第十三話:しのぶ 4
PM1:45。
予定していたという時刻を10分ほど前倒しして、俺達は千葉家に到着した。
敷地内にハンドルを切った高谷さんは、慣れた様子で車をカーポートに納めた。
千葉家唯一の自家用車は滋さんが出勤で使うため、この時間帯のカーポートはいつも空いているらしい。
滋さんが在宅の際は、軒先のスペースに駐車させてもらうそうだ。
「───ここで高谷さんはお仕事してるんすね」
全員で車を降り、千葉家の前で立ち止まる。
これといって変哲のない、二階建ての一軒家。
強いて気になる点を上げるとすれば、庭が綺麗に手入れされている割に、外壁は塗装剥離が目立つくらいだろうか。
「そうだよ。私にとっては二つ目の実家みたいなもの。……なにか感じる?」
「いいえ。普通に良いお家だと思います。ぱっと見は」
「そう……」
今のところ、周辺に妙な気配はない。
モモや凛太朗さんと違って、嵩道さんの生霊はあまり外を出歩かないタイプなのかもしれない。
本当にこれが生霊案件であれば、の話だけど。
「やっぱ中に入ってみないと始まんないか」
足並みを揃え、いざ玄関へ。
高谷さんは俺と澪さんに一言断ってからドアホンを押した。
『はいはーい』
「こんにちは。高谷です」
『あ、はいはい。今開けるわねー』
ドアホン越しに返ってきた声は大人の女性のもの。恐らくは待子さんだ。
少し待つとドアが開かれ、先程の声の主が現れた。
「いらっしゃい。丁度いい時間ね」
少年のように短い髪、年季の入った黒縁眼鏡、女性らしい丸みを帯びた体つき。
笑った顔はどこか温かみと懐かしさがあって、他人な気がしない。
いっそ自分の母親より、お母さんっぽさみたいなものを感じる。
「あ、こちらが例の?」
女性の視線が高谷さんから俺に移る。
「ええ。こちらが二見くんで、お隣りが澪さんです」
「初めまして、二見といいます。お忙しいところ邪魔してすいません」
「こんにちは」
高谷さんの紹介を受け、俺と澪さんは挨拶した。
「あらあら、ご丁寧にどうも。
私は千葉待子といいます。こちらこそ色々お世話になるみたいで。わざわざご足労いただいちゃってごめんなさいね」
「とんでもないです」
この人が待子さんか。
見ず知らずの俺達にも隔てなく接してくれる。例えるなら、春先の太陽のような人。
事前に高谷さんから聞いていた通りだ。
「どうぞどうぞ入って。あんまり綺麗な家じゃないですけど」
「また謙遜を。ヘルパー必要ないくらい、いつも綺麗にされてるじゃないですか」
「まっさか!目に付くものだけ端っこに寄せてるだけよ」
立ち話もそこそこに、待子さんは俺達を迎え入れてくれた。
初対面ゆえの余所余所しさは若干あるが、変なやつが来たと訝られてはいない。まずまず順調な滑り出しだ。
「失礼します」
高谷さん、俺、澪さんの順に家に上がる。
家族住まいだけあって物は多いが、玄関も手入れが行き届いていた。
幸代さんの世話もあるのに、家事も手を抜かないなんて偉いなあ。
感心したのも束の間、俺の視界に予想外の異物が飛び込んできた。
「(いる)」
階段の中腹辺りに立っている人影。
黒いスウェットを身に付けた、恰幅の良い若い男性の姿。
見当違いでなければ、あれは嵩道さんではなかろうか。
待子さんにばかり注意していたせいか、今の今まで存在に気付かなかった。
いや、今の今までは、そこに居てさえなかったのかもしれない。
「滋さんは今日も遅いんですか?」
「いつも通りよ。たまには明るいうちに帰ってほしいけどね」
高谷さん待子さんは変わらず、お喋りに夢中だ。
この距離で気付かないはずはないので、たぶん二人には視えていない。
念のため澪さんに目配せすると、小さく頷いて返してくれた。
同類に敏い澪さんが共鳴してるってことは、俺が裸眼で改めるまでもないな。
あそこに立っている男性は、ほぼ間違いなく"嵩道"さんの"生霊"だ。
「どうする?このまま部屋行く?」
待子さんの意識が逸れた隙に、高谷さんがこっそり耳打ちしてきた。
俺は状況を逐一伝えるべきか悩んだ。
「いえ。せっかくですし幸代さんにもご挨拶くらいは」
「無理しなくてもいいんだよ?私の方から話しておくし」
高谷さんには悪いが、来て早々に混乱を招きたくない。
確定したことが言えないうちは、黙ってやり過ごすとしよう。
「家に上げてもらうからには素通りは出来んすよ。それに幸代さんも当事者なわけだし」
「そっか。じゃあ、そうしよう」
問題はこっちだ。
先程から強烈な視線というか、圧を感じる。
ただし、嵩道さん自らアクションを起こそうとする気配はない。一言も喋らないし、一歩も動かない。
高谷さんと同じく飛びだましの使い手であるなら、生霊越しに警戒されているのか?
