第十四話:千葉嵩道 3
「───たーくん、元気にしてたかい?」
「元気だよ。ばあちゃんは調子どう?」
「気持ちは元気だよ。たーくんに会えたから余計だね」
「なら良かった。前会った時より、ちょっと痩せたね」
「そうかい?たーくんは随分大人っぽくなったねぇ」
「そうかな」
「私いたら、迷惑じゃないかい?邪魔なら邪魔って言ってくれていいんだよ」
「邪魔じゃないよ。なんならずっと居ていいよ」
「そうかい?ありがとうねぇ。今日からお世話になりますね」
「うん。なんでも言ってね」
「たー!そっちの荷物バラしといてー!」
「はーい」
ばあちゃんが来てから、我が家は一層にぎやかになった。
ばあちゃんがっていうか、主に母さんが張り切って。
「───たーくん、あの人に似てるね」
「だれ?」
「あの人さ。あのー……、まえ大河に出てたー……」
「俳優さん?」
「そう。名前なんてったかねぇ。最近よく見る……、色んなとこに出てる……」
「名前は出てこないね」
「滋さんにも似てきたよ」
「あ、諦めた」
食事は薄めの和食が多くなり、テレビは相撲中継や大河ドラマが定番に。
風呂の時間も前より繰り上がり、トイレも自由には使えなくなった。
だけど嫌じゃなかった。自然と受け入れられた。
不自由が増えた分だけ、家庭内の笑顔も増えた気がした。
「───肩凝るの?」
「うん?ちょっとね。本読むと直ぐこれだよ。嫌んなるねぇ」
「揉んでやろっか?」
「勉強はいいのかい?」
「いいよ。休憩にする」
「ありがとうねぇ。助かるよ」
"いつかは施設に"なんて言わず、この先も居てくれていいんだよ。
当初にかけた厚意は、紛れも無く本心。
父さんと母さんと、ばあちゃんと俺。
俺が大学行って、就職して、一人暮らしすることになっても、ちょくちょく会いに来ればいい。
「───あ、いなり寿司?」
「そう。今でも好きかい?」
「好きだよ。母さんのより、ばあちゃんが作ったのが美味しい」
「聞こえてるぞー!」
「うわ地獄耳」
ずっと、続いていくもんだと思っていた。
俺の門出を祝うまで、ばあちゃんのお迎えが来るまでは、滅多な変化はないだろうと楽観していた。
「───どしたのばあちゃん?」
「うん?んー……。背中の辺りがねぇ、なんだか重たーくてねぇ」
「大丈夫?マッサージしようか?」
「いや、やめとくよ。
悪いんだけど、トイレまで一緒に来てくれるかい?」
「うん……」
"だろう"とか、"たぶん"とか、"きっとそうに違いない"とか。
ネガティブ思考のくせに平和ボケしてて、心地好い温ま湯から出たこともないで。
なんの根拠もないのに足元を確かめないようとしないのは、昔から、俺の悪い癖だ。
「───なんで……。なんで父さんなの」
「誰かが割を食わなきゃいけなかったんだよ。仕方ないさ」
「だからってなんで父さんなんだよ!ずっと務めてきた人にこんな……」
「嵩道、声大きい。ばあちゃん起きる」
ばあちゃんが家に来て三ヶ月後。父さんがリストラされた。
昔は名の知れた商社だったそうだが、時代の移り変わりに付いていけなくなったらしい。
要は人員削減。口減らしだ。
その余波を受けた父さんも、古株の役員から一転、無職の中年に。
せめてもの幸いは、社長さんが口を利いてくれたという下請けの印刷会社に、即決で再就職が決まったこと。
しかしそちらは規模が小さい上に、ゼロからのスタート。役員報酬どころか、昇級が叶うかすら危うい。
収入は以前と比べて、半分近く減ってしまった。
「───私のシフトをもっと増やせたらいいんだけど、それだと母さんの面倒が……」
「ヘルパーに頼もう。このままじゃお前が先に倒れる」
不幸は重なる。
