囚人番号10112474:ぬいぐるみのおまわりさん
東棟のボスで桃太郎とかいう名のイキった兄ちゃんが「俺の縫いぐるみを誰かが切り裂きやがった!」って喚いているって噂を聞いたときは、まったくの他人事、自分には何の関係もない話だったのに、どういうわけだか知らねーが犯人は西棟のボスつまり、こっちの仕業ってことになっていた。これって、おかしくね? 刑務所の中だから道理が通じないのは分かるけどさ、なんで縫いぐるみを切らなきゃならんの。こっちはさ、それどころじゃないんだよ。ゲームで忙しいんだよ!
西棟のボスであるアンティリオッチ・フェズゲータから、そんな相談を持ち掛けられた転生前の世界では悪役令嬢この世界では魔法少女へと生まれ変わり現在は普通のオッサンに擬態して収監中の貴方は、返答に窮した。何をどう答えたら相手が満足するのか、よく分からない。実際のところ、何がどうなろうが知ったこっちゃなかった。とはいえ、囚人の相談役としてボランティア活動をする代わりに過酷な労働を刑務所側から免除してもらっている立場上、何かしら答えなければならない。そのためには、詳しい話を聞かないといけなかった。
貴方は詳細な聞き取り調査を始めようとしたが、依頼者のアンティリオッチは事もあろうに、すげなく断った。バーチャルリアリティのオンラインゲームに夢中の彼は浮世の雑事に関わり合ってなどいられないのだ。後は任せたと言わんばかりに背中越しに手を振ると、囚人たちが集うホールを出て行った。他の囚人たちから話を聞いてみようと思い立ち、周囲を見回すが、誰も貴方を視線を合わせようとしない。誰であれ貴方が近づいていくと距離を置いて遠ざかる。面倒事に関わりたくないのは誰だって同じなのだ。
どうやら直接イキった兄ちゃんと話し合わねばならないようだ。西棟から東棟へ向かう。途中に看守の詰め所がある。東棟へ行くには看守の許可が必要だ。貴方は事情を説明した。看守の方が貴方より事情をよく知っていた。
「囚人番号10112474の縫いぐるみが切られた一件は、今年一番のミステリーだ。今年になって二週間しか経ってないから、これから順位の変動があると思うけどな」
本年度のミステリーのランキング予想に続き、囚人番号10112474こと桃太郎を名乗る男の縫いぐるみが切られた事件の概要が看守の口から語られる。
独房のベッドの上に置いていたクマの縫いぐるみの額に切り傷が出来た! と桃太郎が騒いだのは起床の午前六時、就寝時刻の午後九時には異変はなかったそうで、寝ている間に誰かが部屋に入って切ったのだ! と顔を真っ赤にする縫いぐるみの持ち主に対し、看守たちは冷淡だった。
「鍵の掛かっている独房に誰かが侵入して、一緒に寝ている持ち主に気付かれずに、縫いぐるみに傷をつける。そんなことあるわけない。寝ている間に自分でやったんだ」
寝ぼけてやらかしたのか、何らかの意図がある自作自演なのか、それは分からないが、犯人捜しは無意味だというのが看守の結論だった。
それでも囚人の相談役である限り、受けた相談の対応に当たらねばならない。そのことを看守は分かってくれているので、貴方に東棟へ行く許可を与えた。詰所の横の廊下を塞ぐ分厚い鉄製扉が開いたので、貴方は先へ進む。鉄製の扉の向こうには異世界が広がっていた! なんてことはない。西棟も東棟も中は同じだ。外観も変わらない。この刑務所は宇治の平等院鳳凰堂みたいに左右対称なのだ。平等院鳳凰堂との違いは、あちらにいるのは仏様、ここにいるのは鬼か悪魔といったところか。
西棟のボス、アンティリオッチ・フェズゲータは連続殺人の記録保持者だ。死刑制度があれば極刑は確実だが、この国は死刑が廃止されているので、終身刑で済んでいる。ちなみに彼が熱中しているバーチャルリアリティのオンラインゲーム機は、彼を神と崇める酔狂な連中から贈られたものだ。
東棟のボスである桃太郎は、鬼退治と称して汚職した政治家や官僚を数多く殺した罪で終身刑となった。これもファンが多い。彼を義士と称える支持者が様々な贈り物を刑務所に送って寄越すが、贈られた当人に物に対する執着がなく、それらをすべて寄付している。その無欲さも人気の理由だ。
そんな彼が執着する唯一の物が、クマの縫いぐるみだった。大切にしている宝物を傷つけられたのだから、怒るのも当然だ。
桃太郎の独房の前に立った貴方は、鉄格子の向こうで縫いぐるみを抱きしめている桃太郎へ、同情の言葉を述べた。それで相手の敵意が消失したわけではないが、全身や顔の緊張が心なしかほぐれてきたようにも見える。
貴方はアンティリオッチから相談を受けたと告げた。そして、向こうはやっていないと言っている、といった趣旨の発言をした。桃太郎の顔が、たちまち強張った。
「そんなの嘘に決まっているだろう! 西のあいつは俺にライバル心を持っている。俺のクマちゃんに傷をつけたのは嫌がらせだ、それに間違いない!」
