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笑って下さい、シンデレラ

笑って下さい、シンデレラ

作者: 椿


好きな人がいる。

小学生の頃からずっと、変わらず想い続けている相手だ。


掬った端からサラサラと滑り落ちてしまいそうに繊細な髪。涼やかな目元とスッと通った鼻筋、血色の良い魅惑的な唇、そしてそれぞれが完璧に配置されている小さな顔。

『その人』は、世界中のどんな宝石の輝きも霞むくらいにとても美しい見た目をしていて、映画やドラマでいったら画面の端に移り込めるかどうかも怪しいモブ確定な僕なんかとは、明らかに住む世界の違う人間だ。


そんな僕が『その人』に告白をして…ましてや付き合おうだなんてことを想像することすら烏滸がましい。ずっとずっとそう思っていた。…思っていた、だけだった。

だけど、高校2年生も終わりかけの冬の日。ふと、約1年後には恐らく…いやほぼ確実に、互いに顔も見ないような関係になってしまうんだろうな…、とそんな当たり前の事実を唐突に自覚した僕は、約10年間温め続けたこの想いを自分の中だけで消してしまうのが何だか勿体無くなって。

普段見ない朝のニュースで星座占いがたまたま一位だったり、ラッキーアイテムが『カボチャ』で、その時の朝食もたまたまカボチャのスープだったり、とそんな偶然にも何となく背中を押されて。


一体どこにそんな勢いがあったのか、僕は気が付けば無計画に『彼』へと自分の気持ちを伝えてしまっていた。

当然玉砕覚悟の告白だ。というかその結果しか考えていなかった。自分の中でこの気持ちにケリをつけるために、僕は自分勝手に彼を利用するつもりでいたのだ。


しかし、「好きです!付き合ってください!」という告白のお手本をなぞったような僕の言葉に返ってきたのは、


「…別にいいけど」


──そんな、奇跡を越えてもはや幻想にも思える承諾の呟きだった。






世界が、輝いて見える…。


朝。起床直後のベッドの中で僕は数度目を擦る。

一体何なんだ、この昨日より明らかに彩度が増した空間は。遮光カーテンから漏れ出る朝日のせいか?それとも起きたばかりでまだ明るさになれない目が原因?大穴で、寝ている間に壁紙が一段階明るい色に貼り変えられたとか?


否!否、否、否!!


真冬の朝恒例の「あ~~まだ布団から離れたくないよ~~」という羽毛布団への媚び売りもそこそこに、僕は勢いよくベッドから降りてそのまま自身の勉強机へと殆ど飛びつくように駆け寄った。

机の上には、開け広げられた状態の大学ノート。その一面には太い油性ペンで大きくこう書かれている。


『12月3日、灰被(はいかぶり) (あらた)君と付き合うことになった!左の二の腕を確認!』


僕は寒さも忘れ、弾かれたように着込んでいた服を脱ぎ去って自身の二の腕を凝視した。

内側の皮膚が柔らかい所には、複数の赤い痣が出来ている。

それらは昨日、僕の長年の想い人──灰被(はいかぶり) (あらた)君と付き合えた事実が夢ではないことを確認するために、自分で力いっぱい抓っては「痛いっ!!ってことは現実!?イヤッッホウ!!」という狂気の行動を2,3回繰り返した結果の産物なわけで。

この確認作業をした痣が残っているということは、昨日の事はやっぱり全部夢でも妄想でもないわけで……。


「~~~生きてて良かったあああ!!!」


室内でさえ吐いた息が白く染まる真冬の朝。僕――大路(おおじ) 真白(ましろ)は、自室の中心にてボクサーパンツ一枚という何とも寒々しい格好で拳を掲げ、抑えきれない喜びを声に出していた。





昨日、新君に告白した直後の僕は、どちらかというと彼と付き合えたことへの驚きが大き過ぎたせいで喜びの感情が少々隠れてしまっていた感があった。しかし今日の僕はその驚愕と夢ではないかという疑心を全て消化し、純粋に幸福と嬉しさだけで構成されていると言っても過言ではない。


つまりどういうことかというと、最高潮に気持ちが舞い上がった浮かれ野郎の誕生というわけである。


僕と新君が、こ、こ、恋人…!!うわああーー!!何度思い返しても本当に夢みたいだ!!

…待って?恋人ってことは、もしかして朝一緒に登校とかしちゃっても許されるんじゃないですか!?新君と一緒に登校!?それなんて高額なオプション!?


ドタバタとかつてない忙しなさで通学準備を済ませる僕に「うるさい!」と母から苦言が飛ぶが、そんなものが絶賛浮かれポンチの僕に響くわけもない。

騒がしいのは認める…、だが止めてくれるな!僕は今日、初めて好きな子と登校を共にすることが出来るかもしれないんだ!


用意された朝食をよく噛まないまま強引に飲み込んで、ご馳走様と同時に家を飛び出す。

扉を開けると襲い来る屋外の突き刺すような冷たさは、真隣の一軒家を見てドキドキと高鳴る心臓と全身を巡る熱に相殺されてすぐに気にならなくなった。


そう。何を隠そう僕と新君はお隣さんで、何なら生まれた時から接点のある幼馴染なのである!…と言っても特別仲が良いとかそんなことは無く。毎月一回程の頻度で母に使いを任されて新君の家へ出向くこともあるけど、その時ですら殆ど会話らしい会話をしたことが無いし、そんな僕が学校内で彼に話しかけるなんて夢のまた夢だし。うん、まっったく仲は良くないな。というかむしろ認識されていさえすれば万々歳というレベルである。

そんな感じで、『灰被新のお隣さん兼幼馴染』というきっと多くの人間が喉から手が出るほど欲しがっているに違いないプレミアもののギフトを全く有効活用できていなかった僕。唯一恩恵を得られているなと感じられることとしては、幼少期から新君に出会えていることと、生活圏内が被るので偶に彼の私生活を垣間見ることが出来ることと、新君の家の匂いを知っていることと……、最上級のご褒美だったわ。恩恵受けまくってたわ。有効活用できてないとかどの口がって感じだわ。

いやしかし!その最上級のご褒美をも超える隣人メリットを僕は今ものすごく実感していた。

よく考えなくてもわかる。家が近いってことはだ、それだけ登下校で一緒に居られる時間が長いってことだろ…?最初から最後まで新君と一緒に居られるんだぞ?え?最高過ぎないか?隣人サイコーーー!!!ヒューーー!!!


昂りが抑えられていないが、これは心の中の叫びなので安心して欲しい。




元々僕と新君は小、中、高と学校が一緒なので、登校距離がほぼ同じということもあって何となく家を出る時間が被っていることが多い。大体は僕が新君の家を通り過ぎたあたりで新君も家から出てきて、僕の10メートルくらい後ろを彼が歩いている感じだ。

今までの僕はその距離感でも「新君と一緒に登校してる!!」と十分幸せな気持ちになれていたものだが、…いよいよ「恋人」という大義名分が出来てしまった!

僕恋人ぞ??彼氏ぞ???これ、夢にまで見た「待ち合わせて一緒に登校」が叶う日が来たんじゃ???よし、そうと決まれば新君の家の前で待ち伏せだー!!


そんなこんなで浮かれに浮かれ、また張り切りに張り切った僕は、母からの騒ぐなコールにもめげずに超特急で朝の準備を済ませ、普段より30分も早く家を出たというわけだった。


流石にこの時間であれば新君もまだ準備中だろう。彼が出てくる前に心の準備と、登校時の会話のシミュレーションを完璧にしておこう。

まだ余裕のある顔で自宅の簡易な門扉を開けていると、


ガチャリ、


隣から聞こえた、玄関扉の開閉音。



まさか!?と咄嗟に顔を向けた先に見えたのは新君、


……ではなく、会社へ出勤しようとする麗しいスーツ姿の美丈夫──新君のお父さんだった。

僕が勢いよく見たために目立ってしまっていたのか、間を置かずお父さんと視線がぶつかる。とりあえず気まずさを誤魔化すためにヘラリとぎこちなく笑って会釈をしてみると、彼も同じように会釈を返してくれた、…のだが、その後忘れ物でも思い出したのかすぐに家の中へと逆戻りしていく。


び、びっくりした。いつもこのくらいの時間に出勤してたのか。


新君のお父さんはあまり無闇矢鱈に愛想を振り撒くような人では無く、常に凛とした姿は正直少し取っ付き難い。だけど流石新君の親御さんというべきか、顔もスタイルもモデルみたいに整っているし、話してみたら意外に冗談を言って笑わせてくれたり、年の功で経験も知識も豊富だったり、と格好良い男性の代表格と言っても過言ではない人だ。

僕の子供の頃からの『こんな風になりたい男ランキング』堂々の一位に輝く相手でもある。

…あと、単純に顔が大人版新君って感じだから目の保養になるんだよなぁ。


流石に新君のお父さんが出て来るかもしれない内に彼らの家の前で待機しているのは申し訳なく、僕が自宅の門扉前で無意味に留まっていると、お父さんはすぐにまた玄関から出て来た。通勤方向なのだろう。こちらに向かってくる姿は姿勢よく、相も変わらず格好良い。

すれ違い際、ペコリとお辞儀をされたのでこちらも慌てて頭を下げて彼を見送る。

無意識に見惚れてしまっていた。ダンディーなオジサマの魅力、恐るべし。中年太りが著しいうちの父親とは大違いである。

少しの間、遠ざかっていくお父さんの後姿をぼーっと眺めてテンションを上げた後、「さて!」と気を取り直して僕は新君の家の前へと歩みを進める。


──と、その時、

隣の玄関扉内からドタンバタンと何かがぶつかり合うような騒がしい音が聞こえて。


直後、


バン!!


「「!!」」


勢いよく扉を開いて出てきたのは、制服のネクタイも締めないまま、どこか焦ったような顔をする新君だった。

咄嗟に視線が合って、両者とも驚きに目を見開く。


新君、今日は早めに出る気だったのか!!あ、あっぶねーー!早い時間に出てきて良かったーー!!


驚きと緊張に心臓をバクバクとさせながらも、僕はすかさず新君の元へと駆け寄って自然に一緒に登校する流れを作りだそうとする。


「お、おはよう!!」

「……はよ」


すぐにこちらから視線を逸らしてネクタイを締め始める新君だったが、僕のどもった挨拶にも小さく返事をしてくれた。


あ、新君と挨拶を交わしてしまった!!恋人すげーー!!


しばらくその事実を噛み締めジ~ンと幸福に浸っていた僕だったが、スタスタと速足で学校へ向かいだした新君に置いて行かれそうになったことで慌てて我に返り、急ぎ彼の背を追った。


シミュレーションが出来なかったせいでこれといった会話が思いつかず、僕は速足で歩く新君に付いて行くのに精いっぱいだ。というか隣を歩けている、それだけで十数年の人生至上一番の喜びである。胸がいっぱいで苦しいよ新君!ありがとう!!

新君はというと、ずっと前髪を触りながら不機嫌そうな顔をしている。上手くセットが決まらなかったのかな?新君ならたとえ寝癖のままの姿だったとしても格好良いのに…。

あ、でもこっち側の手は空いてる。


髪に触れていない、身体の真横に下ろされている自分と近い方の新君の腕を僕は凝視する。


も、ももも、もしかしてこれ、…手とか、繋げちゃうんじゃない!?むしろそういうサインじゃない!?初めての登校デートで手繋げちゃうんじゃない!?


まともに会話も出来ないくせに下心だけは満々である。

僕は制服のスラックスに自分の手の平を数回擦りつけると、汗が出ていないことを確認した震えるそれを新君の方にそろりと伸ばして、


──しかし、指先と指先が皮一枚触れ合うか触れ合わないかというところで、その不埒な動きに気付いた新君によって僕の手は払い退けられた。


「……きゅ、うに、触んな!」

「あ、ごめん…」


一瞬の驚愕の後、怒りを孕んだような表情を向けられて、僕は即座に自身の失態を悟る。


やばい。恋人になれたからって調子に乗り過ぎた。普通に考えてあんまり親しくない奴に急に馴れ馴れしく触られても不快に思うだけだよな。ましてや僕は可愛い女の子なんかでもなく、自他共に認めるモブの、しかも男だし!勘違いも甚だしいぞ僕!!

と、とととにかく、今後新君との接触は禁止だ!!


恐る恐る新君を横目で見ると、彼は再び前髪を興味の対象にしたらしかった。もう俺の事など気にしていられないという風に一生懸命そこを整えている。


た、助かった。恐らく、さっきは手がギリギリ触れていなかったから新君も見逃してくれたんだろう。もし少しでも強引に手を繋ごうとしようものなら「キモ、無理」で一発退場だ。ここでの退場は、スピード破局ということである。イヤッッ!!


