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第八話:あと何度夜を越えたら 3



オレが事故に遭ってから、およそ半年後。

千明が大学を辞めた。



「───おはよう、凛。今朝もいい天気だね」




勉強したい意欲が湧かなくなったから。

他にやりたいことを探してみたくなったから。

本人は何気ない調子でそう言っていたが、実際のところは多分違う。




「───もしかしたら、誰かに何か、聞いたかもしれないけど……。

中途半端に講義受けるだけしていても、無駄になるだけって思ったからさ。本当にそれだけなんだよ。

両親には、……凛のお父さんお母さんにも、随分反対されたけど。大学は、幾つからでも通い直せるし。勉強だって、幾つになってからでも出来るわけだしさ。だから、いいんだ。

今はもっと他に、今しか出来ないことをしたいの。色んなこと、後悔しないためにも」




オレのいない環境に身を置いているのが辛いから。

オレがこんな状態でいる手前、自分だけ当たり前の日常を過ごすのが申し訳ないから。

だから千明は、若さと自由という、今しかない掛け替えのないものを自ら放棄したんだ。


これ以上自分を許せなくなる前に。

オレだけが置き去りになってしまわないように。




「───メリークリスマス、凛。これ、プレゼント持ってきたよ。

こっちのはツリーで、本命のプレゼントは……。じゃん。大っきいでしょ。持って来るの大変だったー。

……色々悩んだんだけどね、私達にはやっぱりこれかなって。こんだけ大っきければ、貰った写真とかも全部載せられるでしょ?

