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第十三話:しのぶ



9月25日。

高谷さんから改めてメールがあった。

前会った時に言っていた、"個人的に気になること"についてだ。

要約すると、千葉(せんば)崇道(たかみち)という人物に会ってみてほしいとのことだった。


介護福祉士として働く高谷さんは、在宅療養中の病人やお年寄りのケアも日常的に行っている。

実家暮らしの千代バア、施設住まいの耕作ジイも、たびたび彼女の世話になっていると聞く。


そんな彼女の担当する家の一つが、千葉家。

千葉家には腰を患うお婆さんがおり、お婆さんの娘さんと高谷さんら職員とで長年支えてきたらしい。

定年退職した前任から高谷さんが担当を引き継いだのは一年前。高谷さんの親身な人柄もあり、一家とはもはや親族のように打ち解けた間柄なのだそうだ。


そこの一人息子であり、お婆さんにとって初孫に当たる人物こそ、千葉崇道さん。

高谷さん曰く、彼女が千葉家を訪れた当初から崇道さんは引き篭もりだったという。

自分用の雑貨やジャンクフードを買う際は能動的に外出するそうなので、引き篭もりの中ではまだ軽度かもしれない。


ただし家族や高谷さんとの交流は極薄く、家族とまともに顔を合わせるのは夕食時くらい。

仕事中の高谷さんと擦れ違っても一言二言の挨拶が限界で、会話らしい会話は成立した試しがないという。

飯持ってこいやババア!床ドン!的な暴れん坊タイプでないのが幸いだが、お婆さんの世話で忙しいお母さんの立場を考えると少々厄介な存在っぽい。


肝心なのはここから。

どうして高谷さんは、接点のない俺と崇道さんとを引き合わせようなどと思い立ったのか。




**



───遡ること一年前。

まだ高谷さんが千葉家を担当して間もない頃、彼女は奇妙な光景を目にした。

お婆さんが突然、なにもないところに向かって崇道さんの名前を呼び始めたのだ。

しかし、近くに崇道さんの姿はなく。高谷さんが不思議に思っていると、お母さんはこう説明した。


お婆さんが見ているのは恐らく、崇道さんの幻影。

これは高谷さんが千葉家に来る前から出ている症状で、回数の減った現在でも時折ぶり返してしまうのだという。


当初は認知症か精神病の類を疑われたが、他に顕著な点は見受けられなかった。

念のため精密検査を受けさせたこともあったが、脳にも異常は見付からなかった。


一体どうして、こんなことに。

仮に幻を見てしまうとして、なぜ崇道さんだけが対象なのか。

いくつか思い当たる節はあれど、やはり断定するには至らなかった。

崇道さんの方に尋ねてみても、自分は知らないの一点張りだった。


やがて家族は現状を受け入れ、お婆さんが崇道さんの名前を出しても愛想で聞き流すようになった。

医師の見立てによれば、健康に直接的な影響はないとのこと。

ならば、無理に矯正する必要もない。いつか何かしらの答えが出るまでは、そっとしておいてやろうと。


それからも時々、お婆さんは崇道さんの幻を見た。

まるで本当に本人と接しているかのように、温かい声で彼の名前を呼んだ。


高谷さんは思った。ひょっとして崇道さんは、自分と同類なのではないか。

高谷さんには飛びだましの能力がある。幽体となった彼女の姿は、人には視認できない。

もし崇道さんも彼女と同じ能力を使えるとして、お婆さんにだけ彼の幽体姿が視えているなら。


気になった高谷さんは、お婆さんと二人きりのタイミングで、こっそり訳を伺ってみた。

お婆さんは、自分でも分からないことが多いのだけど、と断ってから詳しく教えてくれた。


お婆さんの中で崇道さんは二種類いるという。

みんなも知る崇道さんと、お婆さんしか知らない崇道さん。

前者は夕食時などを除いて滅多に人前に現れないが、家族にも職員にも姿が見える。

後者は機会に関係なく現れるが、お婆さんにしか視えない。

加えて後者は触れることも叶わず、口も利いてくれない。


高谷さんは重ねて尋ねた。

後者の崇道さんが現れるのは、どういう時か。

後者の崇道さんは、いつもどんな様子か。


お婆さんは重ねて答えた。

前者の崇道さんが自分を避けているのに対し、後者の崇道さんは自ら寄って来てくれる。

主に自分が一人の時、退屈で時間を持て余している時に。

ただ、喋ってくれない。何か言いたそうだったりしても、何も言わない。

