表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/75

第十一話:泡沫 5



午後3時。

バーバチカを出た俺と澪さんは、その足で大学病院へと向かった。

本当は店から直帰する予定だったのだが、まだ時間があるので寄り道だ。


病院内には入らず、一般開放もされている中庭へ。

ここは、凛太朗さんと千明ちゃんが最後の逢瀬に選んだ場所だ。

景色自体に変わりはないはずなのに、前より特別な光景に見えるのは、当時の記憶がフィルターとなっているせいだろう。


花壇の花も、足元の芝生も、高い空も疎らな雲も。

入院患者と見舞い客が睦まじくやり取りする様子も。

どこか薄ぼんやりと白んで見えて、ここだけ別世界のようだ。

不謹慎かもしれないが、天国みたい、と言うのが一番近い気がする。



「───なんだか、懐かしく感じますね。まだそんなに経っていないのに」



俺が言おうとした台詞を澪さんが先に言った。

俺は同意し、花壇そばのベンチに澪さんを誘った。



「千明さん、思ったよりお元気そうで良かったですね」


「そうだね」


「きっとたくさん、わたし達が想像するよりずっとたくさん、辛い思いをされたでしょうに」


「そうだね」


「強い人ですね」


「……そうだね」



ベンチに並んで座り、二人揃って初秋の空を仰ぐ。

俺は鞄から"あるもの"を取り出し、膝の上で広げた。



「それは?」



覗き込んできた澪さんが首を傾げる。



「凛太朗さんと千明ちゃんがよく食べてたやつ。

店の商品なんだけど、買って持ってきた」



あるものとは、ソーダ味のソフトキャンディー。

凛太朗さんと千明ちゃんの思い出の品で、このあいだ千明ちゃんがウチへ来た時にも少し触れた。

これを俺は出掛ける前に購入し、鞄に忍ばせておいたのだ。



「今食べるんですか?」


「うん。3時だし」


「3時のおやつですね」


「カステラじゃないけどね」



3時のおやつだから、というのは半分口実だ。

ここに寄り道しようと提案したのも、これを俺が持っているのも偶然ではない。


ご実家の方に直接伺うのは気が引けるけれど、ここだって凛太朗さんと縁深い場所。

むしろ俺にとっては、凛太朗さんといえばここなんだ。


だから、凛太朗さんが眠った場所で、凛太朗さんを偲びながら、凛太朗さんが好きだったものを食べよう。そう思って、事前に準備して来たんだ。

正式な形でなくとも、真心が伴ってさえいれば弔いになると信じて。



「はい」



キャンディーの中身を取り出し、空いている左手を澪さんに差し出す。

澪さんは俺の人差し指をそっと握ると、目を伏せた。


キャンディーを一粒、自分の口の中に放り込む。

舌の上で溶かすように、ゆっくりと転がす。

甘酸っぱくて優しい味わいが、俺の脳に伝達される。

触れ合った箇所を通じて、澪さんにも伝わっていく。



「凛太朗さんっぽい味、な気がします」


「わかる」



キャンディーを飲み込むと、俺は鞄から追加で別のものを取り出した。

今度はチョコレートのお菓子。モモが好物だと言っていたものだ。



「せっかくだから、これも食べよう」



澪さんは無言で頷いた。

俺はお菓子も、よく味わって食べた。



この体質になってから、生霊と関わるようになってから、約一ヶ月。

まさかこんな短期間で、二人も見送ることになるなんて。

夢にも思わなかったし、今でもちょっと信じられない。


けれど、間違いなく現実だ。

確かに俺の周りで、俺の知る人が二人亡くなった。

母の存在も含めれば、凛太朗さんで三人目だ。


慣れる、ことはない。

大して深い仲でなくとも、死ぬと覚悟していた相手でも、さよならの瞬間は辛く悲しい。

彼らの分までと言えるほど、自分は自分の人生を大切に生きているか、胸を張れる自信もない。


ただ、前より卑屈じゃなくなった。

胸を張れる人生でなくとも、俺は今を生きている。

健康で、食うに困らなくて、俺を好きだと言ってくれる友達もいて。

こんなに幸せなことが他にあるだろうか。いや、ない。


誰に褒められなくとも、見返りがなくとも。

彼らがいたおかげで、俺は自分の命に感謝できるようになった。

以前までの俺だったら、理を理解できても、肌で実感はしなかっただろう。




「───ケンジさん」



ふと澪さんに話し掛けられる。

そちらに視線を向けると、彼女は俯いていた。

俺と触れ合っていた手も、いつの間にか離れていた。



「どうしたの?」


「……実は、このあいだから、考えてることがあるんです」



なにやら深刻そうな顔。

俺は姿勢を正し、澪さんの二の句を待った。



「あの時、凛太朗さんの病室にお邪魔した時───。

……いえ。たぶん、"本物"の凛太朗さんの姿を見た時に、感じたんです」


「なにを?」


「既視感というか、懐かしさというか……。うまく言葉に出来ないですけど、なにか、自分と関係あるような、他人事じゃないような気がしたんです」



本人も言う通り、あの時の澪さんは確かに変だった。

心ここに在らずというか、魂が抜けたようというか。まるで人形みたいだった。


凛太朗さんの厄主が想像以上の有様だったから、驚いてしまったのだろう。

当時の俺はそう推測したが、本人は当時から明確な違和感を覚えていたという。


驚く他に、いわゆる第六感も刺激される感じ。

俗に言う、デジャヴだ。




「澪さんも過去に入院した経験があるとか、病気を患ってる、とか……?」



