第十四話:素直になればいいんだよ
「───ンジさん」
どこからか、女の子の声が聞こえる。
近いようで遠い、起きぬけのアラームみたいな。
でもアラームほど甲高くなくて、耳当たりの良い優しい声。
「ケンジさ───」
ああ、これ澪さんの声か。
俺が寝過ごしたから、起こしに来てくれたんだな。
わかった、起きるよ。今起きるから。
起きたらちゃんと活動を始めるから、あと5分だけ────。
「───ケンジさん!」
突然大きくなった澪さんの声。
反射的に目を開けると、側で屈んだ澪さんが心配そうにこちらを見下ろしていた。
彼女の背後には見知らぬ壁、見知らぬ天井。
そんでもって、馴染みのない独特な匂いが鼻を抜ける。
「(そうだ)」
思い出した。
ここは俺の部屋じゃない。ついでに言うと目覚めの朝でもない。
ここは崇道さんの部屋。俺達は崇道さんに接触を図ろうとして、ここまで来た。
それで、なんとか本人に応じてもらって、やっぱり逃げられて、とっさに捕まえようとして……。
捕まえようとして、どうしたんだったか。
「───なんか大きい音したけどー!大丈夫ー?」
今度は高谷さんの声が階下から聞こえた。
俺達が擦った揉んだした際の物音は、階下にまで響いていたようだ。
澪さんは俺に目配せすると、代わりに返事をするため部屋を出ていった。
俺は一先ず上体を起こし、自分の置かれた状況を理解した。
「な────」
大福のように丸く白い頬、乾いて端が切れた唇、いかにもな雰囲気を漂わせるボサボサの黒髪。
崇道さんだ。俺の真下に、崇道さんがいる。
息はしているが、仰向けに寝たままぴくりとも動かない。
待ってくれ。
つまり俺は今の今まで崇道さんの胸板を枕にしてたってこと?体勢的に俺が崇道さんを押し倒したってこと?
どうりで、妙に柔らかいというか生暖かいというか、なんか変な匂いがしたわけだ。三日は風呂入ってないな、この人。
ともあれ、押し倒してしまったのは不可抗力。
怪我の有無などは追って確かめるとして、悟られないよう慎重に崇道さんの上から退く。
すると気配を察したのか、最悪のタイミングで崇道さんが目を覚ました。
「………。」
「………。」
「……えっと。大丈夫ですか」
「あぇ……?ぅあ、う、はい……?」
半分マウントをとった状態のまま俺は尋ね、崇道さんは茫然としながらも頷いた。
「(頭は打ってなさそうか……?)」
崇道さんが自力で起き上がったので、俺は敢えて手を貸さずに離れた。
一息つくや否や、互いに冷静さを取り戻して妙な空気に。
「あの……」
俺達の様子を窺っていたらしい澪さんが、ドアの陰から怖ず怖ずと顔を覗かせる。
高谷さんには無事を知らせたようだ。
ヒッと喉を鳴らした崇道さんは、ゴキブリ並の素早さで壁際へ後ずさっていった。
そうやって露骨に避けるから、よっぽど嫌われたんだと澪さんがショボーンしてしまったじゃないか。
「大丈夫。おいで」
「ちょ────」
「何もしませんから。
手荒なことは、何もしませんから。ね」
尚も抵抗を示す崇道さんを宥め、澪さんに手招きする。
澪さんは申し訳なさそうに部屋に入り、扉を閉め、俺の隣に正座した。
取り繕うのも今更なので、俺は胡座をかかせてもらう。
「トレーは?」
「あ、こっちに……」
「ありがとう」
片や崇道さんは、壁を背に三角座りで縮まった。
観念したのか、また逃げ出そうとする素振りはない。
俺は澪さんからトレーを受け取り、崇道さん用の湯呑みを本人の前に差し出した。
「どうぞ」
「………。」
「待子さんが煎れてくれました」
「……いりません」
「冷めちゃいますよ?」
「いらないですから。それ飲んだら帰ってください」
頑固だなぁ。
それでも門前払いされた時と比べれば、ちょっとはマシになったか。
冷めないうちに、俺だけでも自分のお茶を一口飲む。
「澪」
「はい」
「いったい何がどうしてああなったのか、君は一部始終を見てたんだよね?」
「はい」
「俺は途中から記憶ないから、ざっくり流れ説明してもらってもいい?」
唯一の目撃者となった澪さんに、顛末の説明をお願いする。
澪さんは身振り手振りを交えて話してくれた。
「あくまで、わたしが見聞きした範囲ですけど……」
まず、崇道さんの説得に失敗した俺が、強硬手段でドアをこじ開けた。
袋の鼠となった崇道さんは、せめてもの避難場所を求めてか、部屋の奥へ向かって走り出した。デスクの下にでも隠れるつもりだったのかもしれない。
すかさず俺が崇道さんの手首を捕まえると、俺と崇道さんは同時に失神。先に倒れた崇道さんの上に俺が重なった、というわけだ。
「失神した後は、何度も呼び掛けたり、こう、揺すったりしたんですけど。
お二人とも一分くらい、石みたいな、ぴくりともされなくて……」
「一分か……。
ちなみに、倒れた瞬間は?俺はともかく崇道さん、頭とか変なとこ打ってなかった?」
「隅々まで見てたわけじゃないので、断言は出来ないですけど……。
なかったと思います。そんなに激しい音とかもさせてなかったですし」
「そっか」
だいたい想像した通りだな。
倒れた拍子にブチューッとラブコメみたいなことやらかしてたらどうしようかと。
「だ、そうですけど。
ご本人的にはどうですか?具合悪くなったりとか────」
「大丈夫ですから。ほんとに。おれのことは、ほんとに、どうでも」
本人にも念押しすると、崇道さんは食い気味に答えた。
相変わらずぶっきらぼうだが、反応が早いのは俺達の会話に耳を傾けている証拠だ。
