第十三話:しのぶ 3
「えー、ケアが必要なお婆さんは"幸代"さん、お婆さんの娘さんが"待子"さん、お婆さんのお孫さんが"崇道"さん───でいいんですよね?」
「合ってる合ってる。待子さんの旦那さんは滋さんね」
本件の当事者である、腰の悪いお婆さんの名前は"幸代"さん。御年84歳。
性格は明るく前向きでお喋り好き。小柄な体格のためケアも施し易く、日常的な世話は娘さん一人でも事足りている。
夫の稔さんには10年程前に先立たれた。
幸代さんの次女であり、崇道さんの母である女性は"待子"さん。61歳。
クリーニング店のパートとして働く傍ら、幸与さんの面倒を看ている。
稔さんが亡くなったのをきっかけに幸与さんとの同居を始めた。
三歳上に姉がいるが、本州在住のため頼りには出来ない。
幸代さんの義理の息子であり、待子さんの夫である男性は滋さん。64歳。
地元の印刷会社に勤めている。
仕事が忙しいため家で過ごせる時間は少ないが、待子さんとの夫婦仲は良好。
幸代さんとの同居も、幸代さんのヘルパーを頼もうと提案したのも滋さん。
幸代さんの孫にして、滋さん待子さん夫婦の一人息子が崇道さん。23歳。
高校卒業後、道内の有名大学に受験するも失敗。一浪して翌年の再受験を目指していたが、タイミングに恵まれず断念せざるを得なかった。
以降はアルバイトを転々として千葉家の家計を支え、一年前から引き篭もりに。
ご両親は崇道さんの将来と精神状態を案じ続けているが、優しさ故に強い態度には出られずにいる。
要点を纏めると、こんなものだ。
出処の殆どは待子さんだそうで、世間話の延長で愚痴を聞いたりするうちに情報が集まったらしい。
いっそ血縁者より、高谷さんの方が千葉家の家庭事情に通じているかもしれない。
「俺は高谷さんの友達でパソコン関係の仕事に就いてて……。
このあいだ崇道さんからパソコンが不調だって相談を受けたんで、そっち方面に強い友達を高谷さんが連れてきたと」
「そうそう。微妙に嘘付かせちゃうことになるけど……」
「俺は構わないですけど……。
後で嘘だってバレたら、高谷さんの信用に関わりませんか?
そのせいで仕事し辛くなったりしたら、面目ないどころじゃないっすよ俺」
「大丈夫だよ。別に悪さしようってんじゃないもの。一から話せば、きっと分かってもらえる」
「言うんですか?生霊がどうとかって」
「いよいよなったらね。
どっちにしても、ケンジくん達には迷惑いかないようにするから安心して」
「……どっちにしても、あくまで俺達と崇道さんで収めるのが一番っぽいですね」
「出来たらね」
俺と高谷さんで考えたシナリオは以下の通り。
先日、高谷さんと崇道さんが軽い立ち話をした折、自室のパソコンが不調である旨を崇道さんが零した。
高谷さんはパソコンに詳しい友人を紹介すると崇道さんに約束し、俺を千葉家へ連れていった。
ここまではご家族───待子さんと滋さんを丸め込むための作り話。
パソコンは弄る方でも俺が崇道さんより博識とは限らないし、高谷さんと崇道さんが立ち話をしたなんてのも勿論嘘だ。
「というか、よく全部覚えてきたね。家族構成とか」
「途中、"高谷"さんと"崇道"さんでゲシュタルト崩壊起こしそうになりましたけどね」
「あはは。途中まで一緒だもんね」
他にも幾つかパターンは用意していた。
俺も高谷さんと同じ事業所に勤めるヘルパーだとか、崇道さんの学生時代のクラスメイトだったとか。
引き篭もりを更生させるためのNPOから派遣されてきた、なんてのも内の一つだ。
見ず知らずの俺が千葉家を訪ねる理由になれば、何でも良かった。
深く突っ込まれたら粗が出そうという理由で、結局は全部ボツになったけど。
ちなみに後者のは、俺達に関わらず前科がある。
実際にその手のボランティアが千葉家へ押しかけたことがあったんだそうだ。
近所の人達が良かれ良かれとお膳立てしたらしい。
結果、事態は好転するどころか悪化した。
頼んでもいないのに余計なことをして、と腹を立てた崇道さんは、ますます自室から出てこなくなってしまった。
待子さんと滋さんは相談し、下手に刺激して崇道さんを傷付けるよりかは、自ずと意欲が出るまで経過を見るべきと判断した。
成人の引き篭もりとはいえ、まだ一年目。アルバイトでの労働経験もある。
