第六話:青年は額縁の中で 2
立ち話では済まなそうだったので、青年を自宅に招くことに。
一足先にリビングで休んでいた親父は、テレビのバラエティー番組をぼんやりと観ていた。
「───お、来たな。そっちの鍵も閉めとけよ」
「わかってる」
俺の帰宅に気付いた親父が、こちらに振り返って一瞥くれる。
テーブルには、俺の作ったチャーハンと、インスタントの中華スープらしき汁物が並んでいる。
いずれも手を付けた形跡はないので、俺が来るのを待っていたのかもしれない。
「じゃ、言った通りに」
『はい』
背後に控える青年と小声でやり取りしてから、俺は親父に一歩一歩と近付いていった。
「まだ食ってなかったのかよ。待つ必要ないのに」
「んー?うんー。
なんかなぁ、観たいテレビないなぁと思ってな。
今から食うよ」
俺が親父の注意を引いている隙に、青年にもリビングに出てきてもらう。
しかし親父は、青年が親父の横を通っても、俺の隣に立っても、なんの反応も示さなかった。
「(視えてないし、感じてもない。
生身に近いが空我じゃない、となると、モモと同じパターンか)」
とりあえず、青年は空我ではないらしい。
もっと細かく分類するには、本人から話を伺う必要がある。
「俺はもう、部屋行くから」
「そうか。風呂は?」
「後で」
「そうか。
チャーハン、美味そうに出来たな」
「見た目はな」
少し寂しそうに、一人で夕食を始める親父。
そんな親父に後ろ髪を引かれつつも、俺は青年を率いて階段を上がっていった。
『すいません。親子水入らずのとこ邪魔しちゃって』
「なんもっすよ。一緒にテレビ観る習慣もないし」
ボロい靴下の俺と、高そうなスニーカーを履いたままの青年。
二人分の足音が異なって聞こえるのも、恐らくは俺と、澪さんだけだろう。
「───澪さん。ちょっといいかい」
二階に到着。
書斎のドアをノックし、中にいる澪さんに声をかける。
「はい、いま開けます」
短い返事の後、内側からドアが開けられた。
出迎えてくれた澪さんは、何やら落ち着かない様子だった。
「おかえりなさい」
「ただいま。
今日一日、変なことなかった?」
「なかったです。
いつも通り、本を読んで過ごしました」
「そっか。
さっそくで悪いんだけど、こちら───」
挨拶もそこそこに、青年を紹介する。
すると澪さんは、俺の言葉に食い気味に被せた。
「わかります。
なんとなく、そんな感じがしましたから」
「あ、そうなの?いつから?」
「ケンジさんが閉店の作業を終えられるくらい───、だったと思います。
ケンジさんと、おじさまの他に、もう一人。妙な気配があるなって」
「出現したのと、ほぼ同時ってことか……」
親父にバレないよう、ここでも小声でやり取りする。
俺は澪さんの発言と当時の状況を、頭の中で照らし合わせた。
「それってさ、モモの時と似たような感じ?」
「あー……。うん。近いかもしれません。
全く一緒ではないですけど、野良さん達と比べると、かなり」
野良の時も、モモや青年の時も。
生霊を感知するテレパシー的な能力が、澪さんには備わっている。
とりわけ後者は強い波動を感じるそうで、探りを入れる必要もないという。
「(モモの時はアレだったとして、お兄さんからも澪さんについての言及はなかった。
同類を感知できるのは、澪さんだけの固有スキルなのか?)」
野良の方は挙動からして不自然なので、俺にも一目で見分けがつくとして。
モモや青年のように、パッと見は生身の人間である場合、俺は探りを入れる必要がある。
例えば、眼鏡を外してみたり、影の有無を確認するなど。
故に、探りを入れられない状況で、生身に近い生霊が出現してしまうと、俺にはお手上げなのだ。
街灯のない夜道で遭遇していたら、青年のことも自力では気付けなかったかもしれない。
「───あ、すいません放っといちゃって。
改めて、こちら澪さん。訳あって家に居候、じゃなくて、保護している、えー、あなたの仲間?です」
澪さんに青年の紹介は不要となったので、逆の紹介に切り替える。
