第八話:穂村凛太朗 2
7月某日、本選大会当日。
全国選りすぐりの18チームが、北海道の地に集結した。
「こんなオレだけど、付いて来てくれるか」
「なにを今更」
「どこまでだって付いて行くよ、部長」
写真の町、東川町。
北海道でもとりわけ長閑とされるこの町で、18チームの代表選手は鎬を削り合う。
与えられた期間は、式典を含めた計4日間。
使用できる機材は大会側で統一され、作品作りに於けるテーマもまた統一される。
他にも幾つかの細かいルールはあれど、組写真が評価対象である点は初戦から同じ。
最終的には撮り手の技量と、チームワークこそが物を言うわけだ。
「お前は嫁さん抜きなワケだけど、本調子でイケるかよ」
「だから今更だってんだよ。
あいつの分まで、勝って帰りゃ問題ない」
「うちの狭ーい部室に、立派な旗を飾ってやろうじゃない」
本選初出場のオレたちは、常連校と比べるとハンデがある。
写甲のセオリーを弁えていなかったり、単純に場慣れしていなかったり。
実力が及ばないどころか、全力を出し切れずに負ける可能性も無くはない。
だが、ピンチはチャンスともいう。
セオリーを弁えている者、場慣れしている者は、却ってマンネリに陥りやすかったりするらしい。
オレたちは、"評価されやすい"の定義に囚われない。
"自由に撮る"を体現できる分、こちらに追い風が吹く場面も、きっと巡ってくるはずだ。
「───星森高校写真部ー、ファイ!」
「オオ〜!」
「オー!」
部長のオレと、副部長の千明。
加えて、同学年の"ウメ"こと"梅田"。
恋人と親友と挑むラストステージ。
チームワークに至っては、他校のどこにも劣っているつもりはない。
「───あの、すいません」
「えっ、あ、はい!なんでしょうか!」
「星森高校さん、ですよね?初めて出場される」
「そうっすよー。そちらは?」
「私たちもなんです。
今までずっと初戦かブロック止まりで、写真部としても立ち上げ間もなくて……」
「わ、ウチと一緒だ。
確か、近畿ブロックからいらしたチームですよね?」
「はい〜。和歌山から来ました〜」
「和歌山!遠路遥々だな〜」
「良かったら、連絡先交換しませんか?
大会の方はあんまりですけど、北海道についてなら、教えられることもあると思うし」
「ほんとですか!是非お願いしますー!」
「───ねえウメ、さっきからお肉続きじゃない?
残ってるのカボチャとかタマネギばっかなんだけど」
「ばかやろうジンギスカンは戦争なんだ。心を鬼にしないと欲しいものは手に入らないんだ」
「馬鹿野郎はお前だウメ。お前のせいで今日だけみんなベジタリアンだ。
バランスよく食べてる部長を見習え」
「オレは千明が装ってくれるの食べてるだけなんで」
「いいなー、仲良しで。
花守~、俺にもやってよ~」
「先生は自分でやってください」
「突然の塩対応」
「日頃の行いじゃないですか?」
「悪かったよこないだの件は!」
オリエンテーションで他校の選手と交流したり。
宿泊先のホストファミリーと食事を作って食べたり。
競技の外でも、またとない経験をした。
「───あら、私らなんかでいいのかい?」
「嬉しいけど、なんだか恥ずかしいねえ。
口紅でも差してくるんだったかねえ」
「せっかくお化粧したって、この汗だもの。
どのみちババアが写るだけよ、ワハハ」
「あら言うわね、ワハハ」
「そんなことないですよ。十分お綺麗です。
写真写りもばっちりキメてみせますから」
「アラヤダ!」
「ぶちょ〜、ふくぶちょ〜が宝塚〜」
「千明〜、余所のひと口説くのヤメて〜」
「───なぁー、そろそろよくないかぁ?」
「先生、それ3回目です」
「別に一緒待たなくたっていんですよ?
どっか屋内、冷房効いたとこ避難してても」
「こちとら顧問だぞぉ。そんな薄情な真似ができるかぁ」
「ほんなら顧問氏、人情ついでに麦茶買ってきてください」
「お前はそうやってぇ!人をパシリみたいにしてぇ!
