噂の怪その拾捌 見上げた空に青く輝く月
私の父方の実家は奈良の山の何処かの里にあった。幼い頃に数回しか行った事のないため、車で行って道路が混んでいた記憶と、夜になると真っ暗で怖かった記憶ばかり残っている。
明治生まれだという祖母はとても厳しい人だったらしいが、私達には優しかった。厳しい祖母に会うのを嫌がる父。盆や正月の休みに、たまにしか帰省しないのはそのせいもあったのだろう。いま思うとお伊勢詣りの観光客がドット押し寄せて来ていて、移動するのもひと苦労だったからだろう。
私は今と違って人見知りしない子供だったので、従兄弟達には可愛がられた。山の中で虫の取り方を教わったり、スズメバチの危険性を教わった。そして教わった中に、近づくなと言われた竹藪があった。
なんでも昔から山菜や筍採りにやってくる余所者がいて、底なし沼に嵌り行方不明になっていると噂の竹藪だった。山には水を貯めておく貯水池がわりとあって、そのうちのいくつかは底なし沼のように溺れ死ぬと言われていた。
地元を荒らされないための作り話ではなかった。実際に新聞などの尋ね人によく名前があがっていたそうだ。竹は竹害と言われるくらい根を張る植物。だから地面が安定していると思いがちで地元民以外は油断する。
とくに噂の竹林は昔からの進入禁止の土地で、思わぬ所に穴があるという。地元の人は近づかない。私も従兄弟達に「あそこだけは近寄るな」 そう念押しされた。
いつも茶化しながらふざけ半分教えてくれる従兄弟達も、この時は真剣だった気がする。もっとも竹林は近づこうにも竹が乱立していて、進入を自然と阻む。一人で行こうなんて思わなかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものだ。帰る日が近づくと私はもっと遊びたくて仕方なかった。いっぱい取ったはずの昆虫も従兄弟や兄弟と分けると一匹ずつしかいなかった。私は友達にお土産にしたくて夜、一人で山林へて向かった。
よく採れる昆虫採集スポットは教わっている。一度従兄弟達と来たから自信はあった。手には懐中電灯と虫網、肩からは虫カゴと冷たい麦茶を貰って水筒に入れて来た。ポケットにはビニール袋に蜂蜜を入れて、袋の口を縛って持って来た。カブトムシやクワガタムシが好むと思ったからだ。
一度来た山道のはずなのに、土地勘のある従兄弟達の先導のあるなしで、道が変わる。同じ道を進んだはずなのに、私は道に迷った。月は満ちていて、夜闇を明るく照らしてくれる。しかし山の森の中は木々が生い茂り、月の光が遮られていた。、
懐中電灯のか細い明かりを頼りに、私は泣きながら彷徨う。方向がわからなくなって、元の道から外れていた。
気がつくと、竹の生えた山の中にいた。遠目では侵入を拒むように生えていた竹の隙間は、子供一人くらいは通れたみたいだ。子供ながら戻らないと不味い気はしていた。
竹林に入ってからは、すすり泣く私の声だけが響き、虫の鳴く声や蛙の鳴き声が聞こえなくなっていたからだ。
怖くてたまらないのに、迷ってしまって戻れない。私は水筒の麦茶を一口飲み、虫網を杖がわりに歩き出す。踞って助けを待っても誰も来ないだろう。従兄弟達が言っていた。もし竹林に入り込んでも、里の人は噂を信じて助けに行かない‥‥と。
ザシュッ────ガシュッ!
バシュッ────コンッ!
怖さを振り払うように、虫網の柄で竹の枝や葉を打つ。怖くない、怖くないぞと言い聞かせないと、静かな竹林に生命を吸われてしまいそうだった。
────光?!
最初は懐中電灯の灯りが何かに反射したのかと思った。竹藪の隙間から差す月の光に当てられて、一本の竹が輝く姿を見てしまった。
まばゆい光が目を覆い、私は足元の感覚を失った。噂に聞いていた底なし沼に嵌まってしまったと思った。手に持っていたはずの虫網と懐中電灯がなくなっていた────。
────青い大きな月が見えた。底なし沼に落ちたのか、月光に当てられた竹を見てしまったせいなのか、とにかく息苦しさはなかった。誰かに何かを言われた気はするのに、意識がはっきりしないまま底なし沼へ沈むように思考に雲がかかっていった。
目を覚ますと私は自分の家の布団の中にいた。普段通りの家族。父の実家に帰省したはずの記憶が全くない。そう‥‥こうしてかつての自分の記憶の回顧録を書き始めるまで、私は幼い頃の記憶の大半を断片的にしか思い出せなくなっていた。
あの時見たこと青く美しい月は今、私が踏みしめる大地‥‥青く輝く星だったのだろうか。
父はすでに亡くなり、元々住んでいる地が離れ過ぎていて疎遠だった父方の親族とは連絡がつかない。
異様な程厳しかった祖母。里に残る噂。どうして私は忘れていたのだろうか。どうして私はかぐや姫の物語‥‥竹取物語、月の民に心を震わせるのだろうか。
都市伝説や異界の物語など、話半分にしか聞かず、信じてはいない。それでもあの地に暮らす親族の意味を考えると、失われた記憶を取り戻したくて仕方ない。
誰も信じてはくれないだろう。それでも私は記さずにはいられない。いつか記憶の扉が開かれて、あの時見た光景が何だったのか解明するために。
お読みいただきありがとうございます。ネトコンの応募の受け付けが終了したため先行投稿を行った短編は一旦収録し、新作はいくつか連載にて投稿しております。




