第十一話:泡沫 6
同日夜。
俺は一人、中央駅にいた。
「────ケンジ!」
エントランスホールで手持ち無沙汰に立っていると、死角から俺の名を呼ぶ声がした。
振り向くと、待ち人の一人が笑顔でこちらに手を振っていた。
「来たな」
「もしかして結構待った?」
「ちょっとな。早く着きすぎたから」
「だよな。まだ10分前なのに、オレらせっかちな」
集合時間まで10分以上あるというのに、予定した三人のうち二人はもう合流してしまった。
互いの律儀さ、せっかちさに、妙なむず痒さ懐かしさが込み上げる。
「元気してたか?峻」
峻。綿貫峻平。
俺の親友にして、馴染みのメンバーの一員。
いつものカジュアルな感じとは一味違い、今日の彼は洒落たジャケットなぞ羽織っている。
何故なら。
「うん。おかげさまで」
これから峻平の帰郷、並びに新たな門出を祝した食事会を行うのだ。
提案したのは俺。店を決めたのも俺。
参加するのは俺と峻平と、あと一人。まだ姿が見えないが、千代バアの孫にして、俺の入院生活を支えてくれたあいつだ。
俺が珍しく余所行きの服を着てきたのは、この予定も入っていたからなのだ。
「こっちの空気はどうよ?もう慣れた?」
「慣れたっつか、懐かしくてホッとしてる。夏涼しいし、ぐちゃぐちゃした人混みもないし」
「そういうのは都会より田舎のが優位だよな」
もともとは食事会が先約なので、桂さん達への御礼回りは後付けのスケジュール。
今日が完全オフになると分かってから決めたことだ。
大事な用件を一日に纏めるなど我ながらギャンブラーだが、下手に日を跨げば生霊の件と被るかもしれない。
彼らはいつ何時訪ねて来るか知れないので、確定事項は出来るだけ早め着実に済ませておきたかったのだ。
おかげで大分体力を削られたが、ドタキャンしてしまうよりは良い。
「そういやケンジ一人なん?」
「一人だよ。あいつのことだからどうせ────」
どうせ今日も時間通りには来ないだろ。
そう言いかけたところで、俺のスマホが振動した。
鞄から取り出して確認してみると、一件のメッセージありとの通知が表示されていた。
差出人の名は、矢木沼恭介。
食事会に参加する最後の一人。例の"あいつ"だ。
「恭介から」
「なんて?」
「"仕事長引いてるから少し遅れる。さき店行ってて"」
「今日は寝坊助じゃないんだな」
恭介は遅刻の常習犯で、待ち合わせ時間ピッタリ、まして早くに来るなんて奇跡はまず起こらない。
2~30分のラグはザラ、酷い時には一時間近く待たされることもある。
理由の殆どは寝坊。午前中に予定を組んで、予定通りに落ち合えた試しがない。
今日のように夜集合の場合でも安心は出来ない。まだ余裕があるからと昼寝をして寝過ぎたり、うっかりがなくても直前に支度で手間取ったりしやがる。
前以て荷物の準備だけでもしておくとか、寝過ごさないようアラームを繰り返し設定しておくとか。
自分の生態を鑑みて工夫とかも全然しない。全部行き当たりばったりの踏んだり蹴ったり。呆れを通り越して、もはや感心するレベルだ。
しかし今日は寝坊でも何でもなく、仕事の都合でやむなく遅れてしまうとのこと。
理学療法士は激務なので、突然の残業や休日返上も珍しくないそうだ。
そういう事情も知っているからこそ、俺達は恭介の遅刻癖を咎めはしない。
「本人もこう言ってるし、先行くか」
「だな」
恭介とは現地で落ち合うことを約束し、俺と峻平は予約した飲食店へ一足先に向かった。
**
午後7時6分。
駅から歩くこと10分弱。
予約した時刻より前倒しで、俺達は店に到着した。
迎えてくれた従業員に訳を話すと、既に準備は出来ているので構わないと席に通してくれた。
店内を見渡すと仕事帰りのサラリーマンで溢れており、ほぼ満席状態だった。
時間的な面もあるだろうが、なによりここは人気店なのだ。
来る者を拒まない、温かな雰囲気の大衆居酒屋。
美人女将と煮込み料理が自慢で、常連客は"第二の実家"などとも呼ぶらしい。
俺は常連というほど馴染みがあるわけじゃないが、実家感みたいなのは何となく分かる。
「───今お冷やとお通し持ってきますね」
案内してくれた若い女性の従業員が厨房に引っ込んでいく。
俺と峻平は座敷に向かい合わせで座り、テーブルに常備されているおしぼりで手指を拭いた。
「ここ多分来たことあるかも」
「そうなん?いつ?」
「むかーしに、父親が連れて来てくれた───、はず。
同僚とよく飲みに来る店で、どれも安くて美味いんだぞーって言ってた気がする」
「曖昧だなあ」
「子供の頃だからな。ウチあんま外食する家じゃなかったし」
「そういやそうだったか」
「ケンジは?よく来んの?」
「たまにな。仕事先の人が良い店あるよって教えてくれて、それ以来恭介連れ回してる」
「相変わらずだなあ。たまには女の子誘えば?」
「千代バアとか?」
「やばそれ」
久しぶりにちゃんと会う機会を設けたというのに、気付けば取り留めのない話ばかりしてしまう。
少し前まで音信不通で疎遠だったことなんて、今や遥か昔のようだ。
「───こちらお通しになります。ご注文はお決まりでしょうか?」
先程の従業員が、お冷やとお通しを持って戻ってきた。
本日のお通しは枝豆のガーリック炒めだ。