血の気の引いた僕が心のメモに「接触禁止」の文字を深々と刻んでいると、不意に進行方向にある曲がり角からジャージ姿の男子高校生が現れた。


よく見るとそのジャージは、僕と新君の高校指定の体操服で。

焦茶色の髪を朝日に煌めかせた彼は、眠そうに欠伸をしながらこちらを一瞥して、すぐに前を向いたかと思うと今度は「えっ!?」と何かに驚きながら勢いよく身体ごと振り返る。

そして次の瞬間、人懐っこそうな顔でにぱっと笑ってこちらに駆け寄ってきた。


「新―!!何お前!今日来んの早くね?あっ、俺と一緒に朝練行きたかったとか~?」

宙太(ちゅうた)…」


ガシッ!

何の躊躇いも無く新君の肩に腕を回して見せたこの人は、どうやら新君の友達らしい。僕が新君を見る時はいつも新君の姿だけしか目に入っていなかったけど、確かにこんな声の人が新君の周りにいた気も…する。多分。

くっ、やけに簡単に新君の身体に触ってくれるじゃないか…!友人A!別に悔しくなんか無いけどね!?今の僕は新君の恋人ですし!?


心中で強がりながらも歯をギュッと食いしばっていると、友人Aが今気づいたように僕を見る。


「お?どちらさん?新の友達?」


おっと来ましたその質問!聞いて驚け友人A!

何を隠そう僕は──、


「僕はっ、」

「知らね」


意気揚々と自己紹介をするつもりだった僕の言葉は、新君の吐く白い息に巻かれて何も伝えられずに終わった。


「…いや、知らねーって事はないだろ!まあいいけどさぁ。あ、そういや昨日たっつんがー、」


ポカンと固まる僕を置いて、新君と友人Aは仲良く会話をしながら先へと進んで行く。


え?待って?

もしかして友人Aと一緒に登校したいがために、今日は珍しく家を出る時間が早かったの新君??え?そういうこと!?一緒に登校出来るー!とか舞い上がっちゃってたけど、これって新君にとってはとんだ迷惑行動だったってこと!?

お友達に紹介されるどころか、「知らね」って知人ですら無いように言われたし。…多分、僕と一緒に居るのが恥ずかしかったんだろうな。……いや、本気で僕の名前とか知らない可能性も無くはないけど…。どっちにしてもへこむ…。


……まあでも、新君の後ろ姿を見ながら新君の通った道を歩くって、実質一緒に登校してない??してるよね??

というかこの場所までは隣で歩けたわけだし、途中で友人Aに新君が奪い取られてしまったとしてもプラマイプラスで一億点だ。…え?それって最高にハッピーじゃ??最高にハッピーだな!!登校デート!!フゥーーー!!新君の後ろ姿サイコーー!!よっ!!見返り美人!!見返された事は一度もないけどね!!

次からは、ある程度距離をとって後ろから新君を眺める「新君ウォッチング登校デート(架空)」を決行だーい!!


僕は一瞬のショックなどすっかり忘れ去った頭で、いやむしろ当初よりもホクホクと満ち足りた表情をしながら、登校時の注意点を心のメモにしっかりしたためておいた。

ポジティブ?偶に言われる!





「はあ!?灰被新!?

お、おま、告白するって…あの灰被新にだったのかよ!?」

「うん。あはは」


それなりにざわついている朝の教室であるにも関わらず、周囲に配慮してか器用に小声で叫んでみせた僕の親友こと宇海(うかい) 秀真(ほつま)は、「あははって…、」と驚きと呆れが半々に混じったような視線で僕を見る。


「…幸せそうにしてるとこあれだけどさ、もしかして知らないのか?…灰被の噂」

「噂?」


首を傾げた僕に、秀真は手を口の側に添えて内緒話をするように少しだけ身を乗り出した。


「…灰被新は、フリーの状態で告白されたら絶対に断らない。…けど、付き合った全員を何故か決まって毎月12日にはフるんだよ。

…1組の木村さん居るだろ?ほら、文化祭のミスコンで優勝した。あの子も少し前に灰被に告って付き合ったらしいけど、それが10日だったせいで例にもれず2日間でお別れ。例えどんなに可愛くても、どんなに性格が良くても、…逆にどんなにおかしな相手でも、12日までの期限はずっと変わらない。


──ついた異名は『100人斬りのシンデレラ』」


随分物騒な異名だな…。というか、シンデレラ?どっちかというと新君は王子様って感じじゃないか?

…まあでも『12』という制限といい、灰被り姫を連想させる姓、シンとも読める名前、そして美しく清らかな外見と高潔な内面…。うん、そう考えてみるとなかなかハマっている気もする…。


流石に話盛ってるだろ!と言いたかったが、秀真の眼は真剣だ。この話は冗談でも何でもないんだろう。

一応僕だって隙あらば新君を見ていたのだから、彼に彼女や彼氏が出来ては別れ、出来ては別れ、を繰り返していたということぐらいは把握していた。それに12日という明確なリミットがあった事についてと、新君が誰の告白であっても受け入れるっていうのは初耳だったけど。


「真白の場合は、今日が4日だから……9日後にフられるわけだけど…」

「フらっ……、因みに今までに例外とかは〜…」

「無いな」


微かな期待はバッサリと切り捨てられる。


そうだったのか…。

恋人という肩書きはあるけど、そこに新君の気持ちは欠片も存在していない。期限付きで恋人を作る、なんてどうしてそんな事をしているのかは分からないけど、それなら登校時のほぼ他人に接するような態度も頷ける。


…期限付きか。ショックはショックだけど、まあ僕だし。ダメで元々な感じだったし。仕方ない、よな…。


──でも、



「──でも、あと9日も新君の恋人で居られるのかぁ…」



今の僕は、本来だったら実現できない夢を現実で見させてもらっているようなものだ。

一方通行の恋心。新君はその僕の気持ちを無下にせず、期限付きではあれど真摯に受け入れてくれた。…いや、これが本当に真摯な対応なのかどうかは賛否があるだろうけど。

でも!新君は今朝、僕が隣を歩いて一緒に登校しようとするのをあからさまに拒絶したりはしなかった。本当は友達と一緒に行くつもりだったのに、僕は邪魔に違いなかったのに、「ついてくるな」とか、「隣を歩くな」とか、そんな突き放すような言葉は一言も無かったんだ。

きっとそれは、僕が今新君の恋人だから。

新君は新君なりに、恋人の僕に対して何かしら自分の中の義理を通そうとしてくれているんだと思う。


だったら僕は、遠慮なくそれに甘えさせてもらおうじゃないか。


9日間?充分充分超充分!!

その期間、僕は新君の迷惑にならない程度に、彼との恋人関係を楽しむと決めた!!今決めた!!


秀真は、期待に目を輝かせる僕を半眼で見やりながら、「…まあ、骨は拾ってやるよ」と呆れた口調で呟いた。

もっと応援して!!





あっという間に授業を終え、気付けば日も傾いた放課後である。

開放感にざわつく教室内で、僕は1人頬杖をつきながらどうやったら新君と一緒に帰ることが出来るのかを真剣に考えていた。


僕としては勿論一緒に帰れたら嬉しい。だけど今朝の事もあるし、流石に横を歩くのは嫌がられそうだよな…。

新君と僕は別のクラスだから、本当なら僕がむこうの教室まで「一緒に帰ろう!」って迎えに行きたかったんだけど、…仕方がないか。()()()下校デートは諦めよう。

……さて、そうと決まれば、校門で待ち伏せした後バレないように新君の後ろをつけて下校デート気分を味わう「新君ウォッチング下校デート(架空)」の出番だ!!


やることが決まればその後の行動も早い。

同じ帰宅部の新君が帰ってしまう前に!と、僕は急いで帰宅準備を済ませ、そのまま席を立ちかけて、

──教室前方の扉前、新君に似た人影が見えたような気がしてビタリと動きを止めた。


学校指定のスクールバッグを緩く肩にかけた一人の男子学生は、教室内に背を向ける形で立っていた。手元のスマホを操作しているためか俯き加減の顔は見えづらいが、その絹糸のように艶めく薄茶色の頭髪とスラリと引き締まる9頭身の肉体、溢れ出る美のオーラ、ついでに横を通り過ぎていく他の生徒の色めきだった感じは……、間違いない。正真正銘ご本人、輝く美貌の新君である。


…え!?なぜ新君がここに!?


驚きから視線を逸らせないでいると、不意に新君が顔を上げてこちらを見──、る前に僕はすかさず視線を机の上へと落とした。


いやいやいや、新君と目が合うとかそんなこと思ってないけど!もしも奇跡的に目があちゃったら「何見てんだコイツ、キモ…」って引かれるじゃん!?それは嫌じゃん!?


びっくりしたけど、多分、このクラスに居る友達を待ってるとか…だよな?

それなら丁度いい!新君がその友達と一緒に帰るなりする時に、僕もこっそり後ろから追いかけさせてもらおう!

校門で待つより確実だし、ツイてるな僕~!





──そんなことを思ってから、30分が経ちました。

新君は変わらず扉の前で立ったままスマホを弄っています。今しがた、化粧をしながら愚痴を零し合っていた女子2人が「語ろ語ろ!」とテンション高めに教室を出て行ったところです。新君は彼女らに見向きもしませんでした。

この教室には、もう僕しか残っていません。


……え??何で??もう誰も居ないんですけど??新君いつ帰るの!?!?


急遽広げた逆さまの教科書に隠れながら予想通りではない現状に動揺していると、

そんな僕を嘲笑うかのように、先程からずっと動かなかった新君がタン、と静かな音を立てて教室内へと足を踏み入れた。

そして、


「帰んねえの?」

「……ンエッ!?!?」


まさか話しかけられるとは思っていなかったので、咄嗟に裏返った声が出る。

新君はいつの間にか僕が座る席の前に立ち、無表情でこちらを見下ろしていた。


「あ、う、うん。…もうちょっと…かな?」

「フーン……」


僕の返答に興味なさげにそう返したかと思うと、何の気まぐれか、新君は前の席に腰かけた。しかも、背もたれを前にして跨るような恰好、つまり僕と向かい合う形で。


何!?どこでもいいから座りたかっただけ!?あ、分かった!一旦教室から出て行った友達を更に今待ってる状態ってことだね!僕に話しかけたのも暇つぶしの一環と!うん、それならしっくりくる!

…にしても、やっぱり近くで見たら100億倍カッコイイーー!っとヤバ、ガン見し過ぎた…!

あっ、見てません見てません~!


「…残って何してんの」

「なっ、ななな何も!?」

「は?じゃあ帰れば?」


新君が、僕の持つ逆さまの教科書を見て訝し気に言う。全くもってその通りの正論である。


流石の僕も、本人を前にして「本当は貴方が帰るのを待ってたんですけど」などというストーカーともとられそうな発言をする勇気はない。…仕方がない、一旦帰るふりをして校門で隠れて待つか。


僕がしょんぼりと気持ち肩を落として立ち上がると、ほぼ同時に目の前の新君もバッグを持って席を立った。


あれ??これはまさか??


「えっと、新君も、もういいの?」

「うん」


よ、よ、よっしゃーー!!奇跡的に帰るの被ったーー!!


もう友達を待つのは辞めたらしい新君と、二人そろって人の少ない校内を進む。

会話は無かったが、登校時とは異なり新君の足取りはゆっくりと落ち着いていて、隣を歩き易い。


もしかして、僕に合わせてくれてる?


そんな自分に都合の良い幸せな妄想を噛み締めていると、いつの間にか下駄箱がある玄関へと到着してしまっていた。クラスが違うため、僕と新君の靴の場所は棚1つズレている。物理的な距離を取らざるを得ない状況に、僕は新君との時間の終わりを察した。


出来れば校門までは隣を歩きたかったけど、外に出たら人の目に触れる機会は増えるし、一緒に居られるのはここまでだろうな。


自身の靴箱の方に向かう新君の背中越しに、僕は声を張る。別れは潔く!だ!


「じゃ、じゃあ、また明日!」

「は?まだ何かあるわけ?」

「いや、何も無いけど?」

「??帰り道同じだよな?」

「うん!お先にどうぞ」


「「??」」






ベストポジション…ッ!


帰り道、十数歩前を歩く新君の後姿を目に焼き付けながら僕は無言で拳を握りしめた。

校門を抜けるくらいまで「え?今から家に帰るんだよな??」と怪訝な顔で何回も確認されてしまったけど、多分あれは「帰り道が同じだからって一緒に帰れるとか思ってんなよ」という念押しだと思う。大丈夫、僕は分かってるからね新君!


新君はやっぱり後姿も美しい。こう、近すぎず、かといって細部が見えない程遠くも無い距離は本当に理想の尾行ポジションだな。…もう尾行って言っちゃってるけど。


姿勢の良い新君の背中に見惚れていると、唐突にどこか不満そうな表情の彼が後ろに振り向く。


「お前さぁ…」

「あっっ!!ごめん!!!見てません!!!」


すぐに目を伏せ、見ていたことを謝ったのに事実を否定するというちぐはぐな発言をする僕。

前方から聞こえたのは、呆れている風にも聞こえる小さなため息だ。


「…そうじゃなくて、」


「おーーい、新っ!!

