第一話:萌芽 4
ビルの中は、外以上に薄暗かった。
窓から差し込む夕陽と、足元を照らす非常灯がなければ、歩くことさえ躊躇うほどに。
にも拘わらず、地蔵おじさんは前へ前へと進んでいった。
俺を連れて行きたい場所が、最初から決まっていたようだ。
俺はスマホのライトモードで辺りを照らし、もう一方の手で防犯ブザーを握り締めながら、付かず離れずの距離感を保って、おじさんに追随した。
「ここ……?」
一階、突き当たり。
とあるエレベーターの前で、おじさんは立ち止まった。
エレベーターなら確か、入口のすぐ側にもあったはずだ。
目の前のエレベーターを確認してみると、物資運搬用と扉に記載されていた。
こちらはビルの関係者が使用するためのものらしい。
「えっと……。
これを、どうするんですか?」
失礼を承知で、おじさんをライトで照らす。
舞台役者のように照らし出されたおじさんは、エレベーター脇の何かを指差した。
おじさんの指を辿り、何かかにライトを向けてみる。
何かは金属製の銘板で、エレベーターの製造番号や、管理会社の名前などが刻まれていた。
「"真柴ビルメンテナンス株式会社"───。
ここに勤めてるってことですか?」
再びおじさんをライトで照らすと、おじさんは指を下げた。
俺の解釈が間違いでなければ、イエスってことでいいのだろう。
「えー……。それで、俺をここまで案内した理由は……?」
『………。』
「このエレベーターに何かあるってことなら、会社の人に来てもらった方が……?」
『………。』
無視。
なに言ってもなに聞いてもフルシカト。
こうなったらもう、おじさんとの対話は不能と諦めるしかなさそうだ。
というか、おじさんマジで人間じゃないのでは?
俺も大概コミュ障だけど、これは人見知りとか口下手とか、病気を患ってるとかのレベルじゃないのでは?
だとすると、幽霊の類か?
このビルに未練を残した地縛霊的な?
仮にそうだとして、地蔵おじさんもとい幽霊おじさんは、なんのために俺をここへ連れて来たんですか?
「(人間、マジで怖い場面では心の声も敬語になる説)」
廃墟よろしく無人ビル。
物資運搬用エレベーター。
両者ともに管理する、メンテナンス会社の名前。
おじさんが与えてくれたヒントは、以上の三つ。
これらを基にした、俺が求められていそうな行動とは。
「よく分かんないっすけど……。
とりあえずこの、真柴ビルメンテナンスってとこに行ってみます、ね……?」
踵を返す俺に、おじさんは追随しようとしなかった。
俺が戻るまで待っている、ということなのだろうか。
こんな気持ち悪い場所に一人でいるだなんて、常人ならまず有り得ない。
おじさんイコール幽霊説が、現実味を増してきた。
「(ぜんぶ俺の妄想って可能性もあんのが、なおさら怖いんだよなぁ)」
無論、おじさんの世話をしてやる義務は、俺にはない。
だが、俺の生活圏内で出会った以上は、義理がないとも言えない。
本当に幽霊なのだとして、成仏できないせいで幽霊のままなのだとすれば。
きっと、死んでも死にきれない事情があって、こうなってしまった。
だから、最低限だ。
一度でも縁を持ったからには、無下にはしない。
俺では何とかしてやれない代わりに、何とかしてくれそうな誰かを見付けてくる。
それくらいの助けにはなるから、祟るとか取り憑くとかは、勘弁してほしい。
「なるだけ急ぎますけど、遅くなったらすいません」
おじさんに一言告げてから、その場を後にする。
最後に見たおじさんの表情は、どこか安堵したようだった。
**
ネットで検索をかけたところ、管理会社の住所判明。
現在地のビルからは、徒歩10分で行ける距離だった。
俺は駆け足で管理会社へ赴き、雪崩れ込むようにして営業窓口を訪ねた。
そして、対応してくれた受付のお姉さんに、掻い摘んで伝えた。
俺と幽霊おじさんの間で起きた、事の顛末を。
「───申し訳ありません。
つまり、何を仰りたいのか……?」
「あー、ですよね、えー……。
もうちょっと上の人というか、社員さんのこと詳しく知ってそうな人と話がしたいんですけど……」
御社に勤めているという男性に、急用を頼まれたこと。
男性の素性は不明で、急用の指示も的確でないこと。
恐らくは、御社所有のビルに関わること。
