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ひゃくものがたり

1. でてくる

作者: 久那 菜鞠


 Sさんの従姉妹のAちゃんは,不思議な子だったそうだ。

Sさんの母親とAちゃんの母親は歳の離れた仲の良い姉妹だった。Sさんの母親は大学を卒業すると同時に結婚をし、旦那さんと一緒にSさんの母親の実家で暮らすこととなった。幼小のSさんは,当時まだ学生だったAちゃんの母親に、よく面倒をみてもらったそうだ。


 やがてAちゃんの母親も良い人と出会い、結婚を機に実家を離れてアパート暮らしをすることになった。数年してAちゃんが生まれると、正月や夏休みなどには実家に親族が集まり、賑やかに過ごすようになった。

AちゃんとSさんは8つ歳が離れている。Aちゃんが生まれたのはSさんが中学に入学してすぐの頃だった。


 首が据わった頃、赤ん坊のAちゃんが初めてSさんの家に来た。一人っ子のSさんはAちゃんに会えることをそれはそれは楽しみにしていたが、その日、Aちゃんはずっと泣いていた。

母親に抱かれ、玄関を入り、家の長い廊下の奥にある居間まで歩いてる途中に火が付いたように泣き出した。

それまではすやすやと眠っていた赤ん坊が突然泣き出したので、Sさんを含め家族のみんなは何があったのかとおろおろし、激しく泣くAちゃんを必死にあやした。

しかし、一向に泣き止まない。あまりに泣くので心配になり、急いで病院へ連れていこうということになったのだが、家を出て車に乗ったあたりでAちゃんはピタリと泣くことをやめ、すやすやと寝息をたてはじめたという。Sさん達は呆然とした。


 それからというもの、AちゃんはSさんの家に来るといつも決まって廊下の途中で泣くようになった。

歳を重ねるごとに段々と泣き止むようにはなっていったが、しかし必ず廊下で泣き出す。

家族は、「古い家だからね、廊下の軋む音とか雰囲気とか・・・何か気に触ることがあるんでしょうねぇ」なんて笑って話をするようになったが、Sさんだけはもやもやとした、不気味な気持ちを捨てられずにいた。

確かにこの家は古いし、色あせた木の長廊下は歩くと軋んで気味の悪い音がなる。廊下は家の真ん中に伸びていて、廊下を挟んで左右に風呂やトイレ、寝室があるが、廊下自体には窓がないので、昼でも薄暗くてちょっと怖い。

でも、Sさんの気持ちを暗くさせる要因は、Aちゃんが泣き出す場所が、長い廊下の中でも、Sさんの部屋の扉の前だということに気付いてしまったからだった。


 Aちゃんはすくすくと大きくなり、幼稚園生になった。その頃にはSさんの家に来るなり泣き出すことはほとんどなくなっていた。

おっとりした性格のAちゃんは、家に来ると玄関で出迎える祖父母ににっこり笑って「こんにちは!」と挨拶をする。高校生になっていたSさんのことも、「Sお兄ちゃん!」と呼んでよく懐いてくれた。Sさんも、Aちゃんを可愛がった。Aちゃんは、朗らかで明るく、基本的にはいつも笑顔だった。


