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第十一話:泡沫 8



会計は俺と恭介で割り勘し、峻平の分も纏めて支払った。

俺達から峻平への、ささやかな祝いだ。


店を後にして外へ出ると、初秋の夜風が首筋を撫でていった。

おかげで頭はリセットされ、火照った体温も幾分下がった。




「───どうする?二軒目行く?」



このままお開きにするか、別の場所で飲み直すか二人に聞く。

峻平はどっちでも良さそうに恭介の反応を窺い、恭介は呂律の回っていない口振りで答えた。



「あー、悪いけど今日は帰ってい?」


「明日早いの?」


「いんや。このあと観たいドラマあっから、出来ればリアタイしたいだけー」


「なんだよ、友情よりドラマを取るのかあ?」


「まあまあほら。ドラマは今日しか観れねえけど、オレらはいつでも集まれるようになったわけじゃん?峻も帰ってきたことだしさ」


「そりゃそうだけど」


「だからまた今度!今度は三軒でも四軒でも付き合うから!ね!」


「調子いいやつだなあ。じゃまた今度な」


「うん!おやすみ!」



このあと観たいドラマがあるとかで、恭介は一足先に帰宅することになった。

タクシーを拾いに向かう恭介の後ろ姿を見送ってから、俺と峻平は二人で向き合った。



「俺らはどうする?もうちょい飲む?」


「うーん……。いや、今日はいいよ。これ以上飲ませたら倒れちゃいそうだし」


「んなことねーよ。俺なら大丈夫だって」


「今にも立ったまま寝ちゃいそうなのに、無理すんなって」


「もごもご……」


「気持ちだけで充分だからさ、ほら。オレらもタクシー捕まえに行こ」


「むん……」



峻平に半ば引きずられる形で、俺達も今日は解散することになった。

家には澪さんが待っているので、俺的にも出来るだけ早く帰れた方が有り難い。

先程恭介も言っていたように、オールナイトは次回へ持ち越しとさせてもらおう。



「本当に大丈夫か?そんなに酔った?」


「酔った、てか、ウプ。めっちゃお腹いっぱい」


「そんなに量食ってたかな……。吐きそう?」


「らいじょぶ……」



駅に向かう途中、峻平は何度も俺の顔を覗き込んできた。

俺は自力で歩けるので大丈夫だと何度も答えたが、峻平は道すがらで足を止めてしまった。



「ちょっとここで待ってて。オレ水買ってくる」


「ゥエ?いいってそんな」


「いいから。じっとしてて。倒れないようにね」



そう言い残すと、峻平は俺の制止を無視して最寄りのコンビニまで走っていってしまった。

大通りのど真ん中に一人取り残された俺は、峻平を追い掛ける気力もなく、近場のベンチに腰を下ろした。



「(誰のための食事会なんだか)」



ぼんやりと星空を仰ぐ。

思い出されるのは前回、いつもの四人で集まった時だ。

俺と恭介と、峻平と真澄。峻平と真澄が就職のため本州へ越してしまうまでは、この面子とばかり一緒にいた。学生時代から今まで、ずっと。


24歳。制服を着ていた頃と比べると、さすがに大人になった実感はある。

堂々と酒を飲めるようになったのもそうだし、年金やら保険の話だって十代には絶対しなかった。

昔と変わらず付き合ってくれる彼らに対して不満もない。


ただ、不満はないけれど、過去に戻りたくなる瞬間が時たまある。

戻ったところで何も変えられない気しかしないが、無性に。


懐古か、後悔か、虚無か。

辛くないのに胸が切なくなったり、涙が込み上げそうになったり。

この感覚は一体なんなのだろう。そんな疑問を覚えるのも、もう何度目になるか分からない。




「───……ンジ。ケンジ!」




ふと聞こえた峻平の声に引っ張られ、意識が浮上する。

声のした方に目をやると、いつの間にか峻平がすぐ側にいた。



「大丈夫か?なんかボーッとしてたけど……」



どうやら、自分で思うより長く考え事に耽っていたらしい。

峻平の手には、買ってきたばかりのミネラルウォーターが二本握られている。



「あー、悪い。半分寝てたかも」


「寝惚けただけなら良いけど……。ほれ、買ってきたぞ」


「おー、サンキュ」



峻平はペットボトルの一つを俺に寄越すと、隣に腰を下ろした。

俺は代金を払おうと、鞄から財布を取り出そうとした。



「いくらだった?」


「いらないよこんくらい。自分で開けれるか?」


「あけれる」



金はいらないからと峻平に促され、ペットボトルの蓋を開けさせられる。

