第六話:青年は額縁の中で
9月1日。19時50分。
本日の営業を終え、閉店の準備に取り掛かる。
すると親父が、自宅の方からレジカウンターに顔を出した。
「───ただいま〜。今閉めるとこか?」
今しがた、畑仕事を終わらせてきたらしい。
いつもよりは遅い帰宅だが、もっと遅いと22時を越える日もある。
「おかえり。なんか問題ある?」
「いいや、ないよ。
シャッター下ろして来るか?」
「いい。先休んでて」
「あいよ~」
間延びした返事と共に、自宅に引っ込む親父。
俺は売上金の整理をしながら、横目に親父の後ろ姿を見送った。
「(また少し痩せたか……?
まぁ、昨日まで夏日だったしな)」
親父も俺も元から痩せ型ではあるが、今時期は輪をかけて輪郭がシャープになる。
特に親父は外仕事の力仕事なので、油断すると女性より体重が軽くなってしまうほど。
健康被害はないそうなので、そこは心配いらないとして。
問題があるのは、実は俺の方だったりする。
「(9月に入れば、気温も落ち着いてくるはずだし。
夏に痩せた分は、秋に食わせて戻してやるか)」
"ますます、お父さんに似てきたね"。
下手に精悍な顔付きになると、橋田さん辺りに必ず言われる台詞。
これが嫌で、俺は未だにコンタクトを使えないのだ。
「───なぁケンジ」
自宅に引っ込んだはずの親父が、再びレジカウンターに顔を出す。
いつの間に着替えたのか、作業着から部屋着姿に変わっている。
「なに、まだ何か?」
「今日の晩メシってさ」
「そこ有るだろ。チャーハン」
俺と親父が食卓を囲むのは、基本的には夜だけだ。
朝は親父が日課で早いし、昼は職場で軽食を持ち寄る。
いずれにせよ、それぞれのタイミングで、それぞれが済ませるしかない。
"器に装った料理を食べる"という意味でも、夜以外に暇がないのだ。
「お前作ったの?」
「夕方にな。今日、割と暇だったし。
俺は昼メシと兼ねたから、もういらない」
「フーン……」
夕食の用意は、基本的には交代制だ。
その日早くに上がれた方、もしくは体力の余っている方が、二人分の食事を作る。
つまり、畑が忙しい春から秋は、店番の俺が夕食当番を兼ねるわけだ。
普段の夕食は20時以降。
閉店してから支度を始めるため、時には21時も越えてしまう。
ただし、今日のように客足の少ない日は例外。
昼食を手作りして食べたり、夕食を作り置きすることが可能だ。
「それチンして、あとはインスタントの味噌汁つけるなりして、好きに食って」
ちなみに今日は、夕方に大量のチャーハンを作り置きした。
俺の昼食兼夕食用、残りは帰ってきた親父の夕食用に。
店のレジと自宅のキッチンが近くにあり、店の商品を万引きされる恐れがほぼ無いからこその芸当である。
「チャーハンか。
困ったらチャーハン作る生き物だよな、男は」
何故か親父は立ち去らず、敷居の小上がりに腰掛けた。
「……あの。何してんすか」
「うん?座ってる」
「じゃなくて。
座るならリビングの方に、ってか、さっさと飯食ってテレビでも観てろよ」
「なんだよ、つれないなぁ。
俺が傍にいるのが、そんなに嫌か?」
「普通に邪魔です」
「ははは。まぁ、そうだわな」
俺に無下にされても、親父はどこ吹く風だった。
何やら腹に一物抱えた様子なので、タイミングを窺っているのかもしれない。
「……ところでよ」
ほら来た。
しばらくの間を置いて、親父は切り出した。
俺は親父を一瞥だけして、閉店作業を再開させた。
「なんだよ」
「あの……、あの子。澪ちゃんだっけ。
あれからよく、ウチ来るようになったじゃん?」
「かもな」
「友達の妹って話だけど……。
やけにお前、親しくしてるみたいじゃん?」
「そう?」
「そうだよ。
前までそんな、相手も、話も聞いたことなかったのに……」
一度区切ってから、親父は言い辛そうに続けた。