いずれにせよ、歓迎ムードでないのは明らかだな。
「二人も"さっちゃん"に挨拶したいって」
「あらそうなの?」
高谷さん曰く"さっちゃん"とは幸代さんのことである。
親しみを込めて、ヘルパーの間でそう呼ばれているらしい。
「ご迷惑でなければ、そうさせてください」
「律儀なのねえ。ありがとう。
お客さんなんて滅多に来ないから、母も喜ぶわ」
待子さんに連れられ、幸代さんのいるというリビングへ向かう。
途中で嵩道さんの生霊と擦れ違ったが、手が届くほど近付いても彼は何もしてこなかった。
俺達が帰るまで、あそこでじっと立ったままだったらどうしよう。怖いから知らんぷりしとこ。
「───桐ちゃんが来てくれたわよ~」
広いリビングダイニングと、奥に介護用ベッドが一つ。
リビングにベッドが置かれている理由は、家族全員が立ち入る場所であるから。いざという時に誰かは駆け付けられるよう、離れの寝室は避けたそうだ。
「いらっしゃい。今日もお早いお着きね」
そこに横になっている女性こそ、当事者の一人である幸代さん。84歳。
ふわふわの白髪に、淡く色付いた老眼鏡、血管の浮き出た細い手首。
明るい雰囲気の待子さんとは打って変わり、こちらは物静かでおしとやかな印象だ。
ヤギんとこのツユちゃんと比べると、まさに対極。
「こんにちは、さっちゃん。今日はご気分どうですか?」
待子さん高谷さんがベッドに歩み寄る。
「悪くないですよ。ちょっと膝が痛むけどね」
幸代さんは手元の文庫本を閉じ、かけていた老眼鏡を外した。
読書中だったようだ。
「そちらの方は?」
俺と澪さんも続くと、幸代さんがこちらを向いた。
「桐ちゃんのお友達で、機械に詳しい方なんですって」
「へえ」
「なんか嵩道のパソコンが馬鹿になったらしくてね?その相談でいらしてくれたのよ」
俺が自分で言う前に、待子さんが事のあらましを説明してくれた。
「まあまあ、大変だこと。
それで、桐ちゃんのお友達さん───、は何て仰るのかしら?」
「あ、二見といいます」
「二見さん。機械のことは私はよく分かりませんが、孫がお世話になりますね」
「いいえそんな。こちらこそ、お邪魔します」
「あ、ぉ、お邪魔してます」
幸代さんに深々と頭を下げられ、俺と澪さんもつられる。
「じゃあー、母さんの分も合わせて、みんなさんのお茶を煎れてこようかしらね」
「お買い物はいいんですか?」
「それくらいの時間はあるわよ」
持て成しの用意をと待子さんが踵を返す。
「あ、お構いなく────」
長居するつもりはないので、自分達のことは構わなくていい。
そう断ろうとして待子さんの方を振り返った瞬間、またしても視界に異物が飛び込んできた。
「(どっから湧いたコイツ)」
嵩道さんだ。
ついさっき擦れ違ってきた嵩道さんが、すぐそこにいた。
リビングの隅に呆然と佇み、きつく俺を睨んでいる。
先程といい今といい、いくら死角だったとはいえ、この距離で存在に気付かないなんて。
ていうか、マジなんでここにいんの?
玄関との動線は一本だけ。庭を回って来たんだとしても目についたはずだ。
どちらでもないってことは、まさか凛太朗さんみたいに瞬間移動できるのか?
