第十四話:千葉嵩道
俺は特別な人間じゃない。
秀でた才能も特技もなく、これさえあれば毎日楽しいっていう趣味もない。
悪さも不義理も働かず、やらなきゃならないことはとりあえずやる。
良くて真面目、悪くて無個性。昔の同級生とかに話を聞いても、たぶん名前さえ思い出してもらえない。
なら普通の人間かといえば、そんなこともない。
顔はお世辞にも整ってるとは言えないし、体型も子供の頃から小太りをキープ。
学校の女子からは小声でキモいとかクサいとか囁かれ、安定して嫌われてた。
手持ち無沙汰の休み時間を机に突っ伏してやり過ごすのは、所謂ぼっちの常套手段だ。
「───みて、あいつまた寝たふり」
「ほっときなよ。かわいそうじゃん」
「カワイソーならお前が話し掛けてやれよ」
「絶対ムリだし」
誰にも好かれず、誰にも憎まれない。
いじめの対象にならなかったのが、せめてもの幸い。
「───よ、千葉。元気か?」
「はあ……」
「相っ変わらず覇気ねえなあ。高校なんてあっという間なんだから、エンジョイしとかんと勿体ないぞ」
「はあ……」
「俺が学生だった頃はなぁ────」
"もっと向上心や協調性を覚えましょう"。
通信簿を開けば、毎度お決まりの文言が連なっている。
「───そろそろ起きなー。遅刻するよー」
「……なんか、腹痛いかも」
「なに、便秘かい」
「……いや、いい。なんでもない」
千葉嵩道。父に滋、母に待子を持つ、千葉家の一人息子。
俺という人間は、生まれてこの方、そういうヤツ。
「───千葉は、なにかやりたいことないのか?」
「特に……」
「大学は?行くつもりなのか?」
「いいとこがあれば……」
「そうだな。せっかく頭良いんだし、国立あたり行けたらいいな。
理数系が強みなら、会計士とか税理士とか向いてるんじゃないか?」
唯一の取り柄は、周りより少しだけ勉強が出来たこと。
得意科目は数学。みんながやる気にならないと嫌がる数学の授業を、俺だけがいつも前のめりに受けていた。
おかげで成績は10番を落としたことがない。一部の先生方からは将来有望だと期待もされていた。
俺自身、賢い部類である自負があった。
若気の至りと遊び呆けている連中とは違う。最新のテキストに齧り付き、最盛な塾に通い続けた賜物。
学んだ分だけ知識に増えていくのが楽しく、頑張った分だけ結果がついてくるのが嬉しかった。
勉強している間は孤独を笑われないから、ある意味での逃げ道でもあったかもしれない。
「───晩御飯できたけど、ちょっと下りてこない?」
「悪いけど集中切らしたくないから。後にして」
「頑張るねぇ。じゃあ後で、おにぎりにして持ってくるわ」
「ありがと」
受験シーズンになると、遊び呆けていた連中も慌てて机に向かうようになった。
俺は焦らなかった。志望大学は夏の時点でA判定をもらっていたし、スパートもそんなにキツく感じなかった。
「───そっち進捗どう?」
「あんましかな。ぼちぼちってとこ」
「だよなー。切り替えろって言われてもモチベあがんねー」
「夏休み遊び過ぎたんじゃん?」
「いやお前もだし!」
たとえモテなくても、誇れる軌跡を残せなくても、頭の出来さえ悪くなければ路頭に迷わない。
青春だ何だと浮かれるやつがいるのは結構だが、お気楽上等に未来はない。
太く長く生きるためには、俺みたいに早い段階から努力を積み重ねるのが肝要なんだ。
「───ふーん。じゃオレら同じとこ目指してるわけだ」
「えっ?あー……。そうなる、ね」
「参ったなー。枠一個争う上にお前相手とか、オレ全然勝ち目ねー」
「いや……。まだどうなるか分かんないし……。二人とも受かるように頑張るしかない、じゃないかな」
「だな。どっちも受かるといいな」
「あ、うん。そうだね……」
良い大学を出て、それなりの職に就いて、たまに映画みたり寿司食ったりして、親戚が集まるたびにイイ女いないのかと責っ付かれたりしながら、平穏に無難に天寿を全うする。
特別幸福じゃないが、特別不幸でもない。
俺という人間の人生は、なんだかんだと、そういうもの。
────に、なるはずだった。
「───駄目だ。繋がらん」
「えー?なんでぇ?今時はネットが普通なんじゃないの?」
「普通だから集中するようになったんだよ。みんな考えることは一緒ってこと」
「むー。いつになったら見れるようになるの?」
「さあ。夜までには落ち着くんじゃない?」
「夜ぅ?そんなに待ってらんないわよー。通知も全然来る気配ないし……」
「しょうがないよ。きっと急ピッチにやってこれなんだから。気長に待とう」
「……こうなったら、直接見に行ってやるか!」
「は?会場に?今から?」
「夜まで待つくらいならこっちのが早いじゃない!