立て続けにばあちゃんが腰を患い、介助レベルが要支援2から要介護1へ。
ホームヘルパーを雇うに伴って、千葉家の家計はみるみるうちに火の車となった。
「でも私が働かないと回せないし、嵩道の学費だって……」
「貯蓄を切り崩せばなんとか……」
「それだっていつまで持つか分かんないわよ」
俺の進学については、誰も触れなかった。
父さんも母さんも、潮時だとは一言も言わなかった。
どうにかして金を捻出し、俺の失意を防ごうと知恵を絞ってくれた。
「父さん、母さん」
俺は感じた。
表に出さないだけで、本心では諦めてほしいんだと。
現実を見てくれと。お前はお荷物なんだと。
母さんの疲れた背中が、父さんの窶れた肩が、無言で訴えているようだった。
「おれ、大学やめる」
「はっ?お前、なに言って────」
「おれも働くから。母さんは、できるだけばあちゃんの側にいてやって」
必ずしも断念する必要はなかったかもしれない。
奨学金制度に頼るとか、バイトしながら通学するとか。実際そうやって凌いでる先輩達もいるんだし、やろうと思えば選択肢は幾つかあった。
ただ、やる気になれなかった。
奨学金に手を出せば、卒業後に借金地獄が待っている。
バイトしながらの通学なんて、卒業まで持つかも分からない。
見えなかった。見えなくなった。
将来も今も、かつての自分自身さえ、何者だったか分からなくなった。
自信が持てなかった。勇気を出せなかった。覚悟が決まらなかった。
もう駄目だと、悟った瞬間には心が折れていた。
「───面接どうだった?」
「明日から来てって」
「そう……。ねえ、嵩道。本当に無理しなくていいのよ?」
「無理しなきゃ無理じゃん」
「それに、ほら。お父さんの仕事落ち着いて、ばあちゃんの具合も良くなったら、また受験し直せば────」
「もしもの話したってしょうがないじゃん。
明日早いから、もう寝る」
なし崩しで行ったアルバイトの面接。
最初は本屋、次がレンタルビデオ屋、その次がスーパーの品出し。片っ端から受けて、片っ端から落ちた。
見た目が悪いとか経歴が悪いとか、あれこれ難癖つけられて門前払い。
大学も落ちてバイトの面接も落ちるとか、どんだけ俺は社会に必要とされてない人間なのか。
増えた履歴書の束は、削ぎ落とした妥協案の条は、俺が無能である烙印の数だった。
「───あのさ、千葉くん。大人しく従うだけじゃね、世の中まわんないのよ。何事も自分で考えて、自分から動いていかなきゃ。ね?
君ももう子供じゃないんだから、分かるでしょ」
「すいません。気を付けます」
「はあ……。気を付けます気を付けますってさ、言うばっかで全然実行できてないじゃん」
「すいません」
ようやく受かったコンビニも、長くは続かなかった。
勤務態度が真面目なことは評価するが、なにより覇気がない。要領を得ない。君でなければと言える長所が見当たらない。
毎日のように店長にどやされ、同僚に陰口を叩かれ、お客さんに舌打ちされた。
「───千葉さんってさ、なんか変じゃない?」
「あー……。悪い人じゃないんだけどね」
「あんまりこんなこと言いたくないけど、見るからにオタクって感じだしさ。こっち普通に喋ってんのに、急にキョドったり、吃ったりとかするじゃん?」
「まあ、仕事自体はちゃんとやってくれてるし。それ以外で絡まなきゃいいだけでしょ」
「そうだけど……」
髪を切った。服装を変えた。
できるだけ大きい声で挨拶をするようになった。
フットワークを軽くする意識も心掛けた。
なにが、そんなに駄目なんだ。
こんなに頑張っても駄目なら、俺はこれ以上、なにをどう頑張ればいいんだ。
「───な、今度みんなでどっか行かね?店長抜きで」
