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第十三話:しのぶ 2



9月27日。PM1:00。

ふたみ商店付近に藍色のワンボックスカーが停まった。

外で待機していた俺と澪さんが車に近付くと、助手席の窓が開けられた。

車内を覗くと、運転席に座った高谷さんが身を乗り出してきた。



「───こんにちは。お待たせしちゃったかな?」


「いいえ。時間ぴったし」



目に優しい水色。

高谷さんが身に付けているのは、彼女の勤める事業所のユニフォームだ。

この姿で店に訪れたことも何度かあるので、個人的に高谷さんイメージの一つとなりつつある。



「紹介します」



俺は背後に控える澪さんに振り返った。

澪さんは怖ず怖ずと前に出てくると、上体を屈めて高谷さんと目線を合わせた。



「こんにちは。わたしが澪です。はじめまして」


「はじめまして。高谷と言います。ケンジくんから色々聞いてると思うけど、今日はよろしくね」


「はい。よろしくお願いします」



澪さんと高谷さんは互いに恥じらいながら自己紹介した。

澪さんには今日、俺の助手として付き添ってもらう予定だ。



「長居できないから乗って乗って」


「はい」


「失礼します」



高谷さんに促され、俺は助手席に。澪さんは後部席に回った。

車に乗り込んだ瞬間、例のすずらんの香りが強く香った。

密閉空間なだけあって、車内いっぱいに高谷さんの匂いが満ちているようだ。

平常心、俺。平常心。



「出すよ。いい?」


「お願いします」



俺も澪さんもシートベルトを締めたのを確認して、高谷さんは車を発進させた。


涼しげな横顔、華麗なハンドル捌き。

滑り出しも切り返しもスムーズで、全く不快感を覚えない。

タクシー拾ったら超絶テクのベテランドライバーに当たった時に近い。



「(高谷さんって運転得意だったんだな)」



高谷さんの意外な特技を発見すると同時に気付く。

俺、女の人の車、しかも助手席に乗せてもらうの初めてだ。

こういうのって普通、逆じゃないのか。


俺も一応免許を持ってるが、普段は専ら原チャリ移動。車の方は、ほぼペーパーだ。

そうでなくても縦列と車庫入れが苦手だし、経験でもセンスでも高谷さんに劣るのは明らか。

性別差が生じにくい分野とはいえ、若い女の人に運転技術で負かされるのは、男として格好が付かないな。


また変に意識してしまい、呼吸のリズムが疎らになる。

前まではこんなことなかったのに、最近の俺はどうしたのか。

高谷さん以外の女性とは普通に話せるし、高谷さんと俺の関係が変わったわけでもないのに。



「二人とも、車酔いとかって大丈夫な方?」


「俺は平気ですよ」


「わたしも大丈夫です」


「良かった。もし具合悪くなったら言ってね。窓開けたい時も好きにしてくれていいし」


「お気遣いどうも」


「ありがとうございます」



いや、変わったか。少し。

互いの秘密を共有し、前より距離が近くなった。

実は高谷さんが、感情豊かで面白い人なんだと知った。

もしかして、そのせいか。




「───この車って、高谷さんの自家用車、なんですよね」



気を取り直して高谷さんに質問する。

高谷さんは運転の片手間に答えてくれた。



「そうだよ。散らかっててごめんね」


「いいえそんな。全然。片付いてますよ」



ダッシュボードに敷かれたキルティングマット、コンソールボックスに仕舞われたキシリトールガム、ドリンクホルダーの中で揺れる缶コーヒー……。

言われてみれば私物もちらほらと目に付くが、散らかっているというほど雑然とはしてない。個人的な趣味嗜好が出ている感じもない。

むしろ清潔感があって万人受けしそう。良い意味で女性的で、女っぽくない印象だ。

しかし俺が言いたいのは、雰囲気がどうこうの話ではない。




「ただこういうのって、会社のロゴが入った社用車かなんかを使うもんだと勝手に思ってたんで。普通に自分の車でもいいんですね」



交差点の信号に捕まる。

右手の歩道を、散歩中の柴犬と中年の女性が通り過ぎる。

左手の車道から、一台の乗用車が右折してくる。



「普段はケンジくんの言うみたいな社用車を使わせてもらってるよ。ロゴ入ってるやつ」


「今日違うのは、高谷さん一人の日、だからですか?」


「そう。軽い雑事がメインの時は、職員の手も一人で足りるから。そういう時は自家用車を使って構わないってことになってるの。

付き合い長いおかげで、こっちの車種もちゃんと覚えてもらえてるしね」


「じゃあ職員さんが二人とか三人出動って時は、みんなで社用車に乗っていくってことですか」


「そういうこと」


「へえー」



信号が青に変わり、車が再び発進する。

やっぱり全然揺れない。たぶん俺の親父より上手いな、高谷さん。



「まあ、事業所によって色々だから、一概に"こう"とは言えないんだけどね。

専門的な医療行為が必要な患者さんなら、当然それ用の機材だったりを運べる車でないと駄目だし。

往診を兼ねてる場合は、担当のお医者さんを連れてかなくちゃならない」


