体験学習 1日目
3月に高校受験を控えた、中学三年生。
部活動を引退し、夏休みが終わった後は、学年全体に受験ムードが漂い、空気が変わっていく。
「紹介状!?」
「ああ。書いてくれるって」
3月に試験を受けて合格し、入学を決めるのは、いわゆる「一般入試」という、その名の通り一般的なルートだ。つまり、一般的でないルートはもちろんあって……たとえば、「推薦入試」や「特色選抜」などは、3月よりも早い時期に行われ、「一般入試」が始まる前に合格を決めることができる。
そして、高校によっては、さらに特殊な……公表されていない裏のルートを用意している場合もある。
「西和巻学園……。私立高校だね。医学部進学コースがあることで有名な」
「俺の第一志望は、その西和巻学園だ。紹介状があれば、学費を大幅に安くしてもらえる」
「えっ!? 学費って、入学が確定してから払うお金だよね!? じゃあ、受験は!?」
「これはヒミツなんだけど……紹介状さえあれば、受験ナシで入学確定」
紹介状の話を聞くと、舞白は小さなゲンコツで、継人の頭をコツンと殴った。
「痛てっ」
「つーくん、ズルい! いいなー、紹介状。私も書いてもらえないかなぁ」
「舞白は、志望校が違うだろ。俺と同じく西和巻を受けるんだったら、舞白の分も頼んでやったけどさ」
「ふふっ、冗談だよ。……で、誰なの? つーくんのために、そんな素敵な紹介状を書いてくださる方は」
「病院の院長やってる、春崎ゆず子って人。西和巻学園の卒業生で、現在は出資者。俺の母親の知り合いらしくて……つまり、パイプが繋がったんだ」
「コネでしょ、コネ。コネ入学。裏口入学。受験戦争らくらく一抜けピー」
「お前な……。いや、そんなに楽な話でもないみたいなんだよ。紹介状を書いてもらうのに、条件があってさ」
「条件?」
目の前にいる、紙パックのリンゴジュースをストローで飲む女に、継人は一つのファイルを手渡した。
このファイルは極秘。保護者以外、誰にも見せるなと言われている。ただ、継人にとって、舞白は一番信頼できる女子なので、紹介状の件と合わせて、このファイルの内容についても、伝えておこうと思っていた。
「二週間の、福祉介護体験学習……?」
*
10月の終わり頃。その日は、「体験学習」開始の前日だった。
女医の「春崎ゆず子」という人物から連絡があり、継人は指定された病院へと訪れた。そして、その場で細かな健康診断を受け、最後にゆず子がいる診察室へと呼ばれた。
「結果は異常なし。合格よ、伊佐川継人くん」
「はい。ありがとうございます」
「では最後に、本人への意志確認の書類に、サインをしてもらうんだけど……本当にいいのね? この体験学習に参加するということで」
「はい。参加を希望します」
「それはどうして?」
「え? えっと、それは……」
「面接じゃないわ。ただ、改めて理由が知りたいだけ。どう答えても、今後に影響はしないから、素直な気持ちを聞かせて?」
「その……どうしても、紹介状が必要なんです」
「もちろん、書いてあげるわ。西和巻学園の紹介状ね。あの学園を志望するということはつまり、将来は医者に?」
「はい。人のためになることがしたくて」
「うふふ、立派な動機。でも……本当はそれだけじゃないでしょう?」
「それは……はい」
ゆず子は、継人の家庭環境のことも、すでによく知っているようだ。
「母子家庭だものね。父親のDVで離婚して、現在は母親とあなたの二人暮らし。失礼だけど、あまりお金に余裕のある生活はしていない、と」
「その通りです。医者を目指すのは、母さんとの……母との生活のためでもあります」
「あなたの母親は、身体が弱いものね。この病院にもよく来るし、そのたびに私が診てるわ」
「そうらしいですね。だから、これ以上、無理をさせたくなくて……とにかく、母が今より幸せに生きられるようにしたいんです」
「へぇ。それで、あなたは医者に?」
「だ、ダメですかね……? この動機は」
