第六話:青年は額縁の中で 4
9月2日。13時20分。
午後シフトの家永さんと店番を交代し、軽い昼食をとってから俺は商店を出た。
道路を挟んだ店先には凛太朗さんの姿があり、こちらに気付いた凛太朗さんは会釈してくれた。
「───すいません。お待たせしちゃいました?」
往来に怪しまれないよう、自然を装って凛太朗さんに話しかける。
凛太朗さんは昨夜と変わらず、穏やかな調子で微笑んだ。
『いいえ。オレもさっき来たとこです』
本日の予定は、13時から14時までに凛太朗さんと待ち合わせ。
合流したのちは、大学病院に程近い花屋へ向かうことになっている。
大学病院は、凛太朗さんの厄主にとって。
花屋は凛太朗さんの恋人あらため、花守千明さんにとっての拠点。
いずれも凛太朗さんと縁のある場所だ。
『にしても、他人行儀な距離感ですよね』
「え?」
『澪ちゃん。
一緒に来てくれるって話でしたけど、ここまでとは思いませんでした』
俺の背後遠くを、凛太朗さんが指差す。
振り返った先には澪さんがおり、こちらに気付いた彼女もまた会釈してくれた。
"3メートルルール"、適正距離。
ふたみ商店近辺では常にこの距離感でいるよう、澪さんにはお願いしている。
彼女の姿が周りに視えないように、余計な誤解を招かないために。
「あー……。はは、確かに。普通だったら他人ですよね。
肩身の狭い思いばかりで、申し訳ない限りですよ」
『3メートル以上離れれば、オレたち以外には視えなくなる……、でしたっけ』
「ええ」
俺と凛太朗さんは会話を続けながら、手を振って澪さんに応えた。
「あ、でも、今だけなんで。
ここら一帯を抜ければ、誤魔化す必要もなくなるんで。
彼女とはその時に、改めて」
『分かりました』
挨拶もそこそこに、行動開始。
俺と凛太朗さんが並んで歩き、俺たちの後ろを澪さんが付いて回る。
俺としては三人での移動だが、傍から見れば俺一人での散歩のように映っているかもしれない。
あいつ徘徊癖がついたな、とかご近所さんに怪しまれてないといいけど。
「凛太朗さんこそ、昨日はイリュージョンのように帰って行かれましたけど……。
今日来る時も、あんな感じで?」
ちなみに昨夜は、不思議な形でお別れした。
"また明日"の約束をした直後、凛太朗さんが忽然と居なくなったのだ。
俺と澪さんからは、何も働きかけていない。
凛太朗さん自ら姿を消し、俺と澪さんはいつの間にか凛太朗さんの存在を認識できなかった。
そのような手段や能力が、凛太朗さん本人に備わっているものと思われる。
もしかして。
"3メートルルール"を出入りする時の澪さんも、俺以外にはそう視えているんだろうか。
『自分でも、何がどうなってるのか、イマイチ仕組みが分からないんですけど……。
頭の、こう───、奥のほう。じっと意識を集中させると、ケンジさんの家の前まで飛べるみたいなんですよ。
病院に帰る時も、また然りで』
「へー。マジ瞬間移動じゃないすか」
『いやぁ、どうやらそんな都合のいいモンでもなさそうでして』
「そうなんですか?」
凛太朗さんの端正な横顔に、困ったような笑みが浮かぶ。
昨夜にも見た表情だが、今は昼間の屋外。
明るい場所で改めると、本来のイケメンぶりが一層際立つ。
『実はオレ、病院から出たことなかったんですよ。今まで』
「それは───、"建物の中"からってことですか?」
『中庭とかには一応出られるんで、"敷地内"って言い方のが正しいですかね』
「じゃあ……。
昨日の、俺ンとこ来たのが、三年ぶりの外出だったわけですか」
『そうなります。
気付いたらこんな、ぜんぜん知らない場所にいるんだから。びっくりしましたよ、あの時は』
「へー……、って、あれ?
