表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/75

第五話:泡沫に消えても 2



「───いらっしゃい。

急に来るなんて言う、から……」




愛実まなみ英那えな

児童預かり所等の施設には通わず、外出の機会も殆どなく。

6年間という長きに渡り、自宅アパートのみで過ごしたとされる少女。


好物は、チョコレートとビスケットのお菓子、フライドポテト、冷凍チャーハン、コンビニのツナマヨおにぎり。

主に既製品を好んでいたのは、日々の食事がそれら中心の内容だったため。

そもそも知っている食べ物の種類が限られていたためである。


性格は基本的には大人しく、俯きがちだったが、知らない人にも挨拶をできる積極的な一面も持ち合わせていた。

もしかすると、血を分けた家族より、見ず知らずの他人の方が、彼女にとっては心休まる相手だったのかもしれない。




「なにがあったか知らんが、とりあえずお入りよ」




愛実まなみ彩香あやか。26歳。

当時交際中だった男性との間に英那をもうけるも、出産直前に破局。

以降2年間は、親族の扶けを借りながらシングルマザーとして生活していた。


英那が4歳を迎える頃、同い年の伊崎いさき恭平きょうへいと出会い、交際に発展。

英那を合わせて、三人での同棲生活をスタートさせる。


しかし恭平には酷いDV癖があり、彩香と英那は日常的に暴力を振るわれた。

当初は英那を庇っていた彩香だが、いつしか恭平の側に加勢するようになった。

彩香が英那を殴ると恭平は喜び、自分は殴られずに済むと気付いたからだ。




「愛実───って、最近ニュースになってるアレか。

もちろん知ってるよ。子どもの知り合い多いし、俺だって他人事じゃない」




"食事中に箸を落とした"。

"無断でお菓子のストックを食べられた"。

"寝る時間なのに寝てくれなかった"。

"黙れと言っているのに泣き止んでくれなかった"。


恭平と彩香の言い分に正当性はなく、英那を虐げていい理由にはならなかった。

それでも二人は際限なく英那を殴り、蹴り、時には煙草の火を押し当てたり、浴槽のお湯に沈めたりした。


最終的に二人は、英那を物置き部屋に追いやり、中型犬用のケージに閉じ込めた。

食事は一日に一度、入浴は五日に一度、排泄物の処理は臭いが居間に漏れ出てから。

劣悪な環境下で放置された英那は、みるみるうちに衰弱していった。




「タイプ的には"オマク"……、いや"面影"のが近いか。

子どもで"飛びだまし"を扱えるケースは滅多にないから、起源は"乖離"か"影分け"か……。

本人に確認が取れない以上、断言はできないけど」




そして、8月の20日。

食事を吐き戻してしまった英那に怒った恭平が、英那の顔と腹を激しく踏み付け殺害。

外出から戻った彩香も英那の死を確認するが、罪を恐れた二人はそれを隠蔽。

英那の遺体を冷凍庫に移し、目処が立つまでの措置とした。


後日、8月の27日。

遺体の始末をどうするかで二人が揉め、その声を聞いた近隣住民が警察に通報。

幼児虐待および死体遺棄などの疑いで、二人は逮捕された。


遺体発見当時の英那は、痩せ細った肢体に、夥しい痣と火傷を負っていた。

殺害現場周辺には、本人のものと思われる吐瀉物や排泄物が染みとなり、カーペットに広がっていたという。




「つまり君は、あの子が死ぬ直前に、あの子の───」




俺の前に現れたモモは、子どもらしい肉付きで、艶のある肌をしていた。

着ていた服や履いていた靴も、新品同然に綺麗だった。


たぶん、あれは。

英那にとっての、自分自身の理想像だったんじゃないかと、思う。


せめて生霊でいる間は、ゆめまぼろしに浸っている間くらいは、元気いっぱいでいたいと。

そう願った英那のifが、モモとなって具現化したんだと、思う。




"───じゃあ、ゆうえんち、行きたいって言ってもいい?

ずっと行ったことないから、行きたかったの。"


「俺、なんとなく気付いてたんですよ。不自然なことが多すぎるって。

生霊は、よほどの事情がない限り現れない。死の淵にあるくらい切羽詰まった人でないと、生み出せるものじゃない。今まで全員そうだった。

気付いてたんですよ。おかしいって。ただ遊園地で遊びたいだけの、ただの子供に、こんなの有り得るわけないって」




遊園地で遊ぶのも、声を出して笑うのも。

目一杯に外を走るのも、胸一杯に息を吸うのも。


英那がやりたくて、でも英那には出来ないことだった。

だから、モモが代わりに叶えた。


己の限界を悟った英那が、一縷の望みを託すため、作り出したのがモモだった。

俺たちと過ごした思い出は、英那が思い描いた夢だった。




"───たのしいねぇ、たのしいねぇ。"

"───あ、これもおいしい!はじめてたべるあじだ!"

