第八話:穂村凛太朗
高校生になって、オレは好きな人ができた。
相手は同じクラス、同じクラブに所属する、俗にいう学園のマドンナ。
「───花守さん!」
花守 千明。
漫画のような美しい名前を持った彼女は、名前に劣らぬ美しい女性だった。
「穂村くん。今から部室?」
「そ!花守さんは?」
「私も、ゴミ箱片したら行くとこ」
「重そうだね。手伝っていい?」
「え?でも部室───」
「行くから、一緒に片付けて、一緒に行こ」
「そういうことなら……。
ありがとう、お願いします」
清楚で真面目で努力家で、優しくて賢くて大らかで。
先輩から後輩から同輩から、みんなに慕われていて。
ルックス的な意味ももちろんだが、千明の美しさは内面こそにあった。
千明と一度でも言葉を交わせば、誰もが千明を好きになった。
「───それって共用のじゃないよね?穂村くんの私物?」
「あー、これは……。まあ、今はオレの、ってことになってるけど。
元々は姉ちゃんが持ってたやつなんだよ」
「へー、お下がり。
写真やるようになったのも、お姉さんの影響?」
「いや、きっかけは父親。
父親がやってるの見て、姉ちゃんとオレもなんとなく始めた感じ。
花守さんのは?けっこう年季入ってるよね、それ」
「私のは、小学生の時に買ったやつ」
「自分で?」
「そう。お年玉貯めて」
「マジで!すげえ~」
「といっても、中古品だけどね。
ご覧の通り、見た目ボロボロで、でも味あって、好きなんだ」
「いいなー。オレも小遣い貯めて自分の買おうかなぁ」
「共用のもあるんだし、無理に新調する必要はないんじゃない?
カメラのスペックも大事だけど、一番はやっぱり、撮り手の技量だと思うし」
「説得力ある~」
かくいうオレも、ずっと千明を気にしていた。
なにせ、才色兼備の文武両道、男女問わずの人気者だ。
そんな人が眼中にないなんて奴は、とんだ大嘘つきか朴念仁だ。
でも、ちゃんと好きになったのは、友達になってから。
ただの同級生から部活仲間になって、部活仲間から友達になって、そのまま自然と恋に落ちた。
「───お~。今日も豪華だね~」
「そっかぁ?オレは見栄えとかどうでもいいけど」
「そう言わずに。お母さんの努力の結晶なんだから」
「うーん……?まあ、そう言われれば、そうか。
オレ的には、千明の弁当のが好みだな。こないだの唐揚げとかメチャウマだったし」
「あはは、ありがとう。卵焼き食べる?」
「食べる~」
花が好きなこと、写真が趣味なこと。
おばけの類が苦手なこと、毎朝自分で弁当を作っていること。
本気で笑うと眉が下がること、恥ずかしくなると襟を触ること。
"そっか"が多い時は上の空でいること、"そうだね"で纏める時は腹落ちしていないこと。
知れば知るほど、もっと知りたくなった。
オレだけを見て、オレ以外には見せないでほしかった。
人を好きになるのって、こんなに楽しくて煩わしくて、大変なことだったんだな。
初めて気付いて傷付いて、もう千明以外を考えられない自分を、認めざるを得なかった。
「───お前ンとこの、なんだっけ、ハナモリさん?美人だよなー」
「は?ああ……。そうだな」
「俺のクラスでも結構狙ってるやついてさ、そりゃー醜いもんよ。血で血を洗う、みたいな」
「ふーん」
「……ちなみにだけどさ、お前らは付き合ってないんだよな?」
「ねーけど」
「だよな!それ聞いて安心したわ!」
千明が好きだ。
千明にもオレを好きになってほしい。
千明と恋人になりたい。
オレがそう伝えたら、千明はきっと困るだろう。
オレ以外にも、千明を好きな奴はたくさんいる。
オレより前に、千明に告白した奴もたくさんいる。
今さらオレが張り切ったところで、立ち遅れも甚だしいし、有象無象に成り下がるだけ。
だったら友達のまま、特別じゃなくても一緒にいられる方がいいんじゃないか。
オレのためにも千明のためにも、オレは我欲に走るべきじゃないんじゃないか。
「───なー、千明知らん?」
「千明?千明なら、さっきウメと飲み物買いに行ったよ?」
「そうなん?二人で?」
「うん。……気になる?」
「は?や、別に……」
「あはは、ごめんごめん。
あの二人、よくカレカノに間違われるからさ。つい。
でも心配いらないよ。それだけはゼッタイにないから」
「千明がそう言ったのか?」
「んー?ふふ。ナイショ」
「───へ~い凛太朗~。ナニしょぼくれた顔してんだよ~。糞詰まりか~?」
「るせ。ほっとけ」
「フーン?
