第十四話:臥籠 2
「───本当によく気が付くわねー。まだお若いのに、つい頼りにしちゃうわ」
「頼りにしてください。そのためのヘルパーなんですから」
「また~。あんまり気立てが良すぎるのも損よ?私が言えた口じゃないけど」
「これこれ、友達じゃないんだから」
「そんなそんな。ぜひ友達みたいに仲良くしてください」
ばあちゃん付きのヘルパーが入れ替えになった。
新しい担当の名前は、高谷さん。美人で物腰柔らかい、およそ介護職とは思えない垢抜けた雰囲気のお姉さんだ。
「───ね、桐ちゃんって彼氏いるの?」
「ええ?なんですか突然」
「だって気になるじゃない。こんな美人さん放っとく男なんていないでしょ」
「またまた、買い被りですよ」
「あ、こういうのってルール違反か。ごめん個人的なこと」
「そんなことはないですけど……。あんまり恥ずかしいというか……」
「なら良かった。で、どうなの?彼氏。いるの?」
「いませんよ」
「じゃあ好きな人は?」
「内緒です」
「おや~」
高谷さんは、あっという間に千葉家に馴染んでみせた。
まるで親戚か長年の友人のように、母さんもばあちゃんも、父さんさえ心を開いた。
「───滋さん。おかえりなさい」
「おや、いたんだね。待子はどうしたの?」
「ちょっと外に出られてます。今日はお早いお帰りですね」
「そっちは遅くまでなんだね。いつもありがとう」
「こちらこそ、いつもお世話になってます。晩御飯できてますけど、どうされますか?」
「もらおうかな。今日のも桐ちゃんが?」
「ええ。腕によりをかけて、筑前煮です」
「へえー、和食もやるんだね」
「これもお仕事のうちですから。お口に合えばいいんですけど」
俺は高谷さんを好きでも嫌いでもなかったが、まあ、意識はした。
あんな若くて綺麗な女の人と接する機会なんて、修学旅行のバスガイドさん以来。
良い意味でも悪い意味でも落ち着かず、高谷さんが見えている間は迂闊に物音を立てられなかった。
「───桐ちゃんは、どうしてこの仕事を始めたの?」
「そうですねー……。格好つけた言い方をすると、人の役に立ちたかったからですかね」
「いいわね。ちなみに、格好つけない言い方をすると?」
「他にやりたいことが見付からなかったからですね」
「あっはっは。じゃあ私は、桐ちゃんの運命に感謝しないといけないね」
「運命ですか?」
「だって、やりたいことが見付かっていたら、私は桐ちゃんに出会えなかったわけでしょ?」
「なるほど。そうなりますね」
「でも、もしこの先、本当にやりたいことが別に見付かったら、私は応援するわ。
あなたはとっても素敵だもの。きっと何になっても、人の役に立つ人になるわ」
「……ありがとうございます」
「私としては、このままでいてくれた方が得だけどね」
「ふふ。私も、幸代さんに出会えて嬉しいです」
ただ、高谷さんのおかげで確実に流れは良くなった。
この流れに乗れば、俺もあの輪の中に加えてもらえるかもしれない。
トライしようとして、躊躇って、またトライしようとして、強張って。結局は自己嫌悪に終わる。
俺抜きで羽を伸ばしてほしいって、自分で望んだくせに。
本当に俺抜きでワイワイされてしまうと、息が詰まるほどの疎外感に襲われる。
俺よりも高谷さんの方が役に立っている。
俺よりも高谷さんの方が好かれている。
息子の俺よりも、娘の高谷さんがほしかったと。
そう感じているのは、俺だけじゃないんじゃないかって。
「───さっきね、待子ったら二回も忘れ物していったのよ。
最初に携帯忘れたーって飛んできて、今度は携帯だけ持って、鞄を置いていっちゃった。あの子の慌てん坊は稔さん譲りね。
おまえの冷静さは、滋さんに似たのかしら。でも、辛い時に辛いって言えない、素直じゃないところは、待子とそっくりね」
俺も千葉家の一員だよね?
ばあちゃんは俺のこと、嫌いじゃないよね?
実感がほしい。後押しされたい。俺の居場所はここだと、腐っても家族なんだと信じたい。
ばあちゃんに会いに行く理由が変わっても、ばあちゃんは変わらなかった。
俺が幻と知ってもなお、ばあちゃんは一方的に話し続けた。
たまたま自分一人になった時や、母さん達が目を離した隙に、こっそりと。
「───滋さん、今日も遅くなるんですって。本人は元気なふりをしてるけど、そのうち倒れたりしないか心配だわ。私にも何か出来ることがあれば良いのだけど……。
おまえも、たまには出迎えの一つでもしてあげたら、きっと喜ぶと思うよ」
愉快な話、不安な話、悲愴な話。中には母さんも父さんも知らない話もあった。
どうせ虚構だからと安心していた俺と同じで、幻相手ならどうせ独り言だと開き直ったのかもしれない。
「───実を言うとね、前に来ていたヘルパーさんの一人に、こっそりいじわるされてたの。
話し掛けても無視されたり、叩かれたりね。泣くほどじゃなかったけど、悲しかったわ。
だから、桐ちゃんが来てくれて本当に良かった。あんな子がおまえの奥さんになってくれたらねぇ」
はっきりと俺を肯定する言葉はないのに心が満たされるのは、必ず俺を話題に上げてくれたからだ。
どんなに接点が減っても、お前のことは忘れていない。お前の幸せを第一に願っている。
取り留めない世間話の節々にも愛情が滲んでいて、まだ俺は本物の透明人間じゃないんだと思えた。
「───いつまで、こうしていられるのかね。待子も滋さんもそれなりの歳だし、もうお世話になりたくないのに。
遠くても、空いてる施設に移れたら良いのに」
返事をしたい。
俺がしてもらったみたいに、俺も愛情を返したい。
大丈夫だと励ましてやりたい。
ばあちゃんもここにいていいんだよって、背中を摩って、手を握ってやりたい。
「人間って、どうして死にたい時に死ねないのかしらね。こんな体たらくで長生きしても、周りに迷惑をかけるだけなのに」
部屋を出ろ。昼でも夜でもない朝に、みんなと一緒の時間帯に起きて、おはようと挨拶しに行け。
そして謝れ。ずっと心配をかけて悪かった。これからは少しずつでも人間らしい生活を送れるよう更生に努める。逃げ道を作らず宣言しろ。
「ねえ、幻さん」
そうすれば、父さんの肩の荷が減る。母さんの休みが増える。
これ以上ばあちゃんが、自分を責めなくて済む。
"ありがとう"と"ごめん"が出来れば、誰でもいつでも、やり直すチャンスは巡ってくるはずなんだ。
「もしあなたが、嵩道の姿を借りた死神なら、私を連れて行ってくれないかい」
なんで、こんなに怖い。こんなに簡単なことが怖い。
家族だろ。仲良くやってきた四人だろ。真摯に謝れば許してくれる人達だろ。
どう転んでも現状よりはマシなんだから、やらない理由なんてないだろ。
「痛くても苦しくても良いわ。ただ、形は老衰ってことにしてほしいの。
寿命だったんだって、みんなが悩まずに済むように」
俺って、喧嘩ってしたことあったっけ。仲直りの経験ってあったっけ。
喧嘩するほど深く繋がった相手、いたっけ。
「あと、出来れば最後に、もう一度だけ。
本物の嵩道と、一緒にドーナツを食べて、前みたいに普通に、なんでもないことをお喋りしたいわ」
家族って、なんだっけ。