「いいえ。それもまた素晴らしい動機よ。その人格に加え、西和巻を目指すには充分な学業成績もある。そして……部活は?」
「野球部でした。って言っても、あまり練習は厳しくなくて、頭髪なども自由な……ユルい感じの野球部です。弱いけどチームの仲は良かったので、三年間楽しくやれました」
「スポーツマンで、健康面も問題なし。ふふっ、あなた『たち』のためなら、私は喜んで力を貸しましょう」
「ありがとうございます」
「では、意志確認書類にサインを。それが終わったら、私について来てくれる?」
「はい」
言われるがままに、継人はサインをしてハンコを押した。そして、ゆず子の後に続くと、エレベーターで病院の地下へと案内された。
地下の廊下は、薄暗くて不気味。臆せずに、スリッパの足音を響かせ歩いていくと、今度は「和室」とだけかかれた部屋に到着した。
「お待たせ。稚愛」
小さな旅館の宴会場のような、畳の部屋。
そこに、一人の女の子がいた。
「……」
薄いまぶたに細い目。ヘアクリップで横分けにした前髪。薄手のキャミソールワンピース一枚のみという、真夏のような服装。肩に掛けた、ウサギのポシェット。
畳の上には、絵本や児童書が、何冊か無造作に置かれており、その表紙の絵を描こうとしたのであろう白紙と、カラフルなマジックペンが数本、こちらも乱雑に散らばっている。
まるで、小学生の女の子のような服装や遊び方だが、彼女の身体は充分に二次成長しており、女子中学生だと一目で分かる。
つまり……仄かに、アンバランス。
「稚愛、こちらが例の伊差川継人くん。継人くん、この子が春崎稚愛よ」
「春崎……稚愛……」
春崎。
つまり、娘だ。春崎ゆず子の。
「ふふっ、初対面だから緊張するわよね。まずは、ごあいさつしてみましょうか」
ゆず子に促され、継人は右手を差し出した。
「俺は、伊差川継人。中学三年生。よろしく、春崎稚愛……ちゃん」
失礼がないように、本当は春崎稚愛「さん」と呼ぶべきなのだが、彼女の雰囲気から、継人は思わず「ちゃん」付けで呼んでしまった。
稚愛の方はというと、継人の握手にはスッと応じた。しかし、しばらく無言のままじーっと握手する手を見つめ、次に継人ではなくゆず子の方をチラッと見た。
「自己紹介するのよ、稚愛。練習したでしょ?」
「ん……」
そこでやっと、声が聞こえた。
鼻詰まりで抑揚のない、ブツブツとつぶやくような女の声が。
「私は……春崎稚愛、です。こ、古黄第一中学校の三年生、です。ママ……じゃなくて、お母さんの名前は、春崎ゆず子で、病院の院長さんです。えっと……病院の名前は、あ、愛証記念病院で」
「あらあら、そこまで言わなくていいのよ。迷子になった時じゃないんだから」
「そ、そっか……。わたし、また間違えちゃった」
「大丈夫よ。あとは、『よろしくお願いします』って」
「よろしく、お願いしますっ。えと、えっと」
「『よろしくお願いします、継人くん』って」
「つ、つぐぅ……ひぃ、とぉ……?」
「そう。継人くん」
「つ、つ……? つ……くん」
「まあ、つーくんでもいいんじゃない?」
「つーくん。よろしく、お願……ぃ……ます……」
稚愛は、中学三年生。
高校受験を控えた、継人や舞白と同じ学年だ。
(事前にもらった資料で分かってたけど……やっぱ、そういう系か)
一応、想定内。継人は、「福祉介護」という言葉を聞いたときから、どういうタイプの人が出てくるかを、ある程度は予想していた。
(いわば、俺たちと同じ教室にいられない系の……いや、やめておこうか、これ以上は。あー、道徳道徳)
道徳の授業で、こういう人たちへの接し方を学んだことを思い出し、今それに順じた。
これで、優等生だ。道徳のテストは100点。先生には怒られない。
(んー、でもこういう人って、偏差値いくつぐらいの高校に行くんだろう。いや、そもそも進学するのかな? 中学卒業後は、ヘンな施設みたいなとこで働いたり……とか?)
