表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/75

第一話:萌芽 2

天木市は実在しない市です。



7月14日。

件の事故から半月、俺は普通に退院した。


治療費については、俺を撥ねた相手が全額負担。

プラス慰謝料が支払われたおかげで、こちらの出費はゼロで済んだ。


必要な手続きも全て親父任せ。

俺自身は寝て起きて食べて、時々運動してを繰り返したら、いつの間にか元気になった。

支えてくれた病院スタッフ、励ましてくれた知人友人のみんな、ついでに親父に感謝である。



そんなわけで、あっちゅー間の入院生活。

帰宅を許された俺は、奇跡という言葉の意味を噛み締めながら、家業の手伝いを再開させたのだった。




「───おかえり、ケンジ」


「………うん、ただいま」



北海道、"天木あまぎ市"。

都会と田舎が混在する、定住向きの穏やかな町。

俺の生まれ育った故郷であり、今なお住み続ける地元である。




「───あら、ケンジくん!

久しぶりねえ、体の方はもういいの?」


「ご無沙汰してます。店番する程度には、もう全然っすよ」



天木市、"むかご通り"。

植物の栄養繁殖器官の名に由来する、繁華街から外れた住宅街。

俺の実家がある地域で、ご近所さんとは概ね知り合いである。




「───おーい、ケンジ!

