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第十二話:白日夢 2



翌日。

店番を切り上げて昼休憩をとっている時分、高谷さんからメールがあった。

"今夜二人で会えないか"とのことだった。


連絡先を交換してから結構経つが、今までやり取りした回数なんて指で数えるほどしかない。

それも節目節目の挨拶とか、店の在庫状況を教えたりだとか必要最低限の話題ばかりで、互いのプライベートに関しては何となく言及し合わずにいた。

なのに突然"二人で会えないか"とは、一体どういう風の吹き回しか。

昨日の今日なので用向きの見当は付くが、別に口止めとかされなくても言い触らしたりしないのにな。



「───あのさ」


「どうしました?」


「今日の夜、ちょっと家空けてもいいかな?」


「なにかご用事が出来たんですか?」


「用事───、まあ用事か。知り合いに会ってくる。いい?」


「いいも何も、わたしに許可を取る必要なんてないですよ。ケンちゃんの好きなようにしてください。

わたしはいつも通り留守番してますから」


「そっか。悪いね。出来るだけ早く帰るから」



澪さんに留守を頼み、高谷さんとメールで詳しい日時を相談する。

待ち合わせ場所は、互いの家から程近いファミレスに。

待ち合わせ時間は、互いの仕事が終わる頃の夜8時に決まった。

俺はどの服を着ていこうとか、肌や髭の調子をチェックしたりしながら、その時が来るのを気もそぞろに待った。




**


7時46分。

予定より幾分早くファミレスに着いてしまった俺は、とりあえずホットコーヒーを注文した。

夕飯は家で適当に食ってきたし、高谷さんも済ませてから合流すると言っていた。

高谷さんが別に何か食いたいというなら付き合うが、そうじゃないなら飲み物だけでいいや。




「(なんの話、なのかな)」



俺と高谷さんが出会ったのは約一年前。

近くに家を越してきたという理由で、高谷さんがコンビニ代わりにウチへ立ち寄ったのがきっかけだった。


以来、高谷さんは何かとウチを贔屓してくれるようになった。

最初は間食用の菓子パンやドリンクを数点のみだったのが、最近では生鮮食品を含む夕飯の買い出しまで。

隅っこの方に申し訳程度に置いてる文房具なんて、マジで高谷さん以外に買っている人を見たことがない。


どうしてそんなに親身にしてくれるのか。

もっと品揃えが良くて、若い女性に相応しい店なんて、探せばいくらでもあるだろうに。

思わず尋ねてしまった俺に対し、高谷さんはこう答えた。


"品揃えだとか利便だとかは関係ない"。

"ふたみ商店の雰囲気が、ふたみ商店に集まる人々が、温かくて好きだから"。

"好きな人や場所を応援したいと思う気持ちは、ごく自然なこと"だと。


そんな優しい彼女が、昨晩の件でウチに来づらくなった、とかなったら由々しき事態だ。

経営的に売り上げが減るのは勿論のこと、俺自身も彼女と会える機会がなくなってしまう。

友達と呼べるほど親しくはないけれど、ウチを訪れた高谷さんと二・三軽い世間話をするのが、俺の密かな楽しみだったのだから。いなくなられたら純粋に寂しい。

主に貴重な若い女性の知り合いを一人失うという意味で。




「───ケンジくん!」



8時9分。

予定より10分弱遅れて、高谷さんが到着した。

先程断りのメールをもらったばかりだが、ひょっとして職場からここまで走ってきたのだろうか。息は上がり髪は乱れ、頬もやや紅潮している。

気にしなくていいと言ったのに、相変わらず律儀な人だ。



「どうも。こんばんは」


「こんばんは。ごめんね遅くなって。私から誘ったくせに……」


「遅いつっても、ほんのちょっとじゃないすか。遅刻の内に入りませんよ。残業お疲れ様です」


「ありがとう。ケンジくんもお疲れ様。座ってもいい?」


「どうぞどうぞ」



向かいの席に高谷さんが座ると、仄かに汗の混じったような鈴蘭の香りがした。

仕事柄、香水は付けないと前に言っていたので、恐らく柔軟剤かシャンプーだろう。

初めて会った時にも似た香りを纏わせていたし、ずっと同じものを使っているのかもしれない。

恋人でもない女性の匂いを勝手に記憶してるとか我ながら気色悪い。



「夕食済ませてきたって言ってましたけど、どうします?軽くつまめるものだけでも頼みますか?デザートとか」



メニュー表を高谷さんに手渡す。

高谷さんは中身を開くと同時に首を振った。



「ううん。お腹は足りてるから、飲み物だけでいいよ。

ケンジくんこそいいの?私奢るし、好きなの頼んでくれていいよ?」


「奢ってもらうようなことじゃないんで要らんすよ。お気持ちだけ」


「遠慮しなくていいのに」


「じゃあー、とりあえず最初飲み物だけ頼んで、やっぱり何か欲しくなったら、後でもっかい注文することにしますか」


「そうね」



喉が渇いていたのか、高谷さんはアイスティーを選んだ。

注文を取り終えた店員が引き返していくと、途端に会話が途切れた。


