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第十四話:しょっぱいドーナツ



「ばあちゃん。

ドーナツ買ってきたんだけど、食べない?」



午後4時20分。

父さんも母さんもヘルパーさんも不在の時間帯を狙って、ばあちゃんに話し掛けに行った。

ばあちゃんは少し驚いた顔をしたけど、喜んでくれた。



「あら、ドーナツなんて久しぶり。私ももらっていいの?」


「いいよ。そのために買ってきたんだよ」



父さんと母さんは仕事。

ヘルパーさんも今日分の仕事を終えて帰ったばかり。

短くとも、あと一時間は誰にも邪魔されない。

俺と、ばあちゃんの二人きりだ。



「お店、遠かったでしょう。歩いて行ったの?」


「いや、途中までバス」


「そう。大変だったね」


「別に。普通だよ」



基本的にはヘルパーさんの誰かしらが、常にばあちゃんに付き添ってくれている。

今日みたいに早上がりする時や、ちょっとした買い物に出掛ける時を除いて。


一日中厳戒態勢を敷かずに済んでいるのは、ばあちゃんがそこまで摩碌していないおかげ。

加えて、俺の存在があるからだった。


俺だけは、いつ何時も家にいる。

俺だけは、ばあちゃんに何かあった時、必ず駆け付けられる。

だから母さんも父さんも、目が離せないほどは心配してない。

ヘルパーさんにも必要な分しか頼んでいない。


もっとも、よほどのことがない限り、ばあちゃんは俺を呼び付けたりしないけど。



「まぁ、たくさん」


「好きなの選んでいいよ」


「そうねぇ。たまにはこれ、チョコのやつにしようかね」


「珍しいね」


「たーくん、これ好きで、よく食べてたでしょう?

