第二話:部屋に入る時はノックをしてよ
8月中旬。
深山さんの一件から、半月が過ぎた頃。
俺は、あることを自覚した。
自覚せざるを得なかった。
どうやら自分に、エスパー的なパワーが発現してしまったらしい、ということを。
「───ありがとうございました」
「───お世話になりました」
「───貴方は私の命の恩人です」
深山さんの一件を皮切りに、深山さんと似た事情を抱えた人々が、俺の元を訪ねてくるようになった。
ある人は、自宅のトイレから出られなくなって、途方に暮れ。
ある人は、馴染みのない地域で迷子になって、途方に暮れ。
ある人は、病に倒れた自分を、せめて誰か見付けてくれと、途方に暮れていた。
性別も年齢も職業もバラバラ。
俺と面識がある人も、俺を知っている人もいない。
一見すると取り留めのない彼らだが、共通点もあるにはあった。
本人でありながら当人でない、ということだ。
「あー、どういたしまして」
何も言わない、何も聞かない。
なのに俺の前に現れては、何かをするように促してくる。
幽霊じみた、虚ろな者たち。
彼らは最初の深山さんを含め、いわゆる"生霊"という存在だったのではないか。
何故なら彼らは、当人が存命だった。
すなわち、実体があったのだ。
「(俺の視界に入ってくるのに、俺の近くに寄ろうとはしない。
意思疎通は出来ないのに、なにか訴えるような素振りはする。
身なりや体つきは、生霊と本人とで、同じだったり違ったり……。
大体は深山さんと一緒だけど、深山さんが一番顕著だったか、今思えば)」
加えて彼らは、当人の危機を知らせるのが目的のようだった。
トイレから出られないのも、慣れない地域で迷子になるのも、病に倒れて意識を失うのも。
自力ではどうにもならず、誰かの助けが必要な窮地だ。
以上の事実を鑑みるに、当人が何らかの窮地に陥った場合のみ、当人に代わって生霊が助けを得るべく行動に出る。
と、俺は仮説を立てた。
「(もともと俺に霊感はなかった。
話題のホラー映画くらいはたまに見るけど、専門知識やら固有名詞やらはテレビの受け売りで精々。
ましてや、おばけを視えるようになりたいです、なんて望んだこともない。
つか霊感って、成人までに目覚めなかったら素質ゼロって話じゃなかったっけ?)」
では、生霊とは。
そもそもが、どういった存在なのか。
定義は広く、信憑性や確実性は薄い。
諸説あるものを断定できるほどの根拠は、どこの界隈にもない。
あくまで俺の出会った彼らを基準に、大まかな特徴を挙げてみる。
ひとつ。
彼らには生身の実体があり、少なくとも死霊ではなさそうだということ。
ふたつ。
彼らが生身の実体に戻ると、彼らは消滅すること。
彼らが彼らとして活動していた間の記憶は、実体から失われること。
みっつ。
彼らは自己表現に乏しいため、彼らとの意思疎通はほぼ不能なこと。
よっつ。
彼らの姿は、俺以外には視えないこと。
いつつ。
極度の近視で眼鏡を常用する俺の肉眼に、彼らの姿だけは鮮明に映ること。
むっつ。
彼らの体は、体温を持たないこと。
ななつ。
俺の前に現れる彼らには、大なり小なりの目的や事情があること。
その多くが、実体の危機を知らせるためであったこと。
仮説も踏まえての特徴は、現時点で判明している限り、これだけだ。
「(だったらなんで、素質も願望もなかった俺が、こんなエスパーマンになっちまったのか。
……時期的に、無関係とは言えない、よな)」
思えばあの日、事故に遭ってから。
厳密には、事故に遭って、入院して退院して、帰宅してから始まった。
臨死体験を経て人生観が変わったり、不可思議な現象に遭遇するようになったり。
オカルト的なエピソードは、テレビや雑誌で聞いたことがある。
だから俺も、事故をきっかけにそうなったんだと。
腑に落ちない、こともない。
「ほんとに、どうなっちゃったの、俺の体……」
しかしだ。
よりにもよって、生霊だけを視る霊感ってなんだ。
霊感とは、読んで字のごとく、霊と名のつく全てを感じる力じゃないのか。
彼らも彼らで、なんで俺ばかりを頼るんだ。
霊感の有無が条件なら、俺のような半端者じゃなく、本物の霊能者を頼ればいいじゃないか。
「───ケンジくーん、こんにちわ〜」
「ハァーイ、こんにちわぁー」
「あら、いつにも増して覇気がない。寝不足?」
「そんなところでぇーす」
なんだかんだと不満を抱えつつ、優柔不断に定評がある俺。
寄る辺のない彼らからのSOSを、やっぱり無下にはできないのだった。
**
8月14日。
おやつのメロンパンを齧りながら店番をしていたところへ、生霊でも常連でもない来客が久しぶりにあった。
地元ではあまりお目にかかれない、端正なルックスをした青年だった。
「───ケンジ?」