何々、珍しく1人じゃーん!」


新君が何かを言いかけて、しかしそれを遮るように現れたのは今朝も姿を見た友人A──もとい新君の友達の鼠入(そいり) 宙太(ちゅうた)君である(秀真調べ)。

僕の横を駆け足で通り抜けた彼は、僕の事など存在しないもののようにまたも新君の肩に腕を回して笑った。


ふっ、僕の隠密レベルも中々の物だな!

…っていうかやっぱりこの人新君との距離近くない??羨まし……くはないけどね!?

僕は新君の恋人…。僕は新君の恋人(期間限定)…。


「……宙太。…お前部活は?」

「それがさあ、聞いてくれよ!何か陸上部が近々大会あるとかで、俺らグラウンド使えなくなってさー!」


自然な流れで帰路を進みだす二人を、僕は再度一定の距離を保ちながら追いかける。

友人と話すときの新君は表情が柔らかくなって楽しそうにしていることが多いので、僕も彼のそんな姿を見るのは好きだ。


これこれ!これが理想の下校(尾行)だよ!!




「あれ?新そっちの道?いつもこっち通るじゃん。ほら、前に遠回りだから―とか言って嫌がって、」

「…今日はそういう気分だから!!」

「ふーん。…ま、いいけど!たまには遠回りの散歩に付き合ってあげますか~!」



「(遠回り!?その分だけ新君との下校デート(架空)の時間が増える!ラッキー!)」


勿論最後まで付いて行く僕であった。





翌日の朝。早々と学校へ行く準備を終えた僕は、リビングにある窓の薄いカーテン越しに隣の玄関を見張っていた。


昨日の下校と同じように、新君の後ろをこっそり付いて行こう。こうやって早いうちから玄関を見ていれば、新君が出てきた時間に合わせて自分も出ればいいし!僕天才!


自分の両親からの「うちの息子は大丈夫なのか…?」と言わんばかりの引いた目線に耐えながらも窓にかじりついていると、隣の玄関扉が開いて新君のお父さんが出て行った。昨日と同じなら、新君もそろそろ出て来る筈である。そう考えた僕は、しばらくの間ジッと注視していたのだが…。

新君は、昨日の外出時間、そしてそれより15分程遅い普段の外出時間を過ぎても中々玄関から出てこなかった。もう家を出ないと遅刻ギリギリになってしまう時間になっても現れない新君に、ある一つの可能性が僕の頭を過る。


…これ、もしかして新君物凄い早い時間に出たんじゃない?

僕と一緒に登校するのが嫌過ぎて…いやこれ以上考えるのは辞めておこう僕の心が傷つくから。


そうこうしていると、遅刻寸前になっても一か所から動かない息子に流石に焦れた母から言葉でも、そして物理的にも尻を叩かれ、僕は泣く泣く家を追い出されることとなった。

遅刻しそうなのはその通りだったので、気分は落ちていながらも若干駆け足で新君の家の前を通り過ぎて、

しかしその直後、ガチャリ、と奇跡のような金属音に僕は反射で振り返る。


玄関から出てきたのは、遅刻ギリギリだというのにも関わらず、昨日よりも明らかに余裕のある表情をした新君だ。


うっそ!新君まだ家に居たんだ!!今日は準備に手間取ったりしちゃったのかな?何はともあれ、二日連続特殊な時間だったのに家を出る時間が被るなんて幸運過ぎない!?


僕は振り返ったまま咄嗟に「おはよう」と言いかけて、しかし先日の事を思い出して寸でのところで留まる。


そうだった!一緒に行くのはNGだった!!

どうしよう。既に新君より前に居るのに今更新君が通り過ぎるのを待って後ろを歩くのもおかしいし、かといって隣で歩くのは新君が嫌がりそうだし…。

……その前に本当に遅刻しそうだし。


新君がゆっくりこちらに近付いてくるのを視界に入れながら、僕は数秒間頭をフル回転させて、

──今日は仕方がないな!家を出る時間が一緒だった幸運を糧にして生き抜こう!!

と、悔しさに歯を食いしばりながらも、遅刻を防止する方を優先して駆けだした。


急に目の前で走り出した僕に驚いたのか、それとも自分の遅刻の危機に気付いたのか、背後から「は!?」と新君の大声が聞こえて、同時に僕と同じスピードで地面を蹴る音も耳に入る。

チラリと後ろを確認すると、なんと新君が僕の後ろを一緒に走っているではありませんか!

遅刻しかけているのだから当然といえば当然の行動だけど、何となくそれが新君に追いかけられているようで、勝手に幸せな気分に浸れる僕なのであった。




数分走って学校に着いた頃には、互いにゼーハーと呼吸が乱れて満身創痍だ。

新君は下駄箱でたまたま一緒になった女子2人組に「急いでたのー?」などと揶揄われ、それを適当にあしらっているが、体力の無い僕は立っているのでさえやっとなくらいである。


新君に追いかけられる(妄想)のが楽し過ぎて、ついつい自分の身体の限界を忘れて前を走り続けてしまった。そのおかげか、遅刻するどころか逆にいつもとほぼ同じ時間に学校に到着出来ているという奇妙な事態になっているが。


他の生徒が行き交う下駄箱で、1人ハアハアと自分の靴箱に腕をついて息を整えていた僕。

すると急に頭部を覆うようにして布のようなものが投げつけられた感覚がして、バッと勢いよく顔を上げる。瞬間鼻を掠めたのは、洗い立ての清潔な洗剤の香り。


頭に乗っていたのはよくあるスポーツタオルだった。

そしてそれの持ち主はおそらく、…いやほぼ確実に、目の前で既に涼しげな顔をしている新君だ。

彼はこちらを一瞥してフン、と鼻を鳴らしたかと思うと、無言で背を向けそのまま立ち去ろうとする。


「あ、ちょ、新君!タオル落としたよ!?」

「落としたんじゃねーよ!!」


慌てて頭の上から取ったタオルを差し出すと、物凄い剣幕でツッコまれてしまった。

えっと…??じゃあこれは何なんだ?

弱った相手にタオルを投げつける嫌がらせか??


運動後の酸素の足りない頭では思考力も落ちる。

僕は新君のタオルを彼に向かって差し出したまま、どうしたら良いか分からず戸惑っていた。

そんな僕を得体が知れないものを見るような目で睨んだ新君は、ほぼ奪い取るような形でやや乱暴にタオルを受け取って、


「ぶっ!?!?」


次の瞬間、まるでパーティーのパイ投げの如くその布を僕の顔面へと強く押しつける。


といっても痛みを伴うほどの衝撃というわけでは無く、むしろポンポンと連続して肌に押し付けられるそれは、僕の額を濡らしていた汗を余す事なく拭き取ってくれるような動きで。

「え?え?」と混乱している間にもう一度タオルで頭を覆われて、今度はその上からぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられた。

どうやらそれが仕上げだったようである。


鳥の巣のようになった髪の毛をそのままにポカンとアホ面を浮かべる僕を数秒じっと眺めた新君は、それが見るに耐えなかったのか、すぐに背を向けて早足で廊下を進んでいってしまった。

その後ろを追わなかったのは、新君が自身のスポーツタオルをそのまま持ち去って行ったために引き止める理由が無くなったことと、


後は、急な新君との接触に僕の精神が保たなかったからだ。


先程までの運動後の疲れとは全く違う理由で、再度僕はへなへなと靴箱にもたれかかる。


もしかして、もしかしてだけどさ。

新君、僕の汗を拭いてくれたんじゃない?

疲れてたから労ってくれてたんじゃない??



「うそぉ…優しい…。好きぃ…」



ボサボサ頭で赤面しながら靴箱に居座って気持ち悪い独り言を呟く。そんなはた迷惑な行動は、一限目開始のチャイムが鳴り響くまで続けられた。




因みに新君のクラスは今日体育の授業があったみたいだ。僕が別教室へと移動する途中、授業開始前にサッカーボールを楽しそうに蹴り合っている新君とその他ご友人を偶然見れたため気付けたことである。

帰宅部にも関わらず、新君がタオルを持っていたのはもしかせずともこのためだろう。


はああ〜!指定ジャージ姿の新君も格好良い…!友達とふざけ合ってるのも可愛い!!


廊下の窓に限界まで張りつきながら舐めるように新君の姿を目に焼き付けていると、その邪な視線に気付いたらしい彼と窓越しに視線が合う。

まさか認知されると思っていなくて驚くが、それは新君の方も同じだったようで、距離があってもその目が大きく見開かれたのがわかった。


「見ていたなんて知られたら気持ち悪がられるかも!」なんて不安をさっぱり忘れ、調子に乗って手を振ったりしてみたが当然振り返したりなんて奇跡がある筈も無く、新君は素っ気なくこちらに背を向け、再度ボールを蹴り合う友人達の輪の中へ戻っていく。



直後始業のチャイムがなったことですぐにその場を立ち去ることとなった僕は、

まさかその後、急に動きが鈍くなった新君が盛大に空ぶって転倒し、周りの友人達に怪我と…あとはその真っ赤に染まった顔を心配されていたことなど知る由も無かった。






6日。1週間も終わりかけである金曜日の朝。

僕はまたしても窓に張り付いて、新君宅の玄関を早い時間から監視していた。


うーん…、昨日も一昨日も新君が家を出る時間はバラバラだったから、予測しにくいんだよなあ。まあだとしても昨日みたいにこうして見張っていれば、偶然を装って一緒に登校(という名の尾行)出来るし、


「真白」

「何?」


背後からの母親の声に、僕は振り返ることも無く雑な返事をする。今の僕は新君を待つことで手いっぱいなのだ。母の相手なんかしてられない。

それにまだ遅刻寸前って感じの時間でもないし、昨日みたいに無理矢理追い出されるなんてことも、


「まーしーろー?」

「もーだから何。今忙しいから話しかけな──、」





追い出されました。


理由としては「隣人をストーカーする自分の息子ヤバすぎ。前科が付く前に止めたい」という至極まともなものでした。心配させてごめん母さん。でも僕が新君宅の玄関を見張ってたのは純粋な新君に対する想いが溢れた結果というかだからこれは犯罪とかそういうのに繋がるあれじゃなくて。

母親に言えば「やってるやつは皆そう言う」とドン引いた目で見られそうな言い訳を心の中で羅列しつつ、後ろ髪を引かれる思いで凄―くゆっくり新宅の前を通り過ぎていると、


何の幸運か、またしても丁度いいタイミングで新君が家から出てきた。


嘘でしょ!?二度あることは三度あるって本当だったのか!?ラッキーー!!

どうしよ!本当は後ろを付いて行きたかったけど、この前の追われる経験もあれはあれで良かったからな…。よし。今日はゆっくり新君の前を歩いて学校までの新君の歩数とか数えようそうしよう。


決意を固めて、ほんの少しでも後姿が凛々しく見えるように背筋を伸ばしていると、背後からザッ、ザッ、と速足で足音が迫って来る。

それに違和感を抱いた時には既に、背後に居たはずの新君は僕の真横に並んでいた。


「……え??」

「……『え』ってなんだおい」


何時の時間帯でも変わらないその美貌が、少しだけ不機嫌に歪められる。

は、話しかけられた!?!?

こっちとしてはもうただそれだけのことでプチパニックである。


「や、ごめん!えと、おはよ!」

「…はよ」

「……あ、じゃあ、ここら辺で」

「ここら辺で!?」


追い抜かれるものとばかり思っていたから、僕の言葉を繰り返して驚く新君に僕の方がもっと驚いてしまう。


新君は「…そうじゃないだろ」と小さく呟いて、肺の中の空気が全部出切るんじゃないかという程の大きなため息を吐いたかと思うと、


「行くぞ。学校」

「え、」

「…~~っ、ここ!!」


苛立っているのか、赤い顔で自身の隣のスペースを指さした新君に僕は一瞬呆けて、

しかしすぐにその意図を悟り、ドッと鼓動が早くなった。


い、いいい、良いんですか!?新君の隣に並んで登校しても許されるんですか!?もしかしなくても人目が無いとこまでですね!?勿論分かっていますとも!!それでも最高に嬉しいです!!

ああ、無宗教だけど神様ありがとう!!いや違うな。感謝するのは顔も声も知らない神に対してじゃない。今隣に居る僕の彼氏というか幼馴染というか唯一神というか尊い存在の新君だ!!新君、この世に生まれてきてくれて本当にありがとう…。



「そう言えば、昨日はタオルありがとう!えっと、汚しちゃってごめん。あの後体育だったんだよね?他のタオルとか持ってた?」


いそいそと新君の横に並び、いつか言うぞ!と昨日の夜散々練習していた感謝の言葉を、まるで世間話のついでのような感じでサラリと告げる。

お、おお!練習した甲斐があった!凄い自然だ!自然なお礼!自然な気遣い!会話を途切れさせないための自然な問いかけ!う~ん、自然!!