"───あはは。おにいちゃん、またへんなかお〜。"


「なのに俺、ちゃんと向き合ってやらなかった。

変だって分かってたのに、そのがどこから来るのか、突き止められなかった」




アトラクションを選んでいる時も、遊んでいる最中さいちゅうも、終わった後も。

モモ、ずっと笑ってた。


そのへんの、どこでも買えるフライドポテトやタコ焼きを、まるで王様のご馳走みたいに、美味しい美味しいって喜んでた。


撫でた頭は、くりくりしてて小さかった。

繋いだ手は、ふわふわしてて柔らかかった。


俺の目に映るモモは、確かに、ただの5歳(・・)の女の子だった。




"───モモ、おにいちゃんとおねえちゃんとゆうえんちこれて、よかった。"


「もっと、真剣にやってれば、辿り着けたはずなんです。間に合ったかもしれないんです。

俺がもっと、あんな、慣れてるからみたいな、惰性みたいな、しなければ、きっと───」




仲睦まじい親子連れを、羨ましそうに眺めていたこと。

締めくくりの観覧車で、寂しそうに泣いていたこと。


思えば全て、あの子なりのSOSだった。

最初からモモは、ヒントを出してくれていたんだ。


なのに俺は。

記憶がないなら仕方ないと、所詮は子供だからと。

なんだかんだと横着して、真摯に取り組んでやらなかった。

なるようになるだろうと、根拠もないまま楽観していた。




「言いたいことは分かるが、それとこれとは別だろう。

あの子を殺したのは君じゃない。あの子の人生に君は関係ない。

君とあの子は、良くも悪くも擦れ違っただけの、結局は他人だ」




なにが"順応"だよ。なにが"前進"だよ。

深山さんや野宮さん達の時は、たまたま上手くいったってだけだろ。

たまたまが続いただけで、俺の手柄じゃないだろ。


なにを、調子に乗ってんだよ。

見える目があって、聞こえる耳があって、話せる口があって。

自由に動く手足があって、平均には働く頭脳もあるくせに。

仮初めの特異性だけに頼って、甘えて、驕って。

地道に調べて考えて、着実に解決しようという努力を怠った。


たったひとり。

ただの6歳の女の子を、ちんけな檻からにがしてやることさえ叶わないなら。

この特異性は、この能力は体質は、一体なんのために。

どうして俺に、俺だけに、生霊なんかが視えるようになったんだ。




"───でも、もう、おわりなんだね。"


「他人でも、顔を覚えた。好きな食べ物を知った。

会話をして、名前を呼び合った。仮につけた名前でも、俺は、あの子の名前を呼んだ」




どれほど怖かっただろう。

痛かっただろう。悲しかっただろう。

辛くて苦しくて堪らなくて、それでも母を憎めないもどかしさに、空っぽな胸を潰しただろう。

愛されない我が身を呪っただろう。




"───モモ、ちゃんとひとりでかえれるよ。だから、だいじょうぶ。"


「同じ町に住んでたんですよ。

俺が走っていけば、モモは、あの子は、助かったかもしれないんですよ。

救ってはやれなかったかもしれないけど、死なずには済んだはずなんですよ」




どうせ死ぬなら、最後に一度だけ。

憧れの遊園地で遊べるなら、他にはいらない。

あんなに小さな子どもが、そんなこと(・・・・・)を願ってしまったのか。


この世の闇を、悪を、不条理を。

取り戻せない昨日を、明日を迎えられない今日を。

あんなに優しい女の子が、そんなもの(・・・・・)を知ってしまったのか。


大人になったら野球選手にと、信じて疑わなかった頃の俺と、同い年の君が。

理解を、してしまったのか。




「だとしても、俺たちは人間だ。ただの一般人だ。

警察でも医者でも、ましてあの子の家族でもない。近所に住んでたわけでもない。

たとえ名前を、好物を知っていても、一方的に知ってるだけの君にはどうしたって───」


「でも俺は生きてる!あの子も生きてた!

どんなに難しいことでも、生きてるなら助けられた!可能性があった!

俺だけが、あの子の夢を見た!」




帰らなくてはいけない。

帰り道は分からないが、とにかく帰らなくては駄目なのだと。


夕焼けにモモの後ろ姿が消えた時刻が、18時過ぎ。

英那が義理の父に殺害された推定時刻が、19時前後。


正にあの時、英那の死がカウントダウンに入った。

だからモモは走り出した。英那の待つ家に帰ったんだ(・・・・・)

自分が誰かを思い出すと同時に、自分の命の終わりを感じたから。


あの"バイバイ"は、またねの意味のバイバイじゃなかった。

さようならの、二度と会うことはないでしょうの、永遠のバイバイだったんだ。




"───モモといっぱいあそんでくれて、ありがとう。

モモをこどもにしてくれて、ありがとう。"


「帰るって、言ったんですよ。楽しかったって、笑いながら。

また、地獄みたいな家に戻るのに。これから死ぬのに。もう、次も、明日もないのに。

どんな気持ちで、あんな……。どんな気持ちで……っ」




追い掛ければ良かった。

理屈を捏ねる前に、本能で動けば良かった。


そうすれば、今度こそ英那の居所を突き止められたかもしれない。

間一髪、奇跡を起こせたかもしれない。




"───もういくね。"

「俺のせいだ」




助けられなかった。

みすみす死なせた。

頑張ったけど無理だった、じゃない。

頑張らなかったから、無理だった。




"バイバイ。"

「俺が殺したみたいなもんだ」




英那を殺したのは、俺じゃなくても。

英那が生きられなかったのは、俺のせいだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