第十話:痂
9月11日。正午過ぎ。
凛太朗さんの一件から八日後の今日、ふたみ商店に千明ちゃんが訪ねて来た。
前以て連絡を受けていた俺は、店番をしながら彼女の到着を待っていた。
「こんにちは。今大丈夫かな?」
両手に大きな紙袋を下げた千明ちゃんは、黒のシャツワンピースを着ていた。
珍しく女性らしい装いをした彼女を、俺は別人かと一瞬見紛えてしまった。
「だい、じょうぶだけど……」
「どうしたの?」
「や、そういう格好あんま馴染みないから、新鮮だなと思って」
「そう?病院でもスカートだったよ?」
「それはそうなんだけど」
千明ちゃんが身を捩ると、スカートの裾がひらりとはためき、例のピアスがきらりと光った。
「まあ、まだ一週間だからさ。もう暫くは、喪に服すってことで」
「ああ、だから黒……」
女性らしい装いの割に化粧っ気が普段より薄いのは、多分その必要がなくなったからなのだろう。
オシャレで可愛い格好をする時は、決まって凛太朗さんに会いに行く時だった。
普段着がボーイッシュ寄りだったのは、凛太朗さん以外の男性に言い寄られないようにするためだった。
つまり、凛太朗さんはもういないから、必要以上に着飾る必要や機会がなくなり。
凛太朗さん以外の男性を警戒しなくても良くなったから、無理に肩肘を張るのをやめたのか。
「仕事中とかは前と同じ感じだから、変に心配したりしないでね」
自暴自棄とは少し違う。
前へ前へと先を急ぐでも、ましてや新しい男性を求めているのでもない。
「ケンジくんこそ、もうお店出て大丈夫なの?体」
「ああ、うん。この通り全然。心配かけたね」
「ならいいけど……。あの時は本当、心臓止まるかと思ったよ」
「ごめんごめん。でも本当にもう大丈夫だから」
「みたいだね。安心した」
意識的に変わろうとはしていない。
きっとこれが、千明ちゃんなりの精一杯の切り替え方なんだ。
凛太朗さんへの愛情を忘れず、凛太朗さんへの執着を消化するための。
「───と、いうわけで。言われたもの持って来たよ」
明るく仕切り直した千明ちゃんは、持ってきた紙袋をレジカウンターに乗せた。
「ああ、やっぱそれ、そうだったんだ」
「もちろん。これでもかなり厳選した方だよ」
千明ちゃんは俺達に、何か御礼をさせてほしいと言っていた。
俺達はそんなことしなくていいと断ったが、千明ちゃんはどうしてもと譲らなかった。
そこで俺と澪さんは相談し、出来るだけ千明ちゃんの負担にならず、且つ俺達に必要なものの案を出した。
「こっちのはインナーとか小物類で、こっちがパンツとかスカートで、こっちがアウターで、こっちが───」
「待って待って。どんだけ持ってきてくれたの」
「ありったけ!まだまだあるから、残りはまた今度持ってくるね」
「スンゲェ」
そう、服である。
澪さんの服は、最初に出会った時に着ていたコートやシャツしか持ち合わせがなかった。
コートをオンオフする以外に、コーディネートを変える手段が今までなかったのだ。
「服を欲しがってる知り合いがいるんだって友達に話したら、じゃあ私も協力するよって子が思いの外いっぱいいてね?
おかげで私の部屋いま服屋さんなの」
「そうなんだ……。なんか却って面倒かけちゃったね」
「いいのいいの。どれも状態は良いけど、捨てようかどうしようか迷ってたの中心に集めてもらったから。
いらなくなったら遠慮なく処分してくれていいからね」
排泄も発汗もせず、泥や埃などの外的な汚れも寄せ付けない澪さんは、常に清潔で衛生的な存在だ。
そもそも生身の人間でないのだから、着替え自体が無用なのは言うまでもない。
それでも彼女は年頃の女の子で、彼女の姿が人目に触れることもある。
ならば余計な関心を向けられないためにも、外見だけでも変化を付けてやるべきだと俺は考えていた。
だが当の澪さんは、そんなものは自分には不要だと遠慮するばかりだった。
常人でなければ特に役にも立たない、善意で居候をさせてもらっている身には贅沢が過ぎると。
「こっちの小さいのは?」
「あ、それは開けちゃだめ。下着だから」
「エッ。し、した───」
「澪ちゃんに下着が必要かどうかは私も考えたんだけど……。まあ要らないなら要らないで、高い物じゃないし、いっかと思って。
心配しなくても全部新品だよ」
「いや、新品かどうかではなくて……」
「……!ああ、うん。大丈夫大丈夫。
中にメモ入れといたから、この紙袋ごと渡してくれればオッケーだよ」
「お気遣い痛み入ります……」
前述の旨を配慮し、俺は千明ちゃんにこうお願いした。