お父さーん、留守番たのんでもいーいー?」
「いいよー。雪だから気を付けて行っといでー」
センター並びに二次試験を終え、合格発表の日。
オンラインがなかなか繋がらないことに業を煮やした母と連れ立って、俺は志望大学のキャンパスへと赴いた。
合否が張り出された掲示板の前には、バーゲンやオープンセールを思わせるような人だかりが出来ていた。
「おー、結構いるわね。みんなネットやってない人なのかしら」
「さあね」
見るからに肩を落とした者、ひっそりとガッツポーズをする者。
同伴者と涙ながらに抱き合う者、暗い声でどこかに電話をかける者。
リアクションは千差万別で、誰が天国で地獄なのか一目で分かった。
「緊張してきた?」
「少し」
「あら余裕じゃない」
「そんなんじゃねーよ」
俺も逸る気持ちを抑えて、自分の受験番号を探しにいった。
おめでとうと泣くだろう母に、まずなんと言葉を返そうか。受かっていた時の事後を想像しながら。
「どう?ある?」
張り紙に所狭しと並んだ、数字の羅列。
上から順に目で追っていって、やがて気付いた。
俺の番号、ない。
「嵩道、ほら。どうなってんの。あんたの番号何番だっけ?」
いや、そんなわけない。緊張のあまり覚え間違えたか、数え間違えただけだ。
何度も何度も手元の受験票と張り紙とを見比べて、何度も何度も頭と心とで反芻した。
でもやっぱり、俺の番号だけがそこになくて。
段々と視界がぼやけて、指先が痺れて、耳の奥が晩夏のセミのようにじりじり鳴った。
「───あった!ほらあった!ほら、あそこ!あれ!」
「わかったって見えてる。見えてるから」
「すごいじゃないのも~!よくやった!本当によくやった!
ひゃ~、どうしましょ~!」
「受かった本人より喜んでんじゃん」
「当ったり前でしょ!はやくパパに電話しなきゃ!」
ふと聞こえてきた喜びの声。
そちらに振り返ると、見知った顔があった。
以前、俺と争ったら勝ち目がないとぼやいていた人だった。
自信ないとか保険かけてるやつに限って、テストで良い点とるのはよくある話。
ただ彼の場合は違うと思っていた。人柄を買っていたからではない。実際に俺の方が上だったからだ。
休日も努力を怠らない俺と、瑞瑞しいスクールライフを謳歌していた彼。
テストの点数も学年成績も、俺が彼を下回ったことは一度もなかった。
なのに俺が落ちて彼が受かった。勉強しかなかった俺が落ちて、遊び呆けていた彼が受かった。
遊びに興じる傍ら、彼も隠れて努力していたんだろうか。
だとしても、机に向かった時間は俺の方が遥かに長いはずだ。
だって、彼が友達や彼女と繁華街に繰り出したり、イベントに参加したりしている間も、俺は欠かさず塾に行って、プログラムを受けて、教科書も参考書も手放さずにきたんだ。
こいつなんかより俺の方が10倍も100倍も頑張ったはずなんだよ。
なのになんで、勉強しか能のない俺が弾かれて、勉強以外も万遍なく持ってるこいつが拾われるんだよ。
イケメンで人気者で色んな才能あって、大学なんか出なくても何でもなれそうなお前が、俺の唯一を越えるんだよ。
「嵩道……?大丈夫かい、お前」
なんと言葉を返そうか、なんて。とんだ驕りだった。
返すどころか、言葉が出なかった。察した母さんが心配そうに背中を撫でてくれても、俺は何も言えなかった。
泣くでも癇癪を起こすでもなく、ただ呆然と、その場に立ち尽くした。
「("そっちどうだった"……)」
俺と目が合った彼は、声が届かない代わりに口パクで話し掛けてきた。
こっちの結果は良かったよと、屈託ない笑みを携えて。
これだけの距離があっても、人混みに紛れても、見失わない。見劣りしない。かっこいい。眩しい。
彼以外の全てがモノクロに染まるほど、彼だけが一際輝いているように錯覚した。
そうか。彼は実は、まともな人だったんだ。
お気楽系リア充だと俺が勝手に決め付けていただけで、俺みたいなやつにも気兼ねなく接してくれる優しい人だったんだ。
「風、冷たくなってきたね」
がむしゃらにやるのが賢いと思い込んでいたのが俺。みんな馬鹿だと胡座をかいていたのが俺。
自分より顔も性格も良い人が、自分より頭まで良いと認めたくなかったのが俺。
愚かなのは、俺だ。
「帰ろう、嵩道」
天は二物を与えない時代は、もう終わったんだな。
たった6桁の数字でも、俺を奈落へ突き落とすには十分だった。