店に入るなり、青年は驚いた様子で俺を呼んだ。
「(誰だ……?)」
俺は一瞬身構えたが、よく見ると青年は覚えのある顔立ちをしていた。
「竣平……?」
とっさに浮かんだ名前を呟く。
すると青年は破顔して、こちらに歩み寄った。
「久しぶり、ケンジ!」
空気を含んだ黒寄りの赤毛に、アイドルも形無しな甘いマスク。
嫌みのないモードカジュアルファッションを着こなした彼は、綿貫 竣平。
東京在住のサラリーマンで、俺の高校時代の旧友である。
当時は竣平とヤギ、もう一人の共通の友人と合わせて、四人でよく連んでいた。
「しゅん、───竣平……!」
ちなみに。
竣平ともう一人が天上組、俺とヤギが地底組。
前者が眉目秀麗で文武両道のリア充だったのに対し、後者は外見も中身もパッとしない非モテだった。
グループ内格差、というやつだ。
おかげで俺たち地底組は、天上組の添えもの扱い。
後にヤギが大学デビューを果たしてからは、未だに地底暮らしの俺だけが捕まった宇宙人状態である。
「おま、マジ久しぶりじゃんよ!どうしてたんだよ今まで!」
およそ2年ぶりとなる再会。
俺はレジカウンターを飛び出して喜んだ。
竣平は申し訳なさそうに、利き手じゃない方の肩をもみもみしながら苦笑した。
「あー……、はは。ごめん。ずっと連絡しなくて。
実は、上京してから色々あってさ」
「そうなん?」
実は竣平は、長らく音信不通だった。
上京して割とすぐの頃に、電話もメールも繋がらなくなり、半年後には手紙も送れなくなった。
俺とヤギともう一人は、敢えて催促はしないと決めた。
慣れない環境で忙しくしているのだろうし、竣平の方から連絡が来るのを待つことにした。
残念ながら、その時は来なかった。
同じく道外で就職したもう一人とは、変わらず友情が続いているのに。
竣平だけが所在も知れず、元気かどうかも分からないまま、疎遠になっていった。
気付けば2年だ。
2年も空白期間があって、それでも真っ先に再会を喜べるのは、竣平が俺の大事な友達だからなんだ。
「なんか、めんどくさいこと重なっちゃった、ていうか。
やれ引っ越しだ、携帯の機種変だって、バタバタしてるうちに、みんなの連絡先とかも、分かんなくなっちゃって」
「だったら、実家あてでも良かったのに。
ここの住所とか、家電の番号とか、メモしなくても覚えてたじゃんか」
「そうなんだけどさ。
なんかだんだん、会いたいけど会いたくない、みたいな感じになっちゃって。毎日、生活するだけでいっぱいでさ。
自分で思うより、疲れてたみたいなんだ、オレ」
俺たちが想像した以上に、東京での生活は苛酷を極めたらしい。
知らない町に一人きり、頼れる親も友達もいないとなれば、当然だ。
いくら親しい相手でも、参ってる時には会いたくないし話もしたくない、という気持ちは俺にも分かる。
「そっか。大変だったんだな、あれから。
知らずにカッカして悪い」
「いいよ。オレも、ちゃんと言わなかったし。
会えて嬉しい」
「俺も。会えて良かった。
───で、今回は何用でこっちに?帰省?」
喧嘩してたわけじゃないけど、仲直り。
ついでに話題を変えると、竣平は何故か言葉を濁した。
「あー……、とさ。
帰省とか、一時的なものではなくて……」
「……まさか」
「うん。会社辞めちった」
照れ臭そうに言う竣平に、俺は呆気に取られてしまった。
「辞めたって……。それは、まぁ、いいけども。
てことは、家も引き払ってきたのか?」
「うん。
一月かけて、ぜんぶ清算して、必要な荷物だけ持って、こっち戻ってきた」
「こっちの住処は」
「もう見付けてある。
実家帰ってくればとも言われたけど、一人暮らし慣れちゃったから」
「こっちの仕事は」
「それはこれから。
しばらくは貯金崩して、のんびり考えようと思ってる」
会社を辞めただけでなく、東京での生活自体を終わらせた。
つまり竣平は、本格的に根を下ろすために天木に帰ってきた、というわけだ。
せっかく手にした栄光をかなぐり捨てるとは、思い切ったことをしたものだ。
「そういうわけだからさ。
我ながら現金だけど、これからまた、よろしくな」
「アオ、おう」
本人が納得しているなら、俺からは何も言うまい。
経緯はどうあれ、友達と過ごせる時間が増えたんだ。
ヤギ達も喜ぶに違いない。
「ちなみになんだけどさ、いい?」
「なに?」
「さっきから気になってたんだけど……。
目の下のクマ。真っ黒だけど、そっちこそ何かあった?」
「聞かないでくれ」
もしかしたら竣平は、今だからこそ帰ってきたのかもしれない。
生霊騒ぎで滅入っていた俺のために、神様が遣わしてくれたのが竣平なのかもしれない。
前向きに考え直した矢先、店の前で明らかな生霊ムーブを検知。
竣平と楽しく語らっていた口から、途端に重い溜め息が漏れた。