第十一話:泡沫 4
午後2時少し前。
次に向かった先は、バーバチカ。
今日も出勤しているという千明ちゃんには、事前に連絡を入れてある。
時間的には、そろそろ彼女の昼休憩が回ってくる頃だ。
「────ケンジくん、澪ちゃん。こんにちは」
来店した俺達に気付いた千明ちゃんが笑顔で駆け寄ってくる。
勤務中は以前と変わらぬボーイッシュな姿だ。凛太朗さんから頂いたという、片耳だけのピアスも。
「こんにちは。今いい?」
「ご覧の通りだよ。私はこれから休憩入らせてもらうし、丁度良かった」
ご覧の通り、と千明ちゃんは店内を軽く見渡してみせた。
今は俺達以外に来客がなく、千明ちゃんも昼休憩に入る直前だったらしい。
「ていうか、澪ちゃん!
なんかいつもと雰囲気違うと思ったら、着てくれたんだね、それ」
千明ちゃんが嬉しそうに澪さんに近付く。
「やっぱり千明さんのだったんですね」
「そのカーディガンは友達のだけどね。
どれもよく似合ってるよ。お下がりなのが申し訳ないけど」
「滅相もないです!こんなにたくさん頂いてしまって、本当にありがとうございました。お友達さんも……」
「ふふ、どういたしまして。喜んでもらえたなら良かった」
千明ちゃんに褒められ、澪さんがはにかむ。
こうして色々な人に反応してもらえるなら、やっぱり替えの服を与えて良かったな。
「(そういや服の下って……)」
そういえば服以外のものは、今どうしているんだろうか。
ふと疑問を覚えて、はっと思考を打ち消す。
この服の下がどうなっていようと俺には関係ないんだ。邪な考えはどっか行け。
「───お、ケンジくんだ。いらっしゃい」
男性の低い声と共に、店の奥から別の人影が現れる。
千明ちゃんと揃いのエプロンを身に付けた彼は、吉永知広さん。
短い黒髪に優しい顔立ちで、背丈は俺より少し高いくらい。
ナチュラルな装いと雰囲気が印象的な、ここバーバチカのオーナーだ。
年齢は今年37歳になるといい、同い年の奥さんもバーバチカに勤めている。
「どうも、お邪魔してます」
「千明ちゃんに会いに来たんでしょ?待合室あいたから使っていいよ」
「いいんですか?すいません、ありがとうございます」
吉永さんは今まで待合室に居たらしい。
千明ちゃんがこれからなら、吉永さんはたった今休憩を終えたところか。
「そうだ、吉永さんへのお礼も持って来たんですよ」
「お礼?なんの?」
「千明ちゃんのシフトの件ですよ。結構融通してもらったそうですけど、あれ半分俺のせいなんで」
お礼の野菜は、このあと吉永さんにもお渡しするつもりだ。
凛太朗さんの件でバタバタした際、吉永さんのご好意で、千明ちゃんは突然でも休日を頂けたそうだから。
「なんだ、そんなこと。気にしなくていいよ。千明ちゃんにもケンジくんにもいつも世話になってるし────」
吉永さんの言葉の途中で、新規のお客さんが来店した。
吉永さんはすかさず営業スマイルに切り替え、お客さんに向かって"いらっしゃいませ"と声を掛けた。
「まあ、僕は何でもいいからさ。君達の好きなようにして。
千明ちゃんも、ゆっくり休んでいいからね」
「ありがとうございます」
「そちらの女の子さんも、良ければまた遊びに来てね」
最後に澪さんにも一言添えてから、吉永さんは足早にお客さんの元へ対応しにいった。
まさか自分も構ってもらえると思わなかったのか、澪さんは咄嗟に返事を出来なかった代わりに、お辞儀で応えた。
そういえば吉永さんには澪さんを紹介していないが、この子は誰かとも聞かれなかった。
俺達のプライベートには極力干渉しないでやろうと気を遣ってくれたのかもしれない。
特別ムードメーカーというタイプではないけれど、吉永さんは素朴で温かい人である。
「じゃ、私達はこっちに」
千明ちゃんに案内され、俺達は待合室へと移動した。
**
バーバチカの待合室は店の裏手にあり、給湯室と応接室が同居したような設備と内装になっている。
もっぱらは従業員の休憩場所、時たまに業務の一環で使われているらしい。
恋人や家族のために特別なフラワーアレンジメントを贈りたいなど、こだわりのあるお客さんと相談できるように。
「───わー、すごいツヤツヤだね」
長机に置いた紙袋を覗き込みながら、千明ちゃんが感心した声を上げる。
「欲しい分だけ分けて包むから、遠慮せず取ってくれていいよ。嫌いな野菜なかったよね?」
「うん。野菜は何でも好きだから嬉しいよ。
でもいいの?こんな御礼の御礼みたいなことさせちゃって」
「んー……。でもやっぱり、何かはしたかったからさ。
だからこれで、今度の件は打ち止めにして。またこれの御礼とかされちゃったらエンドレスになるから」
「わかった。有り難く」
千明ちゃんにも好きな野菜を選んでもらい、余った分と二つに分けてビニール袋に詰め直す。
もう一つは吉永さん用なので、帰り際にお渡しするとしよう。
「最近の調子どう?体調崩したりとか」
「ううん、平気。
あれから何日かは、まあ……。そりゃあ落ち込んだけど。
でも、大丈夫。働いてた方が気持ちシャキッとしてられるし。凛太朗にも、そうしてほしいって言われたからさ」