他二人は何がいいんだ!」
「オレはアミノ酸系のやつなら何でも」
「私は部長と同じのを」
現地の人に被写体をお願いするのも。
ここぞのタイミングを炎天下で粘るのも。
全部が刺激的で、かけがえのない思い出になった。
「───ふい〜、生き返る〜」
「ごめんね竹チン、結局買ってきてもらって」
「いいってことよ。
熱中症で倒れでもしたら、そっちのが監督不行届ってやつ」
「先生、こっち見て」
「うんー?」
「あ」
「撮った?」
「なんで俺?」
「せっかくだから」
結果はもちろん大事だけれど。
オレ達に託してくれた人達のためにも、手ぶらでは帰りたくなかったけれど。
勝てなくてもいいと、正直思った。
自然の中を駆け回って、玉のような汗を流して。
笑ったり怒ったり、ライバルのセンスに嫉妬したりしながら、皆で皆のゴールを目指す。
ただそれだけのことが、あまりに楽しかったから。
ただそれだけでも、今日までの努力が報われた気がしたんだ。
「───今年はまた、一段と難しいですねー」
「ですねー。
常連のとこは、相変わらず非の打ち所なく……。
初めてのとこも、大胆なアングルで目を引く……」
「僕はこの子らの色彩が特に好きですねー」
「難儀ですねー」
「ですねー」
そして、四日目の午後。
二度に渡る審査会を経て、最終結果が発表された。
我が星森高校写真部は、惜しくも準優勝だった。
「───これは毎年お伝えしてることなんですけどね。
写真にせよ、絵画にせよ小説にせよ、芸術に正解なんてものは無いですから。
言い方を変えると、当人が真心を尽くした作品ならば、それだけで十分、ひとつの正解と言えます。
皆さんの作品も、熱量を感じられて、実に素晴らしかった。
………なんて言っても、勝てるものならやっぱり、勝ちたかったよね、みんなね。分かるよ。
だから最後に、これだけ。
勝ち負けを意識する気持ちも、もちろん大事だけど。たった一人の心に残る作品作りも、どうか大事にしてください。
僕としては、たくさんの人に評価されて、特別な賞を賜るよりも、たった一人に特別に、ずっと覚えていてもらえる方が、素敵なことだと思います───」
今大会のテーマは"せつな"。
三人で悩んで考えて、現地の人や物もたくさん取り入れるようにした。
でも、なんだかんだと、互いを撮り合うことも多かった。
現地の写真とオレたち自身の写真が、ちょうど半々の採用になった。
ベテランの千明と、ムードメーカーのウメ。
二人の力あってこその、惜しくも輝かしい準優勝。
逆に二人は、部長のリーダーシップが勝ちを呼んだんだと、讃えてくれた。
「───勝てなかったな」
「そうだね」
「そうだな」
「僅差だったのにな」
「そうだね」
「そうだな」
全員、本気だった。
どんなに疲れても、欲しい一枚のために走り続けた。
ファインダーの向こうに、誰も届かない景色を描き続けた。
死ぬほど悔しかった。
もっとやれたと、もっとやりたかったという気持ちもあった。
だからこそ。
この胸に満ちる、熱く切なく震えるほどの何かが、青春なんだと分かった。
「でもオレ達、よくやったよな」
「うん」
「ん」
「今まであんな、やれ弱小だの幽霊だのって、馬鹿にされてたのに比べたらさ。
いきなり準優勝とか、スゲーことだよな」
「うん」
「だな」
「だから」
「うん」
「おう」
「………優勝、したかったな」
「………うん」
「………ああ」
千明、ウメ、顧問の竹チン先生。
助けてくれた仲間、支えてくれた家族、送り出してくれた友達。
このうち一人でも欠けていたなら、きっとここまでは来れなかった。
「───今まで、腐らずよく、頑張ってきたよ、ほんと。
こんなダメ顧問には勿体ない、よく出来た教え子マジで、お前らマジ、泣かせないで……」
「───最後だから言わせてもらうけどさぁ。
ぶっちゃけ俺も部長やりたかったし?あいつと大会出たかったし?違う世界線もあったのかなって、考えたこともあったけど。
今は全部、良かったって思ってる。
このメンバーで戦えて、お前が部長で、良かった」
「───ねえ、凛。今、どんな気持ちがしてる?
私はね、幸せだよ。言葉にならないくらい。
色んなことがあったけど、なくていい日は一日もなかったってくらい、最高の3年間だった。
……こんな時に個人的なこと言うの、場違いかなとも思うけど。
一緒にいてくれて、ありがとう。これからもどうぞ、よろしくね」
悔しいけど、悔いはない。
最後に溢れた涙は、いわゆる心の汗に違いなかった。
「───ここ?ここでいいの?」
「そうそこ!そのまま動かんでね」
「なんか、改まると恥ずかしいね。ふふ」
「オレだって恥ずかしいよ」
「そうなの?どのへんが?」
「だって今日の千明、いつにも増して綺麗なんだもん」
「……あのさ。撮る前にそんなこと、言わないでよ。
せっかく良い景色なのに、赤ら顔になっちゃうでしょ」
「オレ的にはそれでも全然アリ」
写真甲子園、終了後。
夏休みの後半は、千明と北海道の名所に繰り出した。
地域限定のグルメに、期間限定のイベント。
行楽を楽しむのも勿論ながら、一番の目的はメモリアルフォト。
そこにしかない風景をバックに、俺が千明を、千明が俺を撮ることにある。
互いを撮り合うのはいつものことだが、いつかは部活動を離れた撮影にもと、予てより二人で計画していたのだ。
「わー……。すごい綺麗。絵の中にいるみたい」
「だろ?