多少の対抗心はあるとしても詰所にいる看守たちの目を潜り抜け鉄の扉を突破して独房の鉄格子の扉をこじ開けて侵入し、傷つけるのが縫いぐるみだけというのは理解し難い……と正論を言ったところで相手は聞く耳を持たないだろうし、むしろ感情を害するだけだろう。
何を言っても時間の無駄と考えた貴方は短く呪文を唱えた。空間が歪み、時が止まる。それから鉄格子の向こうへ語りかけた。
「私の声が聞こえていたら、答えて欲しい」
桃太郎の腕に抱かれていたクマの縫いぐるみの丸い耳がヒョイぴくヒョイぴくヒョイヒョイと動いた。
「聞こえているよ。驚いたな。縫いぐるみと話せる人間が刑務所の囚人にいるとは」
クマの縫いぐるみは、そう言って桃太郎の腕の中で身動ぎした。
「こちらの世界で話すのは久々だ。さて、何の用だい?」
「君の額の傷のことでトラブルが起きそうなんだ。君の持ち主は、君を傷つけた犯人が刑務所内にいると信じて疑わない。犯人だと疑われた囚人に喧嘩を吹っかける、それはほぼ間違いない。流血沙汰になるのも確実だ。その事態を回避したいんだ」
額の傷を丸い手の先で撫でてクマの縫いぐるみが語る。
「これは向こうの世界で出来た傷だ。こっちの世界とは関係ない」
貴方は頷き、話の続きを促した。クマの縫いぐるみは受傷の経緯を説明した。
「僕は生まれ故郷の縫いぐるみの国で警官をやっている。夢のように素敵な世界だけど、別の世界から悪人がいっぱい来てね、悪さをしているんだ。そういった悪人を逮捕しようとしたら、暴れられてね。人手が足りなくて、捕らえるのに苦労した。それで、そのとき、ちょっとケガをしたんだ。かすり傷だけどね。その傷だよ」
「それを君の持ち主に分かってもらいたいんだ」
クマの縫いぐるみは腕組みをした。
「それは難しいな。いや、貴方の言い分は分かるよ。うちの旦那さんに説明したいのは山々だけど、僕は貴方みたいに、この世界の住人と会話する技術が無い。せいぜい、夢の中に出るくらいかなあ。でも、夢の中で何を言っても、起きたら忘れるだろうから」
「それでも、やってみて欲しい。お願いだ」
「うん、まあ、やってみるよ」
貴方は感謝して頭を下げた。クマの縫いぐるみは自分の顎の先を擦りながら尋ねた。
「貴方も、この世界の生まれではなく、どこかの異世界から来たんだろう? 別世界からの異邦人でもなければ、縫いぐるみと会話なんて出来っこないからね。それがどうして、刑務所の囚人になっているんだい?」
貴方は笑顔で言った。
「悪いことをして、警官につかまったんだ」
クマの縫いぐるみは笑った。それから二人は別れの挨拶をした。貴方は再び短い呪文を唱えた。時が動き出す。代わりにクマの縫いぐるみは動きを止めた。貴方は桃太郎に言った。
「時間を取らせて悪かったね。それじゃ、これで」
桃太郎が西棟のホールに姿を現したのは翌日の午前中だった。西棟の囚人たちは一斉に身構えた。殴り込みに来たと思ったのだ。だが、桃太郎の表情は柔和そのものだった。貴方の姿を見つけると、さらに顔を綻ばせ足早に近づいてくる。その左右に看守が付き添っている。後ろにも二名の看守がいる。彼らは桃太郎に西棟へ入ることを許したものの、警戒を怠ってはいなかった。
多くの囚人たちと看守四名が見守る中で、桃太郎は貴方に言った。
「夢の中にクマちゃんが出てきた。いっぱい話をした。楽しかった。それだけじゃない。俺は縫いぐるみの国でお巡りさんの仕事を手伝った。クマちゃんは縫いぐるみの国でお巡りさんをしていて、一緒に悪者を捕まえた。おかげで助かったよと礼を言われたさ。それから、また夢の中で警官の仕事をやって欲しいと頼まれた。額の傷は大丈夫だから気にしないでくれと言われた。それから、あんたにヨロシク伝えてくれとも。だから、言いに来た」
わざわざどうもありがとう、と貴方は返答した。それから、クマちゃんにヨロシク、とも。
言うだけ言って桃太郎は西棟を去った。その姿が消えるとともに、ホールに充満していた緊張感も消えた。ざわめきが戻ったホールに変な長方形の箱で両目を覆ったアンティリオッチが現れた。椅子にぶつかって転びそうになって、やっとバーチャルリアリティのゲーム受像機を外す。貴方に気付く。貴方の座る席へ来て、傍に腰を下ろす。
「例の件、どうなった?」
一件落着したと貴方は答えた。アンティリオッチは満足して笑った。
「さすがは相談役だ。これで俺も安心してゲームに集中できる」
ゲーム受像機である長方形の箱を持ち上げて、その魅力を言葉数は少ないながらも情熱的な口調で語ってから、アンティリオッチは言った。
「桃太郎の奴も、縫いぐるみと遊ぶんじゃなくてバーチャルリアリティのゲームをやりゃいいんだよ。別世界を体験できるぜ」
貴方は笑顔で同意した。アンティリオッチも頷いて、しみじみと言った。
「これが昔からあったら、俺は殺人鬼にならなかったかもしれないな。そう思わないか? 刑務所暮らしなんかじゃなく、平穏無事な人生を過ごしていたと」
貴方は返答に窮した。