なら何で地蔵キープ?俺のことが目障りなら、もっとしっかり牽制なり攻撃してくりゃいいのに。
「ケンジくん?どうしたの?」
幸代さんの姿勢を変えてやりながら、高谷さんが首を傾げる。
俺は平静を装いつつ、幸代さんの挙動を窺った。
「いえ、なんでも」
確か、幸代さんには嵩道さんの生霊が視えるんだったよな。
その割には反応が薄いというか、無反応だ。取り繕ってる素振りもない。
視える時と視えない時が幸代さんにあるのか、視せる時と視せない時が嵩道さんにあるのか。
ええい次次に謎謎こいてきやがって。
「二見さーん、澪ちゃーん。
お茶ねえ、温ったかいのと冷たいのと出来るけどどっちが良いですー?」
キッチンから待子さんが話し掛けてくる。
俺はまた待子さんの方を振り返って、二度目のデジャヴに遭遇した。
待子さんの隣に、嵩道さんがいる。
茶葉やら湯呑みやらを準備する待子さんを、やっぱり地蔵状態で眺めている。
例の瞬間移動かと思いきや、リビングの隅にも、まだ嵩道さんがいる。つまり────。
「(二人いる)」
幸代さんは無反応のまま。パニクってんのは今んとこ俺だけ。
リビングとキッチン、内のどちらかが厄主である可能性は低い。
「あらっ?二見さん?」
「すいませんちょっと」
嫌な予感がした俺は、急ぎ来た道を戻った。
そして冒頭の階段でファースト嵩道さんを発見し、再びリビングへ。
「どうかされました?」
俺の不自然な行動を待子さんが心配する。
俺は半分くらい心が折れたのを、愛想笑いで誤魔化した。
「いえ、すいません。お茶は皆と同じでお願いします」
三人いる。
ファーストが階段、セカンドがリビング、サードがキッチン。
各所に嵩道さんの生霊が同時多発している。
瞬間移動ではなく分身だった。どうりで動き回る姿を一度も確認できなかったわけだ。
自他ともに全く初めてなケース。
一人の厄主が複数の生霊を生み出すなんて、桂さんにも聞いたことがない。
下手をしたら五人とか、十人とかどんどん増えて、家じゅう嵩道さんだらけになったりして。怖い通り越してキモいな。
「ケンちゃん」
澪さんが深刻そうに俺を呼ぶ。
一足遅れて彼女も体感したようだ。
「わかってる。とにかく落ち着こう」
共有できる相手がいるのを喜ぶべきか、俺一人の勘違いでなかったことを憂うべきか。
前途洋々?うそうそ。多難。前途多難。
「───はーい、お茶が入りましたよ~」
お茶の準備を終えた待子さんが、人数分の湯呑みとお茶菓子とを盆に載せて持ってきた。
するとサード嵩道さんが、おもむろにリビングを出ていった。
ようやく動きがあったんだし、追い掛けてみたいところだが、まあいい。
どのみち本丸を叩くんだ。洗いざらい吐かせてやるから、せいぜい首長くして待ってろってんだ。
「すいません、ありがとうございます」
「ありがとうございます。いただきます」
今更お構いなくとは断れず、俺と澪さんは湯呑みを受け取った。
お茶菓子は器に山盛りだから決まりはないとして、湯呑みの数が全部で五つ。
内の二つが高谷さんと幸代さんの分なら、あれ?一つ多いな。
「あの、このあと買い物に行かれるんですよね?」
「ええ。これ済んだら直ぐに。バタバタしちゃってごめんなさいね」
「いえ……」
"済んだら直ぐに"とは、俺達に配ったらという意味か。自分も軽く一服してからという意味か。
これ以上ツッコんだら失礼かな。
「……ああ、これ。ついでに息子の分もと思ってね。どうせ受け取っちゃくれないでしょうけど」
俺の思考を読んだらしい待子さんが、余った湯呑みの訳を教えてくれた。
在宅なのは他に嵩道さんしかいないし、当然っちゃ当然か。
「いつもすいません。いただきます」
「あんたは飲まないのかい?」
「今日はね。また今度」
高谷さん幸代さんにも湯呑みが配られる。
最後の一つは待子さん手ずから、嵩道さんの自室まで運ぶつもりのようだ。
"どうせ受け取っちゃくれないでしょうけど"。
後ろ向きな言動から察するに、"直接"は受け取ってくれないってことなんだろう。
部屋の前に必要なものを置いておき、後で本人に回収させるというのは、引きこもりがいる家庭ではよくある話だ。
今日も待子さんは、ドア越しにしか厚意を伝えられないのか。
せっかく一緒に暮らしているのに。"ついで"なんて、本心じゃないくせに。
「あの」
「はい?」
お節介なのは分かっている。でもなんか、ほっとけない。
同族嫌悪じゃないけど、自分にも近い部分がある。そのせいで後悔したことも、反省したこともある。第三者のお節介が、意外なほど胸に響いたこともある。