どんなものか、私も味見させてもらいたいなって。いい?」


「……いいよ。ふたつあるし。好きなの取りなよ」




ドーナツは、駅前のお店で買ってきたもの。

古くから全国チェーンしてるとこだから目新しさはないけど、みんな大体好きなやつだ。


天木で店舗が残っているのは、俺の行った駅前と、郊外のショッピングモールにある二つのみ。

昔はもっとたくさん、ちょっと歩いた先に休憩場所で使えるくらい流行っていたのに。

時代の流れと共に、当時の思い出まで流されていくようで、なんだかんだ寂しい。



「お茶いれる」


「あら。至れり尽くせりね」


「コーヒーが良かった?」


「いいえ。お茶がいいわ。ありがとう」



ドーナツ買う時、当然ながら、変な目を向けられた。

店員さんにも、疎らだったお客さん達にも。


そりゃあそうだ。

平日の真っ昼間に、俺みたいな男がドーナツ大量買いなんかしてたら、下手すりゃ通報案件だ。


その割に不快な気持ちにならなかったのは、たぶん、目的が決まっていたからだ。

ばあちゃんと一緒に食べるため、ばあちゃんとゆっくり話をするためと割り切っていたから、周りに変な風に思われてもいいやと思えた。


単に自分の欲求のためだったなら、もっとこそこそしたに違いない。

変な目を向けられる度に、不毛な敵対心や被害妄想を募らせたかもしれない。



「あら、おいしい」


「くどくない?」


「たまにはいいわ。たーくんは舌が肥えてるね」


「逆だよ。子供舌」



結局は、所詮は、気の持ちようってやつだったんだ。

贔屓にしてるコンビニも、たまに冷やかすジャンク屋も。

なんだこいつって悪目立ちしようとも、俺自身が気にしなければ、なんてことはない問題だったんだ。


ぜんぶ、俺の自意識過剰。

俺が思うほど誰も俺に興味ないし、俺を責めたりしてない。

本当はずっと、頭では分かっていたはずなのに。

随分と、遠回りをしていたんだな、俺は。



「そっちのは何てやつ?」


「期間限定のなんか、さつまいものやつ」


「そういえば栗っぽいのもあったね」


「秋だからね。食べてみる?」


「いいの?」


「うん。半分こ」


「半分もいらないわ。ひとくちだけ」


「ん」


「ふふ。おいしいおいしい」



準備は整った。

今のところはイメージ通りだ。


あとは一言、謝るだけ。

これまでごめん、これからもよろしくと伝えて、ばあちゃんとの溝を解消するだけだ。



「あのさ、ばあちゃん」



大丈夫。ばあちゃんなら赦してくれる。

たった一言。たった一言を声にすれば、胸の閊えが少しとれるんだ。



「おれさ。おれね。ずっと────」



大丈夫。言え。簡単だ。小学生にも幼稚園生にも出来ることだ。

大きな一歩を踏み出せなくても、着実な一歩を増やしていくんだ。


始める。終わりにする。

未来を恐れず、過去に縋らず、今ある現実を受け入れる。

そうして新しい、平凡な日常を。






「ごめんね」






何度もイメージトレーニングした言葉は、何故か。

俺ではなく、ばあちゃんの口から出た。



「気を遣ってくれたんでしょう?きっかけになるようにって」


「え、あ、いや……」


「ほんと、いやね。

家族なのに。ここはあなたの家なのに。私のせいで、窮屈な思いをさせて。

こんな、余計なお金まで使わせて」



違う。違うよ、ばあちゃん。

確かにきっかけになればとは思ったけど、仕方なくじゃないよ。

ばあちゃんのせいじゃなくて、俺がそうしたかったんだよ。

俺が、ばあちゃんに、ごめんねを言いたかったんだよ。

そんな顔をさせるために、ドーナツ買ってきたんじゃないよ。



「ずっと、居心地悪かったでしょう?」



一から立てた計画が崩れていく。

一秒ずれたタイミングが、二秒三秒とずれていく。



「いつも、ごめんね」



違う。



「ここに来ない方が良かったね」



違う。



「お荷物なばあちゃんで、ごめんね」



違う。




"───貴方には、同じ後悔をしてほしくないんです"。


考えろ、おれ。




「ちがう」


考えるな、おれ。






「ちがうよ、ばあちゃん。

謝んのは、謝らんきゃならんのは、おれの方」



大きな一歩じゃなくていいって、考えを改めたばかりだってのに。

上手くやらなきゃとか、失敗しないようにとか、また妙なとこで拘ろうとして。


やり方じゃなくて、やるかどうかなんだって。

彼らが、教えてくれたんだろうが。



「これも、ほんとは、そのつもりで買ってきたんだ。

また一緒にドーナツ食べたいって言ってたから」



あ、やべ。

また一緒にドーナツのくだりは、分身の俺が聞いたやつだった。

まあ、いいか。



「おれは、ばあちゃんが好きだし、ウチに来たのも良かったって思ってる。ほんとに。

居心地悪いとか、そんなのは、むしろおれのせい、というか、むしろおれがごめん」



声が震える。掌が汗ばむ。

お茶から昇る湯気に意識を持っていかれそうになる。

どこまで喋ったっけ?ごめんは何回言った?

いいか、ぐちゃぐちゃでも。



「前言っちゃったことは、ぜんぜん、間違いというか、本気じゃないから、マジで。

おれがめちゃくちゃ、まっ、メン、めちゃくちゃなん、だけで、ばあちゃんが悪いんじゃないから、全部」



ばあちゃん。大好きなばあちゃん。

いつも俺の味方をしてくれた人。俺の弱さも愚かさも受け入れてくれた人。



「だから、体たらくとか、お荷物とか言わんで」



優しいばかりが家族じゃない。ずっと一緒が苦にならない相手なんかいない。


俺が自分で気付くしかなかったんだ。

だって、俺はばあちゃんの孫で、俺にとってのばあちゃんは、ばあちゃんだけなんだ。



「どんな形になっても良いから」



汚れていない方の左手で、ばあちゃんの右手に触れる。



「長生きしてよ、ばあちゃん」



拙い言葉を補うために。

触れた体温で、俺の心が余さず伝わってくれるようにと願いながら。




「───また、先を越されちゃったね」



俺の伸ばした左手が、ばあちゃんの両手に包まれる。



「いっぱい、考えさせちゃったんだね。ごめんね」


「ちが────」


「うん。わかってる。わかってるよ。

お前の言いたいことを、ばあちゃんはわかるよ」



しわしわで、さらさらで、血管の浮き出た、ばあちゃんの手。

汗とか皮脂とかも全然なくて、布みたいな肌触りで、薄くて冷たい。


俺の、ごつごつで、べたべたで、クリームパンみたいな手とは全然ちがう。

おばあさんの、お年寄りの人の手だ。



「あの時は、私も言い方を間違えてしまった。

少しでも、お前の人生が楽しくなるようにって、思っていたのに」



ばあちゃんって本当は、俺が知ってるよりずっと、おばあさんなんだよな。

今すぐ死ぬ可能性は高くなくても、明日倒れる可能性は十分あるんだよな。

こうして向かい合ってドーナツ食べて、たわい無いお喋りしたのが嘘みたいに、夜になったら急にってことも、なくはないんだよな。



「崇道」



もっと早くに行動していればと、くよくよはもうしない。

喧嘩をしたあの日があって、蟠りの日々を経たからこそ、ここにいる俺がある。


俺にとって、ばあちゃんが如何に大切で、かけがえのない存在か。

きっと、一度は離れたからこそ、実感することが出来たんだ。



「待子も、滋さんも、私も。お前をいちばん大事に思ってる。いつだって、お前の幸せを願ってる」



これからはもっと、大切なことを大事にしよう。

母さんと父さんとばあちゃんを大事に、みんなと過ごす一分一秒を大事にしよう。

俺の大切なみんなが大事だと言ってくれる、俺自身を大事にしよう。



「それこそ、どんな形でもいいの」



死にたくて死ねなくて、死にたくなかった。


こんな、デブでブサイクでニートで、周りの人達を傷付けることしかしないクズは、さっさと死んだ方がいいに決まってる。


でも、この若さで、なんの証も残せず、誰にも愛されず認められないまま、ひっそりと孤独に死んでいくのは怖い。



"───世の中には、嫌なこともあるけど、同じくらい、素晴らしいこともあります"。



死にたいのに、死にきれなかったんだ。

つい、このあいだまでは。



"───だから、こんな人生なんかって、思わないでください。

自分なんかって、言わないでください"。



ばあちゃん。大好きなばあちゃん。

いつも俺を愛してくれた人。俺の健康と幸福を祈ってくれる人。


あなたに残された命と時間を、俺に与えられた命と時間で埋め合わせる。

どんなに不格好で、みっともなくても。

あの時ああしていればと、二度と後悔しないように。




「お前が生きていてくれれば、私達はそれだけで、十分なんだからね」


"あなたは、あなたが知っている以上に、愛されて、望まれて、生まれてきたのですから───"。



生まれて初めて、心の底から、生きたいと、思った。



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