俺は心臓が悪い意味で脈打つのを感じながら、恐る恐る尋ねた。

澪さんは首を振ると、気のせいかもしれないから確かなことは言えないと答えた。


ついさっきも過ぎったばかりの、悪い予感。

俺が覚悟する以上に、澪さんに残された猶予は少ないのかもしれない。




「そんな顔しないでください」



黙ってしまった俺を心配して、澪さんが眉下がりに微笑む。



「まだわたしが病気と決まったわけじゃないですし、本当に気のせいかもしれませんから。

今だってほら、こんなに元気!生霊ですけど!」


「そう、だね」



無理に元気に振る舞う澪さんが、見ていて痛々しい。

俺は男で年上のくせに、自分の感情を持て余すばかりで、彼女を勇気付けてやる気さえ起きなかった。



「たとえ病気だったとしても、わたしはそれを治してほしくて、ケンジさんに会いに来たんじゃないと思います」


「なら、なんで」


「わかりません。わかりませんけど。わたしは多分、何かをしてほしいからじゃなくて、ケンジさんに会いたかったから、会いに来たんです。

こうしてケンジさんの隣にいると、そう思うんです」



今のが本音なのか方便なのかは分からない。

ただ、どちらにしても手放しには喜べず。俺は一言"ありがとう"としか返せなかった。



「だから、もしわたしが突然消えたりしても、どうか気に病まないでください。

ケンジさんと一緒にご飯を食べたり、色んなとこに行ったり。全部とっても楽しかったから。その思い出を頂けただけで、わたしは充分です」



なんで澪さんに、こんなこと言わせてんだ俺は。

そんな悲劇にはさせない。必ず俺が何とかする。君を在るべきところへ返す。心配しないで。

言えよ。それくらい。気休めでも何でもいいから言ってやれよ。



「(いえない)」



言えない。やっぱり言えない。

空我の末路を知っているから。自分の非力を分かっているから。

俺に任せろなんて、強がれないし、約束できない。

気に病まないでくれなんて、頷けないし、約束したくない。



「その言い方じゃあ、別れの挨拶みたいだよ」



先程の桂さんの台詞を引用して誤魔化す。

澪さんは"本当ですね"と言って立ち上がった。



「そろそろ行きましょう。この後ケンちゃ───。

……ケンジさんには、大事なご用が控えてるんですから」



澪さんが一度つかえて言い直したのを、俺は聞き逃さなかった。



「また言ったね、それ」


「う……。すいません。つい口が勝手に」



澪さんと初めて会った時、何故か澪さんは俺を"ケンちゃん"と呼んだ。

友達にも親父にも、ご近所のオバさん達にも、そんな風に呼ばれたことはないのに。


以降も度々、澪さんのケンちゃん呼びは発動した。

人前だと緊張があるからか滅多に出ないが、俺と二人きりになると途端にポロポロ零れ出す。二日に一度は必ずだ。



「そんなに引っ掛かるなら、いっそケンちゃん呼びで固定したら?」


「えっ?で、でも他にそんな呼び方してる人いないですよね……?」


「身近にはいないけど……。親戚で言う人は何人かいるよ」


「わたし親戚じゃないです……」


「そんなの拘らなくていいよ」



菓子類を鞄に戻し、俺も立ち上がる。



「最初は俺も照れ臭くて、出来れば"ちゃん"以外でとか言っちゃったけど。

つっかえる君を見てる方が気になるし、いいよ。口に馴染む方で呼んで」


「ほんとにいいんですか?」


「うん。なんなら敬語もいらないし」


「そっ、そんな滅相もないです!」


「だからいいんだって。敬語使ってもらえるような人間じゃないし俺」


「そんなことないです!わたしにとってケンジさんは敬うべき人です!」


「うん、あの、ありがとう。そういうことじゃなくてね」



困ったり狼狽えたり熱くなったりと、澪さんの百面相が次々に入れ替わる。

感情表現が豊かになったという点でも、一ヶ月の歳月を感じる。



「じゃあ……、ケンジさんも、呼び捨てにしてください」


「俺が?君を?」


「はい!澪と!」



思わぬカウンター。

澪さんの言いたいことも分かるが、女の子を下の名前で呼び捨てにするなど小学生以来だ。

今の俺にはハードルが高い。



「それだと何か馴れ馴れしくないかな」


「馴れ馴れしくしてください!もう一ヶ月も一緒にいるんですよ?」


「そうだけど」


「千明さんのことは千明"ちゃん"と呼んでるじゃないですか!なのにわたしだけ"さん"付けなのは変です!わたしとの違いはなんですか!」


「千明ちゃんはホラ、見知った仲だし」


「わたしだってもう見知った仲です!

……………ですよね?」



途中まで押せ押せなテンションだったのに、急に勢いがなくなる澪さん。

これはこれで可愛いけど、彼女に非があるような流れになるのは良くない。

腹を括るしかないか。



「わかった。じゃあ今日から、澪って呼ばせてもらうよ」



自然な調子を意識して呼び方を改める。

たちまち表情が明るくなった澪は、嬉しそうに何度も頷いた。

チクショーかわいいな。美少女にこんな迫られた経験ないから、目眩というか胸やけしそうだ。



「だから君も、俺に対して遠慮とか、変に畏まったりとかしないでね」


「はい!"ケンちゃん"!」



この時の俺はすっかり舞い上がっていたため、気付かなかった。

知らず知らず、彼女のペースに呑まれていたことに。

沈みかけていた俺の気持ちを、彼女の笑顔が呼び戻してくれたことに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