第十一話:泡沫
9月15日。朝。
親父が畑へ行ったのを確認してから、俺と澪さんは空き部屋で向かい合った。
「────じゃ、やるよ」
「はい」
俺は胡座、澪さんは正座。
俺が上向きに差し出した手に、澪さんも自分の手を乗せる。
そこに意識を集中させ、思い起こす。
以前凛太朗さんに施した、性情憑依の感覚を。
「……やっぱ駄目か」
だが、いくら待っても。
体勢を変えても、意識の形を変えてみても、上手くいかなかった。
ただ澪さんと向かい合って手を繋いでいるだけで、俺の視界に映るのは変わらず澪さんの姿だけだった。
「うん。いいよ」
澪さんと手を離し、俺は背筋を反って天井を仰いだ。
「今日も外れかあ」
思わず溜め息が出る。
というのも、澪さんと性情憑依を試すのは、これで五度目なのだ。
機会を見てはトライ、トライしては失敗の繰り返し。
凛太朗さんの時は一発で成功したので、てっきりコツを掴めたものと思いきや。
なかなか、こちらの望む通りにとはいかせてくれないらしい。
「なにが原因なんでしょう。凛太朗さんの時はあんなにスムーズだったのに……」
「うーん……。凛太朗さんと澪さんとで一番違うとこつったら、やっぱ記憶が有る無しの差なんかなあ」
「記憶……」
「だって同期の方は問題なく出来るわけじゃない?おんなじように記憶なかったモモ相手でも、そっちは上手くいったんだし。
考えられる理由他にない、気するよ。今んとこは」
凛太朗さんと澪さんの共通点は、共に力の強い生霊であること。
相違点は、澪さんが俺以外にも視認できる場合があるのに対し、凛太朗さんは俺達以外には視認できないこと。
加えて、凛太朗さんには明確な自意識があるのに対し、澪さんは今現在を除いた全てを失っていることだ。
凛太朗さんは自分が何者であるのかしっかり把握していたし、生霊になった経緯についても理解できていた。
一方澪さんには記憶がない。自分がどこの誰で、何故こうなったのか見当も付いていない。
もし、性情憑依の成功の条件が、自意識や記憶の有無なのだとしたら。
これだけ試しても、澪さんとは上手くいかないのも頷ける。
あの時、凛太朗さんに体を貸し与えた時、俺は凛太朗さんの過去を見た。
断片的ではあったけど、彼の半生と為人を知るには十分な情報量だった。
つまり前提として、まず相手の素性が明らかであること。
そしてその相手を俺がよく知っている、もしくは知る必要がある、ということなのではないか。
どこの誰とも分からない人と、分かり合えるわけがない。
詰まるところ、根本的な原因はこれに尽きる気がする。
仕方ないとは言え、俺的にちょっと釈然としないけど。
「だとしたら、わたしが何か、少しでも思い出さない限り、何度やっても意味ないってことですよね……」
澪さんが申し訳なさそうに肩を落とす。
「あーいやいや、そんなそんな。俺がやり方忘れちゃったのかもしんないし。澪さんのせいじゃないから」
「でも、もう一ヶ月ですよ?これだけお世話になってるのに、わたし何もお返し出来てません」
「そんなのいいから!
畑の手伝いしてくれたりとか、他にも色々───、ね。十分助かってるって」
「お気遣いありがとうございます……」
俺がフォローするほど、澪さんは益々小さくなっていった。
自分だけ殆ど進展がないのを、ずっと後ろめたく思っていたようだ。
俺としては全然苦じゃないし、むしろ可愛い女の子と一緒にいられて浮かれポンチなくらいなんだけど。
そんなん本人に伝えたらキモいに決まってるよな。かといって他にどう言葉にすれば良いか分かんないし。
自分の口下手さが、ほとほと嫌になる。
「それはそうとして、さ。せっかくの休みなんだし、たまには深いこと抜きにしてリフレッシュしよう」
やや強引に話題を変え、落ちた空気を盛り上げる。
すると澪さんは漸く顔を上げてくれた。
「そう、ですね。ケンジさんこのところ、ずっとお忙しかったですもんね」
先程も言った通り、今日は休み。
俺の都合で急に店を抜けるとか、とんずらしてやるとかではない。
シフト上で休日。名実共にノー出勤デーだ。
そこで俺と澪さんは相談し、お世話になった人達にお礼をしにいく日にしようと決めた。
俺としては半分デートのつもりで誘ったんだけど、そういう下心は多分気付かれてない。
「君だってそうだろ。
リフレッシュが必要なのは澪さんも一緒」
「え……。いいんですか、そんな……」
「いいも何も俺が誘ったんだよ?