見てて。今に一面埋め尽くして、ここを美術館にしちゃうから」




それ以来、千明は見違えるように明るくなった。

いや、明るく振る舞うようになった。


見舞いに来てくれるのは前からだったけど、前とは顔付きも声色も、格好もがらりと様変わりした。

いつも暗い表情で俯いて、落ち込んだ声で溜め息を吐いて、同じ服をローテーションで着回していたのに。

穏やかな表情でオレに微笑みかけ、溌剌とした声でオレに話し掛け、オレの病室に訪れる度にめかし込んで来るようになった。


なにがきっかけで、なにが千明の心をそんな風に動かしたのか。

オレには分からなかったけれど、あの日を境に確実に、千明の中のなにかが変わった。




「───あけましておめでとう。また一緒に新年を迎えられて、よかった。本当に。

……来年もまた、一緒に年を越そうね。って、まだ一年始まったばかりなのに、気が早いか」




人づてに聞いた話によると、千明は大学を辞めた後、複数のアルバイトを掛け持ちするようになったらしい。


朝は新聞配達、昼は花屋、夜は居酒屋。

文字通り朝から晩まで、休むことなく骨身を惜しまずに。


一体なんのために。

当初は疑問に思ったが、すぐにその訳が分かった。




「───ふう。こういうのって、見掛けよりずっと重労働なんだね。

でも平気。せっかくやり方教わったからには、絶対マスターしてみせるよ。

そうしたら、私が凛の専属療法士になれるね。無償でノウハウ教授してもらえて、むしろ得しちゃったかも。

よーし、続きやるぞ。痛い時は手を挙げてくださいねー。なんちゃって」




オレを生かすための、高額な治療費。

それを少しでも賄うために、きつくて割の良い仕事を自分に課した。

オレの助けになるよう、オレの家族の負担が減るよう、千明は勉学ではなく労働を選んだのだ。

いつになるか分からない、本当にあるかも分からない、オレが目覚める日だけを希望にして。



「───どう?このワンピース。紗良さんがプレゼントしてくれたんだ。機能的だしイイ感じでしょ。

ワンピースと言えば、前に二人で写真旅行いった時のこと思い出すね。

楽しかったなあ……。色々アクシデントとかもあったけど、そういうのも全部、なんでも楽しかった。

元気になったら、また行こうね」




毎日毎日、飽きもせずオレに会いに来た。

綺麗な服を着て、化粧をして、髪型も一からセットして。

雨の日も風の日も、仕事で疲れている日も、本当は誰にも会いたくない日でも。

毎日違う種類の花と、前向きな話題を手土産にして。




「───髪、伸びてきたね。そろそろ切ろうか。

今度はどんなのにしよう?ウメはこないだツーブロックにしたって言ってたから、こっちは思い切ってモヒカンとかにしてみる?」


「───男の人は大変だよね。どんなに朝辛くても、毎日これの手入れしなくちゃならないんだから。

まあ私は、毛むくじゃらな凛でも全然愛せるけどね」


「───今日バイト先にね、5歳くらいの男の子が来たんだよ。一人で。

どうしたの?って聞いたら、ちっちゃい手で500円玉握り締めながら、お母さんの誕生日プレゼントに薔薇の花を一本ください、だって。

私すっごい感動して、思わず泣きそうになっちゃった。凛にも見せてあげたかったなあ」




どうしてそこまでする。そこまでしてくれる。

変わらず思ってくれる気持ちは嬉しいけれど、だからってこんなことは望んでない。




「───津久井先輩、今度結婚するんだって。相手の人とは会社で知り合ったみたい。いわゆる社内恋愛ってやつだよ。

……あと、ウメとミンミンもね、考えてるんだって。結婚。

挙式とかはまだ先でいいけど、籍だけでも早いうちに入れておこうかって話になってるって。

ほんと、すごいよね。みんな。ちゃんと色々、自分の将来のこととか考えてて。

……私も、いつまでもこんな、ふらふらしてちゃいけないよね」




君がオレを一番に考えてくれているように、オレだって君が一番大事だ。

一番大事だからこそ、苦しませたくないし悩ませたくない。

叶うなら人並みに、普通に幸せになってほしいんだ。




「───今日で一年、経ったね。なんとか一年、越せたね」



千明。

なあ、千明。



「今日まで、生きていてくれてありがとう。私を一人にしないでくれて、ありがとう」



お願いだから、もうやめて。

これ以上、君の大切な時間を、人生を無駄にしないで。



「今、どんなこと、思ってる?私の声、聞こえてるのかな」



君はまだ若い。頭も良いし、なんにだってなれる人だ。

今からでも全然遅くない。今ならまだ間に合う。



「私ね、浮気してないよ。誰とも。

他の誰も好きじゃないから。誰とも遊んでない。

凛しか好きじゃないよ。凛じゃないと駄目、なんだよ。

今までも、これからも、ずっと凛だけが好きだよ」



こんなことしてちゃ駄目だ。君はこんなところで立ち止まってちゃいけない。

君は、こんな場所に収まっているような器じゃないだろう。



「凛は、まだ、私のこと、好きって、思ってくれてる?

毎日毎日しつこく通ったりして、ウザいとか、重い女とか、思ってる?」



もっとよく周りを見てごらんよ。みんな楽しそうだろ?楽しそうなみんなが羨ましいだろ?



「もしそうなら、少し、控えるから。無駄話も、あんまりしないようにするから。

だから、ここへ来ることは、許して」



君にだって、同じものを手に入れる権利がある。幸せになる資格がある。



「あなたを、こんなにしてしまったこと。許さなくていいから。恨んでいいから。

私があなたを、好きでいることだけは、どうか、許して」



君は優しいから、すぐに余所に心を入れ替えることは難しいって分かってる。

でも、人を好きになる気持ちは罪じゃない。

オレとの関係は過去の話。もう終わったことなんだ。


だから、良い思い出として消化して。

もう、君の新しい人生を歩きだしていいんだよ。



「ねえ、凛。私ね」



来ないでくれよ。

そんな顔で笑わないでくれ。

無理に平気なフリをしないでくれ。



「二度と話せなくても、触れなくてもいい。なんにも楽しくなくていい。全部、我慢する」



捨てていって。

振り向かないで。



「だから、死なないで」



オレは、オレに縛られる君を見ていたくない。

オレに対する感情が、贖罪ばかりに上塗りされていく過程を感じたくない。



「他にはなにもいらないから。高望みをしないから。

ただ、生きて。生きることをやめないで」



オレのためを思ってくれるなら、オレを過去の人にして。額縁の中に閉じ込めて。



「たとえ、二度と目覚められなくても。あなたが生きていてくれるなら、私はいいよ」



このままじゃ君は、オレと永遠に、ここで。



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