愛する人について考える時
* * *
その日以来、私はベラと話さなくなった。話すとしても簡単で、事務的なものだけ。
近いうちに咲いて居なくなってしまう彼女との関わりを、少しでも減らしたかった。
大きく膨らんだ黄色の蕾を、あまり、目に入れたくなかった。
幸い、ベラの方から私に話しかけてくることもほとんどなくなった。つと彼女を見れば、鏡に映る自分の姿をよく見ていた――開花を待っている。やっぱり、寂しくないのだと思う。
寂しいのは、私だけ。
私はベラと一緒に、あの花畑の一員になりたかった。
――でもベラは違う。ベラは、花になれるというのなら、それでよかったんだ。
「最近ベラと何かあったの? ケンカした?」
様子がおかしいことに、何人かの友達が気付いていた。私は頭を横に振る。
「何も。ケンカとかも、してないし」
何もない。何もなかった。ただ私だけが寂しいだけ。ケンカも何もない。
ベラは私より先に、一人で咲く。それだけ。
――そしてまだ咲く様子のない私に待っているのは、未来と、そのための個人面談だ。
「……な、何になりたい、と言われても……やっぱり、決めるのは難しい、というか」
繰り返される個人面談。私は未だに答えらなかった。
いっそ、ベラの様に咲けたのならよかったのに。そうだったのなら、こんな面談もやらなくていいし――寂しい、なんて思うこともなかったのだ。
まるで夢から覚めてしまったみたい。
将来を決めろとせかされるのは、現実を見ろと言われているみたい。
――現実なら、毎朝見ている。鏡の中の自分。その頭にある赤色の蕾。
これが私の未来。どのみち長く生きられない未来。
……自分の蕾を見ているはずなのに、いつも「ベラは美しく咲くんだろうな」と考えてしまう。
そう思うと、私も美しく咲きたいと思うけれども――そこにベラはいないのだろうし、これを「やりたいこと」として先生に告げるのは、やはり憚られる。
「――困るんですよ、ルビーさん」
ついに先生が深く溜息を吐いた。
静かな部屋で、時計の針が、鼓動のように時を刻んでいく。時も生きている。
「こう言っては何ですが……あなたは一体、何のためにこの街に来たんですか?」
その言葉に、俯いていた私は顔を上げる。窓から差し込む柔らかな日差しに、蕾の赤色が輝いた。蕾はより熱を帯び、開花を夢見る。
何のために?
――最初は生きるためだった。ここに来れば、とりあえず生きられる。そう思って来た。生きる場所を求めて来た。
今は、何のために?
――開花するために。
そう、ベラと願った。開花して、共にあの花畑の一部になるのだと。
――それから私は。
――ベラと一緒に咲きたいと、思ったのだ。
並んで花に、なりたいと。
幸福の中、並んで、風に揺られて歌を口ずさんで。
そして彼女の温もりを、開花したらきっと美しいだろう花を、見続けて――。
「私は……」
決して、開花したいとは言わなかった。言えなかった。けれども。
「好きな人と、一緒にいたい、です」
ようやく導き出した答え。
何をしたいか。どうなりたいか。
大切な人と一緒にいたかった。
あの花畑と共に。ベラと共に。
ただそれだけなのだと、口にして、自分自身で気付く。
それから、大切な人であるのに、どうして私は、彼女を祝福してあげられないのだろうか、ということにも。
大切な人なのに――憎く思ってしまった。
「ルビーさん、それは……」
先生の声に、現実に戻される。はっとして私は顔をしかめた。
言ってしまった。ほぼ「咲きたいです」と同然のことを、うっかり言ってしまった。
「……『花憑き』が結婚するのは、ひどく難しいことだと、ご存知?」
ところが、幸いというべきか、真意は通じてなかったようだ。先生はひどく難しい顔をしていた。やるせなさが溶け込んでいる。私は慌てる。
「えっと……はい。この街に来て……結婚した『花憑き』は数人しか知りませんから」
一体誰が、寿命の短い花嫁を求めるというのだろうか。求めたとしても、家の問題もあるのだ。
しかしそう考えると、実は私は、幸せの星の下に生まれたのかもしれない。
