第十四話:千葉嵩道 2
帰宅後、緊急家族会議が開かれた。
議題はもちろん、俺の今後についてだ。
失敗しないと高を括り、本命一本で勝負したのが仇となってしまった。
こんなことなら滑り止めも受けておけば良かったと、悔いたところで後の祭り。
諦めて就職か、諦めず再受験か。
二つに一つの究極の選択。後押ししてくれたのは父だった。
「───会計士、だったか?お前がなりたいの」
「……うん」
「それは本当に、"お前が"なりたいんだな?周りに奨められたから何となくじゃなく、"お前"が"自分"でやってみたいことなんだな?」
「……最初は先生に奨められて、ちょっと意識するくらいだったけど。意識しながら勉強するうちに、本当にやってみたいと思うようになった」
「そうか。なら良い」
「え?」
父さんは俺の生き様に干渉しない人だった。
上手くいった時だけ褒めて、上手くいかなかった時はそっとしといてくれる。
進路の相談をした時でさえ、お前の納得いく答えを見付けなさいと、それだけ。
「お前の納得いくまで頑張ってみなさい」
「え……。でもそれだと────」
「お金のことは心配しなくていい。俺もまだまだ働けるしな」
「いいんですか?お父さん」
「ああ。待子にも世話をかけるだろうが、せっかく嵩道が頑張りたいことが見付かったんだ。だったら俺達も、できるだけの応援をしてやろう」
ある意味で放任主義かもしれないが、冷たいわけじゃない。
父さんはずっと、信じてくれていたんだ。俺の成功じゃなく、俺の努力を。
大事なのは、結果よりも過程だから。たとえ夢に敗れても、頑張ったことは、頑張りたいと奮起したことは無駄にならないと、言ってくれた。
「父さん、おれ────」
「その代わり、ずっと支えてやれる保証はない。
確実に応援できる期間は、一年か二年が限度だ。それ以上となると、俺達もどうなるか分からない。いいな?」
「……わかった。次で必ず、ケリつける。迷惑かけてごめん」
「こんな時は謝るんじゃないでしょ」
公認会計士。
高校の担任に唆されたのをきっかけに、消去法で目指し始めた夢。
けど今は違う。やれと言われたからやるんじゃない。俺が自分でやってみたくなったんだ。
生まれて初めて、人に評された持ち味。
朧げだった個性に、輪郭と名前をつけてもらった、その恩に報いるために。
「ありがとう。おれ、頑張るから」
この日から、俺の浪人生活が始まった。
「───浪人ってつまりは、次のお受験まで無職ってことなんでしょ?」
「勉強に専念するんなら、そうなんじゃない?」
「大変ねえ。学費だけでもバカになんないのに」
「いっそ受からない方が安上がりで済むかもね」
「それじゃ本人が立つ瀬ないでしょう」
俺が落第したのを機に、千葉家は悪い意味で噂の中心になった。
"落ちた神童"とか、"通り魔になりそう"とか、"結局は体のいい穀潰し"だとか。
俺個人を謗るものから、"育て方が甘かったんだ"なんて、一族全体を貶めるものまで。
耳に入る度に気が滅入ったが、モチベーションは何とか維持できた。
父さん母さんが堂々としていたおかげで、罪悪感より責任感が勝った。
「───勉強の方どう?捗ってる?」
「まあ、ぼちぼち」
「睡眠時間は?ちゃんと取れてる?」
「ぼちぼちは」
「ぼちぼちばっかねぇ」
「そんなに心配しなくていいってことだよ」
母さんは父さんと逆で、良くも悪くも過干渉な人だった。
俺が上手くいった時もいかなかった時も、人一倍喜んで悲しむ。
父さんが寡黙だった分、俺を構ってやるのは自分の役目と思っていたのかもしれない。
「そっちこそ、家計どうなの。母さんもシフト増やしたんでしょ」
「それこそ心配いらないわよ。ぼちぼちやらせてもらってますー」
「やっぱりおれも働いた方が────」
「どこでよ」
「わかんないけど……。せめてなんか、バイトとか」
「いらないいらない。そんな微々たる賃金納めさすくらいなら、勉強頑張って自立してくれた方がよっぽど助かるわ」
反面、怒りの発露はいつも落ち着いていた。
怒るっていうか、叱る。俺の良くないところ、看過ならないことを、理路整然と教え諭す。
力で押さえ付けて矯正できるタイプでないのを分かっていたんだろう。
だから怒鳴らないし手を上げない。俺が自分で反省するのを、根気よく待ってくれた。
「でも、周りの話聞いたら、奨学金受けるやつとか、自分でバイトして学費稼ぐってやつもいて……」
「余所は余所ウチはウチでしょ。そういう子達は確かに立派だけど、頼れる相手がいるなら頼った方がいいし、甘えられるうちに甘えておけばいいのよ。何事も。
あんたは今できることを頑張れば、それでいいの」
右も左も未知数な、浪人という在り方。辛くなかった、こともなかった。
晴れ晴れとした現役生や、背筋の伸びた社会人。
自らの足でしっかりと真昼の道を突き進む彼らを、自室の窓越しに眺めては胸が詰まった。
彼らの言う"全然寝てねえ"と、俺の言う"全然寝れねえ"とでは、桁が一緒でも種類が違う。
楽しげな写真がアップされるSNSは、もはや異世界の光景だった。
「うん……。ありがとう」
ゲームだったり漫画だったり、誘惑に負けそうになった日もあった。
自分の何がいけなかったのか、根本が解せなくて堂々巡りした日もあった。
こんなに頭使ったことないってくらい、苦じゃなかったのが遠い昔に感じるくらい、朝から晩まで勉強漬けで、毎日が戦いだった。
それでも何とか続けてこられたのは、父さんと母さんのおかげ。
二人の応援を無駄にしたくないっていう強い気持ちがあったおかげ。
「───嵩道。こんど気分転換に、二人で出掛けないか?
