第十四話:千葉嵩道 4
「───今日もお休みなの?」
「……うん」
「そう……。私買い物行ってくるから、ばあちゃんのこと頼むね」
「………。」
進学断念から三年目。俺は殆どバイトに行かなくなった。
例のSNSのせいかもしれないし、あれはきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
なんでもいい。どうでもいい。
なにもできない。なにもしたくない。
お金も、彼女も、かっこいい自分も。全部もういい。ほしくない。
カーテンも開けず、顔も洗わず、薄暗い天井を眺めたり、壁の傷を数えたりして、無為に自堕落に不毛な時間を消費する。
その割に、動いていた頃よりぐったりしてしまうのは、心の穴を埋めようと無意識に神経が働くからなのだろう。
「───はじめまして、嵩道さん。私達、────っていう団体の者です。
ちょっとだけお話、伺ってもいいですか?」
そんな俺を見兼ねてか、母さんが妙な団体を家に呼んだ。
貼り付けたような笑顔と馴れ馴れしい言葉遣いで、ぐいぐいと懐に入り込もうとしてくる連中。
正式な名前は聞き流してしまったので忘れたが、引きこもりを立ち直らせるための何とか。
半分が慈善事業、半分が新興宗教みたいなやつだ。
なるほど。こんなやつらに縋るってことは、母さんはよっぽど俺が目障りなんだな。
本人は否定していたが、奴らの執拗さと周到さが何より裏付けていた。
「───あなたの気持ち、痛いほど分かります。今までよく耐えてこられましたね」
「僕も似た経験がありますけど、大体はやっかみなんですよ。あなたが特別な人間だから、みんな嫉妬しているだけ」
「そうそう。空っぽな人に限って声が大きいんです」
ここは我慢して乗り切ろうと思っても、無理だった。
奴らの力を借りれば多少は道が開けるとしても、嫌だった。
奴らが見ているのは目先のノルマであって、俺じゃない。
優しい笑顔も温かい言葉も、いつかの利益に繋げるための手段。
俺の気持ちが分かると涙を流すまでが、きっとマニュアル通り。
「でも、私達が来たからにはもう大丈夫」
「あなたが自分らしく生きられるよう、全力でサポートさせて頂きます」
「あなたみたいに一人ぼっちだったり、居場所がないって人達を、我々────は何人も見てきました」
「そんな彼らも、今では立派な社会人にして心強い仲間。
相応しい場所を見付けて、生き生きと活躍されています」
「あなたにも、そうなる資格と、そうできる才能があるんです。
わからないことは何でも教えてあげますから、さあ。怖がらないで、一緒に────」
俺のことなんて本当は、どうなろうと構わないくせに。
弱者を見下して悦に入るのが楽しいなら、余所でやってくれよ。
「───母さんの気持ちは分かった。自分でもよく考えるから、二度と、こういうことしないで」
奴らを力づくで追い出して、我が家は元の静けさを取り戻した。
引き換えに、母さんとは口を利かなくなった。
ご近所さんに無理矢理お膳立てされて、というのは嘘じゃないと分かる。あれだけ色んなことを譲歩してきてくれた母さんが、息子の進退を人任せにするわけがない。
分かった上で、母さんのせいにした。
母さんのせいで俺は怒っている、というポーズをとることで逃げた。
働かなくなったことへの言い訳がほしくて、母さんを悪者にした。
「───嵩道。悪いんだけど、そこにある眼鏡、取ってくれるかい」
ばあちゃんは変わらず、家にいる。
朝も昼も夜も、おれの存在に関係なく、ずっと。
そろそろ手頃なところに、とパンフレットを取り寄せる父。
どうせなら信頼できるところに、と求人誌を読み漁る母。
いくら苦心しようと嘆願しようと、二人の欲しいものが空から降ってきたりはしない。
なにせ、若者より老人の方が余ると言われる昨今。
安くて良い施設は人気が集中する上、予約待ちも何年先になるか分からない。
ちょっと割高でも空きがあればなんて言えるのは、世間知らずか理想主義か、単なるお金持ちだけだ。
ばあちゃんが先に死ぬか、希望するホームの入居者が先に死ぬか。
こんな醜いデスレースもないが、現実は現実だ。
頑なで、醜くて、冷たい。俺達の住む国とは、俺達の生きる世界とは、良い人が損をし、悪い人が得をするのが常なんだ。
「───嵩道。出掛けるついでにこれ、ポストに出しといてくれるかい」
このままずっと、ここにいんのかな、ばあちゃん。
ばあちゃんがいると、気軽に飯も食えないし、トイレにも行けないんだよな。
「───嵩道は本を読まないのかい?本はいいよ、人を豊かにしてくれるから。余裕がない時ほど、読んだらいいよ」
いいよな、ばあちゃんは。
働かなくても、好きな本だけ読んでても、お年寄りだからって許されるもんな。俺と違って、白い目で見られることもないもんな。
俺みたいに、これからどうなるんだろう、どうやって歩いていこうって、悩むこともないんだろうな。
「───嵩道。いつも部屋で何してるんだい?ちゃんとお日様に当たらないと、体に悪いよ」
段々と煩わしくなっていく。笑えなくなっていく。
沈黙は抵抗、敬遠は自重の表れ。
一瞬でも気を緩めると、あらぬことを口走りそうになるから。
「───嵩道」
久々にシフトがあったバイト帰り。
父さんも母さんも留守のリビングで一人、間食のコーンフレークを食べていた時。
おもむろに歩み寄ってきたばあちゃんに、こう言われた。
「おまえ、それで良いのかい。
本当にこんなことが、おまえのやりたかったことなのかい」
は?なに、急に。
とっさに湧いた苛立ちを、俺は隠せなかった。
ばあちゃんは尚も続けた。
「最近のおまえは、おかしいよ。毎日死んだような顔をして、父さん母さんにもぶっきらぼうな態度して」
ぶっきらぼうでも、受け答えはちゃんとしてるよ。
死んだようでも死んでないよ。死にたくても死ねないんだよ。
「昔のおまえは、そんなんじゃなかったろ」
昔の俺ってなんだよ。
従順で無害だった頃の"たーくん"を言ってんのか?