うつむいてモジモジする稚愛を見て、継人は余計なことを考えていた。
本来なら、継人が彼女と出会うことは、生涯なかっただろう。まず通っている中学校が違うし、高校も多分違う。大人になっても、おそらく職場は違う。全く違う人生を生き、いずれ死ぬ。その予定だった。
ただ今回の、「二週間の福祉介護体験学習」が、継人と彼女を引き合わせるどころか、二人の人生を「二週間だけ」交わらせるまでに至った。
「あいさつは済んだようね。それじゃあ、継人くんの荷物の整理が終わったら、さっそく手術を始めようかしら」
手術。
それは……継人と稚愛の。頭に特殊な機械を取り付けて、同時に電気信号を送り、二人の脳の回路を繋ぎ、さらに狂わせ、波長を変えて、それを安定させる手術。
「覚悟はいい? では今日から、体験学習のスタートよ」
つまり、二人の身体を入れ替えるための、手術。
*
それから数時間後。
極秘に行われた前代未聞の手術が、無事に成功したらしい。
継人……ではなく、新しく生まれ変わった『稚愛』は、先ほどの和室へと戻ってきた。
「これが……俺……」
事前に説明はあった。ファイルに挟んである資料にも、内容は書かれていた。継人はそれを覚悟で、同意書にサインをした。
それでも、目を疑ってしまう。姿見に映る、今の自分の姿に。
「稚愛ちゃん、だ……」
春崎稚愛。さっきまで他人だったのに、今は間違いなく自分が、その少女だ。
鏡に触れれば、鏡の向こう側にいる稚愛も、手のひらを合わせてくる。
「ほ、本当に、俺が稚愛ちゃんになったのか……」
まだ信じられなくて、『稚愛』は思ったことを全部口に出して言った。
しかし、のどを通って口から出てくるのは、やはり先ほど聞いた女子の声。言葉は全て、稚愛の抑揚のない声に乗せて発せられる。
「この身体で、この姿で……二週間……」
いきなり、赤の他人の姿。性別も変わって、男子中学生から女子中学生へ。
前髪をヘアクリップで留めたことなんか、一度もない。全身がしっかり包まれてないように感じるキャミソールワンピースなんて服も、一度も着たことがない。「男の俺がこんな格好を……」と思うと、なんだかとても恥ずかしくなってくる。
「恥ずかしさと……違和感が、すごいな」
がっしりと筋肉質だった男子の身体は、今やほどよい脂肪により丸みを帯びた女子の身体へと変わった。
まず、膨らんだ胸。自分の身体についている今、それは思った以上に大きく、重い。さらに、胸の感覚はとても繊細で、素肌に触れている物には、嫌でも意識が集中してしまう。
そして、パンツ。わざわざスカートをめくり上げて見たりはしないが、普通のパンツじゃないことは、肌触りで分かる。腰から始まり、股間やお尻にかけて過剰なほどに手厚く包み込む、このやけにゴワゴワしたパンツの正体は……。
「おむつよ。嫌なら取ってもいいけど、あまりおすすめはしないわ」
「……!」
身体を入れ替えた張本人、春崎ゆず子だ。
鏡の前に立つ娘の、背後に現れた。
「どうかしら。私の娘になった感想は」
「そ……そうですね……。慣れるまで、まだ時間がかかりそうです」
「ふふっ。稚愛が敬語で話をしてくることなんて、今まで一度もなかったわ。中身はしっかりと継人くんね」
「この部屋で、二週間の共同生活をするんですよね? 稚愛ちゃんになった俺と、俺になった稚愛ちゃんで」
「そうね。それが、今回の体験学習の内容。いろいろと、大変なことは起きるでしょうが、二人で協力して乗り越えて、相互理解を深めていきましょうね」
「分かりました。今日から二週間、よろしくお願いします。春崎さん」
「ええ。こちらこそ、稚愛のことをよろしくね。継人くん」
「……」
本心を言えば、介護や福祉なんかに、興味はなかった。
稚愛ちゃん系の人と、今後の人生で関わる予定はない。全ては、紹介状のため。高校に受かるためだ。
(打算的すぎるか……? でも、そういうものだろ? 受験生なら、みんなそうだろ?)
