第六話:青年は額縁の中で 5
「良かったら、お店の中、見物していかない?」
「え?」
「手前味噌だけど、けっこう品揃え豊富なんだよ、ウチ」
「あ……。でも、他のお客さんとか……」
千明ちゃんから職場見学のお誘い。
澪さんは言葉を濁しながら、俺と千明ちゃんの顔色を窺った。
「大丈夫大丈夫。今はキミ達しかいないし、無理に買わせたりしないから。
今時の女の子はどういう花が好きなのか、教えてほしいな」
「そうだよ澪さん。
せっかく来たんだし、色々見せてもらったらいいよ」
千明ちゃんと俺で駄目押しする。
双方の許可を得た澪さんは、嬉しそうに表情を綻ばせた。
「じゃあ、えと、お願いします」
「オッケー。
そういうことだから、ケンジくん。ちょっとだけ澪ちゃん、お借りしますね」
「ごゆっくりどうぞー」
早くも意気投合した千明ちゃんと澪さんが、和気藹々と店の奥へ消えていく。
まるで姉妹のような雰囲気。
モモの時は澪さんがお姉さん役だったから、今度は妹だな。
「(勘が良すぎるよ、千明ちゃん)」
千明ちゃんのことだ。
俺が何か言い倦ねているのを察して、タイミングを計ってくれたんだと思う。
正直、助かった。
昨夜のうちに計画は練ったとはいえ、本人を前に単刀直入で切り出せるほど、俺は肝が据わっていない。
千明ちゃんの秘密を暴くということ。
千明ちゃんにとって、最も触れられたくないであろう場所に踏み込むこと。
気が重いからこそ、適当に済ませるわけにはいかない。
「(俺もしっかりせんと)」
千明ちゃんを傷付ける準備と覚悟。
せっかくの配慮を無駄にしないためにも、せめて姿勢くらいは整えておかなければ。
「どうですか?彼女の仕事姿は───」
千明ちゃん達が離れている隙に、凛太朗さんに話し掛ける。
しかし凛太朗さんは無反応で、千明ちゃんの姿をぼんやりと眺めるばかりだった。
「凛太朗さん……?」
『あ……。すいません、聞いてませんでした。なにか?』
二度目の呼びかけで反応してくれたものの、凛太朗さんの視線は千明ちゃんに釘付けのまま。
"緊張した面持ち"を超えて、豆鉄砲を食った鳩、蛇に睨まれた蛙のようだ。
「彼女の働きぶりはどうかな、ってだけなんですけど……。大丈夫ですか?」
『ああ……。そう、ですね……。
ちょっと、思うところがあって、なんか、呆気に取られちゃって』
「思うところ───、というのは?」
『彼女の、雰囲気というか、特に服装が、ね。
見舞いに来てくれる時はいつも、ワンピースとか、女性的な装いが主でしたから。
仕事中だと本当に、あんな感じなんだな、って』
「へえー。
俺としては、スカートよりパンツスタイルのがイメージ強いっすけどね」
凛太朗さん曰く、千明ちゃんのオンオフには差があるとのこと。
俺はバーバチカでしか千明ちゃんと会わないが、勤務中の彼女は機能性重視のパンツスタイルが主だ。
マニッシュな装いがあまりに似合っているせいで、近頃は千明ちゃん目当ての女性客もいるほど。
「(凛太朗さんの前でだけスカートを穿くってことは、つまり───)」
もしかすると千明ちゃんは、凛太朗さんに会う時だけおめかしをする習慣があるのかもしれない。
昏睡状態の凛太朗さんには、無意味と分かっているはずなのに。
勝手に慮って、勝手に胸が痛い。
**
「───ただいま戻りました~」
15分後。
見学を終えた澪さんと千明ちゃんが戻ってきた。
先を歩く澪さんの手には、何故かラッピングされた花が握られていた。
「おかえり。それは?」
「千明さんに頂きました!
