噂の怪その漆 手放す事が出来ない
これは実際に知り合いの女性から聞いた話だ。どこまで本当なのかは判断しかねる部分がある。それでも人の皮を被った恐ろしいものとして語るには充分怖い話だと思った。
──都市部を車で走っていると、最近よく見られるのが古い建造物の建て替えだ。
土地の所有者がなくなって親族が継いだのか、売却して他者に土地が渡ったのか、何かしら活用するための取り壊しなのだろう。
通りがかっただけの建物は、そこがどういう家だったかもあやふやで、きっとすぐに忘れる。思い入れのある建物がなくなるのは寂しいものだが、いつかは手放す事になる。
そんな前ふりの後に、語ってくれたのだ。語りだした女性……智花の両親は、仕事上の付き合いで土地を購入した。
購入当時はバブル前だったそうだ。その土地の周りは、畑や森が広がり何もない。土地を売却した隣家がポツンとあり、近くの川沿いに町工場や、造園業を営む家があるくらいだった。
投機目的にするにも発展の見込みは随分先だと思われた。両親は事業もうまく軌道に乗り、資産を少し分担する程度の気持ちで購入した。
智花の両親が購入した隣家に問題が生じるなど、この時は考えられなかっただろう。
土地を手放した隣家は、あたり一帯の土地を持っていたちょっとした地主だ。その親は亡くなった後だった。
財産はほぼ土地だけ。子供は一男二女で、長男と長女は就職した際に家を出ていた。結婚しても最後まで実家に残った次女は親に可愛がられ、土地には当然愛着があった。
相続は揉めた。ギャンブルで身を崩し借金を抱えていた長男は、ろくに話し合う間もなく土地を売却して相続税と借金に充ててしまった。
土地を残された所で長男も長女も管理出来ず、結局次女に譲る事になる。それぞれ結婚しているので、配偶者達が税金だけ払うのを嫌がったのも後押ししていた。
隣家の三兄妹はそれを機に疎遠になった。次女は残された実家と、僅かな庭だけは守ろうと思い、今でいうガーデニングが趣味になっていた。
智花の両親が土地を購入した時期は、隣家でそうしたトラブルがあった後になる。売られた土地には家が次々と建ち、智花の両親も念願のマイホームを建てた。
購入時は安かった土地が、経済成長とバブルの重なりで倍以上に上がる。隣家の次女は悔しがったが、智花の両親や周りの家は運が良かった。
両親がいた頃はトラブルらしきトラブルはないように思えた。智花の父親は人当たりもよく、仕事でも住まう地域でも頼られていたからだろう。
父親が亡くなり母親が施設に入った。そして智花が家を継いだあたりから、隣家の次女、智花にとっては隣のおばさんが、やたらと自分へ口出しするようになった。
ご近所トラブル……でも、今まで暮らしていた時は何も問題なかったのに……。
バブルで何もかもがうまく回った頃と違って、事業を継いだ智花は会社を潰さないために働くので精一杯だった。休みは殆どなく、稼いだお金も資産も使う暇がないのが現状だ。
だから庭の植木の手入れや雑草抜きなど、やっている暇がなかった。業者に頼んで春先と、夏過ぎに庭木の手入れをお願いしていた。
敷地内は酷い事になってしまうが、他所にそれほど迷惑はかけていないと思う。
しかし休みの日にぐったりしていると、大きな声のご近所さん達が智花の家の噂をしていた。
「手入れされない庭木が可哀想」
「ご両親はしっかりされた方だったのに」
……仕事でも住まいでも両親と比較されるのは正直辛い。
何より悪い噂を立てている中心人物が隣のおばさんだった。
日中殆ど庭にいるのでは……そう思える隣家のおばさんと、毎日出かける度に顔を合わせるのが億劫になる。
両親を引き合いに出され、庭木の世話に関して嫌味を言われる。
「お忙しいようなら私がやりましょうか」 と。その度に「おたくのお庭は、手入れが行き届いと凄いですからね」 と言わされるのにも疲れた。