「なあ、ケンジ。
お前、本当はあの子と、どういう関係なんだ?」
澪さんの素性について。
俺と澪さんの関係について。
一応の説明はしてあるが、詳しい事情は明かしていない。
桂さんを除いた誰にも、もちろん親父にもだ。
とはいえ、女っ気のなさに定評がある俺。
彗星のごとく現れた美少女を、友達の妹設定で通すには、段々と無理が生じてきた。
無理でも設定を貫くべきか。
いっそ事情を明かして、理解を求めるべきか。
「お客さんに、なにか言われた?」
「ちょっとな」
「なんて?」
「しょっちゅう店来るし、ケンジくんとも親しいみたいだし、彼女さんかねー、ってさ。
結構前から噂になってんだけど、知らんか?」
「あー……」
俺と澪さんが恋仲との噂。
冗談半分に言及してくる人はいたが、まさか本気で疑われていたとは。
「(澪さんを知ってる人とは未だに出会えてない。
"生き餌作戦"、悪くないと思ったんだけどな)」
このままでは情報収集どころか、悪い意味で澪さんが有名人になってしまう。
澪さんを敢えて人前に出すやり方は、打ち止めとした方が良さそうだ。
「彼女、ではない。とりあえず。ただ───」
「"ただ"?」
「友達の妹ってのも、実は、ウソ」
「やっぱりか……。
なんか隠してると思ったんだよ」
「誤解しないでほしいんだけど、マジで彼女じゃないし、援助交際的なのでもないから。疚しいことは一切ないから」
「分かっとるよ。もうあんな風に詰め寄ったりはせん」
天を仰いだり項垂れたりと、やけに落ち着きのない親父。
初対面での早とちりを反省してか、感情のコントロールに努めているようだ。
「で?彼女じゃないとしたら、結局あの子はどこの誰で、お前のなんなんだ?」
「……詳しくは、まだ、言えない」
「学生さんだよな?学校には行ってるのか?親御さんは?」
「そこんとこも含めて、まだ」
「そうか……」
友達の妹設定を貫くのは、賢明でないとして。
真実を包み隠さず明かすのもまた、少なくとも今は賢明でないと、俺は判断した。
親父は歯切れの悪そうに、しかし食い下がってはこなかった。
「じゃあ、もうひとつだけ」
「なに?」
「澪ちゃんの存在と、お前が頻繁に外出するようになったことは、関係してるのか?」
急に低くなった声。急に的を射た質問。
親父の目には、何が何処まで見えているのだろう。
俺は思わず息を呑み、片付けたレジを施錠した。
「そう。大体は、あの子が理由。
けどそれは、あの子が俺を振り回してるとかじゃなくて……。
上手く言えねえけど、いろいろ、事情のある子なんだよ。他に頼れる人もいなくて、だから俺が、手伝いっていうか、一緒に行動したりしてる」
「そうだったのか……」
親父の表情が、怪訝から心配に変わる。
俺の善性を信じてくれているからこそ、俺の足りない言葉も信じてくれる。
まるっきり嘘、ではないけれど。
有耶無耶にしておくのが無難なのも、間違いないのだけれど。
信用を笠に着ているようで、ちょっと忍びない。
「そういうことなら、俺もなんか、協力できることないか?」
「えっ、いや、別に……」
「遠慮すんなよ。
こう見えて俺、顔広いし。お前とは違う形で役に立つかもだぞ?」
予想外の提案。
気持ちは有り難いが、半端に介入されると却って迷惑だ。
とは、さすがに言えないか。
「えっと、あー……。
じゃあ、店番のこと、とか。
いつまた急な用事入るか分かんないし……。
悪いけど、引き続き、フォローして頂けると……」
「なんだ、そんなのお安い御用だよ。
バイトさんもいるし、お前抜きでも十分回せる。
残念がるお客さんは多いだろうがな」
「それもそう……、か。
俺のやってる事なんて、マニュアルあれば誰でも───」
「むしろ、俺の方が悪いと思ってるんだ、お前には」
先程とは違うニュアンスで、親父の声が更に低くなる。