さっきから気遣われてばかりで、なんだか介護でもされているみたいだ。



「ふふ」


「なに笑ってんの?」


「んー、お前変わってないなと思って」


「どこが?」


「そういう、心配性なとことか、世話焼きなとことかさ。十代の頃となんも変わってねえ」



峻平は昔からそうだった。

自分より他人、友達優先。自分が辛い時は我慢するくせに、友達が辛い時は真っ先に助けになろうとする。

そんな優しさが懐かしい反面、改めて申し訳なくなってくる。

俺は今までのうちに知らず知らずと、この優しさに甘えてしまっていたのだろうから。



「ケンジだって変わってないよ」


「だよなあ。俺全然成長してねえ」


「違う違う。ケンジだってずっと優しいって意味。オレなんかよりずっとさ」


「はっは。そんな風に言ってくれんの峻だけだよ」


「そんなことないよ」



水を一口飲む。

冷たい温度が喉から胸に伝って落ち、呼吸が楽になる。

峻平も続いて水を飲むと、なにやら纏う雰囲気が変わった。



「体、もういいの?」


「ああ。だいぶ酔いも冷めてきた」


「じゃなくて。事故ん時の傷、もういいの?」



真剣な顔と声。

なるほど。いつにも増して峻平が心を砕いているように見えたのは、事故の影響が気掛かりだったからか。


俺が交通事故に遭って死にかけた件は峻平にも話してある。

だが詳しい顛末は教えていないので、もしかしたら掘り下げるタイミングを今日一日窺っていたのかもしれない。



「ああ……。大丈夫だよ、全然」


「本当に?後遺症とか……」


「ないない。前にも話したろ?時間だって相当経ってるし、怪我したとこもすっかり治ったよ」


「そう……。

でもやっぱ、こんなになるまで飲ませない方が良かったよな。もしこれで何かあったら────」


「だーいじょーぶだって。あれから何回も恭介と飲んでるし、医者の先生にも問題ないって言われてっから。

でなきゃ今日だって誘ってねーよ」



まただ。また峻平の友達優先が出た。

思いやってくれるのは嬉しいが、峻平にはもっと自分を大事にしてほしい。

俺が負ったのは体の傷だけど、お前が抱えてしまったのは多分、簡単には治せない傷だ。

特効薬がなければ完治も出来ない、心の内側の傷。

ダメージの深さで言えば、俺なんかよりお前のがよっぽど重傷なんだよ。



「つか、お前こそどうなん」


「え?」


「無理してないか?ずっと」



言い返されると思わなかったのか、峻平は返答に困った様子で一瞬目を泳がせた。



「してないよ。大丈夫」


「嘘つくの下手か」


「嘘じゃないよ」


「バカタレこの。見りゃ分かんだよ。

お前が腹に一物抱えてるってことくらい、……見なくても分かんだよ」



こんな言い方がしたいんじゃない。

もっと峻平みたいに、優しく寄り添う姿勢を示してやりたいのに。

なんでこんな下手くそな、性格悪い言葉しか選べないんだ俺は。



「……ごめん。やっぱちょっと無理してる、かも」



短い沈黙を挟んで、峻平はポロポロと零し始めた。

俺はすかさず食い付きたいのを堪えて、峻平から吐き出してくれるのを待った。



「でも、ケンジが心配してくれるほどじゃないんだよ。

今日だってすげえ楽しかったし」


「……疲れたんだって、前言ってたよな。

具体的に何に疲れたのかって、聞かない方がいいか?」



気まずいのを誤魔化すためか、峻平はペットボトルの蓋を何度か指先で弄くり回した。

普段の俺なら空気を読んでお茶を濁すところだが、今日は読まないし濁さない。

峻平自身が言いたくないと拒否しない限り、俺も追求をやめない。




「本当に、大したことじゃないんだよ。

誰が悪いとかじゃなくて、オレが器用に立ち回れなくて、勝手に自滅しただけ」


「会社の人に嫌がらせされたりとか」


「全然。仕事は結構ハードだったけど、みんな悪い人じゃなかったよ」



ただ、と区切って峻平は続けた。



「悪い人はいなかったけど、なんか、人間らしさみたいのを感じなかったんだよね」


「人間らしさ?」


「天木はさ、ド田舎ってほどじゃないけど田舎じゃん?札幌なんかと比べると不便なことも多いし。

でも不便な分、人と人との距離は近いっていうかさ。知り合いがいつもより元気なさそうだったりすると、考えるより先に"どうしたの?"って、声かけたりかけられたりするじゃん」


「そうだな」


「東京にはさ、そういうのがないんだよ。

あんだけ人いっぱいいんのに、みんな他人なの。擦れ違っても挨拶一つしない。もちろん、そんなことない人もたくさんいるんだろうけどね?