完璧な会話の導入だ!と僕が自己満足している傍ら、僕からの問いを受けた新君は数秒だけピシリと石のように固まってから、


「…当っ、たり前だろ!お前の汗ついたやつとか使えるわけねーから!!新しい奴使ったに決まってんだろ!!普通そうするだろ!!普通な!?」

「そ、そうだよね!ごめん!」


当たり前過ぎることを聞いてしまったからか、またまた新君を苛立たせてしまったようだ。耳まで真っ赤にして怒られて、流石の僕も反省する。

他人の汗とかやっぱり嫌悪感ある人はあるよな。僕は勿論新君の汗だったら全然OKっていうかむしろご褒美だけどねっ!!!


「昨日サッカーやってるとこ見てたけど、新君ってスポーツ昔から上手いよね!」

「別に普通。……ていうか勝手に見るな」


新君の返しがそこそこ辛辣だったりするけど僕は特に気にならないし、初日の沈黙登校から比べると、会話のやり取りが出来ているということだけでも物凄い進歩である。


何なんだ今日は!さては凄い良い日だな!!

…もしかすると、今日なら『アレ』を受け取ってもらえるんじゃないだろうか?うん、そんな気がする!!


恋は盲目とはよく言ったものだ。好きな人と数言会話のやり取りが出来たというだけのそんな雑な理由で、あらゆる事が上手くいくんじゃないかと舞い上がったりしてしまうのである。


「あのさ新君!」

「何」



「日曜日、僕とデートに行きませんか!?」



勇気を出して新君に差し出したのは、実は新君への告白が成功したその日に浮かれて購入した映画のチケット。

その時はまさか、新君側には全く気持ちが無く、恋人になれる期間が限定されているなんて思ってもみなかったから、そんな僕に休日を使わせるのも申し訳ないと思ったりしてすぐに渡すことが出来なかったんだけど…。

い、今なら!こう、せめて友達と出かける~みたいな感覚で気軽に了承してくれたりしないかな!?だって会話も出来たし!!完全なる他人から、友達レベルくらいにはなれている筈!


「数秒言葉のやり取りが出来ただけで友達面すんな!?」という脳内を過った秀真からのツッコみは一旦頭の隅に追いやっておいた。時には冷静さを捨て、勢いに任せるのも大事だよね!


僕の持つ二枚のチケットを、新君が興味深そうに眺める。


「……、これ何の映画(ヤツ)?」

「!

最近公開された映画で!新君アクションとか好きって(盗み)聞いたから、その、僕も見たくて!一緒にどうかなって…」

「ふーん…」


多少は興味を持ってくれたらしく、チケットを見つめたまま何かを考えるように口元を手で覆う新君。


もしかして、新君は映画を一人で見たい派かな?断られてしまうかな?


期待と不安で胸を一杯にして回答を待つこの時間が、僕にとっては永遠にも思える程長く感じた。


しかし実際にはそこまで時間を置かない内に、新君の手がチケットの方へとゆっくり伸ばされて。受け取ろうとしてくれているその姿勢に、僕も思わずぱあっ、と表情を明るくさせた、


──直後、


「あーらたっ!おはよ!」

「「!!」」


急に新君の背後から肩を掴んで登場したのは、もうお馴染み、新君の友達の鼠入君。新君にこんな気安い態度を取る人間を僕はまだ彼しか知らないので、人物に対しての驚きは無かったのだが、やはり突然の出来事だったため僕達は二人そろってビクゥッ!!と大げさな程肩を揺らしてしまう。

そしてその拍子、僕の手元への意識が疎かになったからか、持っていた映画のチケットがヒラリヒラリと地面に落下していってしまった。


ああ!新君へのチケットが!!


すぐさましゃがんで大切なその紙きれを拾い、「新君にあげるものなんだから!」と付いているのかいないかもわからない土埃を一生懸命払うが、鼠入君が僕のその忙しない行動に目を向けないわけも無かった。


「映画のチケット?何?二人で行くの?」


目敏くブツを捉えた鼠入君は、肩を組んだまま新君へと問いかける。

だからやっぱり距離が近くて大変羨まし……、く、ない…。いやもういい加減認めよう。正直クソ羨ましい!!僕も新君と肩組みたいーー!!名前呼び捨てで呼び合いたいーー!!


鼠入君に対する少しの嫉妬心を込めつつ、「うん!そうですけど何か!?もしかして新君と映画とか観に行ったこと無い~~!?」とマウントじみた答えを僕が返そうとしかけて、


「──そんな訳無いだろ」


新君のその一言で、もう何も言えなくなる。


「あ、そう?俺の勘違いか」


凍える指でチケット二枚分をしっかり減らさず持ち続けている僕は、在りし日の如くそのまま先を行く二人の背中をボンヤリと見送った。



断られてしまった。


やっぱり駄目か。そりゃそうだよ。僕達じゃ映画鑑賞後の会話もそこまで弾まないだろうし、行くなら一人か、…例えば鼠入君みたいに僕よりもっと親しい人と行った方が楽しめるよな。一瞬チケットを受け取ってくれようとした風にも見えたんだけど……いや、あれもしかして「自分の分だけ頂戴」って意味だったのかもしれないな。あ、絶対それだわ。何だ。


最初からぬか喜びだったらしい。

偶にポジティブだけど、僕だって人間だ。好きな人にデートの誘いを断られてしまえば落ち込みもする。

肩を落としてため息を吐きつつ、僕は完全に不要なものとなってしまった可哀想なチケットたちを眺めた。


うーん…。もうチケットは買っちゃってるし、二人でデートは出来ないにしても新君が楽しんでくれれば僕はそれが一番嬉しいから、一枚は新君にプレゼントしよう。


……二枚とも渡したらその内の一枚が鼠入君の方に流されそうで嫌だからっていうのと、僕も同じ映画を見ていつかそれが話のネタになれば良いな、っていう下心もありきの選択なんだけどね。





放課後、またしても友人の誰かを待って教室の前で時間を潰していた新君に、同じくまたしても新君が帰るのを教室で待っていた僕は、人が居なくなったタイミングで声をかけた。


「新君、これ、映画のチケット…」


僕と話しているのを人に見られたくないのだろう。新君はきょろきょろと周囲に人が居ないのを確認した後に、「ん」とそのチケットをすんなり受け取ってくれた。


「…お前、こういうの人前で出すなよな。……着いて行きたいとか言われたら迷惑だろ」

「あはは、だよね。ごめん!」


僕の予想は当たっていたみたいだ。新君は映画を一人で見る派…と。また一つ新君の情報が増えた瞬間だ。


「…何時?」


開演時間を聞かれて、近くの映画館の上映スケジュールを思い浮かべる。…えっと確か、


「確か9時からやってたと思うよ」

「…早」


早いかな?結構平均的な時間だと思ったけど。


しかし、そう呟いた新君の声色はどちらかというと明るめだったので、多分ネガティブな意味の言葉では無いんだろう。一緒に見れないのは寂しいけど、新君がこの映画を楽しんでくれるならそれが僕の本望である。


新君、いつ映画見に行くんだろう。僕も同じ上映時間にこっそり出向いて、ちょっと離れた席で一緒に映画鑑賞した気分を味わいた…、いや流石にそれは気持ち悪すぎるか。


今朝の母の犯罪防止メッセージは、息子の心の中でちゃんと本来の役割を果たしてくれていた。






8日。惰眠を貪っていた日曜日。

僕の朝は、少し怒った風な母の呼び声で始まった。


「…まだ10時じゃん。僕日曜日は11時まで寝るって決め、……え?」


季節は真冬。本当なら起きて数時間は温かい布団の中でぬくぬくと微睡んでいたいものなのに。僕は母に急かされるままに布団へ泣く泣く別れを告げ、ぶつくさと文句を垂れ流しながら寝起きの気怠い身体を何とか動かした。


辿り着いた先──玄関の内側で待っていたのは、


「………、」


寒さで鼻の頭を少しだけ赤くした、オシャレな私服姿の新君だった。


え????


現状に理解が及ばなさ過ぎて、寝起きかつパジャマ姿(寝癖付き)という新君とは正反対の気の抜けまくった格好でフリーズしていた僕は、沈黙の中響いた新君の…ズッ、という鼻を啜る音で我に返る。

しかし、それに反応したのは勿論僕だけではなかった。

打てば響く鉄のような速度で言葉を発したのはうちの母親である。


「もーー!!アンタこんな寒い中で新君待たせて!何様のつもり!?ごめんね新君~、約束も守れないうちの馬鹿息子が…。ほらボーっとしてないで早く謝りなさい!」

「ご、ごめんなさい…!!」

「……電話、したんだけど」

「え!?」


混乱の最中、母からの「約束」という言葉に内心首を傾げながらも、新君からの指摘に咄嗟にポケットに入っていたスマホを確認すると、ロック画面に不在着信3件という疑いようも無い文字が。


熱いという理由では説明できない汗が、ドッ、と自分の背中から溢れ出してくるのが分かった。


え??僕何かやらかしましたっけ???


「ぁっ、ごめ、…え、でも何で電話、」

「つべこべ言わずまずは『寒いだろうから中へどうぞ』一択でしょうがお馬鹿!」

「そうでしたーー!!是非中へ!!!」

「…お邪魔します」


僕は、ちっとも解決されない疑問で頭の中をぐるぐると回しながら、しかし初めて僕の家へ上がった新君を見て感動に浸るという何とも器用なことをやってのけたりしていた。






「「……」」


き、気まずい…!


僕は新君を自分の部屋に招き、正座をした状態で彼と向き合っていた。

先程は母が居たからかそこまで不機嫌な雰囲気を出していなかった新君だが、部屋の扉が閉まった瞬間、まるでこちらを射殺しそうな程の鋭い視線を僕へ向けて来た。

何か僕に用があったことだけはわかるけど、その用事の理由には皆目見当がつかない。

取り敢えず気分を害しているようだから謝ってみるが、新君はその僕の言動に更に不満を募らせたみたいだった。

「理由も分からないのに適当に謝るな」と一段強く睨みつけられた後、新君は深いため息を吐いて続ける。


「今日、映画は」

「え?…あ、映画今日行くことにしたんだ!もう見た?面白かった?」


急に始まった分かりやすい会話のとっかかりにすかさず飛びつくと、これ以上があるのかというくらい新君から盛大にガンをつけられて「はああああ??」と言いながら空気を吐き出された。

…怖い。


「…まだ見てない」

「そ、そうなんだ。へぇ…。


……??」


え??じゃあどういう事??「映画は」って何??

…あ!!もしかしてチケット無くしちゃったとか!?なーんだ!それで僕のを貰えないか連絡してきたってことね!でも素直に言い出せない、と。…フッ、可愛いな新君。


「チケットなら一枚余ってるから、好きに使ってもらって──、」

「……じゃなかったのかよ」

「え?」


得意げな表情でチケットを差し出したその時、新君の小さな声が被さる。

僕が反射的に聞き返すと、彼は一瞬グッと眉間に皺を寄せた後僕から視線を床に逸らして、言い難そうに硬く拳を握りしめた。


数秒の沈黙があって、新君はか細い声で告げる。



「……デート、…じゃ、なかったのか」





デート。




デート?




………、デート!!!???


──『日曜日、僕とデートに行きませんか!?』


サササッと脳裏に浮かんだのは、金曜日の朝に自分の口から発された言葉。


え、ぁ、え??待っ、え!?!?

ももももしかして、誘ったの断られて無かった!?

そんで新君は僕と一緒に映画に行ってくれようとして…、…僕はそれをすっぽかして新君を寒空の中1人で待たせてしまった、と。



何それ万死!!万死に値する!!今すぐ首吊ってくれない自分!?