なに、たまには息抜きしてもバチ当たらんだろ」
「───たー、今晩なに食べたい?食べ盛りなんだから、しっかり栄養つけんとね!」
一つでいい。
たった一つでも特化した何かを手に入れて、たった一つでも活躍の場を見付けて。
そしていつか、父さんと母さんにとって、たった一人の自慢の息子になってみせる。
「気遣いすぎだって。もうガキじゃねーんだから」
感謝をもとに立てた誓いは、どんなに辛くても苦しくても、おれの中で息づいていた。
─────はずだった。
「───今度また一週間くらい家空けるから、晩御飯のこととか、色々よろしくね」
「またばあちゃん家?」
「そう。調子悪いみたいでね」
「最近多いね」
「若く見えても歳だからねえ。
あ、なんか用事あるなら早くしてよ?
お父さんも、必要なものあるなら今のうちにお願いしますね」
「特にないよ。よろしく言っておいて」
全ての調和が狂いだす分岐点が訪れるまでは。
「───結構ヤバい感じ、なんじゃないの、それ」
「んー、命に関わるほどじゃあないんだけどね。ただ、お年寄りの一人暮らしっていうのは、ね。色々とあるもんなのよ。
せめておじいちゃんが居てくれれば、もう少し違ったかもしれないけど……」
浪人生活が始まって半年後。予期せぬ事態が起きた。
母方の祖母、幸代ばあちゃんが体調を崩したのだ。
稔じいちゃんが死んでからというもの、幸代ばあちゃんは急激に弱っていった。
頭だったり目だったり、深刻じゃないが専門の治療を要する病気を繰り返してきた。
その度に母さんが騙し騙しと実家へ様子見に行っていたが、いつまでも一人では置いておけない。
近い将来なにかしらの決断を迫られるだろうとは、三年以上前から言われていた。
「本人は別にどこでも構わないって言ってるから、こっちの施設探して入ってもらおうと思ってるんですけど……」
いわゆる老人ホームに入居させるか、我が家で引き取って面倒を看るか。
またしても重要な選択。後押ししたのは、やっぱり父だった。
「いや、決断は急がない方がいい。お義母さんも不安だろうし、しばらくは家に来てもらおう。施設に入るかどうかは、それからゆっくり考えたらいい」
「でも……」
「大丈夫、なんとかなるよ。
それにお前のことだから、どこへ場所を移しても、足しげく通うんだろう?だったら家にいてもらった方が、なにかあった時も都合良いじゃないか」
「そうですね……」
「俺は、孝行したい時にはもう、両親とも居なかったからさ。せっかく生きてるんなら、出来るだけのことをしてあげよう」
「ええ……。ありがとう、滋さん。家の負担にならないように、私もやり繰りしますから」
「そうだな。無理のない範囲で」
親子三人で暮らしてきた千葉家に、新たな一員が加わる。
それぞれのリズムは当然乱れるだろうが、継続していけばいつかは順応する。
家計も部屋数も、一人くらいなら増えても差し支えない。
「嵩道はどうだ?なにか困ることあるなら言っていいぞ」
「別にないよ。おれも手伝えることあればやるし、二人に従う」
「ありがとうね。嵩道も、滋さんも」
「なんだ水臭い。お互い様だろ」
経済的に支える労働力にはなれなくても、介護の手伝いくらいなら俺にも出来る。
ようやく自分にも役に立てそうな仕事が回ってきたと、むしろウェルカムな気持ちだった。