生活態度が目に余るならともかく、更生プログラム的なのを強いるのは時期尚早ではないかと俺も思う。
ご家族だって、崇道さんを追い詰める真似はしたくなかったはずだ。
近所の連中とやらが面白半分にゴリ押ししてきたのを、断れなかっただけなのだろう。
だから俺達は、パソコン云々を取っ掛かりに選んだ。
千葉家で機械を扱えるのは、マイPCを持つ崇道さんと、印刷会社にお勤めの滋さん。
俺達が伺う時間帯は勤務中のため、滋さんと鉢合わせる心配はない。
幸代さん待子さん相手なら、如何様にも繕える。
「ネックなのはやっぱり、崇道さんですよね」
「だね」
「会ってもらえるでしょうか。最悪門前払い、自室前払いされる恐れも……」
「その時は私もタイミング見て加勢に行くよ。
好かれてはいないだろうけど、"ご家族と親交のある人"くらいには認識してくれてるはずだから」
「それでも駄目だったら?」
「うーん……。一旦出直すしかないかな」
「神のみぞ知るですね」
当の崇道さんには、有りのままを伝えるつもりだ。
貴方の生霊が存在するようだが、意図しているか。
そうでないなら健康に悪影響が出るかもしれないので、俺達で良ければ相談に乗る。
同じ言い分をご家族に使っても、まず疑われる。下手をしたら証明するだけで一日が終わりそうだ。
だが当事者の崇道さんなら、自覚がなくとも見当くらいあるはず。
興味を引かれてうっかり顔を出そうものなら、一気にこちらのペースに巻き込んでやれば良い。
綿密に作戦を練った割には行き当たりばったり感が否めないが、できる準備はしてきた。
あとは丁と出るか半と出るか。人事を尽くして天命を待つだ。
「そろそろだよ。そこの住宅地入ったらすぐ」
「うわあ緊張してきた。本番に弱いとこ出ちゃわないといいな」
「ケンちゃんはいつも冷静で頼りになりますよ。わたしも、大した力はないですが、頑張ってアシストします」
「ありがとう……」
「私は基本リビングにいるから、何かあったら声かけるかメールして」
「わかりました……」
緊張で胃液が上がってきた俺を見兼ねて、澪さんと高谷さんが励ましてくれる。
「今更だけど、変なことに巻き込んじゃって、ごめんね。
本当はお願いとか出来る立場じゃないのに……」
俺の不安が伝染したのか、高谷さんまで及び腰になってきた。
俺は一つ深呼吸し、鳩尾でスタンバイしている酸っぱいやつを拳で叩いて鎮めた。
「高谷さんが謝ることじゃないですって。
俺達にもメリットあるって、前に言ったじゃないすか」
「色んな生霊と関わった方が良いってやつ?」
「ええ」
一方的な迷惑をかけて、と高谷さんは先日から謝り倒しだが、俺達にもメリットがないわけじゃない。
多くの生霊と触れ合うことで俺の経験値を高め、延いては澪さんの正体を突き止める材料に。
相談役の桂さんから頂いたアドバイスだ。
とんとん拍子じゃなくても、期待した成果が得られなくても、地道な努力を続けていれば必ず何処かには辿り着く。
だから今回も、高谷さん崇道さんとの縁が良い方向に働いてくれると信じている。
「高谷さんも崇道さんも、俺が出会ってきた中では類のないケースです。
高谷さんがいなければ、崇道さんとは知り合えなかったわけですし。むしろ紹介してもらえてラッキーなくらいですよ」
後ろで澪さんがウンウンと頷く。
「それに───、お世話になってばかりもいられないんで。
たまには俺にも、役に立たせてください」
もっと格好良い台詞で締めたかったのに、いつもの語彙しか出てこなかった。
高谷さんは安堵したように破顔すると、ありがとうと言って息を吐いた。
文言はどうあれ、こちらの気持ちは伝わったようだ。
「いざ、本陣に出撃!」
「はい」
高谷さんの最後の号令。
俺と澪さんは声を揃えて返事をした。
左手の信号を抜け、住宅地を道なりに進んでいけば、本陣こと千葉家は目の前だ。
「ところでさ」
「はい?」
せっかく気合いが入ったのに、高谷さんの方はまだ言い残したことがあったらしい。
今度は疑問符の意味で、俺と澪さんの返事が揃う。
「ケンちゃんって、呼ぶんだね」
そういえば、澪さんの"ケンちゃん呼び"を知人の前で披露するのは初めてだ。
思いがけず緊張が解れた気がした。




