第八話:あと何度夜を越えたら
一週間後・一ヶ月後に、ふと目を覚ますかもしれないし、一生目覚めないかもしれない。
事故後、緊急搬送された病院にて、オレの手術を執刀した医師はそう言っていた。
呼び出されたオレの両親、ここまで片時も離れずに付き添ってくれた千明に向かって。
「───本当に、本当にどうにもならないんですか!
息があるなら何とか、どうにかして回復させられないんですか!」
「先生お願いします!お金はいくらでも出しますから、何でもしますから、どうか。どうかあの子を助けてください…!」
両親は泣き崩れ、千明はただただ放心していた。
彼らの泣き顔は過去に何度か見たことがあったけれど、あんなに激しく泣きじゃくる姿は初めてだった。
オレのせい。
オレがみんなに、こんな顔をさせている。こんな思いをさせている。
みんながこんなに傷付いたのは、オレがこんなことになったせいだ。
どれだけ後悔しても、どんなに謝りたくても。
今のオレには、大切な人達の背中を摩ってやることも、涙を拭ってやることも出来ない。
オレは彼らに触れられないから。
完全に肉体から分離してしまった幽体では、もはや誰の目に映ることさえ叶わなかった。
「───こうしてみると、ただ眠っているようにしか見えないのにね……」
「そうだな……」
「………。」
「………。」
「ねえ、あなた」
「言うな。わかってる」
「………。」
「今は、命が無事だっただけ良かったと、思うことにしよう」
「そうね……」
なんとか元に戻ろうとしたんだ。
撥ねられた直後も、病院に運ばれている間も、手術を受ける前も受けた後も。
けど戻れなかった。
なにをどうしても、オレの体はオレを受け付けてくれなかった。
原因は分からない。意味も分からない。
ただオレという意識が、あの世でもこの世でもない狭間で彷徨っている事実だけが、漠然とそこにあった。
「───そんなこと言わないで千明ちゃん。あなたはなんにも悪くない。あなたが側にいてくれたおかげで、凛太朗の命は助かったのよ?」
「命だけ助かっても、彼をこんな風にしたのは、こんな体にしてしまったのは私です。私が撥ねたも同然です」
「千明ちゃ───」
「ごめんなさい。ごめんなさい。謝って許されることじゃないけど、私……。
私が、外にいればよかった。私が事故に遭えばよかったのに」
千明はずっと自分を責めていた。
自分があの店に誘わなければ、外で待っていてなんて言わなければ。
終いには、自分と出会ったせいで彼は不幸になったんだなんて、オレとの関係ごと後悔するようになった。
「凛太朗を案じてくれる気持ちは嬉しいけれど、他の誰かを身代わりになんて、そんなのは絶対だめよ。
あの場には小さいお子さんもいたというし…。せめてそちらが巻き添えにならなかっただけ、……不幸中の幸いだったと、今は、思うしかないわ」
「………。」
「事故のことはニュースにもなってる。今日明日くらいは、まだ大丈夫だろうけど。きっとすぐに周囲が騒がしくなるわ。
もしかしたらあなたのところにも、面白半分の変な人達が押しかけてくるかもしれない」
「はい……」
「だから、辛いのを承知で言うけど、気を確かに持って。
いつ凛太朗が目覚めても良いように、私達に出来るだけのことをしましょう」
「そう……、ですよね。ごめんなさい、お母さんの方が辛いのに、私ばっかりこんな……」
「いいのよ。こちらこそ、辛い思いをさせて、苦しませてごめんね。
あなたは私達にとって、もう一人の大事な娘。今後はあなたのご家族とも協力し合って、支え合っていきましょう」
「はい。ありがとうございます」
違うよ、千明。
オレは全然不幸じゃない。
君と出会えたことは幸運で、君と過ごした日々は幸福だった。
こうなってしまったのだって、君のせいなわけがない。
オレがもっと注意していれば、慎重に行動していれば、きっと回避できたことだった。
君に落ち度なんか一つもないんだ。
もし、オレ達のどちらかが必ずこうなる運命だったなら。
撥ねられたのが、怪我したのがオレで良かった。
向こう見ずの独り善がりだとしても、オレはそう思ってる。
だから、そんな顔をしないでくれ。
君は悪くないから、悪いのはオレだから。
出会わなければ良かったなんて、言わないでくれ。
「───なにしに来たんですか」
「あ、その……。遅くなりましたけど、あの……。
こんなことになってしまって、せめて、謝罪を……」
「せめてって何ですか。謝罪って誰にですか」
「千明ちゃん」
なんで、戻れないんだよ。なんで動けないんだよ。
オレの体だろ。オレのものだろ。なのになんで、オレの言うことが聞けないんだよ。
これ以上、嫌なんだよ。
人前にみっともない姿を晒すのも、迷惑しか掛けられないのも。
そんな有様を、傍から見ているしか出来ないのも。
「今更来られても、謝られても意味ないんですよ」
「で、すけど───」
「謝るくらいなら、なんでこうなる前に気を付けてくれなかったんですか。
お年寄りの起こす事故って、年々増えてて、これだけニュースにもなってるのに。なのになんで放っといたんですか。
近くに住んでたなら、もっと色々できたはずでしょう」
「いや、でも私達は───」
「いやとかでもとか言わないでよ!!