……ま、お前がそれでいいなら、いいんだけどよ」
「なんだよ?」
「別に?いつまで余裕かましてるつもりなんかなーって」
「どういう意味」
「……お前さ、自分の覚悟決まるまで、あいつが待っててくれるとでも思ってる?」
「!」
「みんな狙ってんのは知ってんだろ?
早いとこ唾つけねーと、誰かさんに盗られちまうかんな~」
思い返せばオレは、ただ臆病なだけだった。
素敵な女性は、素敵な男性と。
オレなんかよりイイ男が、千明には相応しいはずだと。
月並みな言い訳を捏ねるばかりで、もし失恋したらの痛みや苦しみを、受け止める覚悟が持てなかった。
“失恋したら“のビジョンしか、オレの頭にはなかった。
もっとよく周りの声を聴いて、千明の目を見ていれば。
こんな杞憂も、とっくの昔に、笑い話にできたのに。
「───う、そ……。ほんとに……?」
「う、嘘でこんなん言ったり、しないよ」
「でも、あ、私は、てっきり……」
「千明はオレのこと、嫌いか?」
「違う!
ごめん違うの、そうじゃなくて……。すごい、びっくりして……」
「びっくりして?」
「した、けど。すごい、───嬉しい」
「じゃあ……!」
ようやく告白に踏み切れたのは、出会って半年が過ぎた頃。
“前から好きだったのは自分も同じ“。
“今の関係が壊れてしまうことを恐れて、本心を打ち明ける勇気を出せなかった“。
そう言って千明は、恋する乙女の表情で笑った。
その表情はオレにとって、初めて見るようで、実は見慣れていたものだった。
「私も、穂村くんが好きだよ。
私で良かったら、穂村くんの彼女にしてください」
そうか。
千明もオレと、同じ悩みを抱えていたのか。
千明とオレは、同じ熱量で互いを見ていたのか。
匙一杯の悔しさと、目一杯の喜びと、胸一杯の幸せな気持ち。
あの時のオレは、史上最も恥ずかしい姿をしていたに違いない。
「───おはよ、凛。今日もいい天気だね」
晴れて、交際開始。
朝一番におはようと挨拶するのも、授業中にふと目が合うのも。
並んで弁当を食うのも部活動に勤しむのも、また明日ねと別れ際に手を振り合うのも。
友達だった頃と変わらない、些細なやり取りの全てが、ますます愛おしくて堪らなかった。
千明さえいてくれれば、他には何もなくていい。
オレの世界は、千明を中心に回っていると言っていい。
恋は盲目なんて言葉があるけど、当時のオレは正にそれだった。
「今までも、ずっと楽しかったけど」
「今年の夏は、楽しいだけじゃない」
「オレたちの全力を出しきる」
「私たちにしか撮れない景色を撮る」
「頼りにしてるぜ、副部長」
「凛こそ。どんと構えていてよね、部長」
そして迎えた、三年の春。
部長に任命されたオレは、副部長の千明と共に、高校生活最後の大舞台に臨むこととなった。
全国高等学校、写真選手権大会。
通称、写真甲子園。
文字通り、高校写真部にとって甲子園に相当するコンテスト。
そこで優勝することが、入部当初からの、オレ達みんなの夢だった。
「───ただ綺麗なだけじゃ、頭ひとつ抜けないんだよなぁ」
「思い切って奇抜路線でいってみるとか?」
「いや、無理に個性出そうとしても空回るだけだと思う。
副部長の意見はどう?」
「そうだなー……。
個人的には、余所と被ったとしても、自分達のやりたいテーマに拘った方がいいんじゃないかと思うけど……」
「だよなぁ。
どうせなら、オレ達が撮りたい写真、撮りたいよなぁ」
写真甲子園のスケジュールは、初戦審査会・ブロック審査会・本選大会の三部構成。
一校一チームで作り上げた組写真が、評価の対象とされている。
応募総数は、例年平均で500から600校。
初戦審査会で100校弱まで選抜され、更にブロック審査会で20校弱に絞られる。
本家甲子園に負けない、狭き門だ。
「───おっ、弱小写真部」
「バッカ、無名写真部だろ」
「似たよーなもんだろ。
悪いな幽霊写真部。今年こそは成仏するんだぞ~」
「モデルが欲しい時はいつでも声かけてくれや~」
「お前がモデルじゃ台無しだ~」
「うるせ~」
「はよグラウンド行け坊主ども!」
オレ達の所属する、星森高校写真部は、創部間もない新参チーム。
入選はおろか、本戦出場すら経験のない、ほぼ素人の集まりだった。
それでも、なんとしてでも。
今年こそは結果を出したい理由が、オレ達にはあった。
「───よ、お前ら頑張ってるかー?」
「うわ、なんすか先輩!神出鬼没!」
「ちょい近く通ったからさ。ほい、差し入れ」
「わ、ありがとうございます。後でみんなで頂きますね」
「そう言うみんなは?部長と副部長だけか?」
「あ、はい。
今はオレらがこっちで作業して、他のメンバーが外に撮影行ってます」
「写甲のだろ?