一緒には咲けない。ベラは先に行く。お別れになってしまう。
けれど、将来私も、あの花畑に行ける。
あの愛する花畑に、将来、自分は迎え入れられるのだ。そこにはベラの姿もきっとあって。
私達は、再会できるだろうか。
そうだ、お別れのことばかりで頭がいっぱいだったけど、再会できたのなら。
「ルビーさん?」
気付けば私は笑っていた。それを見て、先生は心配そうな顔をしたものの、気にしなかった。
――結局のところ、今日も具体的なことは何も決まらなかった。先生は私が「結婚がしたい」のだと勘違いしたままだった。
「できることをしてみる、というのはどうでしょう」
就職の支援や、研究所への協力申請手続きの手伝いはできるものの、それ以外の進路への支援を、学院はできない。そのためか、最後に提案があった。
「寮でのあなたについて聞きましたよ。あなたはお菓子作りが得意なのだそうですね。それなら、どこかそういった店で働いたり、菓子職人を目指してみる、というのはどうでしょうか」
「……菓子職人」
――私の作ったお菓子を見て喜ぶベラの姿が思い浮かんだ。だから一瞬、それもいいのでは、と思ったけれども、私が菓子職人になる頃には、ベラはもういない。
そして今日も、たくさんの不安を背負って、夜の街を歩く。寮を目指す。
喧噪が遠い。街の明かりも全てがぼやけている。まるで一人、本当の世界とは違う、重なった別世界を歩いているような感覚があった。ふわふわとして、落ち着かない。どこを歩いているのかも、どこへ行きたいのかもわからないかのような浮遊感が、気持ち悪い。
でも、頭の中は徐々にベラのことでいっぱいになりはじめる。もし、今日先生に菓子職人になることを勧められた、なんて話したら、ベラはなんて言うだろうか。きっと賛成してくれるだろうし、お菓子を楽しみにしてくれると思う。にこにこと笑うのだ。その笑みを見て、私もきっと笑う。だって、ベラが笑ってくれるのは、嬉しいから。
そう、ベラの幸せは、私にとっても幸せだったのだ。
自然と歩みが速くなる。気持ちが溢れ出しそうで、その勢いが、私の背中を押していた。
ああ、私は、私のことばかりだった。
ベラがいなくなると寂しくなるからと、だから咲いてほしくないと思ってしまった。ベラは開花を望んでいたのに。
彼女の蕾を、その美しさを、ちゃんと受け止めよう。
だって彼女は、大切な人なのだから。
それに、お別ればかり考えていたけれど、私達は同じ花畑に行くのだ。
だからきっと、願えば再会できる。
そうよね、ベラ。
私は走りだしていた。いままで話さなかった分を取り返す勢いで、いま、ベラと話がしたかった。
ベラには時間がないんだもの。
「……ベラ?」
けれども、部屋に戻ると、いつもはあるはずのベラの姿がなかった。
テーブルの上を見れば、砂糖や小麦粉といった、料理の材料が置いてあった。多分、今日買ってきたばかりのもので、よくみればケーキ作りの材料に見える。
そういえば、ベラは「今度一緒にケーキを作って」と言っていたっけ。その後、私は彼女と喋るのを避けるようになってしまったから、約束も何もできていなかった。けれどこの様子だと、彼女はまた一人でケーキを作ろうと考えたらしい。
もしかして、何か買い忘れて、ベラは外に出たのだろうか。そんな気がした。
と、窓から強く吹き込んだ風に、カーテンが羽ばたくように揺れた。窓は全開になっていた。
「……留守にするなら窓を閉めなくちゃよ、ベラ」
私は少し呆れながらも笑ってしまった。
「そう慌てるから、お菓子作りも間違えちゃうのよ……」
いまからケーキを作る時間は、まだある。ベラが今から作るというのなら、一緒に作りたかった。ベラと一緒にいられる時間はもう少ないのだから、今度になんて、したくなかった。
ところが、窓に手を伸ばした時に気付いた。
夜に染まった街中。人気のない場所に、鮮やかな黄色が輝いていることに。
街を流れる小川にかかった、橋の上。誰かが立っていた。
眩しいほどの黄色を、頭に戴いて。