なんで凛太朗だけこうなるの!?なんで凛太朗はこうで、そっちは軽い骨折だけなの!?
どうせ事故を起こすなら、一人で電柱にでもぶつかってれば良かったじゃない!」
どうして、オレだけ。どうしてオレなんだ。
他にも周り、いっぱいいたじゃん。車もいっぱいあったじゃん。
なのになんで、オレだけを撥ねたんだよ。
撥ねた方は無事だったのに、オレだけがこんな目に遭うんだよ。
幸せだったんだよ、ずっと。あの直前まで。瞬間まで。
いつものように千明とデートして、飯食って、また明日ねって別れて。
そんでまた、同じ朝を迎えられるはずだったんだよ。
「───千明ちゃん。千明ちゃん、大丈夫?」
「……はい。だいぶ、落ち着きました。さっきの人達は?」
「今日のところは帰ってもらったわ。また日を改めて来るって」
「そうですか……」
「……ねえ、千明ちゃん」
「………はい」
「あの人達ね、世間から酷いバッシングを受けてるみたいなの。
お前達が放置したせいで、また老害が罪のない人を轢いたって」
「……はい」
「最近本当に増えてるわよね、こういうの。何とかしないと、また同じようなことがきっと起こるわ」
「はい」
「でも、だからってお年寄り全員から車を取り上げるわけにはいかない。
彼らにとって、特に地方に住んでいる者にとっては、車は大事な生活の足なの。ないと暮らしていけないって人がたくさんいる」
「はい」
「だったらその家族が世話してやればいいだろって思いがちだけど、それもそんなに簡単な話じゃない。
どこの家族も良い関係を築けているとは限らないし、気持ちがあっても、経済的に助けてあげられない場合もある。
私達だって、そう遠くない内に、車を運転するお爺さんお婆さんになる」
「……はい」
「だから……。凛太朗をこんな目に遭わせたのは、本当に、許せないし、相手を八つ裂きにしてやりたいくらいだけど。
彼らも、もう十分罰を受けた。交通事故にしては十分過ぎるくらいの罰をね」
もっと相応しい奴が、落ちぶれて然るべき奴が他にいるだろ。
ニュースでたまにやってるような犯罪者とか、平気で人を食い物にするような性悪な奴らがさ。
どうせなら、そういう奴らに罰が当たれば良かったじゃん。
だったら誰も文句言わないし、むしろ清々するくらいじゃん。
「あの人達は加害者であっても、殺人犯じゃない。
あれは事件じゃなく事故だった。いつ誰に降り懸かってもおかしくないことだったの。あの人達も……、運が、悪かったのよ」
「そう……、ですよね。そうなんですよね。
分かってたはずなのに、つい頭に血が、昇って…。
私、あの人達にあんな、酷いこと…。お母さんや凛太朗の前で……」
「私達のことは気にしないで。むしろ、私がずっと言いたくて言えなかったことを、あなたが代わりに言ってくれた。おかげで胸がすっとしたわ」
「すいません、いつもご面倒をおかけして」
「それはこっちの台詞よ。いつも親身になってくれてありがとう。
あの人達には、今度私の方からお話に行くから」
「私が」
「え?」
「私も、行かせてください。今日のこと、自分の口で、謝りたいです」
「……そう。じゃあ、一緒に行きましょう。
千明ちゃんがいてくれるなら、私も心強いわ」
神様。どうしてオレなんですか。
どうして、よりにもよって、今なんですか。
今が一番幸せだったオレから、一度で全てを奪っていったんですか。