でも昨日、自分の意思でここまで来た、とか言ってませんでした?」
『言いました。実際そうです。
オレの願いを叶えてくれる人、もしくは場所、どこかにいないかなーって、ずっと考えてて。
だから、ケンジさんのことも、むかご通りのことも、よく知らなかったけど。急にここに飛ばされた時、漠然と理解したんです』
口では俺のことを語りながら、凛太朗さんは自らの掌に視線を落とした。
『ああ、ここが、その場所。この人が、その人なんだな。やっと通じたんだな、って』
「俺に会いに来たのではなく、たまたま条件にハマったのが俺だった、と」
『彼女の知り合いが相手なら、もっと早くにそうなってほしかったって、最初は思いましたけどね。
ケンジさんのお話聴いたら、そこも、理解せざるを得ませんでした』
「……なるほど」
『あ、責めてるんじゃないですよ?
むしろ、いよいよなる前に、間に合って良かった』
「………なるほど」
入院生活が始まって以来、凛太朗さんは一度も外出していないという。
ベッドに伏せたままの厄主はもちろん、生霊として活動する分にも。
"願いを叶えてくれる可能性があるから"。
だから凛太朗さんは俺の元に現れ、厄主の元と行き来できるようになったのだとしたら。
モモの時も、そうだったのだろうか。
厄主と俺との間には特別な近道があって、空我に近い生霊のみがそこを渡れるのだろうか。
「あ。てことは、こうして町を歩くのも……?」
『あ。そっか。そうっすよね。
やべ、ぜんぜん意識してなかった。
オレ今、外にいるんですもんね。三年ぶりなのに、なんか……。
あんま実感、湧かねえや』
俺の指摘に、凛太朗さんは初めて素っ頓狂な反応をした。
病院の敷地内であれば屋外には出られるので、町並みとの境界線があやふやになっていたらしい。
「(もっと前に、俺が事故に遭ってれば、もっと早くに、二人とも……。
いやいや、なに考えてんだ。やめよ)」
モモと凛太朗さん、二人の生存できたかもしれないifを、考えて止める。
凛太朗さんの言う通り、今さら遅いと嘆くより、最期に間に合って良かったたと、ここは飲み込もう。
「───と。そろそろいいかな」
むかご通りから外れたタイミングで、俺は足を止めた。
周囲に知人の姿はない。
ここまで来れば、うっかり鉢合わせる恐れもないだろう。
「すいません、ちょっと」
『ん、ああ、はい』
凛太朗さんに断って後ろに振り返り、澪さんに対して小さく手招きをする。
合図に気付いた澪さんは、同じく周囲を警戒しながら、こちらに駆け寄ってきた。
「ごめんね、遅くなって」
「いいえ。もう大丈夫そうですか?」
「たぶんね。
それでも鉢合わせた時には、適当に言い訳するから、合わせてくれる?」
「了解です。
凛太朗さん、こんにちは」
『こんにちは。いい天気だね』
澪さん合流。
仕切り直した俺たちは、路線バスに乗って目的地へ。
花守千明さんの勤務先である、花屋へと向かったのだった。
**
ふたみ商店を出発して、およそ1時間後。
花屋に到着した俺たちは、目の前の建物を揃って見上げた。
「───仕事抜きでは初めてだな。
凛太朗さんも、来るの初めてなんすよね?」
『ええ。話には聞いてましたけど……。実際には、初めてです』
"バーバチカ・フラワーショップ"。
大学病院から徒歩10分、一戸建ての老舗花屋。
ミントグリーンの外壁と、アンティーク調の木製ドアが目印で、ショーウインドウには店名と蝶の模様が刻まれている。
近隣には隠れ家的な喫茶店や雑貨屋が建ち並び、もはや通り全体が"何とか映え"のお洒落スポット。
店や自宅の設え用はもちろん、病院の見舞い用としても、バーバチカの花は広く選ばれるとのこと。
「澪さんはどう?こういうとこ、好き?」
「はい!