「ご、ごごごめん!!今から準備して…、っ、えっと、もう遅い?幻滅した?行くのヤダ?」


自分の最低過ぎる行いを心底悔いながら、僕は涙目であわあわと新君の顔色を窺う。

しかし、遅刻どころか予定自体を認識してもおらずグースカと惰眠を貪っていたのだ。そんな相手に大切な休日の時間を使いたいと思えるわけも無い。


あああ…。せっかく新君と一生に一度デートできるチャンスだったのに…。


拒絶されることを確信して絶望感に身体を萎ませていた僕だが、

こんな時でもやはり新君は世界一優しく美しい人格者なのであった。


「…さっさとしろ」

「──っ、うん!!」


これは僕の願望からくる幻覚だろうけど、その言葉を発した新君は、ほんの一瞬だけどこかホッとした安堵の表情を浮かべていた気がした。






あの後、僕はすぐに身支度を整えてから新君と共に映画館デートを楽しんだ。

正直隣席に新君が座っているという事実だけで感動して映画の内容は殆ど頭に入ってこなかったし、そうなると当然その後の感想を言い合う会話も弾むわけはない…というか何を話したかもよく覚えていないんだけど…。

しかし紛れもなくあのデートは、僕の人生の幸福な出来事ランキングベスト3に堂々食い込むものだった。

はぁ…思い出すだけで後100年は生きれる…。


世の大半の人が憂鬱さを感じているであろう月曜日だというのに、僕はまるで花でも飛んでいるかのような幸せオーラを撒き散らしていた。

今朝は母に睨みを効かされたので新君宅の玄関を覗き見ることは出来なかったが、普段通りの時間に家を出ると、間を置かず新君も彼の自宅の玄関から姿を現す。


……もうここまで来たら、幸運を通り越して運命である。


ああ新君。僕たちきっと赤い糸で繋がってるから、結局どんな時間に家を出たって巡り会える運命なんだね!!


それだけでなく、なんと新君は自宅の前で一旦立ち止まり、僕が近づくとそれに合わせて歩みを進め出した。どうやらこの前と同じように隣を歩かせてくれるらしい。他の生徒と出会うまで限定だろうけど、それが当然のことのように振る舞ってくれる新君はまるで恋人…いや今新君は僕の恋人だった!!幸せ!!!


「昨日は色々ごめんね。でもありがとう!凄く楽しかった!」


僕はむふふ、と堪えきれないにやけ顔を新君に向けながら告げる。

余程見るに堪えない顔をしていたのか、一瞬チラッとこちらを見てすぐに目を逸らした新君から返事はなかったが、まあ当然といえば当然だ。好きでもない相手との映画鑑賞なんて、面倒以外の何物でもない。

しかしその面倒臭さを押してまでデートに付き合ってくれた新君、控えめに言って神かな??


朝日が後光のように新君を照らす様に思わず目を細めていると、ふと、僕の手が新君の指先に触れそうな程近くにあることに気付く。


直後、サッ、とその腕を肩がけ鞄の持ち手に添えて新君の腕から距離を取った僕の咄嗟の判断は流石と言わざるを得なかった。


あっっぶなーーー!

僕が新君を好きすぎたせいか、無意識に距離を詰めてしまっていたらしい。いくら幸福度MAXだからといって、接触禁止令を破るなんてのは言語道断。新君に嫌悪感を抱かせたら即終了だぞ僕!もっと気を引き締めろ!!


新君は自分の手を見て小さく「は?」と呟いていたけど、もしや僕の手がもう少しでそこに触れそうになっていたことがバレてしまったのか?

違うんだ新君!それは不可抗力で僕としては全く!これっぽっちも新君と手を繋ぐ意図はなくて!などという言い訳は、呆然と自身の手を見つめ続ける新君の前で結局最後まで言葉になることはなかった。





恋人がやることって何だ?


HR直前の清掃時間。新君と付き合える期間も半分を切ったため、僕はそこで今一度恋人としての新君との付き合い方について考えを巡らせていた。


登下校を(ほぼ)共にしたり休日にデートをしたり、というような定番の恋人イベントはありがたいことに済ませていただいている。

この他となると…、例えば2人でテスト範囲のわからないところを教え合う放課後勉強デート、とかが学生として一般的だろうか。

だけど今はテスト期間でも何でもないし、そんな時に敢えて「一緒に勉強しよう」なんて言ったら変に思われるかな?うーん…。


悩んでいるにしては緩み切った表情であれでもないこれでもないとデートプランを練っていると、突然クラスメイトから僕が一応所属している図書委員会についての話を振られる。

委員会などという存在を完全に忘れてしまっていたが、放課後の図書室で貸し出し・返却当番をする順番が丁度今日僕に回ってきていたらしい。

じゃあ今日は新君と下校デート出来ないのか!?なんてことだ!

ああ、せっかく新君の背中を合法で凝視できる機会が!!


妄想デートで頬を緩ませていた数十分前から一転、憂鬱にため息を吐いて迎えた放課後。

新君が帰るのを楽しみに待って結局最後まで教室に居座っていた数日前とは異なり、僕は誰よりも早く自分の教室を後にすることとなった。

因みに、偶然ではあるが、図書室へ向かうには僕のクラスの二つ隣である新君の教室の前を通過する必要がある。


…今日は帰りにじっくり新君の姿を見ることが出来ないから、せめて今少しだけでも目に焼き付けておこうかな。

新君の教室を通り過ぎる直前にふとそんな邪な好奇心が湧いて、既にHRは終了しているらしく多少騒がしさのあるそこを、僕は廊下側にある窓からこっそり覗き込むことにした。


一瞬だけ、一瞬だけだから…!


勿論新君を見つけるのには1秒だってかからない。一般人とは輝きが違うからね!

教室の中央付近で立っていた新君は、もう今にも帰宅しそうなスタイルで鼠入君含む数人の友達と親しそうに会話をしている。鼠入君はいつも通り部活なんだろうけど、今日はあの他の友達と一緒に帰るのかな?羨ま悔しさに唇を噛み締め、しかし今日の分の新君をしっかりと視覚で補充してある程度満足した僕は、別れを惜しみながらもちゃんと図書館へ足を向けようとして、


今にも立ち去るその瞬間、

バチリ、と誤魔化すのが難しい程はっきり新君と視線がぶつかった。


驚きと動揺で反射的に肩が跳ねるが、同時に頭の隅で「(前にも離れた場所で目が合う経験はあったけど、あの時はすぐに逸らされたから今回も多分そうなるな)」とやけに冷静な判断を下せたりもしていた。

しかし新君は、そんな僕の乏しい想定内に収まるような人間ではないのである。


てっきり気付かない振りをされるものだと油断していたら、まあびっくり。

新君は先程まで楽しく会話をしていた友人たちの「おい新!?」という制止を全て振り払って、物凄いスピードで僕の方へと近付いて来るではないか。

そして彼の鬼気迫るようなその表情は、間違いなく今から僕の身に起こる良くないことを予感させるもので。


ぜ、絶対隠れて覗き見てたことについて怒られるーー!!そういえば前に『勝手に見るな』とか言われてたんだったーー!!

…いや、怒ってくれるならまだいい。最悪心底気持ち悪がられて恋人期間即終了もあり得る!

ええ待ってよ嫌だよ!!まだ勉強デートしてないのに!!


「…ま、待たせ──」

「ごめん何でもないですさよなら!!」

「は!?」


僕は何かを喋ろうとした新君の言葉を遮り、最低だと分かっていながらも焦って現在地からの逃亡を選択する。しかしその行動は、僕なんかより抜群に反射神経が優秀な新君が僕の上着をわし掴んだことで即座に叶わぬ夢と変わってしまった。


動けない。お、終わった…。


「お前、ここに何しに来たんだよ」

「と、図書室に行くのに通りかかって!他意はないので!たまたま教室覗いたら新君が居たっていうだけで本当全然!全っ然新君を見ようとかそんなのこれっぽっちも思ってなかったから!!」

「これっぽっ……、……何で図書室?」

「えっと僕図書委員で、今日は貸出とかの当番だから…」

「……あっそ」


不思議と新君は覗き見について触れてこなかったが、最初に感じていた気迫というか怒気のようなものが話すうちに段々と弱まっていったので、誤解(誤解ではない)は解けたのだろう。

よかった。命拾いした…。

……しょんぼりと新君の元気が無くなっていったように見えたのは多分考え過ぎだよな?


「それじゃあまた明日…」


新君の邪魔になってはいけない、と僕はすぐさまこの場を立ち去るため、未だ背中を掴む新君へ別れを告げ言外に「離してほしい」と伝える。新君は数秒間、やや恨みのこもったような半眼で僕を見た後、その手から僕の制服を解放した。

しかし、そのまま教室に戻っていくだろうと思っていた新君は、予想外にも図書室へ向かう僕の後についてくるではないか。


もしかして、新君も図書室に用があったのかな?

…やっぱり運命!?!?


ポジティブ思考には余念が無い僕なのであった。





人が殆ど来ず、静まり返った放課後の図書室。

微かに聞こえる運動部員の掛け声と、部屋を暖める暖房のブォォという控えめな音だけをBGMにして、僕は出入り口付近のカウンターという図書委員の定位置に座っていた。

──その隣に、新君を添えて。



ナンデ??



わかる。僕もそう思う。っていうかきっと誰もがそう思う。

現に図書室に入って来る人の10割がカウンター席に居る麗しい新君の姿を何度見かする。当の新君はその有象無象からの視線に一切関心を向けること無く、たいへん堂々とした居住まいだが。

流石新君!痺れるぅ!


新君はこのカウンター席に座った直後から、ノートと教科書を広げて今日出された課題を黙々とこなしていた。僕もそれにつられて何となく課題のノートを机の上に出していたけど、動いたら肩が触れそうな位置に居る新君ばかりが気になってもうそれどころじゃない。


静かな場所で課題がやりたかったのかな?

もしくは僕の勉強デートやりたい欲を察してくれて!?


真剣に問題を解いている新君にドキドキしながら見惚れていると、流石にその視線がうるさかったのか彼はこちらを見て眉を寄せる。


「何」

「ぁ、いや、帰らないのかなって…」

「は?早く帰れってこと?」

「一生居て欲しいくらいです!」


新君の小声の圧が凄くてわけのわからないことを口走ってしまった。

ああ違います新君怒らないで。これは一生図書室に引きこもってろって意味じゃなくて、一生居て欲しいのは僕の隣ってことで、なんて言葉足らずな部分を補完したら更に気持ち悪がられそうなので、賢明な僕は黙っておく。

だって図書室だし!勉強デートだしね!新君の集中を削ぐのはよろしくないし!?


それから約一時間程新君と言葉を交わすことは無く、僕は偶に本を借りに来る生徒の相手をしながら、空き時間には新君のペンが紙を擦る音に聞き惚れて教科書の同じ場所を何度も何度も繰り返し目で追っていた。うーん新君の事ばっかり考えてるから一向に文字が頭に入ってこないな。

そんな呆けたことをしているものだから、新君が課題を全てやり終えた時にはまだ僕の課題ノートは真っ白なままで。

新君が頬杖をついて暇そうに僕の方を眺め出し始めた時には、緊張で僕の頭も自身のノートに負けないくらい真っ白になってしまっていた。


ひい!!全くペンが動いてないのを怪しまれてる!!


そんな時、


「──あれ、珍しいね大路君。勉強中?」

戸田(とだ)先輩!」


貸し出し用の本をこちらに差し出しながら笑うのは、この図書室の常連と言っても過言ではない3年の戸田先輩。元図書委員長でもある彼は根っからの本好きで、そこから培われた豊富な知識と落ち着いた優しい雰囲気が魅力の皆が尊敬する先輩だ。同じ図書委員だということで関わる機会も多く、僕自身先輩のその面倒見の良さに色々とお世話になっている。こうして図書室で貸し出し当番をする後輩に対して気軽に話しかけてくれるところもその一つだ。

大学受験の勉強が本格化して来てから図書室で姿を見かけることは少なくなっていたけど、基本先輩の息抜き方法は読書だ。受験日が迫るギリギリの時期にも関わらず今此処に来ているのは、日々の勉強の息抜きのためかもしれない。


貸し出しの手続きをしている最中、戸田先輩は僕の白紙のノートを見て首を傾げる。


「どこか分からないところがあるなら教えようか?」

「え!?いや、でも、先輩お忙しいんじゃ…」

「少しくらい大丈夫だよ。僕自身の復習にもなるしね」


僕の遠慮に、先輩からは嫌味の無い爽やかな笑みが返って来る。

相変わらず優しさも気遣いも満点の先輩である。見習いたい。


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘──、」


新君の前で頭の悪いことを認めるような行動をするのはちょっと情けないな、と照れくさく思いながらも僕は先輩の提案に頷こうとした。

──その瞬間、


カツン!


普段の教室で聞いたのであれば意識しないくらいの音量だったが、静寂さが続く図書室でその音は少し大きく響いた。思わずその音の発生源を見てしまうくらいには。


僕と先輩の視線の先。ペンを机の上に落としてしまったらしい新君は、立っている僕達を少し睨みつけるように見上げて告げる。


「…次、人が待ってますけど」

「!ホントだ、ごめんね?」


僕も気付いていなかったが、いつの間にか先輩の身体に隠れるような形で彼の後ろに小柄な女子生徒が並んでいたようだ。申し訳なさそうにする先輩にその女子生徒はブンブンと首を振っている。

それを横目に、僕は後ろに人が並んでいることを教えてくれた新君へお礼を言おうと彼の方を見て──、



「ここで先輩に聞くのは違うだろ」



恨めし気な鋭い視線と、こちらを咎めるような新君の言い方に、僕は自身の軽率な行いを恥じた。


そうだよな…。私語厳禁の図書室で、しかも図書委員が率先してあれこれ喋るのは良くないに決まっている。注意されなきゃ分からないなんて、俺って本当に周りが見えてないんだな…、反省。


女子生徒の本の処理を終えた後席に座りなおした僕は、今一度無言で教科書の問題を見つめる。元々新君が隣に居るから緊張して解けなかっただけで、僕はそんな成績悪いわけじゃないしちゃんと読み込めば問題なく………、……結構難しいなこれ。

一向にペンを動かさないので不真面目だと思われたのか、隣で僕の事をガン見する新君から多少イラついているような雰囲気を感じる。僕も新君にかっこいいとこ見せたいのにーー!