つまり、資格を取ったり、検定に受かったり、ボランティア活動をしたりするのと、同じ。志望校合格のため、受験生はみんな、打算的に、戦略的に、動かないといけないのだ。
(そうだ、志望校合格のためだ……。この姿で、たった二週間生活すれば、それが叶う)
二週間だけ頑張って、健全な優等生になればいい。
二週間だけガマンして、少し不自由な生活を送れば、高校三年間と、その先にある未来の道まで拓ける。
稚愛になった継人は、そう、自分に言い聞かせた。
「そういえば、俺になった稚愛ちゃんは、どこに?」
「部屋の外にいたわよ。『トイレいきたい』って、モジモジしてたわ」
「と、トイレに!? 俺の身体でっ!?」
「ええ。今ごろは女子トイレにいるでしょうね。でもあの子、腰にベルトがある服を一度も着たことがないから、きっとベルトの外し方を知らないわ。誰かが教えてあげないと」
「ヤバいっ……! 俺、すぐに行ってきますっ!」
「ふふっ。頑張ってね」
*
この体験学習は、評定のためのレポート提出が課されている。
文字数は特に指定されていない空欄記入だが、ゆず子に毎日提出しなければならない。そして、レポート用紙への記入が難しい場合は、タブレット端末でのデジタル作成も可、という措置が取られている。
『稚愛』は日課として、今日から毎晩寝る前に、レポートを書くと決めた。
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福祉介護体験学習レポート
主体験者 伊佐川継人
共同体験者 春崎稚愛
1日目 愛証記念病院地下2階 和室
◆今日の出来事
午後6時ごろに開始。
直後に、筆者と身体を交換し男子となった稚愛さんが、排泄のため女子トイレへと向かう。筆者はそれを止め、「これからは男子トイレに入ってほしい」と伝え、男子トイレの個室へと移動させた。事前に聞いていた通り、稚愛さんはベルトの外し方を知らないので、筆者がズボンの着脱を教えるなどのサポートを行った排尿は無事に終わったが、稚愛さんが男子として独りで排泄するには、まだ時間がかかるように感じた。
◆生活の様子や気づいたことなど
稚愛(元 継人)
・指の関節が、上手く動かない時がある。特に、手をグッと握った後に、開かなくなることが多い。箸でご飯を食べるのが難しい。ペンやフォーク、スプーンは持てる。
・微熱の時のような、頭が少しボーッとする感覚がある。手術による影響かもしれない。
・念のため、夜までおむつをつけていたが、排泄は一度もしなかった。
継人(元 稚愛)
・入れ替わりに戸惑いはあるようだが、騒ぎ立てるようなことはなく、割と大人しかった。口数は少ないが、聞けば素直に答えてくれる、という印象。
・トイレ以降、男子の身体に強く興味を持つ。自分のTシャツをめくって胸部を触ったり、ズボンの中に手を入れて下半身を触ったりするなどの行動が常態化。「何をしてるんだ?」と聞くと、「なんか、気になる……」と答えた。「不潔だし、あまりやらない方がいいよ」と優しく伝えると、「ふーん……」と曖昧な返事をした。
・一緒にシャワーを浴びた時、女子になった筆者の身体(元自分)をじっと見て、何度もつついたり、ペタペタと触ったりしてきた。そして、男女の身体の違いを見つけると、「ここが、違うね」と、声に出して教えてくれた。