なまじ嘘の設定よりも、事実を説明する方が文言に悩む。
『"仲間"……。
お兄さんじゃなく、オレの仲間、ですか?』
青年が意外そうに目を丸める。
やはり、青年の方にテレパシーは備わっていないらしい。
「厳密にはまだ、不確定な部分の方が多いんですけど……。
少なくとも、普通の人には視えないって点では共通してるので、便宜上は」
『そうなんですか……。
てっきり、お兄さんみたいに特別な力がある人なのかと……』
「すみません期待外れで……」
『あっ、いえいえ、こちらこそ。
急にお邪魔しちゃって、申し訳ないです』
「(律儀……)」
澪さんと青年で頭を下げ合う。
お互い特殊な立場なのに、妙な光景だ。
「そんなわけで、長くなりそうだったからお連れしました。
一緒に話、聴いてもらってもいい?」
「もちろんです。どうぞ」
澪さんの許可も得たところで、俺と青年は書斎に入ろうとした。
すると許可してくれたはずの澪さんが、何故か通せん坊をしてきた。
「え───、と。澪さん?」
「おおよその経緯は、わたしの方から伺っておきます。
ケンジさんは先にお風呂へどうぞ」
「や、別に、風呂なんか後でも───」
「後回しにしたら遅くなっちゃうでしょう。
明日もきっと忙しくなります。睡眠時間は確保すべきです」
「でも、俺が連れてきた人だし……」
「具体的な話は、ケンジさんのお風呂が済んだ後にしますから。
わたしはあくまで、仲間として、予備知識だったりをお伝えするだけですから。ね?」
「か、頑な……」
珍しく頑固な澪さんに、俺はたじろいだ。
"いつも通りの日常"を遂行しないことには、俺はここを通してもらえないらしい。
気遣いの仕方が母親のそれである。
「……わかったよ。先にぜんぶ済ませてくるから。
彼のこと、よろしく頼むね」
「はい。頼まれました」
澪さんが自らの胸に手を当てる。
ちょっと不安だが、澪さんが付いてくれるなら大丈夫だろう。
むしろ俺がいない方が、お仲間同士、腹を割った話ができるかもしれない。
『熟年夫婦みたいですね』
俺が書斎を離れる直前、青年が俺にだけ聞こえる声で囁いた。
俺はすぐに否定したが、青年は悪戯っぽくも孤独な笑みを浮かべていた。
**
22時13分。
入浴と就寝の準備をもろもろ済ませ、再び書斎へ。
「───来たよ」
「……どうぞ」
先程と同じようにドアをノックすると、少しの間を置いて澪さんが返事をした。
今度の出迎えは無いようだ。
「失礼しまーす……」
自分でドアを開けると、室内は青白い光に満ちていた。
窓から差し込んだ月明かりが、澪さんと青年の姿を浮かび上がらせている。
「遅くなってすいません。どこまで進みました?」
澪さんは縮まった三角座り、青年は崩した三角座り。
地べたで向かい合った二人に対して、どちらともなく俺は尋ねた。
青年は苦笑で応え、澪さんは俯いたままだった。
あれ、もしかして、これって。
身に覚えのある感覚が、ちくちくと俺の胸を刺す。
「え、と……。
出直した方がいい感じ……?」
俺は思わず後ずさり、青年は違う違うと手を振った。
『そんなことないですよ。ね?』
青年に同意を求められた澪さんは、うんうんと小さく頷いた。
目元を擦る仕種からして、澪さんは泣いている、もしくは泣いていた。
俺のいない間に、二人に何があったのか。
『ついさっき、澪ちゃんに事の顛末を話したところなんです。
ケンジさんにも、一からご説明しますので、こちらに』
"澪ちゃん"。"ケンジさん"。
青年が俺たちの名前を順に呼ぶ。
澪さんが予備知識とやらを伝えた成果だろう。
手間が省けたのは有り難いが、"ありがとう"の雰囲気じゃないな。
「大丈夫?澪さん……」
澪さんと青年と三角形になる位置で、俺もなんとなく三角座りをする。
呼吸を整えた澪さんは、正座に座り直した。
「はい。もう、大丈夫です。
ごめんなさい、ちゃんと返事もしないで」
「それはいいけど……」
月明かりに照らされた白い頬。拭い残した涙の跡。
俺と澪さんが出会った日も、確か、こんな夜だった。