ビルの物資運搬用エレベーターに、問題があるかもしれないこと。
ついでに、俺自身どうしていいか分からないってことも。
「あ、すいません、あの……。
今のお話聞いてて、ちょっと気になることがあったんですけど……。
その男性について、分かる範囲でいいので、詳しく教えて頂けますか?」
話の途中、"中森"という若い男性社員が割り込んできた。
中森さん曰く、幽霊おじさんについて心当たりがあるとのことだった。
俺はとっさに嘘をつき、おじさんとは間違い電話を通じて知り合ったのだと、中森さんに説明した。
ぜんぶ俺の妄想だった場合、俺も間違い電話に振り回された被害者なんだと、言い逃れできるように。
付き合わせてしまう中森さんには悪いが、俺個人が責められないための保険だ。
「もしかして───」
中森さんは、とある人物の名前を挙げた。
「その間違い電話、深山さんかもしれません」
「"深山さん"……。
ここに勤めてる人、でいいんですか?」
「ええ。ベテラン社員の一人です。
ただちょっと、最近おかしなことがありまして……」
「おかしなこと?」
深山 一利。
真柴ビルメンテナンス株式会社に所属する、警備員の一人。
この深山さんとやらが、俺の出会った幽霊おじさんの正体ではないかと、中森さんは言う。
何故なら深山さん、二日前から行方不明。
現在も音信不通が続いていて、警察に届け出るべきか協議中らしい。
「予定ですと、こちらの松笠ビルディングの巡回を終えた後に、本社に戻って宿直を行うはず、だったんですが……」
「松笠ビルディング、っていうんすね。真柴じゃなくて」
「ああ、はい。
元々は別の会社が運営されていたんですけど、売りに出されてしまって。
メンテナンスとして携わっていたご縁で、弊社が権利ごと買い取らせて頂いたんです」
「なのに名前はそのまま?」
「テナント募集までの目処が立っていなくてですね……。
レンタルスペースとして使いたいという方はたまにいらっしゃるので、目下はそちらをメインに、最小限で賄っている状況なんです」
「なるほど」
「今のところは大きなトラブルもなく、だから深山さんも、自分一人で巡回に出られるようになったんですけど……。
そのせいで何か、危ない目に遭われたのだとしたら……」
深山さんは仕事熱心で知られる人だった。
故に中森さんは、深山さん自ら失踪をしたのではないと判断した。
しかし深山さんは、どこを探しても見付からなかった。
ご家族や関係者と連携しても、目星さえつけられなかった。
三日目の今日にも進展がなければ、警察を頼る他ない。
あとは本人次第だと、今も深山さんの帰りを皆で待ち侘びているのだそうだ。
「ビルの方にも行ったんですよね?」
「もちろんです。
巡回に出られる直前までは、連絡も取れていましたし……」
「差し出がましいですけど、どこまでですか?どこまで念入りに調べられました?」
「全層回りました。屋上も、トイレの個室も、隅々……」
いまいち要領を得ない中森さんの回答。
俺は先程にも説明したことを念押しした。
「物資運搬用のエレベーターはどうですか?」
中森さんは少し考えてから、"いいえ"と答えた。
「エレベーターに問題があるのではなく、エレベーターと深山さんに問題があると?」
「俺もよく分かんないっすけど……。
見落としがあるなら、調べてみる価値はある、じゃないでしょうか」
「確かに」
深山さんとは、いったい何者なのか。
深山さんと幽霊おじさんは、本当に同一人物なのか。
謎はまだまだ尽きないが、何もかも俺の妄想、というわけではなさそうだった。
それが分かっただけでも、幽霊おじさんを無下にする選択をしなくて良かったと、俺は思った。
**
19時30分。
日の落ちた空が、夜色に染まった頃。
俺は中森さんを伴って、松笠ビルディングを再び訪れた。
例のエレベーター付近にはもう、幽霊おじさんの姿はなかった。
俺が中森さんを連れて来たことで、お役御免と消えてしまったのかもしれない。
「───このエレベーターで間違いないんですね?」
「俺の解釈違いでなければ」
「ちなみに、その間違い電話が掛かってきた時、深山さんは───……。
深山さんと思われる人は、他に何か言っていませんでしたか?