値札ねえけど、幾らだコレぇー?」


「あー、剥がれちゃったかな。ハイハイ、いま行きますよー」



むかご通り、"ふたみ商店"。

野菜の直売をメインに、日用品や食料品などジャンルレスに取り扱う。

"ふたみ"と読んで字のごとく、二見家が営む小さな商店。

俺の実家にして、仮初め(・・・)の職場でもある。




「あー、挨拶だけで一日終わるなこりゃ」



うちでは農業と小売業、ならびに卸売業を兼業。

じゃが芋などの野菜や花を栽培し、採れたものを自分たちの店で売ったり、他の業者に卸したりしている。


端的に言うと、農家であり商人、といったところ。

希望があれば品物の取り寄せもするので、ご近所さんの間ではコンビニのような立ち位置だ。


畑の方は親父が、店の方は俺が、基本的には仕切っている。

二人で家業を回し始めてから、早いもので二年になる。




「───おう、ケンジ。どうだい調子は?」



常連客と入れ違いで、親父が店に入って来た。


使い古した作業着を身につけ、同じく使い古したフェイスタオルを首から下げている。

外出の際はもう少しマシな格好をするが、農作業をする時の親父は大体このスタイルだ。



「今んとこは平気だよ。

そっちこそどうなの。今日けっこう気温高いみたいだけど」


「なんもだよ。水分もこまめに摂ってるし」



レジカウンターに肘をついた親父は、土で汚れた顔に笑みを浮かべた。

わざわざ作業を中断してきた辺り、急ぎの用事でもあるのだろうか。



「ふーん。

で、なんの用?なんか忘れもん?」


「おいおい冷めてんなぁ。病み上がりの息子心配しちゃ駄目か?」



まっすぐに見据えてくる親父から、俺はつい目を逸らしてしまった。



「駄目ってこたねえけど……」



世話を焼いてくれることは感謝している。

心配を掛けていることも自覚している。

構われて悪い気はしないし、親父を嫌いなわけでもない。


ただ、俺と親父には、難しいのだ。

普通の親子のやり取りってやつを、普通に(・・・)は出来ない事情があるのだ。


それを互いに分かっていて、だから気まずい。

意図して普通のフリをしている瞬間を、ふと思い出してしまった瞬間が、一番いたたまれない。


歩み寄る努力はしても、根本の解決は絶対に無理だということを含めて、俺たちの間にはどうしても、埋められない溝がある。




「……ってえのは建て前で、実は替えのタオル取りに来たんだ。思ったより汗かいちまってな」


「そんなこったろうと思ったよ。

いつもんとこ置いてあるから、ご自由にどーぞ」


「おう。仕事中に悪いな」



剽軽に手を挙げながら、親父はレジカウンターの奥へと消えていった。


レジカウンターの奥は、二見家の住居スペースとなっている。

コンビニや飲食店を抱えたマンションなんかと同じで、商店と合わさった二階建ての一軒家だ。


レジカウンターを抜けた真横がキッチン、正面がリビング。

リビング左手に親父の自室、右手にバスルームとトイレ。

二階には俺の自室と二階用のトイレ、今は客間扱いの空き部屋がひとつ。


二階へ続く階段はバスルームの隣にあり、親父の自室とキッチンに挟まれた勝手口を玄関として使っている。




「───っと〜、身支度かんりょ〜」


「へいへい」



替えのフェイスタオルを二枚手にした親父が、レジカウンターを介してリビングから出てくる。

俺が適当にあしらう傍ら、会計中だった橋田さんは嬉しそうに親父に話しかけた。



「アラ〜、草汰そうたさんじゃない!いつからいたの?」



橋田さんも常連客の一人で、親父と年齢の近い専業主婦である。

親父に一足遅れて、先ほど来店したばかりだ。



「橋田さん!こりゃどうも。

そちらこそ、いらしてたんですね」


「晩ごはん用の玉ねぎをね、ちょうど切らしちゃったものだから。

草汰さんは?まだ畑のお仕事中?」


「まだまだお仕事中です。これからもうひと頑張り行ってきますよ」


「お疲れ様〜。熱中症に気を付けてね〜」


「いやいや、どうも。お気遣い痛みいります。

───じゃ、戻るから。なんかあったら連絡しろよ」


「ん」



俺には目配せを、橋田さんには笑顔で会釈をしながら、親父は店を出ていった。



「相変わらず心配性ね〜、あの人。

まぁ、大変なことがあったばかりだし、親なら誰でもそうなるわよね」


「そっすかね」


「も〜、こっちは相変わらずクールなんだから〜。

たまには、おかえりのチューとかギューでもしてあげたら?」


「ハハハ。20円のお返しです」



橋田さんの言う通り、今日は熱中症の危険もある夏日。

いつもより早くに切り上げて、日暮れ前には帰ってくると思われる。


チューやギューは死んでもやらないが、すぐに汗を流せるように、風呂の準備くらいはしといてやってもいいかもしれない。