僅かながら、付け入る隙はある。
「じゃあ、痛い以外で、何か感じたことありませんでした?」
「別に」
「本当に?なにか見たり聞いたり、思い出したり?」
「………。」
「俺は見ましたよ。あなたの記憶」
試しに鎌をかけてみる。
だって、細心の注意を払った結果が、先程の擦った揉んだになったんだ。
俺達がどんな態度で臨もうとも、崇道さんが応じてくれなければ徒労に終わる。
ならば、良くも悪くも進展を促すしかない。
たとえ地雷を踏んだとしても、首の皮一枚繋がっていれば機はあるはずだ。
「記憶って、なんの」
崇道さんが訝しげに顔を上げる。
隣からは澪さんの視線を感じる。
「あなたの半生───、今のあなたに直結する分の過去、ですかね。
断片的になんで、全部ではないですけど」
「またそんな嘘を───」
「嘘だと思うなら、答え合わせしてみましょうか?」
会計士を志していたこと、国立大学を受けて落ちたこと。
同級生に憧れていたこと、ライバルに転じて嫉み妬みに変わったこと。
家族を大切に思っていること、なのに大事にできないこと。
誰より何より、自分自身が嫌いなこと。
覗き見た崇道さんの記憶について、俺は掻い摘まんで話した。
「なんで……」
最初は半信半疑だった崇道さんも、同級生の件を持ち出した辺りで信じざるを得なくなっていた。
そりゃあそうだ。
彼を密かにライバル視していたことなど、待子さんですら知らないのだから。
「ど、どうせそれも誰かから聞いて────」
「誰にも教えてないことを赤の他人が知ってるわけないって、あなたが一番わかってるんじゃないんですか?」
「じゃ、あ、ッ全部でまかせの────」
「なんなら他のエピソードも掘り下げますか」
「イッ、いいいらないよ!つか人の記憶なんか勝手に見んな!」
「俺だって見たくて見たわけじゃないですよ。
たまにあるんです、意図せずこういうことが」
「こういうこと……?」
「それに、見たって言っても"断片的に"ですから。
普段の様子までは全然知らないし追求する気もないんで、安心してください」
「………。」
効いてる効いてる。
恥ずかしいとこ突かれて憤慨するかと思いきや、意外と余裕ありそうだな。会話がキャッチボールになってきた。
というか崇道さん、お茶飲んだら帰れって自分で言ったの忘れてない?
「さっきの」
「はい?」
「さっきの、そこの、隣の、にいる、女の子。
生霊がどうとかって言ってたけど、それも、本当なの」
そこの、と崇道さんが澪さんを一瞥する。
澪さんはピンと背筋を伸ばしてみせた。
「ええ。本当ですよ」
「証拠は?」
「はっきりとしたものは何も。証明する手立てはまぁ、なくはないですけど。ぶっちゃけ面倒くさいです」
「なんで生霊、なんてなったの。
てか、生霊とかって普通、意思疎通とか、できないもんじゃないの。こんな人間みたいに」
「そこらへんは俺達もよく分かってません。
ただ、現状こうなんで、そういうこともあるんだな、としか」
「いい加減な……」
「分からないからこそ、色々な人に話を聞いて回ってるんですよ。
地道に情報を増やしていって、いつか解明するために」
「おれのとこに来たのも、そのため?」
「半分はそう。もう半分は、高谷さんにお願いされたからです」
崇道さんも無意識にか背筋を伸ばした。
彼にとって高谷さんの存在は純粋に弱点なのかもしれない。
「正直言って、あなたがどう生きようと俺は構いません。
人生なにが正しくて間違いかなんて俺には分からんですし、そもそも俺ら他人ですし。
でも高谷さんは違います。俺にとって彼女は大事な友達で、彼女にとって貴方は放っておけない存在です。
間に高谷さんがいる以上、所詮は他人だからと俺も貴方を無視できない」
「……よっぽどお好きなんですね」
「貴方もでしょう?」
「は?」
「好きとまではいかなくても、高谷さんが良い人だってことくらいは分かるでしょう?」
「まぁ……」
「なら彼女が純粋に、貴方がた一家を心配してるってことも分かるはず」
崇道さんから刺々しさが抜けていく。
集中切らすな、俺。
「えーと、つまり……。
俺達も高谷さんも、千葉さんご一家を引っ掻き回したいのではなくて……。
貴方と、幸代さんの身に起きてる霊的現象の原因を突き止める、あわよくば解決できたら御の字だってそれだけで、だから───、ね?」
自分では上手い着地点が見付からず、澪さんに助けを求める。
「わたし達は、あなた方の不思議に思っていることを解明するお手伝いをします。
あなた方の不思議に思っていることは、貴重な情報なので、わたし達には十分な見返りになります。
解明した後どうするか、どうしたいかは、お互い自由であり、干渉しません。
必要なのは、必要なことだけ。ぎぶあんどていく、うぃんうぃんです」
若干たどたどしいが、澪さんは俺より纏めるのが上手だった。
「……おれの体験談、が、あなた達の役に立つ、かもしれないんですよね」
「はい」
「それ以外にああしろこうしろって、強制したりはしないんですよね」
「はい」
崇道さんの再三の確認に、俺と澪さんは返事を揃えた。
崇道さんは姿勢を崩すと、温くなったお茶を一口飲んだ。
「わかりました。
どれくらいアレかは、アレですけど。
どこから話せばいいですか」
ようやくスタートラインだ。
俺が感謝の目配せをすると、お安い御用だとでも言うように澪さんは微笑み返してくれた。




