真似事のカンガルー
俺はもう六歳になった。カンガルーならもうだいぶ大人である。俺は一歳になるまで、ヒトの手で育てられた。とても優しいその雌のニンゲンはエイミーという。俺は物覚えが悪く、なんでもすぐに忘れてしまう。しかし、エイミーの名前は忘れない。
エイミーは俺の母親の代わりをしてくれた。エイミーが教えてくれたが、俺はとても小さい頃に茂みの中でうずくまる所を保護されたらしい。おそらく母親がジャンプした拍子に、外に投げ出されたのであろう。エイミーはそう教えてくれた。
俺は六歳になったからとても大人だ。もう十分一人で生きていける。しかし、たまにエイミーに会いにこの家に遊びに来る。だが、エイミーに会ってはいけない。遠くから見るだけだ。母親に会えないのはとてもツラく悲しい。
ニンゲンに見つかってしまうと、カンガルーは殺されてしまうことがある。昔、エイミーが申し訳なさそうに教えてくれた。ニンゲンはカンガルーを食べるのだ。だから俺はエイミーを除いて、すべてのニンゲンが嫌いだ。あんな野蛮な生き物は他にいない。
そう思いながら、一人で草原を跳ねていると、遠くの方にカンガルーの群れが見えた。七頭ほどからなるやや大きめの群れだ。よし。頭で考えるより先に脚が動いていた。いや、元々頭で考えることはあまりしないが。その群れにはおそらく、若い雌のカンガルーもいるだろう。
以前までは、俺も雌のカンガルーを三頭引き連れていたが、どこからともなく現れたムキムキの若いカンガルーにボコボコにされてしまった。六歳である俺は、若干の初老である。ともかく群れを追い出された俺は一人でトボトボするしかなかった。ムキムキにボコボコでトボトボなのだ。しかし、今こうして新たな群れを見つけた。そして、あの雄カンガルーを倒して、俺がボスになるんだ。
その群れが大きくなるにつれ、メンバーの子細がわかってきた。雄と三頭の雌はヨボヨボである。残りの三頭は若く、おそらくこのヨボヨボカンガルーの子供達であろう。思った通り、簡単にこの若いカンガルー達をいただけそうだ。この辺だと七頭程度の群れはヨボヨボが率いていることが多い。
俺が近づくにつれて、そのヨボヨボの雄カンガルーもこちらに気付いた。そして、全てが分かったように、ダラダラと戦闘の構えに入った。両拳をそっと前に出して、すぐに殴れる格好になる。そういえば、ヒトもボクシングというカンガルーの真似事をするらしい。カンガルーはヒトの間では人気なのだ。
ヒトは正々堂々と拳だけで殴り合う。エイミーがそう教えてくれた。しかし、俺はヒトではない。ヒトの真似事なんかはしない。そのヨボヨボと正々堂々殴り合うつもりは勿論ない。両拳を突き出したそのヨボヨボのカンガルーに俺は、有無を言わせない飛び蹴りを喰らわせた。
ヨボヨボのカンガルーはゴロゴロと半砂漠の荒地を転がった。よく見るとそのカンガルーは、まるで枝の様に乾いていて、油気も水気もどこかへ行ってしまったようだった。ああ、かわいそうな事をしたかなと思ったが、カンガルーとはそういうものだ。むしろ、老いで死ねるとはラッキーなカンガルーだ。
「おれがこの娘らをもらってくぜ。」
これで来年の春頃には子作りが出来るなと思っていると、ヨボヨボの雌カンガルーのうちの一頭が、焦る様に言ってきた。
「ウィルじゃない。きっとウィルよ。そうに違いないわ。」
「なんだおばさん。」
「ウィル、私のこと覚えていないの。」
「覚えてねえよ。俺は物覚えが悪いんだ。ウィルって誰のことだよ。この辺じゃ聞かない名だな。」
「そう……実はウィルとはお前さんの名で、私はお前さんの母さんなんだよ。」
俺は目の前がひっくり返りそうだった。
「……そんなわけない。そんな。まさか……」
母はなぜ俺のことがわかったのか。どうして。
「信じて。匂いでわかるわ。あなたは絶対に私の子供。前に一度、ジャンプをした拍子にあなたを落としてしまったの。それに気づいたのは、日が沈み始めた時で、もうおそらくあなたは助からないって思ったの。」
「だから、探しもせずに置いてきたってか。」
「そんなこと言わないで。ちゃんと探したわ。でもダメだった。そこに倒れてるあなたの父さんがもう諦めろって。だから…」
「そんな…あそこに倒れてる枯れ枝よようなカンガルーが俺の父さん。」
「そうよ。そして、この子達はあなたの妹よ。」
「そんな…そんな…」
俺は初めての衝撃で言葉を失った。これが家族との久々の再会なのか。あまりに実感が湧かない。
「彼女の言うことは本当よ。当時は私も一緒に探したもの。」
ヨボヨボの雌カンガルーのうちの一人が言った。どうやら確かにこのカンガルー達は俺の元家族だったようだ。
俺はゆっくりとヨボヨボの父に駆け寄った。
「父さんなのか。本当にあなたが。」
「ああ。ウィル。俺は殴るために手を前に突き出したんじゃない。お前を抱きしめるために出したんだ。」
俺の目からは自然と涙が溢れた。それから父を抱きしめ、生まれて初めて、父の腕で泣いた。
しばらく、家族との談笑を終えた後、俺は最後の挨拶を言った。
「すまないことをした。父さん。母さん。妹達。あえて嬉しかったよ。妹達を連れて行くのはやめにする。血が繋がってたんじゃなんだかな。じゃあ、父さんも元気で。妹達をよろしく。本当にありがとう。」
そう言って、俺は家族の元を後にした。なんだか、気持ちがほっこりする。家族の愛に俺はまた涙を流していた。
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夕暮れが空を赤く染め始めた時、三頭のヨボヨボの雌カンガルー達が話し始めた。
「あいつはもう行ったかい。」
「ああ行ったよ。」
「全く、とんだ目にあったね。」
「本当だよ。あいつはヒトの手で育てられたカンガルー。ここらじゃ有名だからね。」
「そうだよ、ヒトの手で育てられたカンガルーになんか娘達をやれるわけないよ。」
「いやあ、それにしてもあんた。よく咄嗟にあんな嘘が思い付いたね。」
「まあさね。あいつはヒトの手で育てられたカンガルーだ。ヒトの真似事をすればあいつは騙されるに決まってる。ああ言うカンガルーの多くは、大抵、母親がジャンプした拍子に落とされた子だからね。」
「そうだね。とにかくヒトは私らカンガルーを食うからね。ヒトに育てられたカンガルーなんかに絶対、娘達はやらないよ。」
「それにしても、あんなちんけな家族ごっこに騙されるとは、あのカンガルーはヒト以下だね。」
すると三頭のヨボヨボカンガルー達は一斉に笑いあった。