第八話:あと何度夜を越えたら 2
「───凛太朗、来たぜ。今日暑いな」
「ちょっと窓開けよっか?」
「だな。……と、これ差し入れな。
ジャーン。どうよ。額縁入り~」
「こないだ一緒に出掛けた時に撮ったやつなんだよ。
こういう自然の原風景?みたいなの、凛太朗好きだったっしょ?あと、……千明も」
「……まあ、なんだ。俺らに出来ることなんて、こんなもんくらいしかねえけどさ。
また、顔見に来るから。今日みたいに、良く撮れた写真土産に持って。な」
「うん。元気になったら、いつか千明と合わせて四人で、ダブルデートとかしようね」
動けない。食べれない。触れない話せない。
自分の意思では1ミリの寝返りを打つことも出来ない。
ほぼ死体。
血色があり死臭のしない骸同然。
生きた屍とは、まさにこのこと。
「───すげえ心配したけど、思ったより顔色悪くないな。これならマジで、明日にも目覚ますんじゃね?」
「───穂村くんいないと、みんな火が消えたみたいに静かでさ。
早く元気になって、またみんなで遊び行ったりしたいよ」
「───お前がこんなことになるなんて、まだ信じられんねえよ。なんで、お前だけ……。
ごめん。今、必死に戦ってるんだもんな。文句言うのは、お前が元気になってからにするよ」
でも生きている。生きられないくせに生きている。
たくさんの道具や人の手を借りて、無理矢理に心臓を動かしている。呼吸を促している。
病院の貴重なベッドを占領し、高価な機材を独占し、誰かの何かを奪って、お世話をしてもらっている。
「───見ろよこれ、すごいだろ!サークルのみんなで書いたんだぞ~!えっと……。なんて言うんだっけこれ?」
「寄せ書きだよ。
こっちに飾ってあるのが中学で、こっちが高校の時の友達から、なんだよね?
だから私達の分も合わせると……、全世代網羅だ!」
「こんだけ色んな人のメッセージ並ぶと壮観だなー。24時間テレビみてえ」
「ちなみにこれ、企画したの誰だと思う?言わなくても分かるか」
「あいつ自分では言わないけどさ、裏で方々に掛け合ってたらしいんだよ。
引っ切り無しに見舞いの誰々が来んのもそのせい」
「私達は大学で会えるからいいけど……。穂村くんの中学の同級生っていったら、千明ちゃんにとっては他人なわけでしょ?
コンタクト取るだけでも大変だったと思うよ~」
「いつお前が起きてもいいようにって、学校でも色々頑張ってるしな。
こんな状況で言うべきことじゃないかもだけど……。お前ら見てると、理想のカップルって感じするよ。ほんと」
なんの役にも立たない。
ただそこに横になって、無駄に時間と財産を消費するだけ。
金をドブに捨てるような真似、という表現を当て嵌めるとするなら、オレ自身がそのドブだ。
「───母さん、私」
「紗良?早かったわね。どうぞ入って」
「お邪魔しま───、わ。なにこれスッゴイ。前来た時と全然違うじゃん」
「そうなの。色んなお友達が置いていってくれてね?
全部千明ちゃんが企画してくれたものなんですって」
「ハアー……。本当すごいわね、あの子。あたし達助けられてばっかり」
「本当にね。頭が上がらないわよ」
「あ、これお見舞い」
「あらありがとう。遠いところ、いつも悪いわね」
「全然。むしろ母さん達に任せっきりで申し訳ないよ。
ちなみに今日は?このあと誰か来る予定あんの?てかもう来た?」
「学校が終わったら千明ちゃんが来てくれるわ」
「そうなんだ。他には?」
「……千明ちゃんだけよ」
「母さん……?」
こんなのは、生きてるとは言わない。
みんなが次第に窶れていく様を、オレから遠ざかっていく様を見ているだけを、生きてるとは言わない。
「ここ一ヶ月、誰も見えてないの。私か父さんか、千明ちゃんだけ」
「そう……」
「本当にね、感謝してるのよ。こんなにたくさんの思いを掛けてもらって、凛太朗を好いてくれて……。言葉もないくらい。
だけど……。彼らには彼らの生活が、人生があるって、分かってはいてもね」
「うん」
「こうして少しずつ、凛太朗が一人でいる時間が増えていくとね。たまらなく、不安になる時があるのよ。
いつか誰も、凛太朗のことを思い出さなくなるんじゃないかって」
「そんなことないよ。会いに来れなくても、みんな凛太朗のことずっと心配してくれてるよ。今だってきっと────」
「うん。そうなの。分かってるのよ。分かってるんだけど。
他の皆が、どんどん大人に、明るい未来に向かって歩きだしていく中で、私達だけが、置き去りみたいに、感じて。
無性に、やる瀬なくて、悲しくて、胸が潰れそうになるの」
「母さん……」
「だめよね、こんなんじゃ。一番辛いのは凛太朗本人なんだから、母親の私くらい、もっとしゃんと、していなきゃ。
分かって、いるのにね」
誰一人幸せにならない。
不幸の進行に歯止めはなく、日に日に悪化の一途を辿るだけ。
だったら。
『死ねよ』
死んでくれ、今すぐ。
傷付けるのも傷付くのも、もうたくさんだ。
『お前なんか、生きてもしょうがない』
ここでオレが死んだら、今までを無駄にすることになって、またみんなを傷付けることになってしまうけど。
それでも、みんなのこの先の未来まで犠牲にするよりは、ずっとマシだ。
『他には何も望まない』
だから、死んでくれ。今。頼むから。
心臓を止めて、息をしないで。
これ以上、不毛な生にしがみつこうとしないでくれ。
『なあ』
殴ろうとしたり、蹴飛ばそうとしたり、首を締めようとしたり。
あらゆることを試した。一人で、誰にも知られずに。
『なんで』
でも駄目だった。何度やっても無理だった。
干渉できないのは自分自身に対しても同じ。
触れたそばから透けてしまうせいで、自分の体温や肌の感触さえ確かめられなかった。
『死ぬこともできないのか、オレは』
前進も後退も停止も叶わないと、心の底から悟った時。
オレの胸にでかい風穴が空いて、もう涙が出なくなった。
こうなったら、一日でも一刻でも早く、自分の息の根が止まってほしい。
機械の故障でも自然災害の余波でも、原因不明でも構わない。
何者かの第三者が、悪意を以って直に手をかけるでもいい。
とにかく、どんな形でもいいから、オレを終わりにしてくれること。
もはや願うのは、それだけだった。




