイライラしているのかもしれない。


 「いや、お前は……何も、分かってな、い……」

 

 感情の高ぶりと共に、来た。


 「ふーっ……! ふーっ……!」


 ガチン症だ。手足の筋肉が固まり始めた。

 舞白の目の前で。

 

 「ど、どうしたの!? 急に目玉ギョロって開いて……! 大丈夫っ!?」

 「ガチ……ガチ……。ギリリ……」

 「ちょ、ちょっと、ヤバいよ!? 私、どうしたらいい!? ねぇ、継人くんっ!!」

 「注……射……。ガチチ……」


 「まずは落ち着け。そして、俺のポシェットから注射を取り出して、俺の腕に打ってくれ。あとは、ベンチで寝かせといてくれれば、ガチン症はすぐに収まる」……という説明をしたいが、無理そうだった。アゴががっちりと閉じてしまったので、『稚愛つぐひと』はもう言葉を話せない。


 「どうしたらいい!? ねぇ! ねぇってば!!」

 (いや、仮に話せても……届かないだろうな。今のこいつには)

 「とりあえず、救急車呼ぶよ!? えっ、もう、そうするしかないよね!? 救急車、電話するっ!!」

 (呼ばなくていいのに。いちいち、大事おおごとにしやがって)

 

 『つーくん』だったら、もう少し落ち着いて、スマートに対処していたのに。


 「あ、映画館のスタッフさんっ! 早くきてっ!! まず救急車と……あと、冷やしたほうがいいのかな!? こういう時って……!」

 (助ける気があるなら、ちゃんと助けろよ。ほんと、こいつ……使えねーな)

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