オレの周りはたまたま、特にそういう感じが多かったからさ。それが段々、耐えられなくなってきて」



峻平の話に耳を傾けている内に、俺の体内からアルコール成分だけが何処かへ消えてしまった。



「もっと器用で賢くて、自分をちゃんと持ってる人なら、東京はこの上なく良い街だと思う。

勤めてた会社も、オレがもっと向上心持ってやれてれば、オレには勿体ないくらいのとこだった。

結局、ぜんぶ自分の怠慢なんだよ。東京で仕事するってなって、舞い上がって張り切って。自分には何が向いてるとか向いてないとか、よく分かんないまま突っ走ろうとして躓いて。

気付いたら一人で孤独感じて、何にもやりたくなくなって。

我ながら、どうしようもないやつだって、ほとほと嫌んなるよ」



堰を切ったように次々と峻平は吐露した。

途中からは俺が引き出すまでもなく、独りでに。


なのに、こんな時でさえ、誰のことも責めようとしなかった。

最後には自業自得という結論で纏めた。

俺に有無を言わせるまでもなく、一方的に。




「お前がどうしようもないやつとか、冗談じゃねえよ」



俺は何も知らない。この二年間、峻平が何を感じて生きてきたのか。

それでも、一つだけ断言できることがある。

この二年を俺は知らないけれど、その前の七年はよく知っている。

たった二年近くにいただけの奴らより、俺はお前という男を知っている。

お前は、生きるのが下手くそなんでも、自堕落なんかでもない。

過去のお前が駄目だったから、今のお前がここにいるんじゃないってことを。



「峻が人一倍努力家で誠実なやつだってことは俺らが一番知ってんだよ。人に甘えたり頼ったりが苦手な不器用なとこも。

だから分かんだよ。実際見てねえから本当は分かんねえけど、分かんの。

とりあえずお前は悪くねえし、お前が怠慢とか有り得ねえってことだけは分かんの」


「ケン────」


「マジでムカつく。なんで俺こんなんも気付かなかったんだろ。

つかなんでお前がそんなん言うわけ?なんでお前にそんなこと言わせんだよ東京ってやつはよ」


「いや、別に東京は悪くな───」


「いいや悪いよ。東京は悪い。最悪な街だ。東京の会社も人間も全部クソだ。お前にお前のせいって思わせるもんは全部クソだ」



東京の会社が、東京に暮らす人々が、東京という街が悪い。

なんて、本気で思っちゃいない。

都会だの田舎だのに関わらず、良い人間がいれば悪い人間もいる。

土地の広い狭いに限らず、生きやすいも生きにくいもある。

東京は人が多いぶん感じやすいというだけで、東京に悪いものが集まっているわけではない。


分かってる。人や環境のせいにしても仕方ないってことくらい。

だけど堪らなくイライラするんだ。

峻平をここまで追い詰めた者達に、峻平にこんな台詞を強いた艱難辛苦に。

大切な友人が苦しんでいた時に、駆け付けてやらなかった俺自身に。



「お前の悪いとこを強いて上げるなら、何もかんも自分のせいにしちまうとこだ。

すぐ自分が悪いって思い込んで、すぐ自分を嫌いになるとこだ。

俺らはお前を好きだし尊敬してんのに、なんでお前はお前に価値を見ないんだよ」


「もしかしてまだ酔ってる?」


「酔ってるよ!」



峻平に指摘されて漸く、自分の体温が再び上がり始めていることに気付いた。

でなきゃ俺はこんなに人に詰め寄らないし、声を荒げない。こんなに感情的になれるほど、俺は熱い男じゃないんだ。



「とにかく、なにが言いたいかというと」


「うん」


「お前は悪くないし、充分、よく頑張った。

どんな理由だろうと、俺はお前が帰ってきてくれて嬉しいし、天木はいつだってお前の帰る場所だ」



峻平がくすぐったそうに目を細めて俺を見る。

俺の物言いが滑稽だから?夜のベンチで男二人向かい合ってるのが気色悪いから?

いや、峻平はそんなことで笑ったりしない。



「おかえり、峻平」



最後の最後で急に照れが込み上げ、俺は峻平から目を逸らしてしまった。

峻平はくすりと笑みを零すと、一言で返した。



「ただいま」



もう一度目を合わせる。

俺はとうとう堪えきれなくなって吹き出した。

峻平もつられて笑い出し、二人で喉が震えるほど笑い合った。



「なんだよこれ」


「ホモじゃんオレら」


「お?なんだチッスしてほしいのか?」


「やめろ気持ち悪い!つかチッスて!」



行きずりの人達に僻目を向けられても気にしない。

今の峻平の笑顔は、きっと心の底からの笑顔だ。

それが見られたなら、周りに変に誤解されようと構うものか。



「これからは、出来るだけ色んなこと、話してくれな」


「うん」


「せっかく帰ってきたからには、最低、月一はメシ行こうな。恭介も呼んでさ」


「うん」


「次の年末は真澄も合わせて、久々に四人集合だな!」


「……だね」



立ち上がり、今度こそ駅に向かって歩き出す。

すると隣を歩く峻平が、小さな声で俺を呼んだ。



「ケンジ」


「うん?」


「オレ、帰ってきて良かったよ」



俺は峻平の背中を豪快に叩き、自分も同じ気持ちだと返した。



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