第十一話:泡沫 3
「あの時、名取さんが桂さんと引き合わせてくれたおかげで、俺は今こうしていられます。
お二人にとって俺は参拝客の一人、依頼人の一人かもしれませんが、俺にとってお二人は恩人です。
今まで世話になりました」
今度は名取さんと桂さん、両者に向かって頭を下げる。
澪さんも慌てて俺に倣うと、桂さんが小さく吹き出した。
「その言い方じゃあ別れの挨拶みたいだな。引っ越しでもすんの?」
「え?あ、や……。確かにそう、ですよね。いえ、お別れとかでは全然ないんですけど」
桂さんはニヤニヤと揚げ足を取り、名取さんは穏やかに目を細めた。
「なにやら一皮剥けたようですね」
先程までの剽軽さはどこへやら、名取さんの顔が別人のように凛々しくなる。
最初にお会いした時と同じ。桂さんの友人ではなく、白姫神社の宮司・名取創博としての顔だ。
「お二人の事情は桂くんから聞きました。辛い経験をされたようですね。
そちらのお嬢さんも」
名取さんの深い眼差しに見詰められ、澪さんはぐっと息を呑んだ。
この様子だと、澪さんの正体についても既にご承知なのだろう。
俺の体質がどうして変異したのかも、ひょっとしたらモモのことさえも。
「私は桂くんほど生霊という分野に特化しているわけではありません。
もちろん、悪鬼羅刹の類を祓ってほしいとのことであれば、協力を惜しみませんが」
桂さんも口を挟まなくなった。
名取さんの意見を何より尊重しているようで、茶化そうとする気配はない。
「君達が誠意を以って行動する限り、少なくとも霊の方からちょっかいは出せないはずです。
それでも万一、自分達ではどうしようもない、困ったことになったなら、私か桂くんを頼りなさい。
早朝でも夜半でも、君達の頼みなら私は何時でも駆け付けますし、何時でも歓迎しますからね」
桂さんから事情を聞いたなら、色々と気になることもあるはずだ。
特に、今目の前にいる少女が生身の人間でないなんて。
業界の者でなくとも興味を惹かれるはずだし、後学のためにと根掘り葉掘り突っ込んできてもおかしくない。
でも名取さんは何も聞かない。何も言わない。追求しない。
許される限りまで俺達の判断に委ね、俺達の手に余った時だけ助けてくれるという。
名取さんにも超能力的な個性があるとか、桂さんのように特別な家系の生まれである、なんて話は聞かない。
もしかしたら俺や桂さんより、名取さんが一番普通の人なのかもしれない。
ただ、一番普通で、一番強くて正しくて、無条件に頼れる人。
それが名取創博という男なのだろうと、漠然と思った。
「そういうわけだ」
桂さんが俺の頭を乱暴に撫でる。
生霊の件を抜きにしても、俺はこの人達と知り合えて本当に良かった。
もちろん、澪さんも含めて。
「───で、ずっと気になってんだけど、その重そうな袋は一体なに?」
桂さんが俺の背後を顎で示す。
「そうだ、これを二人に差し上げたくて来たんですよ」
言われて紙袋の存在を思い出した俺は、内の一つを前に持ってきた。
名取さんと桂さんは同時に身を乗り出し、紙袋の中身を覗き込んだ。
「………芋?」
桂さんが首を傾げる。
そう、紙袋いっぱいに詰まっているのは、今朝ウチの畑で収穫したばかりの新鮮なじゃがいも達だ。
親父の許可を得て個人的に買い取ったので、どう処理するかは俺の自由にしていい。
「ええ。ウチの畑で採れたものなんで、品質は保障しますよ」
「なぜ芋?」
「やー……。俺も直前まで悩んだんですけど。
それっぽい既製品とか選んでも、お二人の好みと違ったらなあと思って」
「で芋?」
「はい。食材なら自分の好きなように消化できますし。
あ、他の野菜も大丈夫そうなら、こっちにナスとかトマトとかも────」
もう一方の紙袋も芋の袋と並べ、中を開けて見せる。
こちらにはナスやトマト、その他葉野菜類が入っている。
ウチではない畑で採れたものも混じっているが、知り合いの農家さんから直に頂いてきたので安心安全だ。
すると桂さんは先程より大きく吹き出し、名取さんも顔を背けて笑い出した。
「ごめん。うん。じゃがいも美味しいよね」
「あ、やっぱワインとかの方が良かったすか!?」
「いやいや、俺も名取さんもお酒飲まないし。
こっちのが断然嬉しいよね」