しかし、廊下を歩くときだけは異様な恐がり方をした。

絶対に一人では歩こうとしない。必ず誰かの腕にしがみついて、顔を腕に埋めながら歩く。

絶対に、廊下を見ようとしない。

他の家族が気付いているかは定かではないが、Sさんの部屋を、絶対に見ようとしなかった。


Aちゃんの母親が「何が怖いの?」と聞いても、Aちゃんは何も言わなかった。

祖父や父親達男衆は、「おばけでもいるのか~?」なんでふざけて聞くこともあったが、Aちゃんはぎゅっと口をつぐんだまま、何も言わなかった。

Sさんは、その姿がなんだか、Aちゃんなりに自分を気遣っているような気がしてならなかったそうだ。

親族の中では、「Aは不思議な子」という位置づけとなっていた。


 Sさんが高校3年生になった頃、その日もまた、Aちゃんが遊びに来ていた。

玄関から「こんにちは!」と元気な声が聞こえてきて、Sさんは勉強をしていた手を止めた。

その頃のSさんは受験勉強真っ盛りで、忙しく辛い日々を送っていた。

「(Aちゃんが来たのか・・・)」Sさんは机の端に置いたマグカップを手に取り、中身を飲もうとしたが、空であることを思い出した。しばらく前に飲み干したのだった。

ちょうど良いし、飲み物を補充しながらAちゃんに挨拶するか。と思い、Sさんはカップを手に立ち上がり、自室の扉を開けた。

扉を開けた先にあるのは、あの薄暗い廊下だ。Sさんが一歩を踏み出した瞬間にぎしっと嫌な音を立てて軋む。

 Aちゃんはまだ玄関にいるようだった。祖父母に最近描いた絵だの手紙だのを披露しているようだ。

Sさんは部屋の扉を開けたまま、居間の手前にある台所へ向かった。冷蔵庫を空け、中からアイスコーヒーのペットボトルを取りだし、カップに注ぐ。

今日は勉強をしたいからAちゃんの相手はできないな、そんなことをぼーっと考えていたSさんの耳に、突然激しい泣き声が聞こえてきた。

Sさんは一瞬、初めてAちゃんがこの家に来た日のことを思い出した。


 急いで廊下に飛び出すと、扉を開けたままにした自室の手前で、Aちゃんが母親の腕にしがみつきながら大声で泣いていた。泣いていると言うより、叫んでいる、と言った方が近かったかもしれない。


「でてくる!でてくる!」


Aちゃんは、大きな目を限界まで見開き、おびえた声でそう泣き叫んだ。

しかしその視線はまっすぐ扉の開いたSさんの部屋の入り口を凝視し、何度も繰り返し、

「でてくる!でてくる!」と叫ぶのである。

Sさんは急いで自分の部屋に飛び込み、中を確認した。

誰もいないし、虫一匹いなかった。

何が出てくるというのだろうか。なんだか部屋が寒くなった気がする。


瞬間、Aちゃんの泣き声が止まった。

Sさんは廊下に出て、Aちゃんの方を見る。

Aちゃんは母親の腕にすがったまま、じっと無表情にこちらを見つめていた。頬には涙の痕がある。

Aちゃんの手が重たそうに持ち上がり、廊下の奥、Sさんの後ろを指さす。


「でてきちゃったよ」

Aちゃんは、そう言った。



 それから、Sさんの家では悪いことが続いた。

Sさんの母親が亡くなった。Sさんを受験会場に送っていく帰りの車での事故だった。

続いてSさんの父親も亡くなった。自ら命を絶った。母親の後を追ったと近所では噂された。

それまで元気だった祖父母は、一緒に廊下に倒れていた。死因は不明だった。

全てのことが、Sさんが大学進学のため家を出るまでの半年の間に起きた。


Sさんは無事だったが、その半年の間、眠れなかった。

眠ると、廊下が軋む音がする。

閉めたはずの扉が開いた音がする。

そうして、誰かがSさんを上からのぞき込んでくる。

何かするわけじゃない。

ただじーっと見ている。

ずっと見ている。


ろくに勉強もできず、志望していた大学には落ちてしまった。滑り止めに受けていた所に何とか受かり、家を出ることにした。不幸が続き、気持ちがどこまでも沈み込んでいく中でも、Sさんはなんとかこの家から離れたかった。


「でてきちゃったよ」

Aちゃんのあの目と声が、忘れられなかった。


 Sさんの生まれ育った家は、今は空き家になっている。

SさんとAちゃんのお母さんは話し合い、家を手放すことにしたのだった。

その後、いくつかの家族があの家に住んだようだが、皆すぐに越してしまったらしい。

原因は、分からない。

近所の人達に、「なにかいる」と憔悴した様子で話した住人もいたようだった。

Sさんは、二度とあの家に近づこうとは思わないと言っていた。


 Aちゃんとは、彼女が中学生になったころに久しぶりに会ったらしい。

Aちゃんは、あの家について話そうとしなかったし、Sさんも話題にはしなかった。

ただ、別れ際にAちゃんが呟いた気がしたという。


「 でてきたの、ひとりじゃなかったんだ 」


                            終












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