するとその時、丁度図書室の外へと出ようとしていた先輩と目が合った。

彼は一瞬片目を瞑ると、扉の外を指さした後、僕を手招くような動作をする。

何だろう。先輩もさっきの新君の発言を聞いていたから、僕の課題を見てくれるという口約束は流れたものと思っていたけど…。


──あ、そうか!図書室内じゃなかったら話していても誰にも迷惑かけない!流石先輩!頭良い!


「廊下でちょっとだけ先輩に教えてもらってくるね!」


俺は早速新君にしか聞こえない程度の囁き声でそう告げたのだが、新君から返ってきたのは中々に声量のある「何でだよ!?」という苛立ち混じりの言葉だった。

「まあ室外なら…」って感じの返答を期待していた手前、何故そんなことを言われたのか分からずポカンとする僕と対照に、僕達のやり取りを見ていた先輩がおかしそうに笑っているのが印象的だった。




結局新君はあれからずっと不機嫌で、奇跡的に帰りこそ一緒だったものの楽しい会話など出来るわけがなく。しかも、互いの自宅が近づいてきた去り際の僕の「さっきのは図書室の外で教えてもらおうとしてて…」という余計な弁明のせいで、「そこじゃない!!」と更に新君を憤慨させてしまった。そこじゃないなら新君の着火ポイントは一体どこだったんだろう…。

怒りのままに勢いよく自宅の扉を閉ざしてしまった新君に、僕は呆然と立ち尽くすことしか出来ない。


さよならも言えなかったな…。

でも今新君を訪ねても鬱陶しがられるだけだろうから、また明日熱が冷めた頃に改めて謝ろう。


不機嫌にしたいわけでも、勿論怒らせたいわけでもないのに何で毎回新君を不快にさせてしまうんだろうか。

自分の至らない点を再度思い返しながら、しょんぼりと重い足を自宅方向へ動かすと同時、新君宅の玄関扉が今度は勢いよく開かれる。


「追いかけて来いよ!!」

「おわぁっ!?ごめんっ!!」



新君を完全に理解するのは、僕にはまだまだ難しいことのようだ。





「──え?」

「だからお前、新のストーカー?」


秀真と昼食を食べていた最中、こちらの都合など関係ないというように急に教室に現れて僕を呼び出したのは、いつも新君の体にベタベタ触る羨まけしからん友人、鼠入宙太君だった。

僕の意思は特に尊重されないまま何とも強引に人気の無い階段へと連れられ、そこでの第一声が冒頭のセリフである。


直球すぎない??


見るからに疑われている…というか多分嫌われているらしい僕に向けられる視線は酷く冷たい。

新君にはあんなに人懐っこそうな笑顔だったのに。詐欺だ!新君に気に入られようとして猫被ってるんだな!卑怯者め!!

自分の事はものすごーーく棚に上げた状態で、僕も負けじと鼠入君を睨みつける。僕にとって鼠入君は間男のような存在なので、気持ちで負けないようにしなければ!という意思が働いたのだ。


「ストーカーじゃないです!恋人です!」

「形だけの、な!…あのさぁ、新は優しいから何も言わないだけで、朝も夕方も、挙げ句の果てには校内でも付き纏われて迷惑してんの。自分でも鬱陶しがられてんの分かるだろ?分かってなかったらヤバいけどさ」


強気に言い返しつつも、薄々感じていた事実を突きつけられ案外胸にグサリとくる。

鼠入君は黙り込む僕を見て心当たりがあるんだなということを察したのか、溜息を吐きながら「多分知らないと思うから言うけどさ…、」と続けた。


「新には、小さい頃からずっと一途に想い続けてる相手がいるんだよ。…明確に言葉にされた事はないし、何でか今は取っ替え引っ替え恋人作っちゃいるけど、伊達に友達やってるわけじゃないんだ。それくらい何となく分かる」

「──、」

「俺は、新のその想いの方を応援したいわけ。

だからさ、お前も新に惚れてんなら、新の幸せを邪魔しないでやってくんない?」


衝撃だった。


新君、好きな人居るんだ。

それも、ずっと前から。

僕も新君を見ている歴は結構長いけど、そんなこと全然知らなかった。


正直僕は思い上がっていたんだと思う。

新君が相手をしてくれるから、自分には価値があると思い込んでいた。勿論この恋人関係に期限があることは頭では理解出来ていたけど、もしかすると、確率は低いかもしれないけど、新君が僕の事を好きになってずっと恋人のままで居てくれる未来もあるんじゃないかと。無意識にそんな傲慢過ぎる勘違いすらしそうになっていたのだ。


『一途に想い続けている相手が居る』


その一言で、一気に目を覚まさせられた気がした。状況が僕と同じだったから、特にそう感じたのかもしれない。だって長年積み重なったその想いは、僕にとっては覆らないただ一つの現実だったから。


そっか。新君だって僕と同じように、誰かの事が好きなんだ。


…僕以外の、誰かの事が。



「……分かった」

「…案外聞き分けいいじゃん。

…辛いだろけど恋愛ってそういうもんだよ。お前悪い奴じゃなさそうだし、失恋の悩みぐらいは聞いてやるからさ」


鼠入君は先程とは一転、優しさが滲む頼りがいのありそうな表情で僕へ笑いかけ、すれ違い際慰めるように肩を叩いてから自分の教室へと去っていく。

一人その場に取り残された僕は、しばらくの間茫然と床を見続けていた。


新君に想われている顔も知らない誰かに対する嫉妬と、自分の10年ちょっとが全て無駄だったように感じる虚しさが、交互に僕の心臓を握り潰しに来る。

僕だって、ずっと前から新君のことが好きなのに。──と、そんなことを全く思わない筈がない。寧ろそればっかりだ。


だけど、想いが報われるかどうかがその期間の長さに比例するわけじゃないということは、僕のこの現状が一番良く証明出来ていた。





僕が新君を好きになったのは、まだお互いが小学生だった頃。

家は隣だったけど、どちらも人見知りだったこともあって今と同じように特別親しいわけでもなかった。

それでも他のクラスメイトより何となく親近感を抱けていたのは、僕達が二人共いじめられっ子だったことが原因だろう。

色々な遊びの仲間に入れて貰えず泣くことしか出来なかった僕とは対照的に、新君はいつも何も気にしていないみたいにクールで、僕は密かにそんな堂々とした彼の姿を格好良いと思って尊敬していたし、憧れてもいた。


だけど、忘れもしない小学2年生のある日。

人気のない下駄箱で出くわしたのは、ポツンと1人立ち尽くす新君だった。その背中がいつもとは異なり、余りに小さく萎れているように見えたから、僕は迷わず彼に声をかけたのだ。

僕に気付いて振り向いた新君は一瞬目を見開いた後、少し間を空けてからポロポロと涙を流し始めた。

その時僕は初めて新君が感情を動かす瞬間を目にした気がして。普段の凛とした大人っぽい姿からは想像も出来なかったその泣き顔に、酷く落ち着かない気持ちにさせられたことを覚えている。


話を聞くと、どうやら下駄箱から新君の靴が消えてしまっていたらしい。誰かに隠されたのだ。校内や校庭を一緒に色々探し回ったけど、結局その日は新君の靴を見つけることは出来ず、帰り道も同じということで最終的に僕が裸足の新君をおぶって帰った。

多分僕と新君の体型は同じぐらいで、当時小学2年生の子供には物凄くキツイ事だったと思うのだけど、何故だかその時の僕はこんな肉体に最大限負荷をかけるような選択肢しか思い浮かばなかった。それに、背に乗っているのはあの憧れの新君だし、わっせわっせと一生懸命運んでいると近所のおじいちゃんおばあちゃん達が道すがら「すごいねえ」と持ち上げてくれるせいで、これは自分にしか出来ない特別な使命なんだと勝手に盛り上がって頑張れていた。不思議と疲れなかったような気がするし。気持ちって案外大事だ。

何とか新君を元気づけようと色々声をかけた気もするけど、下校中何を話したとかは正直ほとんど覚えてない。「新君いつも格好良いよね」とか「僕もそんな風な男になりたい」とかそんなことを興奮混じりに話していた記憶だけはあるけど。…あれ、これ励ましてないよね?


まあそんな流れで二人して漸く家に帰り着いた時にはもう外は随分暗くなっていて。僕達の両親が「心配したんだよ!」と駆け寄る中、新君は恥ずかしそうに俯いて「ありがとう」と、凄く小さな声でお礼を言ってくれた。


…すっごく、嬉しかったんだよなあ、それが。

元々尊敬してた人からの言葉だっていうのもあると思うけど、多分僕自身、努力して何かをやり遂げて、その結果誰かに感謝を伝えられるなんて経験が無かったから。初めてのそれが特別に思えて仕方無かったんだ。それに、いつもクールな新君が僕だけに弱みを見せてくれたっていう、変な優越感もその嬉しさを倍増させた一因ではあると思う。


それから新君は、僕の中で他の人とは明確に違う『特別』になった。


新君のもっと色んな表情が見たくて、気付いたら目で追いかけるようになっていて、それがいつの間にか恋愛感情として僕の中に根付いたのはそんなに不思議なことじゃなかった。


多分新君はあの下駄箱で誰が来たんだとしても同じだったんだろうけど、…我ながら単純だ。

因みに新君の靴は翌日の朝、放課後に探さなかった校庭の倉庫のような場所に乱雑に放られていたのを見つけて、僕はそれを出来る限り綺麗にしてから新君に渡した。

当たり前だけど、その時新君は既にピカピカの新しい靴で学校に来ていて、僕が探して差し出した元の靴はその後新君に履かれることは無かった、と思う。もう処分しようと思っていたのかもしれないし、僕の知らない場所で履いていたかもしれない。単純に嫌な記憶の残るその靴をもう見たくなかったって可能性もある。


それが僕の長い初恋の始まりなわけだけど、新君ももうこの頃からただ一人を想い続けていたんだろうか。





悶々とした感情を胸に午後の授業をこなし、瞬く間にやってきた放課後。

新君は毎度の如く、僕の教室前で誰かを待っている。


流石に今日は一緒に帰らない方がいいかな…。


鼠入君から言われたことを思い出しながら、今回はいつものような尾行は辞めておこう、と珍しくまともな感性で早々に帰宅準備を終えた僕は、クラスの人達の帰宅ラッシュに合わせて教室を出ようとして、


「今日は早いな」

「!!ぁ、う、うん!」


横を通り抜ける直前、帰りの挨拶をしようかしまいかを迷って心臓を喧しくしていた小心者の僕に、新君の方から声がかかる。

新君はスマホを見て俯いていたから、当然僕の存在など気付かれるわけが無いと思っていた。気を遣ってくれたんだろうか。優しい。好き。


「新君も気を付けて帰ってね。じゃあ、」

「…またそれかよ」


僕の挨拶を聞いた新君は、気に入らないといった感じに眉を吊り上げる。


あ、またイラつかせるようなこと言っちゃったかも。


失敗した、と僕が唇を引き結ぶと同時、新君は告げる。


「──それ言うの、家の前でだろ」


言葉の意味を正確に理解するのに、しばらく時間を要す。その間、唇を引き結んだはずの紐はどこへやら、僕はポカンとコイのように口を開いて放心したまま新君を見つめていた。

そんな一向に反応のない僕に呆れたのか、新君はすぐに顔を逸らしてさっさと一人で昇降口の方へと進んで行く。


あれ、もう誰かを待たなくていいのかな。


頭の隅でそんなことを考えた瞬間、目線の先に居た新君が振り返り確実に僕へ向けて言った。目も合ってたし、後ろも確認したけどほぼ壁だったから正真正銘僕への言葉で間違いない、筈…。



「早くしろ!」



駄目だよ新君。


そんなの、勘違いされても仕方ないって。



「……もしかして、僕を待っててくれたの?」

「はあ?」

「あ、冗談でっっ──」


「…んなことも分かんねーのかよ。鈍感」



ドッと、勢い良く血が巡り、体温が一気に上がったのが自分でも分かった。

拗ねたようにこちらを睨む彼の表情から目が離せない。


嘘だろ。

嘘だろ新君。


僕と一緒に下校するために、付き合った次の日からずっとわざわざ別のクラスの教室まで来て、尾行するとかいう邪な目的で30分以上も帰ろうとしなかった僕を静かに待ってたっていうのか?あの新君が?