行動範囲広げれば意外なヒント落ちてるかもだし。
今日中に出来るだけ、色んなとこ行ってみよう」
澪さんは嬉しそうに頬を綻ばせて頷いた。
「はい!」
引っ掛かるのは、前にも増して親父が俺を休ませたがることだ。
病み上がりだった頃はまだしも、元気になった今も積極的に遊びに行って来いとか勧めてくる。
なんなら追い出すくらいの勢いで。
もしかして、澪さんのことを案じているのだろうか。
委細は知らないはずだが、事情のある知人がいる旨は俺が話したから。
当の澪さんに意見を聞いてみると、頑張ってる息子にご褒美をあげたいんじゃないかと言われた。
本当にそんな単純な理由なら、いいんだけど。
**
正午少し前。
俺は自宅の裏玄関から一足先に外へ出た。
近くの通りで数分待つと、支度を終えた澪さんが駆け足でやって来た。
「ケンジさーん!」
その姿を見て、俺は驚いた。
水色のシャツワンピースに、アイボリーのレースカーディガン。
おまけに髪を後ろで結い、花の飾りなんか添えてある。
オシャレをしている。
澪さんが、おめかしをしている。
千明ちゃんから譲って頂いた服を自分なりにコーディネートして。
いつもの服もコスプレ感あって可愛いけど、こういうナチュラルなのも日常っぽくて良い。
やばい。なんかマジでデートみたい。
「すみません、遅くなりました」
「あーいや、全然。待ってないよ。大丈夫」
慌てて待ち合わせ場所に現れる彼女。
めっちゃ待ってたくせに待ってないとか言う彼氏。
こういうやり取りドラマで散々観た。あと漫画とアニメ。
こんな王道も王道のテンプレ丸出しなやり取りを、まさか自分もする日が来るなんて夢にも思わなんだ。
神様ありがとう。この際生霊がどうとかは忘れることにする。
「なんかケンジさん、いつもと雰囲気違いますね」
「エッ!?ソッ、そう?」
「はい。いつもより外行きというか、ちゃんとしてるというか……。
あ、や、いつもはちゃんとしてないとかじゃないんですけど!」
「ああ、うん。分かってるよ。
俺としても、比較的まともなの選んできたつもりだから。半分はお礼回りでもあるしね」
「半分は……?」
しまった。
デートみたいデートみたいと興奮するあまり、本来の目的を忘れていた。
思い出せ俺。今日は方々にご挨拶に伺うための日だ。
何のために紙袋いっぱいの芋を下げてきたと思っている。
「アアー……、っと。
澪さんも服、かわいいね。よく似合ってるよ」
誤魔化すように澪さんの服装を褒める。
いい男なら服ではなく本人を可愛いと言うのだろうが、俺には勇気がなかった。
無理したら多分デュフフとか余計なおまけが付いちゃう。
「え───。……あ、服!」
一瞬呆けてから、澪さんはハッと声を上擦らせた。
「服、そう、そうなんですよ服。どれも素敵なのばっかりで、どう組み合わせて良いか困っちゃいました。
さすが千明さんの見立てですね。わたしは千明さんのように美人じゃないしスタイルも良くないですけど」
急に早口になった澪さんの顔が、みるみる赤くなっていく。
この反応はもしや。確信を持つ前に、俺の口は滑っていた。
「澪さんだって美人だよ」
「へ」
しまった(二度目)。
さすがに"デュフフ"は出なかったけど、思わず本音を漏らしてしまった。
二人同時に硬直し、時が止まったみたいになる。
どうしよう。こんな時なんて言って持ち直すのがベストなの。
なんにも分かんない。走って逃げようかな。
「そろそろ行こっか」
「ハッ?ぁ、はい……」
どうしようもなかったので、なかったことにした。
我ながら情けない限りだけど、これ以上妙なことやらかすよりはマシだろう。
澪さんが付いて来られる歩調で歩きだす。
澪さんは黙って俺の後ろに続き、互いの間を痛い沈黙が流れる。
うーん気まずい。
自分から動いたくせに、自分に都合の良い展開に持っていけない。
うまい世間話とか一つも浮かばない。
澪さんは何を考えているのだろうか。
わざわざ着替えてきたってことは、もっと褒めるべきだったのか?
いやでも、本人はただ気分が向いただけなのかもしれないし。
"なにコイツ浮かれてんの?お前のために可愛くしたわけじゃないのに"とか引かれたら悲しいし。
傍から見たら、一応デートに映んのかな。
だとしたら不釣り合いなカップルだと思われんだろうな。
知り合いとは絶対遭遇したくない。特に恭介。
あ、でも可愛い子と歩いてるってとこだけは、うっかり目撃されたりしたいかも。深く追求されない程度に。
そうこうしている内に、横断歩道の赤信号に捕まった。
澪さんが追い付いて隣に並び、目の前を複数の乗用車が行き交う。
随分長い独り言を頭の中でぼやいてしまった気がするけど、それ以上にこの待ち時間が長い。
止まっていると間が持たない。早く青になれ。そして早くバスに乗りたい。
「(青青青青……)」
「ケンジさん」
俺の胸中を知ってか知らずか、澪さんが小声で俺を呼んだ。
そちらに振り向くと、澪さんは俯いたまま言った。
「ケンジさんも、かっこいいですよ」
先程の、ちゃんとしてる発言を訂正するためにそう言ったのか。
俺が美人だよと褒めたのをリップサービスと受け取り、同じつもりで褒め返したのか。
真意は聞けなかったので不明だ。
ただ一つ確かなのは、この時の澪さんの横顔が酷く恥ずかしそうで、居た堪れなさそうで。
俺が普段澪さんに向けている類の表情と、よく似ていたということだった。