今どこでどうしてる、とか……」
「んー……。
とにかく、ここのエレベーターを調べてほしい、としか……。
こっちが色々聞く前に切られちゃったんで」
「そうですか……。
電話の主が深山さんだったと、今は信じるしかないですね」
あえて言葉を濁す俺と、さっきの俺以上に怪訝な反応を見せる中森さん。
怪しまれるのも無理ないが、真実を包み隠さずともいかない。
だって、本当は深山さんの幽霊が教えてくれたんだ、なんて。
まず信じてもらえないし、下手すりゃ俺が不審者通報されてしまう恐れさえある。
せめて確証を得るまでは、曖昧にした方がいいはずなんだ。
深山さんの要求に応えるためにも、俺の社会的立場を守るためにも。
「なか、確認します。
鍵開けるまで照らしてもらっていいですか?」
「はい」
俺に巡回用の懐中電灯を預けた中森さんは、制服の内ポケットから鍵の束を取り出した。
物資運搬用エレベーターは、稼動させる際に専用の鍵を差し込む必要があるのだという。
俺はスマホのライトモードをオフにし、預かった懐中電灯で中森さんの手元を照らした。
「あれ。動かない」
ところが。
装置に鍵を差し込んでも、エレベーターの電源は入らなかった。
「そもそも電力が来てないとかではなく?」
「節電はしてますが、有事の際はすぐ対応できるようになってる、はずなんですけど……。
故障、ですかね」
非常灯が光っているように、ビルの電気は一応は通っている、らしい。
つまり、エレベーター自体に不具合が起きている、ということになる。
「こうなったら、こじ開けるしかないですね」
「力ずくで開けられるものなんですか?」
「物理的にはイケるはずです。あとは腕っぷしの問題ですね」
「手伝います」
床に膝をつき、邪魔な懐中電灯を脇に挟む。
エレベーターの扉の隙間に、俺と中森さんの指をかける。
「いきますよ、せーの───!」
息を合わせて、中森さんと同時に力を込める。
軋む音を立てながら、扉が左右に開いていく。
「よし。一回、なか見てみましょう」
「離して大丈夫なんすか?」
「大丈夫。光、お願いします」
「はい」
隙間が拳ひとつ分ほど広がったところで、中森さんが合図した。
俺は懐中電灯を持ち直して、隙間からエレベーターの中を照らした。
「───!
足がある。人がいます!」
驚いた中森さんが、声を張り上げる。
エレベーターの中にあったのは、紛れもない人間の足だった。
「こんだけだと、まだ誰の足か分からんすね。
ぜんぶ開けてみますか」
「あ、はい!
じゃあもう一度、せーの────」
隙間に腕を捩じ込み、今度は全身の力を使う。
扉が全開になると、もはや照らすまでもなかった。
「深山さん────」
中森さんが呆然と呟く。
足の持ち主は確かに、中森さんと揃いの制服を着た、幽霊おじさんさんだった。
壁伝いに倒れ込んだ彼は目を閉じていて、こちらに全く反応しなかった。
「(まじかよ)」
俺は背筋がぞっとした。
エレベーターに鍵が必要だったことといい、出会った時とは服装が違うことといい。
もしやとは思っていたが、幽霊おじさんの正体は深山さんで、俺の知る深山さんは幽霊だったんだ、と。
「───息がある。生きてます!」
と、思いきや。
中森さんが確めたところ、深山さんは息があった。
衰弱はしているが、命に別状はなさそうとのこと。
「まじかよ」
生きているなら良かったです。
間に合ったなら良かったです。
深山さんが無事で嬉しいのは勿論として、俺は心の声を先に出してしまった。