**


正午を迎えると、店内はすっかり静かになった。

いつも客足が途切れる時間帯なので、俺も店番をしながら軽食を頂くのが定番だ。




「───なんだ、ケンジがいるじゃないか」



今日は何を食おうか考えた矢先、腰の曲がった老婦人が来店した。


小豆色のプルオーバーに、同系色のチェックスカート。

長い髪を後ろで団子にし、絵に描いたようなおばあさんルックで現れた彼女は、"柳沼やぎぬまツユ"。

"ツユちゃん"である。



「ツユちゃん。いらっしゃい。メシは?」


「これからだよ。お前は?」



レジカウンターから出て歩み寄る俺を、ツユちゃんはキツい三白眼で見上げた。

相変わらず強烈な目付きだが、顔立ちの問題なので悪意はない。



「俺もこれから。

いつものハムマヨパンまだあるけど、食う?」


「ああ」



昼食を求めに来店したらしいツユちゃん。

実際は俺を心配して、様子を見に来てくれたのだろう。

俺は敢えてツユちゃんの言い分に突っ込まず、食料品のコーナーへ向かった。


ツユちゃんと俺と、二人分の軽食。

種類の違う惣菜パンと、ペットボトルの飲料を持って、ツユちゃんの元へ戻る。

ツユちゃんは既に席に着いていて、丸テーブルの上で指のささくれを弄っていた。



「お待たせ」



丸テーブルはレジカウンター脇に、付属のスツールは全部で五脚置いてある。

俺が店番を始めた頃に導入した、いわゆるイートイン的なやつだ。


これが思いのほか好評で、今やジジババ達の憩いの場と化している。

イートインなのにイートで利用する客が少ないのは、ご愛嬌ということにしている。



「お茶とコーヒー、どっちがいい?」


「お前はどっちがいいんだい」


「俺はどっちでも」



持ってきた緑茶とコーヒーのペットボトルを差し出すと、ツユちゃんはコーヒーの方を受け取った。

俺はツユちゃん用の惣菜パンも一緒に渡して、向かいの席に腰を下ろした。



「ほんと好きね、それ」


「お茶よりは飽きが来ないってだけさ」



ハムとマヨネーズをたっぷり挟んだロールパンに、苦味と渋味がとりわけ強いブラックコーヒー。

どちらもツユちゃんが、ウチでよく購入する商品だ。


彼女は今年で82歳になるのだが、感覚は未だに若者のようである。



「いくらだい」


「いらないよ。サービス」


「そんなわけにいくかいね。乞食じゃあないんだ」


「知ってるよ。

……入院中、そうとう世話になったんだって、親父から聞いた。

今度改めて礼するけど、これはなんつーか、前払いみたいなさ。

とにかく、金はいらないから。色々ありがとね」


「なにを他人行儀な。お前たちは私の息子も同然なんだから、礼なんかしなくていいんだよ。

……まあ、どうしてもって言うなら、貰ってやるさ」


「そうして」



俺が不在の間、親父は店番と農作業の両方を熟す必要に迫られた。

バイトさんのシフトも間に合わず、完全にワンオペになってしまった日もあると聞く。


そこへ助っ人として駆け付けたのが、ツユちゃんを始めとした常連客の皆さん。

並びに、ご近所の皆さんだ。


彼らが交代で親父を支えてくれたおかげで、畑はロスが出なかった。

商店も黒字のまま、休まず営業を続けられた。


加えてツユちゃんは、親父の個人的な面倒もみてくれたらしい。

どうせ暇な年金暮らしだからと、親父の食事を作ってくれたり、家の掃除を代わってくれたり。

店番の手伝いや、俺の入院を見舞う合間を縫って、だ。


いずれ正式にお返しはさせてもらうとして、全員揃っての無償奉仕。

災い転じてじゃないが、俺と親父は周りの人に恵まれている。

事故をきっかけに、つくづく実感させられた。




「で?具合はどうなんだい。ちゃんとクソはしてるのかい」



コーヒーを一口飲んでから、ツユちゃんは俺の頬を雑に撫でた。



「してるしてる。

みんな心配してくれるけど、意外と大丈夫なんだって」


「そうかい。

まあ、お前は、事故に遭う前から死体のような顔をしていたからね。

いつも通りといえば、そうなんだろう」


「せめて不健康そうって言ってくれねえかなぁ」



パンを齧ってお喋りして、ツユちゃんとの何気ないリラックスタイム。

すると途中で、出入口の扉が開く音がした。


新規のお客さんでも入って来たか。

俺は自分のエビカツバーガーをモグモグしたまま、そちらに振り返った。

新客は俺ではなく、真っ先にツユちゃんに目をやった。




「───ゲッ、柳沼のババアがいやがる」



チェックのポロシャツに、緩めのスラックス。

頭にはチノの帽子を被り、利き手には杖を持った彼は、"橘井きつい 耕作こうさく"。

俺の親友の祖父にして、親父の一番の兄貴分。

無頼漢と見せかけて常識人と思わせて実は意外と小心者なジーさんである。


ツユちゃんとの関係については、出会い頭の発言からお察しの通り。

