第十一話:泡沫 2
最初に向かった先は、白姫神社の旧寄り合い所。
桂さんの住まい兼、事務所だった。
玄関のインターホンを押し、少し待つ。
中からどすどすと重めの足音が聞こえると、鍵を開けるまでもなく引き戸が開かれた。
「おう、いらっしゃい」
出てきたのは言わずもがな、桂さん。
今日はお馴染みの黒ジャージではなく、坊さんのような紺の作務衣を着ている。
頭には黒いフェイスタオルを巻いているし、なにか作業中だったのかもしれない。
「どうも、ご無沙汰してます」
「こんにちは」
俺と澪さんが挨拶すると、桂さんは家の中に向かって親指を立てた。
「ジジイ、もう来てるよ」
「えっ、そうなんですか?」
ジジイとは、桂さんを俺に紹介してくれた恩人。
白姫神社の宮司を務める、名取創博さんのことである。
実は先日、桂さんと名取さん別々に、折り入って連絡を差し上げたのだ。
日頃の感謝を込めて改めて挨拶に伺いたいのですが、そちらの都合の良い日取りを教えて頂けませんかと。
二人は快諾してくれたが、奇遇にも空けてくれた日時が重なった。
相談した末、ならば一緒に会おうということになった。
待ち合わせ場所がここになったのは名取さんの提案。
名取さんは今日も普通に神社でお勤めなので、いつでも現場に戻れるよう近場で済ませた方が助かるのだという。
「実は俺に大工仕事やってくれって頼んできやがってさ、だからここを待ち合わせ場所にしたんだと」
「お勤めを途中で切り上げてくるからって話では?」
「それもあるけど、多分こっちがメインだろうね。
力仕事が必要んなると必ず俺を頼ってくるから」
「ああ、だからその格好なんすね」
"世話になってるとはいえ横暴なんだよ"。
とボソボソぼやきながら、桂さんは後頭部をボリボリ掻いた。
お勤めを中断してというのは本当らしいが、名取さんがここを集合場所にした真の目的は別にあったようだ。
ついでに桂さんに我が儘を聞いてもらうつもりだったとは、なかなかに策士だな。
今までずっと謎だったけど、桂さんが名取さんを微妙に煙たがっている理由が漸く分かった気がする。
貸しがある手前、無下には出来ないのが余計に歯痒いのだろう。
貸しなんかなくても、桂さんなら大体の頼み事を聞いてくれそうだけど。
「まあ、とりあえず上がんなよ」
桂さんの視線が俺から澪さんに移る。
「お嬢ちゃんは今日オシャレしてんだね。かわいい」
「ぁ、ありがとうございます……」
険しかった表情を和らげたかと思いきや、桂さんはさらりと澪さんを褒めた。
俺と違って装いをではなく、本人を。
ただでさえ男として人として全面的に劣っているというのに、これでまた一つ俺の負けが増えてしまった。
俺が桂さんに勝てるとこなんて一つでもあるのかな。
「───来ましたよ」
桂さんに案内されて書斎へ向かうと、部屋の中央に大きな机が陣取っていた。
畳には工具箱と中身の道具が並べられており、つい先程まで使用されていた形跡があった。
なるほど。
桂さんの言う大工仕事とは、これを直すことだったのか。
「おお、こんにちは御二人様」
机の奥に隠れていた名取さんが、上から顔を出してこちらに手を振る。
以前と何ら変わらない、若々しくも堂々たる姿。
例の袴をお召しになっているところからして、本当に神社から駆け付けてくれたようだ。
時間的に昼休憩だろうか。
「どうも、ご無沙汰してます。これ、入っても大丈夫、でしょうか……?」
名取さんと桂さん両者に尋ねると、桂さんが先に答えた。
「いいよいいよ。ちょうど済んだとこだから。
でもこれ邪魔だよね。悪いけど退かすの手伝ってくれるかい?」
「あ、はい。どこ運びましょうか」
「今から外出すと時間食うし、一回廊下置いとこう。このへん」
「分かりました」
このへん、と桂さんは書斎前の空きスペースを指差した。
廊下の突き当たり部分なのであまり余裕はないが、このサイズなら収まるだろう。
後で改めて外に運び出すそうだし、その時まで話の邪魔にならなければいい。
持参した紙袋を床に一旦置き、腕まくりをする。
澪さんはキョロキョロと辺りを見渡してから、自分に手伝えることはなさそうだと端の方へ避難していった。
「いい?」
「はい」
桂さんとタイミングを合わせ、机を持ち上げる。
机は見た目以上に重量があったが、なんとか指定の位置まで移動できた。
よく見ると表面には細かな傷が幾つもあり、何度もニスを塗り直した跡があった。
本来の色彩や木目は美しいので上等には違いなかろうが、相当な年季の入った代物と思われる。
「うしオッケー。助かったよ」
障害物を取り除いたところで、今度こそ俺達は書斎に集まった。
工具類は名取さんが片付けておいてくれたようで、代わりに人数分の座布団と麦茶が畳に並べられていた。
当の名取さんも、向かいの座布団に座している。
「やあやあ、来てもらって早々悪かったね」
「あの机って名取さんの私物なんですか?」
「んー、私物といえば私物かな。あれウチの社務所で使ってるやつだから。
