第六話:青年は額縁の中で 6
"隠れ家的"の例に漏れない、昭和レトロ感あふれる純喫茶。
バーバチカから程近いここで、俺たちは千明ちゃんを待たせてもらうことにした。
「───凛太朗さん本人の言葉だって、信じてもらえますかね」
『きっと。
このエピソードとか、当事者でないと知らないはずですから』
「ならいいんですけど……」
冷たい飲み物で一服しながら、同時に作業を進める。
凛太朗さんのご家族やご友人に宛てた、手紙の代筆。
とどのつまり、遺書の作成である。
『心配ですか?』
「少し。
俺が先方の立場だったら、こんな、映画みたいな話、タチの悪い悪戯と思うかもしれません」
『なるほど』
二人がけの席に俺と澪さんが対面で座り、脇に立つ凛太朗さんが遺書の内容を延べていく。
それを俺が自前のペンで便箋に記し、纏まった便箋を澪さんが封じて完成。
ぶっちゃけ俺が一番の重労働だが、あいにくと凛太朗さんはペンを握れない。
澪さんと分担するにしても、筆跡が違えば先方を混乱させるかもしれない。
重労働でも、俺がやるしかないのだ。
『けど、大丈夫。
どんなに疑っても、泣いて、狼狽えたとしても。
最後には、オレに行き着く。オレを信じて、オレの信じた貴方を信じる。必ず』
「……家族だから、ですか?」
『ええ。自慢の家族、自慢の友達です』
信じてもらえるかは、分からない。
俺のでっちあげた作り話と、怒りを買う恐れさえある。
そうなったら俺は、凛太朗さんに関わる全ての人から、一生恨まれることになるだろう。
しかし当の凛太朗さんは、そんなことにはならないと断言した。
信じるにせよ信じないにせよ、頭ごなしに人を詰るような人達ではないと。
自分を信じてくれる彼らなら、自分の信じた貴方の主張を、最後には聞き入れてくれるはずだと。
"───俺をよく知る貴方なら、嘘か真か見分けがつくはず。"
"どうか、目の前にいる人を攻撃しないで。
その人は、俺のために骨を折ってくれた恩人だから。"
"たとえ信じ難くとも、信じ難いならばこそ、最後まで読んでください。
きっと分かってもらえると、俺は信じています───。"
会社員の父親、パート従業員の母親。
歳の離れた既婚者の姉、遠方に暮らす父方の祖父母。
小学校からの幼馴染み、青春を共にした部活仲間……。
特に思い入れの深いという、8人の縁者たちへ。
凛太朗さんからの"ありがとう"と、未来に託した"さよなら"を、今ここに綴る。
「───ケンジさん、あの……」
「大丈夫だよ。さっきストレッチしたし」
「それもですけど、体より、もっと───」
「大丈夫。
大丈夫だから、俺は。
あんまり今は、こっち、見ないで」
これは、凛太朗さんそのものではない。
凛太朗さんの人生の、数ある記憶と経験の中の、更に僅かな思い出の欠片。
ましてや文字に起こす分、数枚の便箋に綴る分なんて、100年時代の昨今に於いては刹那の具現化だろう。
俺はあくまで、期間限定の協力者。
凛太朗さんは結局のところ他人だし、凛太朗さんの家族や友人に至っては赤の他人だ。
他人の人生を覗くことは、映画を観たり小説を読むのと、何ら変わらないことなんだ。
そう、頭では理解していても。
凛太朗さんの声で語られる、彼ら彼女らとの日々が、あまりに尊くて。
若くして世を去るには、凛太朗さんは優し過ぎることを、改めて実感して。
他人の関係でも、部外者の立場ではいられない。
涙を堪えながらでは、真っすぐに字を書けなかった。
『聞かされる方も、辛いですよね。
体も痛いでしょう。無理せず、ゆっくり。出来る範囲でいいですからね』
どうしてこんな、いい人が。
交通事故なんかで、苦しんで死ななくちゃいけないのか。
22歳。
成人して、たった2年。
生まれて、たった22年。
幼さ故のしがらみから解放されて、やっと世界が楽しくなってくる年頃だぞ。
少なくとも、俺の知る22歳は。
俺の周りにいる22歳は、もっと生き生きとしている。
挫折や苦悩や葛藤を伴に、大人の始まりを謳歌している。
俺だって、自分なりに楽しみや喜びを見出だして生きている。
派手じゃなくても、月並みの幸せを享受している。
そうだよ。
俺なんかでさえ、当たり前に今日を生きて、明日を迎えられるんだよ。
なんで、凛太朗さんだけ無理なんだよ。
俺よりずっとイケメンで性格も良くて、将来を期待されていそうな凛太朗さんが、俺より先に死ぬんだよ。
だったら、俺みたいなのが、代わりに。
とは、さすがに言えないし、言わないけれど。
不条理とやらに出くわす度に、どうしても考えてしまうのだ。
『オレが言うのもなんですけど。ケンジさんって、損な人ですね』
天寿を全うする人間と、志半ばで倒れる人間。
どこが違い、なにが命運を分けるのか。
どうして世界は、優しい人ほど傷付くのか。
どうして神様は、優しい人に優しくしてくれないのかと。
**
「───書けた……!」
17時43分。
ランチからディナーに営業形態が切り替わる直前、ようやく全ての代筆作業をやり終えた。
おかげで腕はガタガタ、背中はバキバキの尻はゴワゴワで、まるで竜宮城帰りの浦島太郎気分だった。
「お疲れ様でした。後はわたしに任せてください」
「ウン……。タノムネ……」
残りの封緘作業を澪さんに任せ、力無くテーブルに突っ伏す。