「ああ、そうだね」
「ただ、さすがに芋をお礼に貰うなんて初めてだからさ。ちょっと面食らっちゃった」
心底可笑しそうに声を震わせる二人を見て、俺はじわじわと恥ずかしさが沸くのを感じた。
かなり悩んで決めたのだが、言われてみればカッペ丸出しのチョイスだった。
ふと肩を叩かれる。
振り向くと、澪さんが仏のような顔で微笑んでいた。
そんな目で見ないでくれ。
「センスなくてすいません……」
「だからそんな意味じゃないって!」
「ボクはフライドポテトにしてもらおうかな~」
「アンタまたそれか」
「お好きなんですか?」
「うん。ハンバーガーもチキンも大好きだよ。体に悪いものは何でも美味しいよね」
「めちゃめちゃ意外……」
「そのうち血管詰まっても知んねーっすよ」
「それな~。コレステロールがなければ毎日食べたいくらいなんだけどなあ」
「嬢ちゃんは何をどうやって食うのが良いと思う?」
「わたしですか?うーん、わたしなら────」
和気藹々と好みの野菜を吟味する名取さんと桂さん。
それぞれ選んでもらったものを、俺は別個で持参したビニール袋に分けて詰め直した。
「本当にこんな貰っちゃって良いの?」
「もちろんです」
「じゃあ有り難く」
「うちも奥さんが喜ぶよ。どうもありがとう」
桂さんは自分でサラダや炒め物にし、名取さんは奥さんに頼んで好きなおかずにしてもらうつもりだという。
もちろん、芋だけはフライにして。
「ちなみにこれ、余ったやつ他に誰かあげるの?」
紙袋に残っている野菜達を桂さんが指差す。
既に結構な量を配ったが、芋も葉野菜もまだまだ余分がある。
何故なら二人以外にもお裾分けしたい相手がいて、そのために多く見繕ってきたのだ。
おかげで来る時大変だったけど、ちょっと減ったから次の行き先は楽に運べそうだ。
「ああ、はい。このあと会いに行く予定です」
「もしかして花守さんって人?」
「ええ。よく分かりましたね」
「勘だよ」
モモや千明ちゃんの件を含め、今まで関わった生霊の話は漏れなく桂さんに報告している。事前事後ともに、メールまたは電話で。
その度に桂さんは的確なアドバイスをくれ、上手くいったら褒めてくれた。
「話で聞いた分には、すごい感じの良い人みたいだね」
「ええ。優しい良い人ですよ」
「そうか。人と交流を持つのは良いことだ。特に善人とはね。
その調子で、どんどんレベル・スキルアップするといい」
言いながら桂さんは、澪さんの方を横目で一瞥した。
これといった進展のない彼女を心配しているのは、桂さんも同じ。
空我としての可能性が頭にある分、もしかしたら当人以上に懸念があるかもしれない。
「(もし────)」
もし澪さんも、凛太朗さんのような危篤状態に陥っていたら。
モモのように、明日生きられるかさえ知れない淵に立たされているとしたら。
俺は一ヶ月後、一週間後、明後日明日。
最悪、今この瞬間にも、永遠に失うことになるのか。
澪さんと過ごした日々の思い出を。"澪さん"と名前を呼べる機会を、理由を。
「はい。ありがとうございます」
直ぐでなかったとしても、俺と澪さんはずっと一緒にいられない。
澪さんの厄主が亡くなったなら、俺の中から澪さんが消える。
澪さんが厄主の元に帰れたなら、澪さんの中から俺が消える。
どちらの道に行き着いたとて、避けられぬ別離を跨いだ瞬間から、俺達は他人だ。
"言われるまでもないだろうが、君には彼女を手助けしてやる義務はない。"
"第一、彼女が君を不幸にしないとも限らない。"
いつか本当の澪さんと会えたとしても、その時彼女は俺を覚えていない。
彼女の幸せを願うことは出来ても、この手で幸せにすることは、俺には出来ない。
「ケンジさん……?どうかしました?」
桂さんからの警告を受けた当初は、らしからぬ前向きな返答をしたものだけれど。
最近になって、日に日に実感できるようになってきている。
"もし彼女のせいで君が傷付くようなことがあったらどうする?"
俺にとって辛いことになるかもしれない。
あの言葉の本当の意味を。
「ううん、なんでもないよ」
仲良くなるほど、近付くほどに、離れがたさが増していく。
消えなければならない澪さんより、見送らなければならない俺の方が、耐えられないかもしれない。