ただ、黙って側にいる。何をするでもなく佇み、自分の話を聞くだけ聞き、しばらくして満足そうに去っていく。


高谷さんは漠然ながら理解した。

お婆さんは恐らく、認知症ではない。ましてや統合失調症などでもない。

お婆さんにしか視えないという崇道さんは、確かにそこにいる崇道さんなのだ。

矛盾しているようだが、"実在する幻"をお婆さんの目は映しているのだ。


問題は幻の正体。

高谷さんは自分が幽体になることは可能でも、霊の類を認識する力はない。

崇道さんが飛びだましの使い手なのかどうか、当人に自覚がない以上、高谷さんでは確かめようがない。


このまま、時の流れに任せるしかないのか。無関係だからと素通りしてしまって良いのか。

高谷さんは悩み、せめて真相だけでも明らかに出来ないかと願った。

理屈が分かれば是非もハッキリする。"妄言を口にする頭のおかしい人"なんていう、お婆さんに対する不名誉な誤解も解けるのに。


そんな矢先に俺の生霊話を聞き、もしかしたら、と高谷さんは一念発起したわけだ。



なるほど。

いまいち釈然としない部分もあるが、俺が頼りにされた理由としては納得した。

高谷さんの見解が当たっていれば、俺はお婆さんの視界を再現できる。原因を突き止めれば、役に立てることもあるかもしれない。

だがそれは、俺が千葉家の身内か知人であった場合だ。

彼らの抱える闇や膿ををほじくり出したところで、赤の他人がどうしてやれる。


引き篭もるのをやめろ、人間らしい生活を送れ、と崇道さんを諭すのか?

第三者に言われて出来るんだったら、とっくにそうしているだろう。

元凶を一緒に始末してやればいい?崇道さんの悩み苦しみが無くなるまで付き合ってやる?

そこまでの義理はないし、俺はカウンセラーじゃない。

技術的にも心理的にも、身に余る重責だ。


そもそも、お婆さんは崇道さんの幻影に消えてほしいとは望んでいない。

むしろ良き話し相手として慰めになっている節さえあるし、放っておいた方が良いのではないか?


俺は感じたことを有りのまま伝えた。

すると高谷さんは二の足を踏みつつも、こう返してきた。



"───私も、なにが正しいのかは正直わからない。ただ、現状維持が最善でないってことは何となく分かる。"


"───ケンジくんの言う生霊って、個人差はあるけど、重い悩みを抱えてる人が多いんだったよね?中には命に関わるようなケースも。

もし崇道さんの幻も生霊ってやつなら、崇道さんは私が想像する以上に追い詰められてるってことになる。"


"───崇道さん本人がどうしても今の生活を変えたくないって言うなら、尊重するべきだと思うけど。

もし、誰かに助けて欲しくても出来ないだけなら、誰かが手を差し延べてくれるのを待っているなら、こちらの働きかけ次第で状況は変えられる気がする。"


"───それに、崇道さんが部屋から出てきてくれるようになったら、お婆さんは本物の崇道さんと話を出来る。

せっかく一緒に暮らしてるなら、蟠りは少ない方が良いよ。やっぱり。"


"───お節介なのは重々承知してる。私が介入したせいで、却って溝を深めてしまうんじゃないかって怖さもある。

でも、どうせ無理だとしても、見て見ぬふりは通したくない。

千葉さんご一家は、崇道さんも含めて、私にとって大切な人達だから。できることがあるなら、力になりたいの───"。



どうやら関心を持つ内に、高谷さんも崇道さんに対して情が湧いてしまったようだ。

俺が高谷さんの立場でもきっと、自分に出来ることがあるならと思っただろう。


仕方ない。他ならぬ高谷さんの頼みだ。お世話になっている彼女へ少しでも恩返しになるなら、俺も力を尽くそうではないか。

失敗したらしたで、俺と高谷さんが"お節介のウザい人"と嫌われるだけ。

上手くいこうがいくまいが、挑戦と努力が大事なんだ。こういうのは。



「(ぶっちゃけ俺も、半分引き篭もりみたいなもんだしな)」



その日のうちに俺と高谷さんで綿密な打ち合わせをし、高谷さんの方から千葉家に打診をしてもらった。

さすがの信頼関係で、了承の返事は直ぐ頂けたという。

実行は後日改めて。せめて暴力沙汰に発展するようなトラブルが起きませんようにと、俺は祈りながら二晩を越した。



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