仕事帰りっぽいリーマン、学生風の賑やかな団体客。

それぞれが思い思いに過ごす中、俺と高谷さんのテーブルだけで重い沈黙が流れる。


そういや俺、高谷さんと二人きりになるの初めてだ。

ウチで会う時は親父か、近所のオバちゃん連中が必ず居合わせてたから、みんなを巻き込む形で井戸端会議的に交流できていた。

だが高谷さんと俺の二人で、ちゃんと話したことは一度もない。こんな風に場を改めて、膝を突き合わせてとなったら尚更だ。



「(き、気まずい)」



手持ち無沙汰を誤魔化すように、残り少ないコーヒーを音を立ててじっくり飲む。

高谷さんの方から切り出してくる気配はない。アイスティーが届いてから本題に入るつもなのだろう。

それまでの繋ぎ、どうにか間を持たせないと。



「(天気の話───、はもう夜だし。

仕事の話───、は本題に含まれてるかもしれないし。

ウチの店の話───、は変に長くなりそうだし。簡潔にしたらしたで、ただの自己申告で終わっちゃいそうだし)」



いくら思考を巡らせても、良案は生まれない。

とっさに共通項を見出だせるほど、俺は高谷さんという人を知らない。

こんなことなら、好きな音楽についてでも前以って調べておくんだったな。



「(仕方ない。こうなりゃアイスティー来るまで黙ってるか。

来い。アイスティーはよ)」



来ない。全然来ない。ウンともスンとも聞こえて来ない。

見慣れた厨房が今や、遥か彼方に存在しているように感じられる。



「(なぜ来ない。たかがアイスティー、たかがアイスのティーだろうが。

混んでるわけでもないのに冷や茶の一杯ごときで何をモタモタと────)」



堪え性のない心臓に急かされて、たまらず腕時計に目を落とす。

注文してから、まだ二分も経っていない。


やだ……。たかが二分の間にどんだけ一人で盛り上がってんの俺……。



「(そもそも俺なんかが美人と二人きりっつーシチュエーションがハードル高すぎんだそもそも。

澪さんや千明ちゃんは生き霊で彼氏持ちだったから意識せずに済んでるけど高谷さんは妙齢の独身女性で───、って失礼か。

つか高谷さんも彼氏くらいいるよな普通に)」



こんな時に限って進みの遅い秒針。

ついに底を突いた元ホットコーヒー。


もういいや。やめよう。

高谷さんも無理に閑談とかするつもりなさそうだし、だったら俺も無理しない。

あくまでスマートに、お行儀良く。聞き上手で余裕のあるフリをして、話し掛けたら答えよう。



「気まずいっすね」



しまった(三度目)。

いつぞやのデジャヴがごとく、またしても無駄な口が滑ってしまった。

最近俺心声駄々漏過羞恥猛省。



「あ……。それ、私も思ってた」



すると高谷さんも、どこか安堵した様子で同意した。

この微妙な空気を持て余していたのは彼女もだったようだ。



「俺達って、会う機会は多いけど、会う時間は少ないっすもんね。いつも立ち話だし、いつも第三者が周りにいるし」


「言われてみればそうだね。

……その立ち話も、お店の迷惑だったりする?」


「全然。忙しい時はそっとしといてくれるし、高谷さん来てくれると嬉しいですよ。親父も目の保養だって喜ぶし」


「二人とも乗せるのが上手いよね。でもありがとう」



おお。入り口は頓痴気だったけど、だんだん会話続くようになってきたぞ。

高谷さんも、すっかり普段通りのテンションに戻っている。

昨晩の挙動不審ぶりが嘘のようだ。



「体調の方はどう?あれから倒れたりしてない?」


「ご覧の通りピンピンしてますよ。その節はお騒がせしました」


「いやいや、ケンジくんが息災なら何よりだよ。

連絡あった時は本当、心臓止まるかと思ったもの」


「俺は実際止まりかけましたけどね。

お見舞いに頂いたパジャマも、有り難く使わせてもらってます」


「あ、やっぱり?昨日着てたやつそうだよね?」


「ええ。さすがブランド品だけあって着心地サイコーです」


「なら良かった。そんな大袈裟なものじゃないから、遠慮なくボロボロにしてやって」



冷静で、柔軟で、気配り上手で空気を読む天才で。

こちらが粗相をしでかしたりしても、笑顔でフォローに回ってくれる。

これでこそ、俺の知る高谷さん。みんなの頼れるお姉さんだ。




「───お待たせ致しました。アイスティーです」



待ち望んだアイスティーが漸く運ばれてきた。

ちょっと前までの俺なら遅いよオバカ!と心中で八つ当たりをするところだが、今の俺は店員さんに感謝の会釈など出来る。

ついでにコーヒーのおかわりを頼むのは忘れたので水を飲むしかなくなったけど。



「ふう、落ち着いた」



高谷さんはアイスティーを一気に半分まで飲んだ。

俺も水を一口飲み、呼吸を整えた。



「そろそろ、例の話ってやつ、聞かせてもらってもいいですか」



結局俺から切り出した。

高谷さんは一瞬ためらってから、静かに頷いた。



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