まだまだ千明には及ばないけど、オレも少しは腕上げたもんね!」
「また謙遜して。
凛の撮る写真、私は前から好きだったよ?」
「ありがと。
モデルが良いと、より熱が入るってもんよ」
「そ───、んなに褒めても、何も出せないけど……」
「本心を言ったまでだ」
オレが撮ったのは、美瑛町にある向日葵畑に立つ千明の写真。
白いワンピースと白い麦わら帽子で着飾った千明が、こちらに向かってはにかんでいる写真だ。
「───あ、この角度すごい」
「なに?」
「空と海のあいだ、地平線の上、歩いてるように見える」
「へー!撮って撮って!」
「オッケー。
足もと気を付けて、真っすぐねー」
「あいよー。
……っと、なんかめっちゃ鳥集まってきたんだけど。フン落とされたらどーしよ」
「真上じゃないから大丈夫。ほら下向かない!」
「あいあい〜」
千明が撮ってくれたのは、増毛町にある堤防に立つオレの写真。
羽ばたく海鳥に紛れたオレが、地平線を歩いているかのような写真だ。
「なにこれヤバ!タイミングばっちしじゃん!」
「なんとか形になったね」
「ハァー……。千明は引きも強いよなぁ。
海の写真なら誰でも撮れるけど、こんな都合いいこと、そうそうないよ」
「ラッキーなのが取り柄だからね、私。
こうして見ると、天使の親分が子分たちを率いてるみたいじゃない?」
「オレには羽生えてないけどな」
千明はすごい。
写真もすごいし、勉強もスポーツもすごい。
なんだって出来て、なにに対しても手を抜かない。
目標にしている広告代理店への就職も、難なく叶えてみせるだろう。
オレは、これといって才能がない。
勉強もスポーツもそこそこ出来るだけで、突出した何かを持っていない。
やりたい仕事もないし、なりたい自分も具体的には掴めていない。
千明に相応しい男である自信は、前も今も、ずっとない。
「───いっぱい撮ったねぇ。
今日で最後と思うと、ちょっと寂しいなぁ」
「あのさ、千明」
「うん?」
「話したいことあんだけど、聞いてくれるか?」
そんなオレを、千明は好きだと言ってくれる。
だからオレも、卑屈に構えるのは、もうやめた。
分からないなら、分かるまで考えればいい。
見付からないなら、見付かるまで探せばいい。
どんな道でも真摯に取り組めば、必ず開けていくはずだから。
「オレ、不甲斐ないとことか、情けないとことか、いっぱいあってさ。
千明に迷惑かけたり、これからもかけちゃったりとか、色々あるかもしんないけど。
でも、頑張るから。なにをどう頑張っていくのかを、考えるのも含めて、真面目に、頑張るから。
だから、ちゃんと手に職つけて、金貯めて。一人の大人として、恥ずかしくない男になったら、その時は───」
未来がどうなるとしても。
一生、千明には追い付けないままだとしても。
オレが努力しない理由にはならない。
オレ以外の男に、千明を譲ってやる理由は、ない。
「千明。
オレと、結婚してくれないか」
まだ、四半世紀も生きていない若輩者だけど。
残りの50年、70年、100年だって、君と一緒にいたい。
皺くちゃのおばあさんになった君と、あんな事もあったねと、笑い合える日を迎えさせてほしいんだ。
「……うん。
うん、しよう。結婚しよう。結婚したい、私も。
私も、私から言ったら、びっくりするかなって、思ってた。
へへ。また、先越されちゃったね」
オレから千明にプロポーズ。
記念に撮ったツーショットは、のちに有名な雑誌に掲載された。
賞金は出ない。称号が貰えるわけでもない。
あくまで思い出作りの一環として、たまたま形になっただけのこと。
「───冷静になってみると、ありふれた構図だよね」
「確かにな。
写甲の時も、影の写真って結構な激戦区だったし。
どうせなら、こっち投稿すべきだったかね?」
「そっちは顔出ちゃってるもん。個人情報ただ漏れ」
「気にするほどでもねーんじゃん?普通に色々出してる人もいるよ?」
「だとしても、いいの。
こっちのは、みんなに見せびらかすつもりない」
「オレらだけの思い出ってこと?」
「そういうこと」
千明は喜んでくれた。
雑誌の片隅に微笑みかける横顔が、たまたま形になっただけの思い出作りを、本物の宝物に変えてくれた。
真心を尽くせば、それはひとつの正解になる。
たった一人に、ずっと覚えていてもらえる方が、素敵なことである。
写真甲子園の最終日、主催の人がスピーチしていた言葉が。
あの日とはまた違った意味に、この日のオレには聞こえた。
「大好きだよ、凛太朗」
一瞬に触れて、永遠を感じた。
オレは千明を一生愛するし、千明もオレを一生愛してくれたらと願った。
まさか、別れにも種類があるなんて。
不義理とか心変わりとか、人間の理を外れた場所からも、終わりはやってくるなんて。
知らなかった。
オレ達の恋が、オレ達の未来が、額縁の中にしか、続きがないなんて。
18歳のオレは、まだ、知らなかったんだ。




