第543話 千の妖の黒き芒5
──1時間と少し経った頃。
その少年は急ぎ足で待ち合わせの木の下に現れた。
「すいません! 待たせてしまいましたか!」
「待ってなどおらん、妾は酒を飲んでただけじゃ」
「それならよかったです! あ、色々買って来ましたがこれでよかったですか?」
少年の両手の中には丁寧に包まれた、酔牛のステーキ、大鶏の唐揚げ、スイーツレモン、七色苺が握られていた。
食欲を刺激するステーキの匂いに黒芒の酒を飲む手が少し止まる。
「よい香りじゃ。空いた腹には少しばかり刺激が強すぎるぐらいじゃの。食べてもよいのか?」
「は、はい! 勿論です! 喜んで貰って僕も嬉しいです!」
ニコニコと笑う少年と早速まだ熱の冷めぬステーキの包みを開ける黒芒。
「あ、これ使ってください」
少年が渡してきたのはフォークとナイフだ。
「準備がよいの。ステーキは切って食べた方が妾好みじゃ、でかしたぞ小童」
だが、言葉とは裏腹にステーキの包みを仕舞い立ち上がる。
「あれ? 食べないんですか!?」
「場所を変える。妾は桜が見たい。肉はそこで酒と一緒に食う。小童、そなたも来るか?」
「行きます! 行きます! 行かせてください!」
目を輝かせる少年に黒芒は一瞬だけ目をやり、
「腹が減った。急ぐぞ、小童」
酒樽とステーキを持ち山の奥へ入っていく。
「あ、待ってくださいよ! 置いてかないでください!」
「騒がしい小童じゃな? 早よせい」
残りの食糧を持ち先を行く黒芒の後を少年は駆け足で追う。
*
「ま、まだ登るんですか!?」
「ひ弱よのう。桜の香りがする。きっとこっちじゃ」
黒芒が笑う。妖艶なその笑みは少年には少しばかり刺激が強かった様子だ。
顔を赤くし照れたように少年は視線を逸らす。
山頂では無いが、見晴らしの良い場所に着いた。
「うわぁ~! 凄い! 凄い綺麗ですよ!」
千本の桜が織り成す目の前に広がる光景は正に絶景と呼ぶに相応しかった。
年相応に桜を指差しぴょんぴょんと跳び跳ねて目をキラキラと輝かせ少年は嬉しそうに黒芒に視線を送る。
「ここで良いじゃろう。よし、酒じゃの」
「えー、もっと桜を見ましょうよ! 綺麗ですよ!」
「桜は見ておる。酒を飲みながらの」
もそもそとステーキの包みを広げながら黒芒は言う。
「ふむ、悪くない」
黒芒は思わず見とれてしまう手本のようなナイフ捌きでステーキを切り、育ちの良いお嬢様のように上品なフォーク使いで肉を口に運ぶ。
「昼に桜を見たのは偉く久々じゃが、これも悪くない。まあ、夜桜のが妾は好みじゃがの」
黒芒は言う。どこまでも妖艶に──。
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