「てんちょーめっちゃ嫌いかよ」
「だってあの人いたら楽しめないじゃん。たまには上司いないとこで充電しないと」
「じゃあー、バイト全員に声かける?女の子だけなら連絡先知ってるよ、あたし」
「オレも男連中は大体ー……。あ」
「なに?」
「一人だけ知らんやついるわ」
「誰?」
「千葉さん」
「あー……」
「まいっか。あの人いんでも」
「えー?後でバレたらどうすんの」
「大丈夫だべ。どうせ誘っても断るだろうし。
あの人がカラオケで熱唱してるとことか想像できるか?」
「ちょっとウケるかも」
「だろ?」
飲食店の厨房、ショッピングモールの清掃、文具工場のライン作業……。
少しでも肌に合わないと感じたらやめて、また新しい居場所探し。寄せては返す反復行動。
それでも、いつかは出会えるはずだと信じていた。
俺でなきゃ駄目なんだと言ってくれる人が、場所が、どこかには必ずある。
いけないのは俺じゃなくて、俺を受け入れない社会の方なんだって。
自分以外の何かのせいにすることで、ちっぽけなプライドを保とうとした。
「───嵩道、ごはんは?」
「いらない」
「食べてきたの?」
「違うけど、腹減ってねえから」
「またそんなこと言って。朝だって碌に食べていかなかったじゃないの。
せめて晩ごはんくらい精のつくもの食べないと────」
「だからいらねえんだって!自分らで好きに食やいいだろ!」
進学を断念して二年が経った頃。
何気なく覗いたSNSで、懐かしい顔と再会した。
俺と同じ大学を志望し、俺とは別に勝ちを拾った、あの人だった。
今風な装いをした本人写真のアイコンと、これでもかと情報を詰め込んだプロフィール文。
そこには"東京在住"で"タレントの卵"である旨が記載されていた。
"───色々しんどかったり怖いこともあるけど、なんだかんだ人生は一度きり。
後でもっと後悔したくないし、やれるうちにやれるだけ頑張ってみようと思う"。
俺達は同学年で、同時期に入試を受けた身。志望大学も短大ではなく、しっかり四年制の国立大だ。
飛び級などの例外を除き、卒業するにはまだ早いはず。
一体どういうことかと過去の投稿を遡ってみると、こんなエピソードが綴られていた。
在学中、友人と共に東京へ出掛けた際、見知らぬ男性に声をかけられた。
男性はとある芸能事務所に勤めており、声をかけてきた理由も所謂スカウト目的だった。
悩んだ末、彼はスカウトを承諾。所属事務所と二人三脚で、手始めにタレント活動から始めていくことになった。
芸能人として成功するために、せっかく受かった大学を中退してまで上京したというわけだ。
「───嵩道は?」
「うーん……。なんか気分悪いみたい。とりあえず、私達だけで先食べちゃいましょ」
なんだよ、それ。なんなんだよそれ。
俺を差し置いて受かったくせに、なんで辞めちゃうんだよ。
なにが東京だよ。なにがタレントの卵だよ。
どうせ辞めちゃうなら、最初から受けなきゃ良かったじゃん。どうせ芸能人になりたいようなやつなら、学歴なんてどうでも良かったんじゃん。
俺は落ちたんだよ。お前と違って明確な将来設計があって、そのために必要だったから大学に行きたかったんだよ。
なんでお前みたいな、お遊びで大学デビューとかなんとか言って、サークルとかってコンパばっかりやってるようなやつが簡単に受かって辞めて、俺はずっと、こんな。
"───今度テレビに出るよ!深夜枠だけど、なんと地上波!
来月になったら詳しくお知らせするから、どうぞお楽しみにー!"。
思ったより良いやつ?天は二物を与えない?違う。
一方に与えられた二物は、もう一方から奪った一物を足しただけだ。