どっちがどっちな、犬猿の仲だ。



「耕作さん。いらっしゃい。なんか買い物?」


「ちゃうちゃう。お前に退院祝いだ。ほれ」



席を立って歩み寄ると、耕作さんは上等そうな紙袋を手渡してきた。

中には、有名店のカステラが入っていた。



「おお、カステラ。

そっか、この袋、あそこのか」


「せっかくならイイモン食わしてやりたくてよ。

甘いの好きなら、カステラもまあまあ好きだろ?」


「好き好き。ありがとう。

もしかして、このためにわざわざ?」


「おうさ。

お前さんの元気な顔見んことには、おちおち昼寝もしてられんでな。

これでようやっと、安心したわ」



歯抜け顔で笑いながら、俺の頭に触れる耕作さん。

撫でやすいように俺が屈むと、耕作さんはもっと大口を開けて笑った。



「(懐かしい、この感じ)」



耕作さんの住まいは繁華街の方にあるため、ツユちゃんと比べると頻繁には会えない。

その分、会えた時には必ず構ってくれる。

親父や親友の存在を抜きにしても、俺と仲良くしてくれる。


ツユちゃんも、耕作さんも。

俺にとって、かけがえのない、大切な人。

実の祖父母と同等、あるいはもう、それ以上に。



「これで、そこなババアと鉢合わせんければ、もっと良かったんだがの」



俺の無事を確かめるや否や、耕作さんは打って変わってツユちゃんを睨んだ。

ツユちゃんも負けじと耕作さんを睨み、一触即発な雰囲気に。



「こちとら時代錯誤なジイと会うために来たわけじゃないよ」


「誰が時代錯誤じゃババア。

俺と被るからチェックは着るなと言うとろう!」


「あんたこそ、いつまで若い子ぶった趣味してるんだい。センスのない」


「だったらお前はどうなんじゃい!

男だけチェック着ちゃ駄目ちゅう法律でもあるんか!」


「法律がなくても私の目には余るんだよ」


「それはこっちの台詞じゃ!」



子犬のように吠えまくる耕作さん、コーヒーを嗜むついでに言い返すツユちゃん。


こうしていると本当に反目し合っていそうだが、本当の本当はそうでもない。

幼少期からの腐れ縁であるが故に、遠慮がないだけなのだ。

二人きりにさせた場合、そうでもない(・・・・・・)が顕著に出る。



「ハイハイどうどう。二人とも、来てくれてありがとね。

せっかくお土産もらったし、みんなでお茶にしようか。

耕作さんも座りなよ」


「……お前がそう言うなら」


「なんでも構わないけど、私の隣には座らんでおくれよ」


「言われんでも離れて座るわい!」


「耕作さーん。元気もいいけど血管切れるよー」



耕作さんも交えて、三人でお茶会をやり直すことに。


耕作さんはツユちゃんへの当て付けとばかりに、テーブルから離れて着席した。

俺は温かいお茶の用意と、頂いたカステラを切り分けるため、住居の方へ引っ込もうとした。



「なぁ、ケン坊」


「うん?」



後ろから耕作さんに呼び止められる。

帽子を脱いだ耕作さんは、感情の読めない表情に変わっていた。



「今度のは、お前のせいじゃないから、仕方ないけどな。

あんまり心配───、草汰に心配、かけてやるなよ」


「え?」


「お前は、草汰の息子で、ここの看板息子なんだから。

お前がいなきゃ、みんな悲しくて、どうしようもないんだからな」


「………。」


「もちろん、お前が好きなように生きるのが一番だぞ?

お前自身にやりたいことがあって、ここを出て行くんなら、みんなで送り出してやるだけだ。

ただ、ちょっとな。もうちょっとくらい、自分のこと大事にしてくれやって、言いたかっただけだ」


「……うん。わかったよ」


「そうか。うん。変なこと言って、悪かったな。

うい、早よお茶持っといで」


「うん」




24歳。彼女なし。

取り沙汰されるほどの才能も経歴もなし。

生まれ育った町で家業の手伝いをしながら、華やかさとは無縁の代わり映えしない日々。


今の自分に満足しているか、と聞かれれば、答えはノーだ。

学生時代には、こんな将来を望みはしなかった。


だが、そんな俺でも、周りの人達は好きだと言ってくれる。

必要な存在だと頼ってくれる。


だから、華やかでなくてもいいと。

彼らに囲まれて過ごす日々は悪くないと、俺は思っている。

思うように、している。




「(大事にしてない、わけじゃないんだけどな)」




ちなみに。

皆からはすっかり看板息子扱いされているが、俺の本業はウェブデザイナーというやつだったりする。


頭にフリー(・・・)と名のつくせいで、滅多にご依頼はないけれど。

ご依頼がないせいで、家業の手伝いに腰を据えざるを得ないけれど。


せっかく大学出させてもらってこのザマじゃ、どっちが本業か誤解されるわけだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