もし着なくなった服や余っている女性物があるのなら、それを澪さん用に寄付してくれないかと。
千明ちゃんは快諾し、澪さんに合いそうなリサイクル品を個人的に見繕ってくれた。
何気なく話をした友達も皆協力的だったそうで、想定外の量が集まってしまったのは嬉しい誤算だと千明ちゃんは言う。
「今日持ってきた分は、これで全部。持つべきは友達だね」
持参品を一通り紹介して、千明ちゃんは複雑そうに笑った。
「こんなにいっぱい、掻き集めんの大変だったでしょ。手伝ってくれたお友達も……」
「うん。みんなには私から御礼しとくよ」
「何から何まで悪いね。おかげで助かった」
「それは私の台詞だよ。ケンジくんのおかげで、たくさん助けられた」
千明ちゃんは急に真剣な表情になると、その場で背筋を正した。
「この間も、わざわざ来てくれてありがとう」
この間とは、先日あった凛太朗さんの葬儀のことを指している。
俺達と凛太朗さんに直接の関係はないが、せめてもの弔いとして、俺と澪さんは焼香をさせてもらいに行った。
「あー、うん。本当はもっと、ちゃんと参列したかったんだけど……」
「ううん。充分。
凛太朗も、天国できっと喜んでると思うよ」
参列されていた凛太朗さんの御家族や友人達は、みな声を震わせて泣いていた。
互いに身を寄せ合い、たった一人の喪失を悼んでいた。
軽く立ち寄っただけ、たった数日共に過ごしただけの俺でさえ、改めて目に見えた。
いかに凛太朗さんの存在は大きかったか。
彼との永遠の別離が、いかに多くの人の未来を変えたかを。
「というか、あの場では私の方が異質だったかも。
一番凛に執着してたの私だったのに、私が一番泣いてなかったし」
「その前に涙出尽くしちゃったとか」
「かも。冷たい女だって思われたかな」
ただ、満ちた空気は絶望の色をしていなかった。
凛太朗さんを思って流された涙は、決して哀しいだけの涙ではなかった、気がする。
「そんなことないよ。千明ちゃんがどれだけ頑張ってきたか、みんな知ってるんだから。
心配されることはあっても、白い目で見られる謂れはないよ」
「うん。ありがと」
希望を捨てずにいた先で突然失うのは、無論辛かろう。
しかし同時に、これで漸く凛太朗さんは眠りに就けた。長年の苦しみから解き放たれたのだ。
凛太朗さんの解放は即ち、彼と縁ある全ての者達が解放されることでもある。
いつか目覚めてくれるかもしれない、という不毛な期待に神経を擦り減らす呪縛。
二度と目覚めないかもしれない、という最悪の想像に安息を妨げられる呪縛から。
何もかも正しかったとは言えない。
やっぱり辛いし悲しいし、やっぱり生き続けてほしかったと悔しさや虚しさも余りあるに違いない。
それでも。実現可能な選択肢としては、あれが最善だった。
凛太朗さんは、多くの悲しみを残す代わりに、多くの苦しみを連れて行った。
残された者達は、彼の未来を描けなくなった代わりに、彼の夢を見られるようになったのだ。
形ある物でなくとも、凛太朗さんの置き土産には確かに意味があった。
上手く言えないが、凛太朗さんの気持ちは皆に届いたんじゃないかと、俺は思う。
「ご家族の反応はどうだった?」
「動揺してたよ。急に亡くなったこともそうだけど、何よりあの手紙がさ。
やっぱり受け入れ難いというか、すぐには信じられなかったみたい」
「言及されたでしょ?なんて説明したの?」
「なんて言い訳しようか、よくよく考えて、結局ありのまま白状した。
だって、ぜんぶ凛太朗本人の言葉だもん。信じるしかないよ。
飲み込むには時間が掛かるかもしれないけど……。その時間で見えてくるものも、あるんじゃないかな」
凛太朗さんの遺言は、後に千明ちゃんの手から各人に渡ったらしい。
夢物語のような奇跡だと喜ぶ者、夢物語は所詮夢だと反発する者。
反応は様々だったが、最終的には全員が手紙を受け取ってくれたという。
なにせ、凛太朗さん本人からのメッセージなのだ。
自分と彼しか知らない思い出が切々と綴られていれば、疑おうにも納得せざるを得まい。
「俺のことは?何か言われた?」
「聞かれたけど、どこの誰かは内緒にしといた。
もし特定されたとしても、確認しに来る人はいないと思う」
問題なのは、昏睡状態の凛太朗さんの遺言を、誰が代わりに書いたのか。
その辺りも含めて千明ちゃんは相当追求されたらしいが、霊感の強い知り合いだと濁して、俺の身元は伏せてくれたらしい。
俺と凛太朗さんの間で起きた出来事については、概ね千明ちゃんに伝えてある。
他の皆には、千明ちゃんの方から機会を見て話すつもりだそうだ。