澪さんの膝に乗っているケースファイルには、既に完成した手紙が納められている。
『本当に、ありがとうございました、ケンジさん。
両親の分だけでも御の字だったのに、まさか全員、こんな短時間で……』
「いやいや、ははは。
むしろ後半とか、だいぶ雑な感じになってもて……」
『いいんですよ。
気持ちが伝われば、それで』
同じく一息ついた凛太朗さんが、ファイルと俺の顔とを見比べて微笑む。
出来栄えはイマイチだが、凛太朗さんが喜んでくれるなら、及第点ってことでいいだろう。
『あれ、ケンジさん。
なんかブーブー言ってますよ?』
「オナラはしてないですぅ」
『そうじゃなくって、こっち。スマホ、鳴ってます』
俺の間抜けな譫言に、凛太朗さんが吹き出しながら注意を促す。
そちらに視線を落としてみると、確かに荷物入れの中から振動音がしていた。
スマホのバイブレーション通知機能だ。
作業の邪魔になるからと、他の荷物と一緒に除けておいたんだった。
「メッセージきてる……」
スマホを拾い、待受画面を表示してみる。
新着メッセージが1件。
差出人は千明ちゃん。
"もうすぐ退勤できるので、合流の場所と時間を教えてください"とのこと。
普段はバーバチカのグループ内でしか連絡しないので、個別でメッセージが送られてくるのは初めてだ。
「千明さんですか?」
「うん。もうすぐ終わるって。
めっちゃ融通してくれたんだろうなぁ、古畑さん」
「いつもはもっと遅いんですか?」
「当番だとね。
今度お礼しに行かないとな」
澪さんの封緘作業もちょうど終わった。
千明ちゃんに必要の旨を返信し、散らかったテーブルの上を片付け、出発のための身支度をする。
すると凛太朗さんが、急に一歩二歩と後ずさりをした。
「凛太朗さん?」
俺の呼び掛けに答えないまま、頭を抱える凛太朗さん。
何やら酷く具合が悪そうで、アクシデントが起きたのは明らかだった。
「ちょ、凛太朗さん?どうしました?何かあったんですか?」
周囲に怪しまれない声量で、再び凛太朗さんに呼び掛けてみる。
凛太朗さんは一度目を閉じてから、おもむろに訳を話し始めた。
『すいません、今、母が……。オレの母と、父が、病室に来て。
時間も時間だし、今日の予定はなかったはず、なんですけど……』
「急遽、ってことですか。
誰が来たとか、すぐに分かるものなんですか?」
『一応は。
ただ、気配を感じる程度なので、どんな様子かまでは……』
凛太朗さん曰く、凛太朗さんの厄主の元に御両親が見えられたという。
込み入った事情があるとして、確かめる術は俺たちには無い。
「周りの様子はともかく、凛太朗さん自身の様子は?
容態が急変したから駆け付けたって可能性は?」
『それはない、と思います。
自分の───、あっちの自分の様子くらいは、分かるから。
いつも通りだから、余計に、なんで、両親揃って……』
理由自体が特に無いなら、もしかして。
虫の知らせ、というやつだろうか。
「なんであれ、これが最後になる、ですよね、ご両親とは」
『たぶん……』
凛太朗さんの最期は、俺たちと千明ちゃんで看取らせてもらう予定だ。
千明ちゃんとの時間を尊重したいと、他の関係者には事後報告が良いはずだと、凛太朗さんたっての希望で。
となれば、少なくとも御両親とは、まだ間に合う。
最期を迎える前に、最後のお別れをするチャンスが、今ならある。
「行ってください」
『え……』
「明日の予定だって、狂わない保証はないんです。出来るうちに、出来ることをした方がいい。
なんなら、ご両親とも合流して───」
『それは駄目です。
千明だけ、当日は千明と、二人じゃないと、いけないから。
千明を優先するためには、たとえ両親でも、許すわけにはいかない』
「……だったら尚更、行ってください。
千明ちゃんには、俺から話、通しておきますから」
『でも……』
「本当は、みんなにお別れ、言いたかったんでしょう?」
関係者の全員を説得する猶予はない。
だから、最も会いたい人に、千明ちゃん一人に定員を限るしかなかった。
本当は、みんなに看取ってほしかったはずだ。
千明ちゃん一人に限らず、みんなと最後の時間を過ごしたかったはずなんだ。
もはや、叶わぬ夢だけれど。
今から御両親に会ったところで、話せないし触れないし、感傷が増すだけかもしれないけれど。
"仕方ない"で済ませられるほど、凛太朗さんの愛情は浅くない。
『ありがとう。
千明のこと、よろしくお願いします』
書斎での一幕と同じ。
次の瞬間には、凛太朗さんの姿は消えていた。
「───辛いですね。
凛太朗さんからは見えるし聞こえるのが、余計に」
成り行きを見守ってくれていた澪さんが、哀しそうにファイルを抱き締める。
俺は凛太朗さんの立っていた位置に手を伸ばし、凛太朗さんの置いていった空気を握り締めた。
「俺、頑張るよ。
どこまでやれるか分からないけど、頑張るよ」
「はい。わたしも、頑張ります。
全力で、ケンジさんをサポートします」
「そのためにも、まずは千明ちゃんだね」
「はい。千明さんに、会いに行きましょう」
大事なものの中から、ひとつだけを選ぶということ。
大事なものの中から、ひとつ以外を切り捨てるということ。
取捨選択が人生。
その時が来たら、俺は何を選び、何を切り捨てるのだろう。