智花は庭の全面リフォームを決意した。両親が気に入っていたから残していた庭。施設に入った母親に相談をした時に、智花は隣家の事情を初めて聞かされたのだ。
それに──母親は別に庭木が、好きではなかったという。
色々と干渉してくるのは要するに智花が下に見られているのと、未だに自分達の売った土地に未練があるのかと思った。
両親が家を建てる時にも、隣のおばさんは騒ぎ立てたらしい。あることない事言いふらされて、父親が噂の火消しに苦労していたとか。
人当たりが良かったのではなく、隣家の嫌がらせに翻弄された結果、信頼を勝ち取っただけだったのだ。
自分の土地ではない。ただの迷惑な隣人だが、たぶんその時のおばさんの気持ちは本物だ。古くからいる僅かな地域の人達も隣家のおばさんに同情した。
智花は理不尽な話だと思ったが、そういう時代だったのと、過ぎた過去の事に文句はつけられない。
だから自分の時は好きにやろうと決めた。母親からも庭を好きにしていい許可を得た。智花は将来の事や、散々嫌味を言われた事やを思い返して────大胆にバッサリとやった。
智花にとって隣家は言いがかりをつけるクレーマーに見えた。そして当時の事実を聞くと、大家気取りの隣家のおばさんにひと泡吹かしてやりたくなった。
なにより死ぬまでまとわりついて来そうなトラブル。煩わしさを想像すると、仲良くなんて無理だ。智花は庭木と隣家の断捨離を行った。
庭木も花壇も芝生も全て灰色のコンクリート一色になった。自分でも殺風景な景色だと思う。ご近所には枯れ葉が舞うことも、虫が舞うこともなくなり迷惑はかからなくなった。
隣のおばさんは「立派な木があったのにねぇ」 などと、通りかかる近所の人に不満をぼやく。さっそく始まった悪意の吹聴。しかし散々嫌味や文句を言って来たのにと、近所の人が不思議がっていた。
その理由は智花の仕業だ。仕事が落ち着き、時間に余裕が出来た。智花は隣家のおばさんの立てる噂に対して、その矛盾を付いて逆襲の噂を立てたのだ。
散歩道に現れる庭木の美しさは他人の家のものでも楽しくさせてくれる。しかし住まいが近いと、迷惑の方が多いのも実情だろう。
「おたくとうちは少し離れていても迷惑かけましたから」
そう言って殺風景で何もない庭をさす。庭木の枯れ葉が舞うことは二度とない。無害な相手ならば、敵対する理由は生まれない。
噂で固められた嘘の感情など、今現在抱えている迷惑な存在に気づかせてやれば消える。ご近所さんの中で誰が一番迷惑な存在になったのか……それは智花ではなく隣家のおばさんだ。
年がら年中手入れされた庭は美しいかもしれない。しかし庭木や植物目当てに飛来する虫や、風の強い日に舞う枯れ葉は、興味ない他人には迷惑でしかないのを智花も知っている。
智花は噂を流すような真似はせず、庭木の例を含めて事実しか言わなかった。母親から聞いた話も、身内の相続の騒動も、事実しか言わない。
何の根拠も確証もない他人を貶めるために流される噂……根も葉もないデマと違って、真実からくる噂の破壊力の高さは、多忙な会社生活で学んだ。
嘘をついて味方にしていたご近所さん達の失望感は、そのまま憎悪に変質する。味方につけたものの、智花はどちらも醜く思うだけだった。
────駄目押しのために、智花は探偵へ依頼をかけた。隣家のおばさん……ではなく、彼女の旦那と兄姉の調査を依頼したのだ。
隣家のおばさんは病的にしつこい。とくに昼間はずっと庭を見張っている。ご近所さん達から得た噂話から異様な行動だとわかって来た。
隣家の相続トラブルで長男が土地を売却して資金を得た。母親から聞いたその話で気になったのは、実家から独立していた長男が、どうやって土地の権利書や印鑑など手にしたのか。