桔梗って、実物は意外と大きいんですね」
「桔梗……」
「花言葉は、"清楚"、"気品"───」
一足遅れて来た千明ちゃんが、澪さんの説明に注釈を入れる。
「そして、"変わらぬ愛"。
澪ちゃんのイメージに合うかと思って、見繕ってみた。
どう、ケンジくん的に?」
花の正体は、桔梗。
鮮やかな青い花びらは、まるで澪さんのコートの一部。
さすが本職ともなると、その人に似合いの花を一目で見繕えるらしい。
澪さん自身も日本の花が好きだというし、ぴったりのチョイスではなかろうか。
「綺麗だと思うよ。ありがとね、わざわざ」
「大事に持って帰ります」
そっと桔梗を抱える澪さんに、千明ちゃんはうっそりと目を細めた。
「どういたしまして。
一輪だけで申し訳ないけど、せめてもの、お近づきの印に」
束の間の安息。
名残惜しいが、安らかな時間はここまで。
俺たちの目的は、花を見繕ってもらうことではないのだ。
「それで、今日はどうしたの?」
「え?」
「なにか用事、あって来たんでしょう?」
いよいよ切り出そうとした矢先、千明ちゃんの方から核心を突いてきた。
やっぱりバレてた。
俺が間抜けなのか、千明ちゃんが洞察力オバケなのか。
「実は、折り入って話したいことがあるんだ」
「うん。なに?」
「営業中だから、詳しいことは伏せるけど……。
穂村凛太朗さんの件だよ」
俺が凛太朗さんの名前を出した途端に、千明ちゃんは血相を変えた。
「その名前、どこで……」
「そういうとこも含めて、イチからちゃんと、話すから。
何時になっても待ってるから、仕事終わったあと、時間をもらえないかな?」
「……今日中じゃないと、いけない話なんだね?」
「うん。
突然でマジごめんだけど、なるだけ早い方がいい」
狼狽えつつも耳を傾けてくれる千明ちゃん。
相手が違えば、いきなりなんなんだ、なんでお前にそんなことを、と激昂されてもおかしくない場面だろう。
千明ちゃんの聡明さが、有り難くて忍びない。
「わかった。
早めに上がらせてもらえるよう、オーナーにお願いしてみる」
「悪いね、いろいろ」
「いや……。
なんだったら、今すぐ早退させてもらうんでも───」
「今日中に、間に合えば大丈夫だから。
こっちはこっちでやることあるし、俺らが待つ分には気にしなくていい」
「そう……。じゃあ後で────」
千明ちゃんの返事の途中で、出入口のドアベルが再び鳴った。
俺たち以外の来客の合図。
振り向くと、紳士風の中年男性が帽子を脱いでいた。
「いらっしゃいませ!
───ごめん。途中だけど……」
「こっちこそ、長居してごめん。落ち着いたら連絡して」
「わかった。澪ちゃんも、またね」
「あ……、はい。
お仕事、頑張ってください」
「ありがとう」
男性客に対応するべく、俺たちの横を千明ちゃんが通る。
次の瞬間、千明ちゃんの耳元で淡い黄色が光った。
「(今の、どこかで───)」
ショーウインドウから差し込んだ陽光が、千明ちゃんのピアスに反射したらしい。
にしても、どこかで見覚えのあるデザインだったような。
「行こっか」
「はい……」
『………。』
これ以上の長居は、お店にもお客さんにも迷惑になってしまう。
営業スマイルで接客に努める千明ちゃんを余所に、俺たちはそそくさとバーバチカを後にした。
「(やっぱり)」
店を出てからも、凛太朗さんはショーウインドウ越しに千明ちゃんを眺め続けた。
そんな凛太朗さんの左耳には、千明ちゃんの右耳にあったものと同一のピアスが光っていた。
少なくとも千明ちゃんは、俺と出会った当初からあのピアスを着けている。
となると、凛太朗さんが事故に遭う前、もしくは直後に分け合ったのか。
凛太朗さんからのプレゼントだったのか、千明ちゃんがお揃いで買ったのか。
「(すぐ目の前に、いるのに)」
"そのピアスって、どうしたんですか"。
聴けば分かることだとしても、俺は聴けなかった。
今ここで、答え合わせをする気にはなれなかった。
厚いガラスを隔ててもなお、凛太朗さんの眼差しは熱くて。
でも千明ちゃんには届かなくて、凛太朗さんは傍観者でしかいられなくて。
隔てるものが有ろうが無かろうが、凛太朗さんはずっと。
届かない熱を抱えて、傍観者でいるしかなかったんだと。
迂闊に声なんか、かけられる訳なかった。