俺はレジカウンターに背を預け、親父と向き合った。
「なんの話?」
「仕事の話さ。
昔も今も、ずっと、家のことばっかやらせちまった。
お前の貴重な青春を、俺のせいでフイにさせちまった」
「そんなん、───俺は、別に……」
思い返してみれば、確かに。
学生の頃から、俺は働き詰めだった。
在学中は、勉強の片手間に。
卒業後は、表向きの生業として。
碌に遊びにも行かず、家業の手伝いに終始してきた。
だがそれは、強要されたものではない。
俺の意思で、俺の好きでやってきたことだ。
申し訳ないと謝罪されたり、可哀相にと同情される必要のないことだ。
"───あの人のこと、赦してあげて。"
俺が付いていたおかげで、親父は立ち直れたのだとすれば。
むしろ、学生時代の青春くらい、差し出して良かった。
そんな風にさえ、今は思っている。
「だから、なんでも、お前の好きにしていいんだ。
どこ行ってもいいし、誰と付き合ってもいい。
澪ちゃんの件が片付いた後も、無理に、ここに留まる必要はない」
「唐突だな」
「唐突なもんかよ。いつ切り出そうか悩んでたくらいだ」
「へえー……」
「今すぐ決めなくていいからよ。
お前自身、本当は何がしたいのか、これからどう生きたいのか、考えとけ」
立ち上がった親父が、俺の頭を乱暴に撫でる。
ぐしゃぐしゃにされた前髪の向こうで、親父は切なそうに笑っていた。
「俺はもう、一人でも大丈夫だよ」
そう言い残して、親父は今度こそ自宅に引っ込んだ。
親父の遠ざかっていく足音に続き、親父の点けたらしいテレビの音声が聞こえてくる。
「(立ち直れてねえのは、俺の方かもな)」
今後のこと。
俺自身の将来のこと。
目下は澪さんの件があるとして、終わった後はどうしよう。
ウェブデザインの仕事に本腰を入れるか。
家業を継ぐ方に舵を切るか。
前者は望み薄な気がするし、後者はお茶を濁している気がする。
本当の俺は、どう生きたいのか。
成り行きにばかり任せず、イチから考えなくてはいけないな。
「───さむっ……!」
シャッターを下ろすため、店の出入口から外に出る。
ひやりと涼しい晩夏の風で、ぐしゃぐしゃな髪が舞い上がる。
街灯に照らされた夜道には、人っ子一人いない。
近隣の民家からは、何やら楽しげな話し声が漏れている。
我が家のように遅い夕食か、食後のブレイクタイムを過ごしているのか。
今日も今日とて、むかご通りは平和である。
『───あの』
扉の施錠をし、シャッターも全て下ろした。
あとは俺も帰るだけ、と背筋を伸ばした時だった。
ふと背後から、人の気配がした。
振り返ると、青年がひとり、暗闇に佇んでいた。
「あー……、と?
すんません、今日もう店じまいでして……」
『あ、いえ。お店に用があった訳じゃないんです』
駆け込みに間に合わなかった買い物客、ではないらしい。
かといって、ただの通りすがりでもなさそうな雰囲気だ。
「もしかして、俺に何かご用ですか?」
一歩二歩と、青年が俺に歩み寄る。
街灯に晒されたことで、青年の姿が露になる。
『こうして口も利けるってことは、お兄さんはそういう体質の人ってことですよね』
明るい茶髪、爽やかな顔立ち。
俺より高い身長、俺より長い手足。
シンプルかつカジュアルな服装、堂々とした佇まい。
まるで清涼飲料水のCMにでも出てきそうなイケメン。
竣平や恵の他にも、こんなイケメンが天木にいたのか。
真っ先に抱いた感想に加えて、俺は直ぐに見当が付いた。
「貴方は────」
俺と青年。
二人きりの足元に、伸びた影は一人分。
もはや、眼鏡を外して確かめるまでもない。
『オレ、普通の人間じゃないんですけど。
それでも話、聞いてくれますか?』
夏の終わり。静寂の夜。
訪れた二人目の"イレギュラー"は、ある意味ぞっとしてしまうほど、普通だった。