「なるほど」




千葉家のお婆さんは、介護レベルで言うところの1段階に該当するという。

要介護者の中では最も軽いケースだ。


食事は基本的には何でも一人で食べられる。歩行も杖あり短時間なら問題ない。

自力での立ち居は難しく、排泄や入浴時は人の手を借りた方が助かる。

嚥下機能も年々弱まっているため、肺炎を起こさないための配慮も怠れない。


とどのつまり、必ずしもヘルパーを雇う必要はないが、念のため。

常に誰か一人を側に置いた方が、お婆さん的にもご家族的にも安心ということだ。




「今日みたいに一人でも良いのは、患者さんの状態や状況が切羽詰まってないって場合だけ。

でなきゃ、いくら先方の許可もらったって言っても、仕事先に部外者入れるなんて許されないよ」


「ですよね……。できるだけ大人しくしときます」


「申し訳ない……」




今日の高谷さんの主な仕事は、家事代行。

お母さんが買い物に出掛けている間、高谷さんが家の掃除をしたり、食事を準備したりする。

お婆さんがトイレへ立ちたい時などに介助すること、お婆さんの体調が急変しても対処できるよう見守ることも含まれる。




「にしても────」



ふと高谷さんはルームミラーに目をやった。

気付いた澪さんも面を上げ、鏡の中で両者の視線が交わる。




「お世辞抜きで美少女だね、澪ちゃん」


「エッ。

そんっ、そんな滅相もないです」



高谷さんから予想外の言葉をかけられ、澪さんはアタフタとたじろいだ。



「ウブなところもまた可愛らしい。こんな器量良しはそうそうお目にかかれないね」


「た、高谷さんの方こそお美しくて、びっくりしました」


「アハハお上手~。ケンジくんも隅に置けないな~、も~」


「すんません」


「そこ謝るとこじゃないよ」



明るく笑ったかと思えば、高谷さんの横顔に暗い影が差す。



「ほんと、"普通に"美少女なんだから。びっくりしちゃったのは私の方だよ」



たぶん、改めて胸が痛むのだろう。

澪さん個人の素性は未だ不透明だが、生霊が何たるかについては俺から高谷さんに伝えた。

彼らは何を求め、何を根源とし、生まれてくるのか。


千明ちゃんの時と同じだ。

そんな不幸を帯びてなお、澪さんは純真無垢だから。

あまりに普通すぎる彼女に、却って違和感を覚えてしまうのだ。

本当はここには居ないはずの存在だなんて、俄に信じられないのだ。




「……確かに、表面的には普通に見えるでしょうが、わたしも所謂、生霊です。人に近い見た目をしていても、人ではありません。

ケンちゃんがいなかったら、こうして高谷さんとお話をすることも出来ません」



高谷さんの言わんとしたことを察したのか、澪さんは徐に話し始めた。

俺はルームミラー越しに澪さんの動向を窺いつつ、彼女の気が済むまで口をつぐんだ。



「でも、自分の感覚としては、普通に普通なんです。

みんなが当たり前に出来ることが今は出来なくても、不思議と辛くはないんです」


「……食べたいものが食べられないとか、行きたいとこに行けないとか、不自由を感じることも多いんじゃない?」


「不自由でも不幸とは限りません。

これが自分一人で出来たらなあとか、もどかしく感じることはありますけど。そういうもどかしさも含めて、ケンちゃんは埋めようとしてくれます。

おかげでわたしは、今の自分を可哀相だとは思いません」




あ、やべえ泣きそう。

この間もそうだったけど、澪さんは褒めてくれる時も慰めてくれる時も真っ直ぐだ。

油断すると直ぐ涙腺に来ちまう。歳かな。まだ20代なのに。




「まあ、こんな呑気なことを言っていられるのも、今のうちだけかもしれないですけど……」



えへへ、と複雑そうに澪さんは肩を竦めた。

高谷さんは再びルームミラーに目をやり、消化不良な面持ちながらも頷いた。



「そっか。澪ちゃんがそう思えるなら良かったよ。

変に老婆心というか、不躾だった。ごめんね」


「いいえ。わたしのことは心配しないでほしいってことだけ、伝えたかっただけですので」


「わかったよ。不思議体質同士、これから仲良くしていこう」


「はい。ありがとうございます」




澪さんが困った時、不安な時、応えてやれるのは俺しかいなかった。

でも、これからは千明ちゃんや、高谷さんがいてくれる。

男の俺には言いにくいこともあるだろうし、同性の相談相手が増えるのは澪さんにとってプラスだ。

飛びだましの原因が悪いものでなければだが、高谷さんみたいな人が身近にいて良かった。




「あと10分15分くらいで着くから、二人とも心の準備お願いね」




なんだかんだとお喋りしているうちに、目的地に迫っていたらしい。

沸々と緊張感が募りだす。




「あの、高谷さん」


「うん?」


「最後にもっかいだけ、段取り確認してもいいですか?」


「いいよ。何回でもどうぞ」



俺は頭の中で、先日のメールのやり取りを反芻した。



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