第四話 消える人間、咲くオットセイ
ダンジョン3階層の2階へ続く階段前。
僕の目の前には、3人の冒険者たちがいた。”いる”という表現するより、”転がっている”という表現が正しい。
「ボク様に何をしたのさ!」ボクっ娘魔術師は言った。
彼の胴体は人間のままだった。ただし腕は短くなって、両手はヒレになっていた。下半身は完全にオットセイ化しており、ムチムチだ。そこにオットセイ特有のびっしりと密度の濃い体毛が生えていた。水をはじくだけでなく、体温を維持するための自然の知恵だ。
エルフとお嬢様のふたりも同じ状況で、床に転がっていた。エルフは僕とジョン子を恨めしげに睨みつけた。
お嬢様はボクっ娘と同じくわめきながら、どうにかならないかと左右に身体を動かしていた。
「この後、どうする?」僕はジョン子に小声で言った。
「ダンジョン防衛に集中していて、まったく考えていなかったよ」ジョン子は言った。
「なんかマスコットみたいで可愛いよな……」僕は言った。
「奇遇だね。私も同じことを考えていた。このダンジョンのイメージキャラクターはオットセイに決まりだねえ。こんどぬいぐるみ作っておくよ。ドロップアイテムにする」ジョン子は言った。
ジョン子いわく、捕まえた冒険者はたいていはダンジョンの養分になるそうだ。
ただこの時点で、僕とジョン子は、初めてのダンジョン防衛の興奮もないまぜになって、この3人(3匹)の冒険者たちに愛着がわきはじめていた。
3人の高レベル冒険者が、長時間ダンジョンに滞在してくれたおかげで、DPも貯まった。3階層しかない超小規模ダンジョンにとって数ヶ月、下手すれば1年程度の稼ぎが出た。サブコアを修復してもお釣りがでる。
むしろジョン子の無駄遣いで、勝手に破産しそうになっていたダンジョンを救ってくれたとも考えることができる。
僕とジョン子は相談のうえ、彼女たちに逃げるチャンスを与えることにした。もう一度やって来たなら、手の内はバレているので防衛できない。もうダンジョンに近づかないよう、心を折る必要がある。
僕は3人の目の前に立つ。横にジョン子も並ぶ。
3人は判決を待つ被告のように、じっと僕たちを見つめた。
「チャンスを与える!これからの5分間『オウッ』と言わなければ君たちをダンジョンから解放する!」僕は言った。
「……ほんとですの!」お嬢様は言った。彼女の目は、先程までと違って希望の色が見える。
「ダンジョンコア、ダンジョンマスターの名に賭けて約束しよう。僕たちは君たちに一切暴力をふるうことはない。それにダンジョンから出たなら、オットセイ化は解除される」ジョン子は言った。
ジョン子は、ダンジョンによる状態異常はダンジョンの外に出れば解除されることを説明した。
ダンジョンコア自身による説明は説得力のあったようだ。
ジョン子は白衣を普段着にしている。博士ムーブに憧れがあるらしい。
彼女はDPを無駄遣いして購入したホワイトボードに数式を書き、調子にのってダンジョンコアの企業秘密を説明した。しゃべりすぎだろと思った。たぶん後で他のダンジョンに怒られる。
ボクっ娘とエルフはその理論を理解したようで、しぶしぶその説明を受け入れる。
「5分間『オウッ』と言わないだけ?条件が甘すぎる。なにか裏があるよ」ボクっ娘魔術師は言った。
「……しかし、提案を受け入れるしかないだろうさ」エルフは言った。
「よく分かりませんでしたけど、わたくしは絶対『オウッ』なんて言いませんわ!」お嬢様は言った。
「はい、それじゃ今からタイム測定スタート」そう言うと、ジョン子はストップウォッチのボタンを押した。
僕とジョン子はライフルを取り出す。
「暴力はふるわないって言ったじゃん!」ボクっ娘魔術師は言った。
「安心しろ。物理的・魔法的にこのビームは攻撃力ゼロだ」僕は言った。
僕はボクっ娘魔術師の腹部に銃口を向けて、引き金を引いた。ビームは腹部に命中し、消えた。
それから数秒して、ボクっ娘魔術師は身体の異変を訴え始めた。
「ああっ!ボク様の鍛え抜いた腹筋が、脂肪混じりのムチムチの身体になってる!それに毛がいっぱい生えてきたじゃん!ムダ毛処理の努力がダメになるの!
むちっ♡、むちっ♡、って寒さに耐えられる脂肪がどんどんついていくの気持ち良すぎりゅ♡」
そんな調子で、他のふたりにもビームを浴びせていく。
―――4分30秒後―――
「もうすぐ約束の時間だ」僕は言った。
「ふううう、ふううう!耐えましたよ、わたくし。この卑劣なビームに」お嬢様は言った。
彼女は何度もビームを浴びて、顔以外すっかりオットセイ化している。ただし顔には立派なヒゲが伸びている。
他のふたりも一緒だ。エルフには白色、ボクっ娘魔術師には黒色のひげが生えている。身体は、それぞれ黒っぽかったり、グレーの美しい毛皮に覆われ、冬の寒さに耐えられるムチムチの脂肪が腹回りにしっかりついている。自然の生み出した芸術だ。
「『オウッ』って言ってくれたら、これあげるんだけどな」
僕は彼女の鼻先に、ダンジョンの海フロアで穫れるダンジョンアジを置いた。銀色のうろこは、ダンジョンの自然光に反射して輝いている。近所のダンジョンにお邪魔して、釣ってきたのだ。
「なまぐっさ♡すうーすうー♡くん!くん!はあっ♡はあっ♡
何ですの、この魅力的な香りは。こんなの嗅がされたらわたくし……」
オットセイの主食は魚介類だ。
「『オウッ』って言ってくれたら食べていいよ」
「オウッ♡オウッ♡オウッ♡言いますわ、何回でも言ってあげますの!
オウッ♡オウッ♡オウッ♡これは決して欲望に負けたわけではありませんわ。他のふたりが欲望に負けないようにわたくしが犠牲になるだけですの!オウッ♡オウッ♡オウッ♡」
「それじゃ食べていいいよ」僕は言った。
彼女は待ってましたとばかりに魚に飛びつく。
「むほぉ♡お゛お゛お゛お゛お゛……うまみ来るっ!濃厚たっぷりうまみの白身魚来るのお゛お゛お゛♡
ビタミンB群は、からだにもよしゅぎるう゛う゛う゛♡♡♡
もう冒険とかどうでもいいにょお゛お゛お♡♡♡
なまぐっさ♡なんども嗅いでしまいましゅのぉ♡濃厚なうまみで脳みそとけちゃう♡
馬鹿に、いや、アジに含まれる脂質であるドコサヘキサエン酸のおかげで賢くなっちゃうのお゛お゛お゛お゛♡♡♡
IQ上昇してるのわかりゅ♡いま一尾ごっくんしたからIQ300突破したの理解りゅ!」
残りの2人もすぐに陥落した。
大量に魚介類を食べる3匹を見ながら、僕はジョン子に言った。
「逃がすか……」僕は言った。
「そうだね。食費が……」ジョン子は答えた。