「どうする?恭介来るまで待つ?」
「んー……。や、ある程度頼んどこう。後でもっかい乾杯し直せばいいし」
「わかった」
恭介には悪いが、俺と峻平で晩酌だけ始めてしまうことにした。
最初に選んだ一杯は、俺がビールで峻平がハイボール。
肴は腹に溜まらなそうな軽めのやつを二品注文した。
少し待つと、二人分のジョッキが運ばれてきた。
俺と峻平は微妙な気恥ずかしさを覚えながらも、一度目の乾杯をした。
「なんかすげー久しぶりだな。いつぶりだっけ?お前と飲むの」
「大学ん時以来?」
「てことは二年以上前か。久しぶりなわけだ」
「そもそも飲む機会自体あんまなかったしね」
「峻は特にな。大学生の醍醐味ぜんぶ放棄してるようなもんだったじゃん」
「まあ、そんなにお酒得意な方じゃなかったから。
ケンジ達となら楽しく飲めるけど、よく知らない人も交えてのコンパみたいのは絶対無理だったなあ」
「言ってた言ってた。ノリで煽られんのしんどすぎて、もう二度と行きたくねーって」
「そうだよ。だからオレが飲めるのは、ケンジ達が一緒の時だけ」
「保護者同伴だな」
お通しとジョッキにそれぞれ口を付ける。
以前の飲み会からは日が経つが、互いの一杯目がビールとハイボールなのは変わっていない。
本腰を入れて飲み始める時、右腕の肘をテーブルに突いてしまう峻平の癖も。
「で、さっきの話に戻るけど」
「ん?」
「彼女。マジでいないの?」
改まって何かと思えば。
こいつ自分から恋バナとかするタイプじゃねーのに、今日はどうしたんだ。
まさかもう酔い回ってきてんのか?
「なんだよ薮から棒」
「薮でも棒でもないよ。真面目な話。本当に誰とも付き合ってないの?」
「ねーよ。この風貌と言動を見て察してくれ」
「好きな子とかは?」
「いない。好きな女優とかアイドルの話でいいなら存分に披露してやるけどな」
「ふーん?」
なにやら含みのある表情で峻平は俺を見詰めた。
この顔がモテないってことくらい一度見たら分かるだろうに。
「じゃああの子は?なんとも思ってないの?」
「あの子?」
「ほら、いるじゃん。女子高生くらいの年の、黒髪のボブの子」
食いかけの箸が思わず止まる。
今こいつ何て言った?高校生くらいの年頃の、黒髪ボブの女の子?
そんなん、俺と関係ありそうな子でそんなんって、澪さんに決まってんじゃん。
なに、なんで峻平が澪さんの存在を知ってんの。
「………ナンノコト」
「とぼけんなよ。前に一緒にいるとこ見たんだよ。仲良さそうに歩いてたじゃん」
前に、ということは今日のデートを、じゃないのか。なんだ。
いや違う。"いつ見られたか"の前に、"峻平に見られてしまった"ことが問題だ。
別に疚しい真似をした覚えはないのだから、どうしても隠す必要はないんだけど。
そうとは知らない時に知人の目があったってのが、今更ながら恥ずかしい。
そん時の俺、変にニヤついたりしてなかったかな。
「あの子は別に、そんなんじゃないよ」
「ホントかー?」
「ホントだったら嬉々として自慢してるっつの」
「ならどういう関係?」
「………友達の妹だよ」
「妹?誰の?」
意外と食い下がってくるな。
温厚で気配りな峻平がここまで突っ込んでくるのは珍しい。
俺に女の影を感じるのが余程珍しくて面白いらしい。
しかし困った。友達の妹という体は前から使っているが、具体的に誰の妹かまでは設定してなかった。
近所のオバちゃん連中は俺の交遊関係を知らないから、適当にはぐらかしてもバレないし追求されなかった。
でも峻平は違う。峻平は俺に友達が少ないことを知っている。何より峻平自身が"少ない友達"の一人なのだから。
いっそ峻平の知らない相手、ないし新しく出来た友達の妹とかって嘘をつくか。
どこの誰だって問い詰められたら困るけど。今の峻平のテンションからして絶対問い詰められるけど。
「ね、誰?ていうか、なんで友達の妹と一緒にいんの?」
更にニタニタと迫ってきた峻平に、俺が泡を吹きそうになった次の瞬間。
「───お、いたいた。よっすー、お待たせんチン☆」
悪い流れを断ち切ってくれる救世主が、めちゃめちゃ軽薄に現れた。
「恭介!早いじゃん」
「いっそいで来たからな~。つかもう始めちゃってんじゃん。せっかく頑張ったのにヒデ~」
「ごめんごめん。さっき頼んだばっかだからさ」
どうやら巻きで仕事を終わらせたらしい。
移動中も走ってきたようで、やや息は荒く頬も上気している。
あの恭介をこんなにカッコイイと、頼もしいと思うのは、俺のリハビリを支えてくれた時以来だ。
ありがとう恭介。お前は良い意味でも悪い意味でもタイミングばっちしだ。
「……?なに、なんか付いてる?」
無言で熱視線を送る俺に気付いて、恭介が首を傾げる。
本当なら握手したいくらいのとこだけど、あまり恩に着すぎると付け上がりそうだ。
リハビリの礼と称して、一生のお願いを三度も聞かされた前例があるように。
「いや、なんかあかいなとおもって」
「ああ、途中走ってきたからな。おかげで汗かいた~」
「おつかれー」
恭介が上着をハンガーに掛ける。
その隙に俺は小声で峻平に伝えた。
「今日のところは保留な」
峻平は一瞬だけ怪訝な反応をしたが、すぐに笑顔に戻って頷いてくれた。