あんなの演技だったに決まってんだろ。取り繕ってただけで、俺は元から善人じゃないんだよ。
「辛いのは分かるけど、周りのせいにしてちゃいけない」
うるさい。
「おまえだって、本当は分かってるんだろ?」
うるさい。
「おまえの人生、本当にこのままでいいのかい?」
"───色々しんどかったり怖いこともあるけど、なんだかんだ人生は一度きり。
後でもっと後悔したくないし、やれるうちにやれるだけ頑張ってみようと思う"。
うるさい。
「誰のせいでこうなったと思ってんだよ」
弾けたのは、なんの音だったか。
「そもそもはばあちゃんがきっかけだろ。最初から施設に入ってりゃこんなことになってないし、おれだってこんなんなってねーよ」
堰を切ったら最後、止まらなかった。
「なんでばあちゃんにそんなこと言われんくちゃならんの。おれの何も知らんくせに、勝手言わんでよ」
こんなの、ばあちゃんを傷付けるだけ。父さん達にバレたら殺されるだけだ。
堪えろよ。今までそうしてきたみたいに。何でもないみたいにへらへらしてろ。
「嵩道」
悲しい声でおれの名前を呼ばないでよ。悲しそうにおれの目を見ないでよ。
出してしまったものは、もう撤回できない。引っ込みがつかないんだよ、今更。
「ばあちゃんがどこで何しようと勝手だけど、おれのことは放っといてよ」
投げ付けるように言い残して、俺はリビングを出ていった。
あのまま置いてきちゃって大丈夫かな。
俺が手を貸さないと、ベッドまで戻れないんじゃないかな。
階段を一段あがる毎に冷静になって、冷静になる毎に引き返すべきだと理性が叫んだ。
だけど、戻れなかった。俺一人が悪いんじゃないと意固地が、どの面を下げてと罪悪感が邪魔をした。
"嵩道"。
ばあちゃん。大好きなばあちゃん。
いつも俺の味方をしてくれた人。俺の弱さも愚かさも受け入れてくれた人。
なんで、あんなこと言っちゃったんだ。
言っても仕方ないことで、言う相手も間違えてるって気付いてたくせに、なんで。
なんで、大事な人にばっかり俺は、ひどいことを言ってしまうんだ。
"ありがとうね"。
"おまえがいると助かるよ"。
いつから俺はこんな人間になった。
善人じゃなくても、昔はここまでクソ野郎じゃなかった。
不平不満を抱えても、表に撒き散らしたりしなかった。
誰のせいでこうなった?ばあちゃんがきっかけで?そんなわけないだろ。
大学落ちたのは、俺が傲慢だったせいだ。バイト続かなかったのは、俺が頑固だったせいだ。
何もかも上手くいかないのは、どうせ上手くいくはずないって諦めていたからだ。
思い返せばみんな、俺の扱いに困っていただけで、俺をいじめたわけでも、差別していたわけでもなかった。
本当はたくさん優しくされて、気遣ってもらっていたのに、俺が素直に受け取らなかったんだ。
「───ばあちゃん。昨日、ごめんね」
「あら……。先を越されちゃったね。
私こそ、おまえの気持ちも考えずに、無神経だったわ。悪かったね」
翌日。
さすがに一つ屋根の下で避け続けるのは無理と悟り、ばあちゃんに謝罪に行った。
ばあちゃんは直ぐ許してくれ、自分こそ非があったと謝罪を返した。
謝って謝られて、許し許されて、喧嘩両成敗の一件落着。
とは、ならなかった。
ばあちゃんと顔を合わせる度に、あの時の過ちを思い出して、どうしようもなく苦しくなって。
一家の憩いの場であるリビングへも、日に日に近寄れなくなっていった。
蟠りを解消する努力をせず、いっそ関わりを経つことを選んでしまった。
「───最近、嵩道と何か話したか?」
「いいえ。こっちから話し掛けても、ほとんど返事がなくて……。応えてくれるのは事務的なことばっかり」
「そうか……。家の外にも、滅多に出てないんだよな?」
「ええ」
「……辞めたのか?工場の」
「はっきりとは言おうとしないけど、たぶん」
更に半月後。
首の皮一枚で繋がっていた工場のバイトも辞め、俺は本格的に引きこもりになった。