足のとこガタ来ちゃってたから、彼に頼んで修理してもらったんです」
「そうだったんですか」
名取さん曰く、あの机は白姫神社で扱っているものだという。
社務所といえば、宮司や巫女さんが駐在する場所で、参拝客が御神籤なんかを購入できるところだ。
ガタが来ても買い替えないくらいだから、名取さん的にも思い入れのある品なのかもしれない。
「さあさあ、冷たい麦茶なぞ用意しましたから、どうぞ。
汚いとこですが掛けてください」
「それ俺の台詞」
名取さんの軽口に、すかさず桂さんが反応する。
俺と澪さんは思わず笑いながら、一言断って名取さんの前に座った。
持参した紙袋は俺の背後に、桂さんは定位置に腰を下ろした。
「なんかバタバタしちゃいましたけど……。
お久しぶりです、名取さん。あれから一度も顔を出さずに、すみませんでした」
俺が名取さんに向かって一礼すると、澪さんも倣って頭を下げた。
桂さんとは度々連絡をとっているが、名取さんとは初めてお会いして以来ろくに関わっていないのだ。
この人のおかげで助けられたことも多いのに、我ながら失礼を働いてしまった。
「いやいや、どうぞ気になさらずに。
お二人とも元気そうで嬉しい限りですよ」
至らない俺に眉を潜めこともなく、名取さんは機嫌良く接してくれた。
「というかボクびっくりしちゃった。
いつの間に二人そんな仲良くなったんだい?隅に置けないなあ」
二人、と名取さんは俺と桂さんを順に見遣った。
そういや名取さん、前と雰囲気違うくないか?
第一印象はもっと厳かというか、いかにも偉い人ってオーラ出てた気がするんだけど。
「隅どころか、掌で"こうしてる"のは貴方自身でしょう」
こうしてる、と桂さんは広げた掌を上向きに回してみせた。
俺達が名取さんの手中で踊らされている、という意味だ。
「聞きましたよ、俺のこと紹介する時ろくに説明してやらなかったって」
「あはは。ごめんねえ。その方が面白いかと思ってねえ」
「やっぱりわざとか。この陰険ジジイ」
露骨に食ってかかる態度を出す桂さん、若干胡散臭い笑みを絶やさない名取さん。
一見すると対照的で相性の悪そうな組み合わせだが、よく観察すれば打ち解けた仲であることが伝わる。
桂さんの辛辣な物言いには優しさや畏敬の念が含まれているし、名取さんはクールな振りして実はお茶目な人のようだ。
こういう細かいニュアンスで互いの信頼関係が窺えるのを、阿吽の呼吸と言うのだろう。
「彼、最初会った時どうでした?神社と懇意にしてる暴力団なんて聞いたことないぞと思ったでしょう?」
くつくつと喉を鳴らしながら、名取さんが俺に尋ねる。
やっぱり、以前より大分イメージが違う。
荘厳な感じも格好良かったけど、俺としてはこちらの方が親しみやすい。
「あー……。確かに、このワイルドさにはちょっと腰引けちゃいましたけど。
でも話してみるとすごく良い人で、今もたくさん助けてもらってます。ね、澪さん」
同意を求めると、澪さんはうんうんと頷いた。
「聞いたジジイ?腰抜かすやつばっかりじゃないんだよ」
「腰抜かす?」
「そう。前いたんだよ、俺の顔とガタイ見ただけで、驚いて尻餅ついたやつ。
そん時にこのジジイが一緒にいたもんだからさ、面白がって何度も同じシチュエーション作ろうとすんのよ」
「あー……」
名取さんの悪戯が始まったのは、桂さんが寄り合い所に越してきてから。
俺達のように名取さんを通じて桂さんを紹介してもらう場合、名取さんは毎回あの対応をするのだという。
趣味でやっている生霊研究の相談か、本業のライターとしての仕事依頼か。
どちらの用向きで訪ねたにせよ、まさか本人がこんな怖面だとは誰も思うまい。
酷い時には、桂さんと会った瞬間に腰を抜かした者もいたらしい。
そしてその場面に居合わせた名取さんは、否応なくビビる客人と一方的にビビられる桂さんの構図を甚く気に入ってしまった。
結果、名取さんは桂さんの詳細を周りに伏せるようになった。
どんな人物なのか明らかにせず、よーいドンで引き合わせた方が、相手の新鮮なリアクションを期待できるから。
とどのつまり名取さんは、優しい顔をして意外とS。
好きな子ほど虐めたい的な、小学生男子レベルの感覚を持ち合わせた御仁と判明した。
だから桂さんは、仮にも恩人である名取さんをジジイ呼ばわりなんてしているのか。
俺の中で推測が確信に変わった。
「でもそのおかげで、君はこんなに素敵なお友達を二人もゲッツ出来たわけでしょう?」
「別にあれのおかげじゃないっすよ」
「またまたぁ。きっかけを作ったのはボクなんだし、むしろ感謝してほしいくらいですね」
名取さんの口から"感謝"というワードが出た瞬間に、俺は今だとタイミングを見極めた。
「感謝は────」
「え?」
「感謝しているのは俺です」
名取さんの言動が一時停止する。
これ以上桂さんとのお喋りが盛り上がったら、俺は大事なことをずっと伝えられないままだった。