沸騰しそうな程の顔の熱が引いてくれない。それどころか時間を増す度にどんどん状態が悪化している気もする。

だけど新君を待たせるわけにもいかなくて、僕は動揺にもつれる足を何とか動かして彼の背中を追いかけた。






新君と並んで帰路を進む。

知らない内に新君との距離が近づき、偶に手がぶつかりそうになるのが申し訳なかったから鞄を両手で持つと、何が気になったのか新君に手元を親の仇のようにガン見された。

…今日もあまり機嫌は良くなさそうである。

でも速く歩いて先に行かれるわけでもないし、あくまで一緒に帰ってくれるつもりみたいだ。


それは今の僕が、新君の恋人だから?


ふと思い浮かんだのは、新君は何で誰の告白も受け入れる(こんな事をする)んだろうという根本的な疑問。


『新にはさ、小さい頃からずっと一途に想い続けてる相手がいるんだよ』


記憶に残る鼠入君の声に拳を握りながら、しかしそれに背中を押される感覚で、僕は新君へ率直に問いかける。


「何で新君は、12日までの期間限定で何人も恋人を作るの?」


新君は一瞬虚を突かれたように目を丸くした後、少し回答に迷うような仕草をして、

だけど最後には、しっかりと僕の目を見返して言った。


「──経験豊富な大人っぽい奴が良いって言われたから」


まるで自分に言われたようなそれに思わずドキッとしてしまうが、すぐに我に返って胸が痛む。


「…それって、好きな人からの言葉?」

「ちっっ……、……、」


多分一度否定しかけた新君だったが、じわじわと頬を赤くして気まずそうに黙ったかと思うと、その後で気付かないくらい微かに頷いた。



新君が好みに合わせようと思うなんて、そんなのベタ惚れじゃん。

勝ち目どころか、ちょっとの隙間すらない。


そっか。…そっかぁ。



新君の頷きを繰り返し頭で再生していたら、いつの間にか家の前に到着してしまっていたらしい。我に返り、自宅の庭へ入っていく新君に向かって慌てて別れの挨拶を言うと、彼は玄関扉を開く直前、軽く僕を振り向いた。


「お前、昼飯いつも何」

「えっ?べ、弁当だけど」

「じゃ、明日弁当持って3階の東階段に来い」


バタン

台詞を言い終えたと同時に扉が閉まって新君も見えなくなる。3階の東階段は、丁度今日鼠入君に連れられた昼休みは人気がほぼ皆無の場所のことだ。


…えっと、弁当が欲しいってことかな?

喜んでっっ!!


女々しいけど、こんなことで泣けるくらい嬉しくなる。求められている気がして安心できてしまう。


本当は今日、別れようと言えればよかった。こんな幸せが長く続いて、後で辛いのは自分なのに。

でも出来なかった。

だって、僕だってずっと前から新君のことが好きなんだよ。そんなすぐに諦められるわけがない。

告白して、新君にその気が無かったんだとしても、好きな人のためだったとしても、期間限定の恋人になれたんだ。その関係を最後まで続けることが新君のためにならないって理屈はわかるけど、僕はそんなお利口になれないよ。


どうせ叶わないなら、あと2日。

12日までは夢を見させてくれてもいいじゃないか。





11日。

早起きして母に教わりながら詰めた弁当を持ち、昼休みが始まったすぐに指定された場所へ向かう。

昨日と同じく人気はないけど、皆がそれを知っているからここを昼食場所にする人も少なからず居るんじゃないだろうか。

そんなことを考えながら、僕は事前に用意していた『新君へ 弁当です。 大路真白』と簡潔に書かれたメモ用紙を弁当の下に挟み、見えやすい場所に置いた。


よし。これで一緒に居るのを誰にも見られずに弁当を受け取ってもらえるだろう。これなら新君の迷惑にもならないはずだ!美味しく食べてもらえますように!


そしてその後まっすぐ教室へ戻った僕は、若干周囲に後れを取りながらも自分の分の弁当を食べようと手を合わせて、


しかしそれは突然教室に現れた新君によって阻まれる。


「ちょっと来い」


教室に居るクラスメイト全員に注目される中躊躇なく室内に足を踏み入れた新君は、ややドスの聞いた低音を響かせつつ僕の腕を掴んで引っ張った。その表情は、もうここ数日で見慣れてしまった不機嫌顔である。最近はもうこれがデフォルトになりつつあるんだよね。


何だろう、弁当の量が少なかったとか!?


「……人気者だな」


連日昼休みに呼び出される僕を近くに居た秀真が顔を引き攣らせながら揶揄するが、当然僕がそれに反応する余裕はない。


そんな時、強引に教室から引っ張り出されながら、僕の腕を掴んだ方とは別の新君のもう一方の手に先程階段に置いてきた弁当が持たれているのを発見した。


「弁当足りなかった!?」

「はあ?そうじゃ、……お前自分の弁当は?」

「え、教室だけど」

「~~、早く持って来い!!」

「う、うん!ごめん!!」


やっぱり足りなかったんだ!流石新君!成長期万歳!今よりもっと背が伸びるんだね!


秀真に目線だけで追われつつ、まだ口を付けていない弁当を回収してすぐ近くで待ってくれている新君の元へと急ぐ。それをそのまま渡そうとするが、どうやら例の階段に行くまでは受け取ってくれないらしい。


教室で僕の腕を引っ張る方が目立ってたと思うんだけど…、弁当を受け取るのはもっと人に見られたくないってことなのかな?


新君に触れられた腕を何となくさすりながら、僕はそんな勝手な解釈をして新君の背中を追いかけた。






「何のつもりだよ」

「ごめん、足りると思い込んじゃって!これ、まだ口つけてないから!」

「いやそうじゃないだろ!!」

「そうじゃないの!?」


3階の東階段に到着した直後、僕は自身の弁当を差し出すが、それはどうも見当違いなことだったらしい。

新君は噛み合わない会話で更に眉間に皺を寄せたかと思うと、ややあって疲れたように肩を落とした。


「…昼飯って言ったよな」

「うん、それ一応弁当。食べたかったん、だよ、ね?」

「俺の分までお前のおばさんに作れなんて頼むわけねえだろ……」

「あ、いや、僕が作ったんだけど」

「は、」


予想外だったようで、ギョッと目を丸くして驚く新君に、僕もぎこちない笑みを返す。


「…お前が作ったの?」

「うん、母さんに教わって。…美味しくなかったらごめん」

「……」


一拍置いた後、はあああと深いため息を吐きながら、風船の空気が萎むような感じで階段の中段くらいに腰かけた新君。もしや手作り弁当に嫌悪感を抱かせてしまっただろうか、と少し不安になったが、そのまま弁当の包みを取ろうとしている所から見るに食べてはくれるみたいだ。

ほっと安堵の息を吐いて、それと同時手持ち無沙汰になった僕はそろそろ教室に戻ろうかと思っていたのだが…。


「じゃ、じゃあ僕は、」

「す〜わ〜れ〜ば〜〜!?」

「あ、はい」


新君の圧に丸め込まれてしまった。


いや僕は嬉しいんだけどさ!!だってこれ昼食デートじゃん!?いいんですかこんなの!!終盤限定のサービスですか!!ありがとうございます!!


新君が座る段より一段下に腰かけた僕は、「いただきます」と小さく挨拶をする礼儀正しい新君にキュンとさせられつつ、その弁当が彼の口に含まれる瞬間を固唾を飲んで見守る。

一口目、二口目、三口目…。黙々と食べてくれる新君に、耐え切れず問いかけた。


「ど、どうかな?美味しい?」

「……フツー」

「普通かあ…」


…まあでも、初めてにしては上出来なのでは!?こんな事ならもっと練習しておけばよかったと思わないでもないけど!!


新君に弁当を食べて貰えた嬉しさと、評価のシビアさによる物悲しさが混じった微妙な表情のまま、僕も弁当食べよ…と自分用のそれを開く。


「茶色っ…」

「わっ!待って!み、見ないで!」


上段から少し覗き込むようにして僕の弁当を見た新君からの感想に、一気に羞恥心が湧く。

さっきはこれを新君に渡そうとしていたけど、よくよく考えたら僕の弁当は大半が焦げたり味が濃過ぎたりする失敗作だけで出来ていたんだった。

恥ずかしいので新君からはあまり見えないよう蓋でガードしながら、早く証拠隠滅させようと箸を伸ばして、


「なあ、卵焼き頂戴。これと交換」

「へ?」


元々弁当だけでは足りないと思っていたのか、よく見ると新君は大量のパンを持ってきていたようだ。その内の一つ、『ハム卵パン』と大きく印字されたおかずパンを僕に渡して、その対価に若干茶色がかった卵焼きを横から攫っていく。質量が違い過ぎるけど、新君がそれを気にした様子はない。流石新君、なんて気前の良い男なんだ。


「卵焼き好きなの?」

「別に普通」

「そっか。…唐揚げもいる?」

「いる」


唯一失敗していないと言える冷凍食品の唐揚げを渡すと、新君からはカレーパンが返ってくる。それでもまだ新君の手元にはパンが余っているようだった。どんだけ食べるつもりだったんだろ。


2人だけのこの空間が終わるのが嫌で、僕は自分の弁当をすぐに食べ切ってしまわないようにわざとゆっくり時間をかけて食べていた。ここ一年で凄い良く噛んだ食事だったと思う。

新君は比較的すぐに弁当を綺麗に完食してくれて、その後はすぐに戻ってしまうのかと思っていたけど違うらしく、暇そうにしながらもその場で僕が食事を完食するのを待ってくれていた。…それを受けて俺の食事スピードが更に落ちたのは言うまでも無い。


しかし元々1時間足らずの昼休み、過ぎるのも瞬きの間だ。雑談途中、スマホで時間を確認した新君に僕はこの時間の終わりを察する。案の定「戻るか」と立ち上がった新君に従って、僕も自分の体温で温まっていたそこから惜しみつつ腰を浮かせた。


あ、弁当箱回収しないと。


新君の持つ空の弁当箱が目に入って咄嗟にそんな現実的なことを考える。しかし僕が声を掛けようとした瞬間、新君は何か言いたげに口元をまごつかせていて。僕はそんな新君の言葉を一言一句聞き逃ずまいと、黙って少し待ってみる。


すると、


「…なあ、明日は…、」


「──新?」


魅惑の低音ボイスの途中で、不躾に割り込む第三者の声。

……こう何度も会話に乱入されていては、たとえ声を聞かなくたってその人の正体が分かる。


「昼居ないと思ったら何だってこんなところに…、」

「宙太!…別に何でもねーよ!」


はい。毎度お馴染み鼠入宙太君です。こう言っちゃ悪いけど、本当に鼠みたいにどこでも現れる人だな…。


基本僕と一緒に居るところを誰かに見られたくない新君は、第三者である鼠入君が来たからか急いでこの場を離れようとする。そして彼が動くと同時、その輝きの陰で霞んでいた僕の存在に漸く気付いたらしい鼠入君が、その瞬間グッと眉を顰めた。


「またお前?俺が言った事忘れたのかよ」

「…、えと、」


「? 何で宙太がコイツと関わりあんの」


昨日鼠入君の要望に頷いた手前、「12日になるまでは僕の好きにやろうと思います」なんて傲慢極まりない台詞をド正直に告げられるはずもなく、言い淀む僕。当然そこで不思議がるのは新君である。そりゃそうだ。今まで接点もなかった自分の友達と僕に何の関係があるのか疑問に思わない方が難しい。


新君からのその問いかけに、鼠入君は腕を組み強気の姿勢で答えた。


「俺昨日コイツに、『新には好きな人が居る』って言ったんだ」

「………、っはあ!?!?」

「俺だって新の恋を応援したいって思ってるんだよ。協力させてくれ!」

「なっ、いや、ふざけっ、…っ、だからって何でまし、…こ、こいつに直接っ、」


よほど僕に知られたくない情報だったらしい。

新君は珍しく慌てた様子で赤い顔と青い顔を行き来しながら、僕と鼠入君の顔を交互に見ていた。


僕が傷つかないか心配してくれてるのかな?

まあそれを聞いてショックな事には変わりないけど、秀真から期間限定の恋人って話は事前に説明されていたし、その関係に新君の気持ちがないってこともわかっていた上での情報だったから、傷は浅い方だったと思う。多分。

というか、「好きな人から〜」って話は昨日僕からもしたと思うんだけどな?その時はこんなに狼狽えて無かったのに、一晩でどんな心境の変化があったんだ新君。


「だから、新も律儀に義理立ててコイツと飯食べてやる必要ないんだって!