部長と副部長で枠埋まってんなら、他全員で撮る必要なくね?」
「いやいや。オレと千明だって、まだ決まったわけじゃないっすよ」
「え。そうなん?」
「はい。
学年に関係なく、みんなで話し合って、みんなが良いと思った写真を選ぼうって決めたんです 」
「……そっか。
オレらん時は、とりあえず3年で固めてって感じだったもんな」
「勝つことばっかに意識いって、1・2年を顎で使ってさ。
そのくせ実力不足で負け通しで、最悪な部長だったよなー、俺」
「そんなことは───」
「や、いいんだ。
お前らの顔見たら分かる。やっぱ、勝ち負けよりまず、楽しくやりたいよな」
「今まで、ちゃんと活躍さしてやれんで、ごめんな。
経験者の千明と、ムードメーカーの凛太朗なら、きっといいコンビ、いいチームになるよ」
「今年の写甲、頑張れよ」
「……はい」
写真甲子園に出場できる選手は、1チーム3名まで。
故に過去の大会では、オレ達は出場すら叶わなかった。
ロケーションの調査、シチュエーションの演出など。
許されていたのは精々、参加選手である上級生のサポートまで。
無論、サポートをしろと強制されていたわけではない。
上級生たちは気さくな良い人ばかりで、なんだかんだと楽しい部活動だった。
ただ、せっかくなら腕試しをしてみたい気持ちも、少なからずあって。
上級生は無条件に選手になれる、という暗黙の了解に、歯痒さを感じる場面もあったりして。
だからこそオレと千明は、自分たちの代からは平等にやろうと決めた。
全員でスタートラインに立ち、全員で助け合いながら、正々堂々戦おうと。
全員が納得いく作品を携えて、夢の本選に行こうと。
「───やっぱ経験者よねー。
こんな構図、あたしは逆立ちしても思い付かない」
「部長のこれも素敵ですよ!
匂いというか風というか、季節を感じる感じがします」
「重複してるぜ、一年坊」
「……いいのか?ほんとに。
千明はともかく、部長だからって、オレに花持たせてやろうとか、しなくていいんだぞ?」
「出た。千明千明って、いっつも千明をダシに卑屈マンになるんだから」
「そうだよ。凛の写真、どれもすごくいいよ。
私の方が立つ瀬ないくらい」
「おいコラ。夫婦揃って卑屈発動すんな」
「あんたらの心持ちはさて置いて、あたしらはこれでいいって、これがいいって言ってんの。
花持たせるとか何とか、いい加減しつこいのよシバくわよ」
「でもお前、1・2年は次があるけど、お前は今年で最後で───」
「うるっさい!だからいいって言ってんの!
……今日まで全部、ほんとに全部、楽しかったし。あたしなりに頑張ったし、悔いない」
「………。」
「それに。
あたしの分まで、連れてってくれるんでしょ?甲子園」
「ミンミン……」
「野球部のマネージャーやん」
「いちいち水差すなハゲ!」
心新たに、まずは初戦審査会。
掲げたテーマは、"ありふれた日常に潜む奇跡"。
あくまで身近な風景にフォーカスし、余計な小道具や被写体は割愛した。
カットの枚数は、優に一万枚を越えていたと思う。
おかげで初戦・ブロックともに、危なげなく突破。
夢の夢だった本戦優勝も現実味を帯び始め、我が星森写真部は一層のやる気に燃えたのだった。