調べてもらうと、実に簡単な話だった。隣家のおばさんの旦那もギャンブルに手を出して失敗しお金が欲しかった。長男の提案は渡りに船というもので、何でも持ってゆく妹をよく思わない姉も乗っかった。
「思い出に浸って哀れなヒロインしていた裏で、身内から疎まれ裏切られていたなんて……ホラーだと思わない?」
智花は事件の話を聞きに来た私にそう笑って言った。そしてもっとホラーな話があると笑う。
隣家のおばさんの異様な攻撃性と監視。過去を知るものへの排除行動。察しのよい貴方ならわかるわよね────そう笑う彼女の目が狂喜に輝いていた。
彼女は半分あちら側に行ってしまったのかもしれない。
智花の隣家の老夫婦が逮捕されたのは、取材を行った翌日だった。彼女は根も葉もない噂で自分達を苦しめた隣家の犯罪を、白日のもとに晒したのだ。
探偵の調査報告を受け取った智花は、隣家の資産状況を把握した。調査報告がなくても経済的に苦しいのは見てわかる。庭木の手入れの美しさに反して、受け継いだ実家は傷みが激しいからだ。
智花は探偵に再び依頼し、あまり顔を見せない隣家の旦那にコンタクトを取った。庭を駐車場にしたいから破格の値段で買いたい……と。
庭を隣家、つまり智花の家の庭のようにコンクリートで固めるだけなので、お住まいに迷惑をかけない事も伝えた。
智花も驚くくらい簡単に釣れた。会計事務所と弁護士の立ち会いのもとに、土地の所有権が変更された。
浅はかな旦那の勝手な振る舞いにより、隣家のおばさんは大切に手入れして来た庭を失った。工事業者がやって来て、近隣の方に工事を知らせる。そのお知らせの手紙で、自分の庭が売却された事に初めて気づいたようだ。
大騒ぎになった。しかし、隣家の人間が騒ぐとわかっていた工事現場の作業員は、警察へ通報し経緯を説明した。結果は言うまでもない。作業場にフェンスが設置され、立ち入れないように囲う。
証拠を隠すかもしれないので、念のため智花は高性能な監視カメラを隣家の庭だった部分へ向けていた。すでに他人の土地になっているので、リアクションを起こせば問題は早く解決するだろう。
能天気な旦那は犯した罪すら忘れているようで、叫ぶおばさんを宥めているようだった。
予定通りに工事が始まり、庭木があっさり撤去された。怒りと不安の目で、隣家のおばさんは工事現場を眺めていた。
智花は事実しか言わない。隣家の庭だった土地をコンクリートで埋めて駐車場にすると。ただ災害対策のため、水はけをよくしたいと要望を出してあった。
隣家の庭だった土地の下から、二名の白骨死体が出てきた。実家を継いだ隣のおばさんは、現金収入が入らず生活に困った。
旦那の借金も発覚し、大切な土地を売る羽目になった兄姉から奪い返すという選択を取ったのだ。
そんな短絡的な行動を取る隣家の夫婦の狂気に両親が本当に何も知らなかったのかどうかは、いまとなってはわからない。
────後日、智花という女性から再び話せる機会が得られた。密かに行われていた殺人事件を解決した後、彼女はあっさり隣家の元庭と自宅の土地を手放したそうだ。元庭の工事は続けて、わざわざコンクリートで固めたと、ニッコリ微笑む。
老夫婦の刑がどうなるのかわからないが、証拠が乏しいため罪に問われるかどうかは微妙だった。
「まあ……あの人達が戻って来ても、優しい思い出になんか浸らせないように処置したかっただけだから」
彼女がおかしいのか、隣家の夫婦が狂っているのか。今回の話はあまりにも怪談じみていて、掲載を躊躇った。
両親を失い、会社をたたみ、住まいを売り払った彼女は、隣人達に悩まされることがなくなり、初めて自由を満喫していたようだ。
お読みいただきありがとうございます。少し話をまとめきれず長くなりました。
法的なものに関しては、あまり詳しくないので何となくそんな感じ……でお楽しみ下さい。