千明ちゃん曰く、忙しく働いた方が気が紛れるという。
じっと物思いに耽っていると暗い感情ばかりが湧き、際限なく滅入ってしまうからと。
言われてみれば、このあいだ澪さんの服を持って来てくれた日も、元気そうで元気じゃなかった。
あの時はまだ、"何日か落ち込んでいた"期間の最中だったのだろう。
表面的には明るく振る舞えても、やはりそう簡単に立ち直れるものではない。
このまま忙しさが薬となって、千明ちゃんの痛みが和らいでくれると良いんだけど。
「そっちはどう?例の生霊…?とか何とか、今でも集まってきちゃうの?」
「そうだね……。前ほど引っ切り無しではなくなったけど。来るよ。三日にいっぺんは必ず」
「そうなんだ。大変だね。
澪ちゃんはどう?辛いことない?」
「はい。ケンジさんのおかげで毎日穏やかです。申し訳ないくらい」
何気ない世間話を交わしながら、俺は内心でタイミングを計った。
お礼を渡す他に、千明ちゃんにはもう一つ用事があって来たからだ。
「あのさ、千明ちゃん」
「うん?」
ただでさえ貴重な休憩時間を割いてもらっているのだから、あまり長居は出来ない。
やや強引と自覚しつつ、俺は本題を切り出した。
「凛太朗さんのお骨って、今はご実家にあるんだよね」
「……うん。そうだよ。どうして?」
「その後はどうするのかって、もう聞いてる?お墓建てるのかとか」
凛太朗さんの遺体が焼かれてから49日が経過していないため、遺骨はまだご実家の方にある。
後の供養は家庭によって異なり、お墓に入れる場合もあれば、海に撒いたりする珍しい方法もあるという。
もし何処か特定の場所に安置しておくつもりなら、その場所を俺にも教えて欲しかったのだ。
「お墓は建てないって言ってた。凛太朗本人の希望だからって」
「遺言?」
「そう。お金も手間も掛けさせたくないから、なるべく簡単なやつにしてくれって」
「凛太朗さんらしいね。お墓以外の選択肢となると……」
「納骨堂だよ。どこにお願いするかはまだ検討中らしいけど、そういう話で進めてるって、こないだ教えてもらった」
「そっか。その方が天気とかにも左右されないし、良いかもね」
「……ケンジくんも御参りしたいってこと?」
「……うん。できれば」
凛太朗さんへのお別れは、お葬式の時に済ませてある。
俺と凛太朗さんの関係も、人に聞かれて直ぐに答えられるものではない。
直前に深い縁を持ったとはいえ、関われたのはたった三日間。傍から見れば他人の域を出ないだろう。
だから、これ以上俺が彼らに深入りする必要はない。
深入りしない方が良いのかもしれない。
凛太朗さんを悼む輪の中に、俺が加わるのは無粋な気がする。
でも俺にとって、凛太朗さんは大切な人でなくとも、凛太朗さんと過ごした思い出は大切だ。
彼が生きていたことも、若くして亡くなったことも、この先もずっと忘れないでいたい。
もし縋れる対象があるのなら、凛太朗さんを感じられる何かがこの世に残っているのなら。
追懐する時間を、余情に語りかける許しを、俺にも分けてほしかった。
「何なら納骨堂入る前に一度会っておく?ご両親には私の方から話つけても────」
「いや。そうすると色々ややこしいし、いつか俺とのこと話すにしても、今じゃないと思う。
今は、静かに送らせてあげたい」
ご家族を混乱させたくないから、なんて口では言ったが、本当は俺が尻込みしてるだけだ。
どんな反応が返ってくるにせよ、当事者の人達に面と向かい合うのが怖いから。
もし問い詰められたり、糾弾されたらと想像するのが怖いから。
だから、今はまだ止しておく。
ご家族も俺も気持ちの整理がついた時、改めて打ち明けるべきか考える。
「そっか。わかった。
じゃあ、日取り決まったら連絡するよ。
他にも何かあれば、いつでも言って」
「ありがとう。そうしてもらえると助かるよ」
ふと千明ちゃんの表情が無くなり、じっと見詰められる。
俺は思わず身構え、どうしたのかと自分からは聞けなかった。
「自分はこれ以上関わらない方が良いのかなー、とか思ってる?」
気にしていたことをズバリ言い当てられ、心臓が止まりそうになる。
「なん、なんで分かるの」
「なんとなく、そんな顔してた」
「あー……。ごめん」
「なんで謝るの。責めてるんじゃないよ」
千明ちゃんは時折、こうして俺の心を見透かしてくる。
彼女の前になると俺は、殊更に取り繕えなくなる。
嘘も建前も見栄も、彼女には通じない。
「この際だから言っておくね」
千明ちゃんは改まった態度で、短く息を吐き出した。
「関係ないとか迷惑とか、そんなこと思ってないし考えたこともない。
ケンジくんにも澪ちゃんにも、私はすごく感謝してる。詳しい事情知らないだけで、きっと凛太朗の家族も。
だから、二人が困った時は力になりたいし、なるって決めたの」
だって、と一度区切って千明ちゃんは続けた。
「私は二人の友達だし、凛太朗だって、もう友達でしょう?」
いつも思う。
千明ちゃんは本当に、俺より年下なんだろうかと。