脈ないやつに勘違いさせるのもどうかと思うぞ、俺は」

「べ、別に俺がどうしても一緒に飯食いたかったわけじゃ………は?何?」

「!…それ、もしかして同じ弁当か?……大路、だっけ?…こういうのさあ、正直重いし、新へのプレッシャーにしかならないって考えられなかったわけ?」

「……おい、宙太お前何か勘違い、」


「ごめん!僕戻るね!!」


確実に敵意の対象が自分になったと自覚した瞬間、僕は新君が持つ空の弁当箱を素早く掠め取って一目散に自分の教室へと駆け出した。


鼠入君の言いたいこともわかってる。

わかってるけど、あと1日!あと1日だけだから許して下さいーーー!!




因みにその日の放課後、新君が僕の教室に来ることは無かったので逆にこっそり新君の教室まで出向いて中を覗いたのだが、丁度その時は鼠入君と真剣な語らいをしている最中だったらしく、到底一緒に帰ろうなどと割って入っていける雰囲気ではなかった。

いやそもそも鼠入君の前でそんな事言ったら全力で阻止されるだろうけど。


そんなわけで、帰りは勿論1人でした。





肌を突き刺すような寒さの中、羽毛布団の隙間から手を伸ばして爆音と共に震えるスマホを引き寄せる。画面に表示されているのはアラームの停止ボタンと今日の日付だ。


12月12日。僕が新君の恋人でいられる最後の日である。



自宅の玄関を出ると、そんなに間を置かず新君も姿を現す。時間を示し合わせたわけでもないのに、運命の赤い糸は絶好調らしい。…それも今日で最後かと思うと、寂しさを助長させる要素にしかなり得ないけど。


「…昨日の、宙太の話だけど、」

「新君」


挨拶の後、浮かない顔をする新君から真っ先に鼠入君の名前が出て来たので、失礼だとは思いながらも僕は咄嗟にそれを遮った。


新君の目を見て懇願するように告げる。


「これは僕のわがままだけど、

──今日一日は僕の事だけを考えて欲しいんだ」


……あれ?「嫉妬しちゃうから鼠入君の名前は出さないで欲しい」っていうのを新君の負担にならないようマイルドに伝えようと思ってただけなんだけど、もしかしてちょっと言い方間違えた? なんか今すごい傲慢なこと言わなかった僕?

発言直後少し不安になりはしたが、新君が驚きつつも「……わかっ、た」と了承してくれたので良しとする。

心の狭い人間でごめんね新君…。


その日は新君の分の弁当を作ったりはしていなかったんだけどまたも新君は僕をお昼に誘ってくれて、例の階段で一緒に食事を摂ることが出来た。多分最後のボーナスタイムみたいな感じなんだと思う。

僕が鼠入君の話題を制限してしまったからか新君の口数は少なかったけど、何だかいつにも増して態度や行動が優しかった。例えば今日見た夢の話だったり、秀真に言ったら「反応に困るから話すな」と最初から切り捨てられてしまうようなくだらない僕の話を静かに聞いて頷いてくれるところなんか、慈愛が溢れすぎてて聖母か何かに見えたよ!!

告白する前からは想像すらしていなかった穏やかな二人の空間が嬉しくて、お腹が満たされて心なしか柔らかい表情の新君に視線を向けて貰えることはもっと嬉しくて、ついつい僕が話しすぎてしまった。

体感時間数分で、気付いた時には終了してしまっていた二人きりでの昼休み。この時間が永遠に続けばいいのに、なんて、今日以上に思える日が来るのか本気でわからないや。



特別な日だというのに、待ち遠しくも憎い放課後はいつもと変わらない調子でひょっこり訪れる。新君は今日も教室まで来てくれて、ありがたいことに一緒に帰ってもらうことも出来ていた。最後の思い出に放課後どこか出かけたり…なんて思わないわけでもなかったが、新君の負担になりたくなかったのと、僕自身もう充分新君の時間を貰っていた気でいたからこれ以上を求めるつもりは無かった。

だからこのまま家に帰れば、正真正銘そこで新君との関係は終わる。最後って言ってもこんなもんだ。映画やドラマの終盤で見るような大きなどんでん返しが起こるわけでもなく、降った雪がやがて全て溶けるみたいに、当たり前に、穏やかに、僕は元の生活に戻るのだろう。寂しいし、自分の想いが報われなくて悔しい気持ちもあるけどそれが現実で、むしろ僕に合っているとすら思う。

うん。最高の思い出になった!!





──さて、校門を抜けてから今までの帰路の途中、僕は一体いつ振られるんだろうかと緊張感で常時ビクビクだったわけだが、

…一向に新君からそれらしい言葉が出て来る様子が無く、流石に緊張疲れを起こしてしまいそうだ。


…も、もうすぐで家に着いちゃうんだけど、家の前で「じゃ、今日で終わり」って感じで解散するのかな?か、軽い。いや、重苦しい感じを求めてるわけでもないんだけど!

こう、一応12日っていう期限がある種の記念日的な……、ん…?──…12日?


そこで僕は、毎月恒例の母からの要望(という名の使いパシリ指令)を思い出す。

実は僕の母は新君の母親の元で週に2回程手芸を習っているのだが、12日はその月会費を支払う日だ。お金が絡むことなのだから当人同士でやり取りするのが普通だと思うが、どういうわけかある時を境にそれは息子である僕と新君の義務のようになってしまっていた。

つまり毎月12日の夕方、僕は自分の母の習い事の月会費を、その先生役の新君の母親…ではなく、息子である新君へと渡す。そんなひと手間もふた手間もかかる変な関係が随分前から出来上がってしまっていたのである。

普段話していないのだから当然そこでも会話などはなく、「母がお世話になってますと伝えてください」「はい」終了。こんなのが約数年続いているのはもう狂気だろう。でも僕は新君が大大大好きだったから、毎回ウキウキで新君家まで出向いてたんだけどね。


そんな訳で脱線した話を戻すと…、


もしかして新君、この後僕が新君の家に母親の月会費を渡しに行くからって別れを切り出すのを遠慮してるんじゃない!?別れた直後にまた会うことになったら僕が気まずい思いをするからって配慮してくれてるんじゃない!?というわけである。

なんて出来た人間なんだ新君っっ!!僕ってやつはここ数日新君と親密(?)に話せていたからって、あれだけいつも期待していた12日の薄いやり取りが霞みに霞んで挙句の果てに忘れかけてたくらいなのに!!



新君にそんな気遣いをさせてしまうなんて情けない…!ここは僕が率先して切り出すべきだ!


「新君!!」

「!?」


もうあと数歩で新君の家に差し掛かるというところで、僕は決意を固めて新君の名を呼ぶ。

新君は隣で急に大声を出されて驚いたのか、一瞬ビクリと大きく肩を揺らしてから丸い目のままこちらを凝視した。

びっくりさせてごめんね!


「今日まで付き合ってくれてありがとう!

毎日新君と話せて、恋人としてデートもできて、僕、今までの人生1楽しかったし、嬉しかった!」

「…は?」

「沢山迷惑かけてごめん!不機嫌にさせちゃってごめん!それでも僕を今日まで見限らないでくれて本当にありがとう!」


短くて、でも一生忘れられないくらい濃かった数日間を思い返しながら、僕は新君に精一杯の感謝を伝える。

本来あり得なかった新君との恋人関係、それが叶ったのは、そして12日まで続けられたのは全て新君の許容があったからだ。好きな人の好みに近付きたい、ただそれだけの一途な目的のために、新君が僕の一方的な想いを受け入れてくれて許してくれたからこの今がある。


でもこれからは、その新君の優しさと努力はちゃんと新君の想い人に向けてあげて欲しい。

相手が僕じゃないのは悔しいけどさ、僕は新君に報われて欲しいんだよ。

大好きな人には、世界中の誰よりも幸せになって欲しいんだよ。


あの日、下駄箱で泣く新君を見て、その涙を晴らすことが出来るならどんなことだってしたいと、どんなことだって出来ると思ったあの日から、その気持ちは1ミリだって変わっていないのだ。



「じゃあね、新君」



悲壮感を感じさせないように、僕はちょっとだけ強がった笑みを向ける。

ちっぽけなプライドだと言ってくれるな。だってもしここで僕が心のまま泣き喚いたらどうなると思う?近所に僕の奇行が知れ渡って一家村八分になりかねんぞ??

堰を切りそうな心の汗、もとい涙を留めておくのに全力を注ぐ僕。正直早く自室のベッドに飛び込んで心のまま泣き叫びたかったのだが、新君を見送るまでそれは出来ないと一丁前に見栄を張って耐えていた。


……しかし、なかなか家の中に入ってくれないな新君。というか固まってる…?


『突然意味不明なことを言われて理解が追いつかず呆然とする人間』を体現したような反応をする新君に首をかしげていると、彼はしばらく後に大切な事を確認するみたいにゆっくり呟いた。



「お前もしかして、…今、俺のことフった?」


「え?う、うん?いやフったっていうか…、12日で終わり、だよね?」



両者の間にテンテンテン、と沈黙が走る。



「は!?フるなよ!!」

「!?」


ビクゥ!!

先程とは逆に、今度は僕が新君からの大声に驚かされてしまった。


や、やば…、もしかしてプライド傷つけた?


新君の中でもう既に、何かしら僕をフる流れのようなものを決めていたのかもしれない。そして僕がその計画を知らずにフライングしちゃったからブチンと来ちゃった感じ??

様々な想像を頭の中に巡らせて焦りながら新君に視線を向けると、なんと彼の瞳には薄っすら水の膜が張っていた。


ギシリ、思わず自分の身体が強張る音がする。


え、な、泣い、て……?


「真白が!!言ったんだろ…っ、経験豊富な男がいいって!!だから俺は…、っ!

12日に終わらせるのも、だってその日はお前に会うからっ、集中しねえとだからで…、」


……えっと、…えっと?


新君が色々と言ってくれているが、僕は情報が処理できずにポカンとアホ面を晒すばかりである。


経験豊富な?言ったっけ?いつ?あと12日に集中って何??

というかもしかしなくても今名前呼ばれたな??『真白』だって!!覚えられてた!!やった嬉しい!!喜んでる場合じゃないけど!!


外見は呆けたアホ面、脳内は盛大に脱線して大事故。そんな反応の薄いポンコツな僕を、新君は潤んだ目でギッと睨みつけて続ける。


「告白してきたのはそっちだろ!?俺の事が好きなんじゃないのかよ!!」

「すっ、好きですけれどもっ!」

「っ……!!」


反射的に返した言葉に、咄嗟に息を詰めた新君の頬がカッと上気した。その急激な変化に「あわや窒息か!?」と本気で心配して慌て出した僕を、新君は鬱陶しがるような、または苛立ったような表情で眺めて、その後「じゃあ何で…、」と一気に力なく肩を落とす。


しかし数秒も経たない内に、しょぼくれていた新君は突如何かに気づいたようにハッとして、


「まさかあの優男先輩に乗り換えるつもりじゃないよな!?」

「優男…あ、戸田先輩!?何故!?」


勿論、違う違う!!と即座に首を振って否定するが、どうやら僕は一瞬で新君の眼中から排除されてしまったようで、一向にその思い込みを正してくれる様子がない。


聞いて!?




「~~っ、こっちはな!!小学生の頃からお前の事が好きなんだよ!!

高校で初めて会ったような、ちょっと頭が良くて優しくて年上なだけの先輩とは年季がちげーの!!


真白に探してもらった靴は今も大切に仕舞ってあるし、好きな食べ物とか、趣味とか、何を大事にしてるかとか、好きな教科も、気に入ってる場所も、全部全部ずっと見てたから知ってる!!

……知ってて…確かに何も出来てないけど…!」



──あれ??これ僕まだ夢の途中??



「ちゃんと真白に笑ってもらえるように頑張るから!

だから…、っ、だから別れるとか言うな!!


あと手繋ごうとするの避けんなーー!!」



気持ちが高まったせいか、途中からポロポロと涙を流し出した新君は、そのまま感情を剥き出しにして叫ぶ。まるで子供の癇癪のようなそれを酷く愛おしいと思うのは、惚れた弱みなのだろうか?



どうしよう。


手先は冷たいのに、代わりにそこの熱が全て集まったかのような顔面が燃えるように熱かった。僕は、胸からせり上がってくる何かが邪魔をして上手く呼吸が出来ず、ひとまずハクリと白い息だけを吐き出す。



こんな、僕に、僕だけに都合が良い事があって良いのか?



絶賛混乱状態で、頭だって真っ白だ。

だから多分、かける言葉も、やるべきことも他にいくらだって最適なものがあったんだろうと思う。


でもそんなことを考える前に、僕は真っ先に新君の涙を止めるために駆け寄っていた。




だって、僕が本当に見たいのは君の泣き顔じゃなくて──、




ヒロイン(攻め)視点は脳内補完をお願いします。

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