他の誰も、彼の第三者になってくれないなら。一言だけ、俺に言わせてほしいんだ。
後悔が後悔であるうちに。意地が過ちになってしまう前に。
「それ、最後の。嵩道さんのなんですよね」
「え?ええ」
「良かったら、俺が部屋まで持っていきましょうか」
「えっ」
目を丸める待子さんに、俺は続けて提案した。
「もともと俺達は嵩道さんに用があって来させてもらったんですし。"ついで"に」
「ああ……。そう、でしたね」
待子さんは納得しつつも快諾はしなかった。
家族とさえ摩擦のある嵩道さんが、自分の仲介なしで他人に応じられるかが不安なようだ。
「お願いしたらいいんじゃないですか?今日のことは事前に話つけてありますし」
「うーん……」
高谷さんのアシストにより、待子さんの不安が揺らぎ始める。
「それにほら、初対面といっても男同士ですし。こういう時は家族の目がない方が却ってやりやすいかも」
「そうね……。じゃあ、お願いしてよろしいでしょうか?」
「はい」
今度こそ待子さんは承諾してくれた。
高谷さんは俺にだけ分かるようにグーサインを出し、そわそわと落ち着かなかった澪さんは安堵の息をついた。
「なんだか悪いですね。ただでさえ、あれやこれやで面倒おかけするのに」
「とんでもないです。専門家ってわけじゃないですから、そんなに畏まらないでください」
「必要になったら、あれ。相談料とか依頼料とか?ぜんぜん請求してくれていいんですからね。
話にならないと思ったら、さっさと中断してくれて構わないし」
「しないですよ。お金もいりません。
何度も言いますけど、俺は"高谷さんの友達"で、"専門家じゃない"ですから。
パソコンの"不調"を"ちょっと"見させてもらうだけです」
嵩道さん関連だと消極的になるのは、きっと前科のせいだ。
自称ボランティアの連中が土足で踏み荒らしたせいで、嵩道さんとの溝が深まってしまった過去があるから。
あの時の二の舞を懸念するのは無理ない。
「ほら、もう時間ですよ。待子さん。
ここは私達に任せて、行ってください」
「そう?ごめんねぇ、ありがとう。
二見さんと澪ちゃんも、居心地悪い家でしょうけど、ゆっくりしてってくださいね」
「ありがとうございます」
高谷さんに促され、待子さんはお茶菓子の入った器と盆をリビングテーブルに置いた。
代わりに手に取ったのは、ソファーの上にずっと放置されていたショルダーバッグ。たぶん待子さんのだ。
「行ってらっしゃーい」
「お気を付けて」
「はーい行ってきまーす」
俺達の見送りに一つずつ応えながら、待子さんはリビングを出ていった。
程なくして玄関ドアの開閉音と施錠音が聞こえ、家の中が静かになる。
喋ってたの殆ど待子さんだったし、いなくなるだけでこんなに雰囲気変わるんだな。良い意味で嵐みたいな人だった。
もう邪魔が入る恐れはない。
待子さんには悪いが、俺達の用事が済むまで帰ってこないことを祈ろう。
攻めるは本丸、迎えるはボス戦。今一度、気を引き締めねば。
「相変わらず慌ただしいこと。お客さんが見えてもこうなんだから」
「そこが待子さんの良いところじゃないですか」
幸代さんが可笑しそうにくすくす笑い、高谷さんが調子を合わせる。
まだお邪魔したばかりだが、千葉家と高谷さんの関係が俺にも分かってきた。
明るく行動派の待子さんが一家の中心人物。そんな待子さんを夫の滋さんが献身的に支え、幸代さんが穏やかに見守る。
そこに嵩道さんも加わってほしいのは、全員共通の願いだ。
「(見てるかよ、嵩道さん)」
セカンド嵩道さんと目を合わせる。
時差があるにせよ完全でないにせよ、なんらかの形で厄主の元へは届いてるはずだ。
俺達がここへ来たことも、俺達の邂逅は避けられないことも。
待子さんがお前のためにお茶を煎れたことも、幸代さんがお前のために頭を下げたことも。
本当はずっと見えてるんだろ?違うか?
「俺も行きます。お茶冷めちゃうし」
「うん。なにかあったら、ね。いつでも呼んで」
「澪」
「はい」
待子さんが残していった盆に三人分の湯呑みを並べ、高谷さん澪さんに一声かける。
最後に幸代さんに会釈しようとすると、引き止められた。
「お兄さん、お嬢さん」
「え、はい」
「なんでしょう」
幸代さんが微笑む。
「嵩道のこと、よろしくお願いしますね」
ツユちゃんとは対極だと、第一印象で感じた。
同時に、どこかで会ったような既視感を覚えた。
それが誰だったか出てこなかったが、いま思い出した。
名取さんだ。幸代さんは、名取さんに似てるんだ。
「……はい。行ってきます」
ひょっとしてこの人には、何もかもお見通しなんじゃないか。
確証はないが、そんな気がした。