お店の雰囲気も素敵ですし、なによりお花が好きです」
「どんな花が特に好き、とかはあるの?」
「そうですね……。
色々ありますけど、藤とか紫陽花とか、日本の花の方が惹かれますかね。どちらかと言うと」
元より花好きだという澪さんは、バーバチカの店構えに目を輝かせた。
片や凛太朗さんは緊張した面持ちで、一気に口数が減ってしまった。
「凛太朗さん、凛太朗さん」
『……あ、はい』
「今時分がちょうど、彼女の当番のはずなので。
問題がなければ、このまま店に入ろうと思うんですけど……」
町に出たのは3年ぶり。
ましてやバーバチカは、初めて訪れる場所。
きっと俺が想像する以上に、感慨深いものがあるのだろう。
「……いいですか?」
『………はい。お願いします』
そんな凛太朗さんと澪さんを率いて、俺はバーバチカの入口へと近付いていった。
「いらっしゃいませ────」
ドアを開けると、真鍮のドアベルが鳴った。
作業中だった女性の店員が、笑顔でこちらに振り返った。
店員は俺と目が合うなり、意外そうな声を上げた。
「あれっ、ケンジくん?
どうしたの、こんな時間に」
彼女こそ、凛太朗さんの恋人。
花守 千明。21歳。
若くして副店長を任されている、バーバチカの公認看板娘だ。
「こんにちは、千明ちゃん」
後ろで一纏めにされたセミロングの髪は、凛太朗さんと同じほどの明るい亜麻色。
整った顔立ちもどこか凛太朗さんと似ていて、実は兄妹なのだと言われれば頷ける。
服装は、マニッシュ且つカジュアルなパンツスタイル。
メイクやアクセサリーも控えめで、"可愛い"というより"綺麗"の印象が強い。
まさにクールビューティー。
俺の知人の中で、一番の美女こそ彼女だ。
「ごめんね、急に。古畑さんは?いる?」
「今はお昼休憩中。呼んで来よっか?」
「いや、いいよ。今日は仕事で来たんじゃないから」
「そうなの?
───と、こちらの女の子さんは?」
千明ちゃんの視線が、俺から澪さんに移る。
「彼女は澪さん。俺の友達───、みたいな人。
花が好きっていうから、連れて来た」
「そうなんだ。こんにちは」
「こ、こんにちは」
千明ちゃんに微笑まれた澪さんは、びくりと肩を揺らして返した。
最初は俺もこんな感じだったな。
というか、千明ちゃんと会った人全員、こうなるに違いない。
「私の名前は、花守っていいます。
ケンジくんとは、仕事の関係で時々会うの。
"知り合い"くらいなら、名乗っても許されるかな?」
「あ、わ、わたしは、澪と、いいます」
「澪ちゃんか。かわいい名前だね。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
千明ちゃんに握手を求められ、澪さんが応じる。
二人とも穏やかな性格なので、きっと馬が合うはずだ。
「(美少女と美女の組み合わせ……。
俺みたいな陰キャには勿体ない光景だな……)」
俺と千明ちゃんの関係については、本人から紹介があった通り。
仕事で時々、顔を合わせる程度の仲だ。
うちでは野菜の他に生花も栽培しており、それらを俺がバーバチカに卸している。
じゃがいもの成育を助けるマリーゴールドなんかが、春夏の主力商品だ。
取り引きを始めたのは、今から6年前のこと。
千明ちゃんが働き始めたのが2年前なので、俺は千明ちゃんが新人だった当初から交流がある。
ただし、会うのはバーバチカの店内でだけ。
互いのプライベートは殆ど知らないし、踏み込まない。
暗黙の了解ってやつだ。
「(こうしていると、本当に。
そんな風には、見えないのにな)」
まさか、あんな過去があったなんて。
凛太朗さんの存在があった上で、尚も気丈に振る舞っていたなんて。
相手のためなら身を粉にできる頑なさ。
まったく、似た者同士のカップルである。




