第四話:モモの夢 6
帰宅後。
先に親父に謝罪と挨拶をしてから、俺たちは家の裏庭で話し合った。
議題はもちろん、モモの処遇についてだ。
「───望みは一応叶えたはずだけど、まだ此処にいるってことは……。
根本的な解決にはなってない、だよな、たぶん」
「ですね……。
どうしましょう、これから」
俺と澪さんが頭を悩ませる傍ら、当のモモは良くも悪くも能天気。
地面の小石を蹴ったり、空中の蜻蛉を追い掛けたりして遊んでいる。
「他にも幾つかやりたいことがあって、それぜんぶ叶えないと駄目とか?」
「有り得ますね。
その場合、かなり長期戦になってしまいますけど……」
「そこなんだよなぁ」
"遊園地へ行きたい"および"遊びたい"という、当初の望みは叶えた。
しかしモモは帰来することなく、記憶も殆ど戻っていない。
一日一緒に行動すれば、自ずとパーソナルな部分が明らかになるはず、と算段していたのに。
モモに落ち度はないとはいえ、この結果は正直、誤算だった。
「どのみち、自分の名前くらいは思い出してもらわんと、こっちとしては打つ手ないんよなぁ」
「もう暫くは、一緒にいることになりそうですかね?」
「放っとく訳にもいかんからね」
話し合いの末、モモは我が家で匿うことに。
どれくらいの期間を要するかは定かでないが、目処が立つまでは已むを得まい。
「重ね重ね悪いんだけど、家に置いとく間、世話頼んでもいいかな?」
「お安い御用です。
おじさまのいらっしゃる間は、あの部屋で静かにしてますよ」
「ホントごめんね。
なるだけ負担減るように、俺も立ち回るから」
幸いなのは、モモの姿は俺と澪さんにしか視えないということ。
澪さんと協力してやり過ごせば、親父を欺くくらいは容易いだろう。
こんな調子で、我が家に転がり込む生霊が頻出したらと考えると、ぞっとしないけど。
「モモ。
今日はもう遅いし、このまま俺たちの家に───」
大まかな段取りが決まったところで、俺はモモに声をかけた。
するとモモは、俺が言い終える前に動かなくなった。
急に声をかけられて驚いたというよりは、別の何かを感じ取ったような。
フードコートでの一幕と、仕種的には一緒だ。
「モモ?」
改めてみても、モモは全くの無反応だった。
俺と澪さんは顔を見合わせ、恐る恐るとモモに近付いていった。
「モモちゃん……?」
今度は澪さんが呼びかけ、モモの背中に触れる。
はっと我に返ったらしいモモは、ようやく息と瞬きをした。
『かえらなきゃ』
良かった、喋った。
比喩ではなく、本当に電池が切れてしまったかと思った。
「"帰る"って……。帰れるのか?」
『うん』
「えっ」
つい先程までは、自分の名前をも失念していたはずなのに。
何かを感じ取ったの何かとは、生霊としての自覚が芽生えた瞬間だったのか。
「家が何処にあるか、思い出したのか?」
『うーう』
「じゃあ、どうやって帰るんだ?」
『わかんないけど、かえるの』
「えっと……。どこへ?」
『おうち。
ばしょはわかんないけど、かえれる。
もうかえらなくちゃ、だめだから』
こちらの質問に答えられないなら、答えられることを相手に言わせればいい。
当初は上手くいったアプローチも、今度ばかりは堂々巡り。
帰れるなら帰った方が勿論いいが、突拍子もない本人の言い分を、手放しに信じていいのだろうか。
「あ、なら途中まで、俺も一緒に───」
『だめ。おにいちゃんはきちゃだめ』
ならば送り届けるくらいは、最後まで付き添うくらいはさせてほしい。
せめてもの俺の申し出さえ、モモはぴしゃりと却下してしまった。
終ぞなかった険しい表情で、それだけは許さないとでも言うように。
『モモ、ちゃんとひとりでかえれるよ。
だから、だいじょうぶ』
いつもの笑顔に戻ったモモは、酷く穏やかな声でそう続けた。
俺は尚も食い下がろうとしたが、モモは聞く耳持たずで走り出した。
「モモちゃん!」
すかさず澪さんが呼び止めるも、モモは立ち止まらなかった。
俺と澪さんは慌ててモモを追い、通りに面した小路に出た。
『───ケンジおにいちゃん、ミオおねえちゃん』
小路の中央、夕陽を背にしたモモが、こちらに振り返る。
『モモといっぱいあそんでくれて、ありがとう。
モモをこどもにしてくれて、ありがとう。
モモってよんでくれて、ありがとう』
別れの挨拶。
ただの逆光に過ぎない夕陽が、まるでモモに差した後光のように、俺には見えた。
『もういくね』
モモが一歩、後ずさる。
子どものモモの三歩分が、大人の俺の一歩分。
全力で迫れば、縮まらない距離ではない。
「モモ」
だけど。
ここで無理矢理に捕まえたら、そこでモモは消えてしまう。
俺には、そんな気がした。
「いつでも、遊びにおいで」
もっと他に伝えるべきことがあったとか、洒落た言い回しが出来たはずだとか。
考えは色々と浮かんだが、最終的に選んだ言葉はそれだった。
いつでも遊びに来ていい。
一人の女の子としてでも、生霊としてでも。
どんな姿形であれ、俺達にとってのモモは、俺達が出会ったモモだから。
『……うん。バイバイ!』
夕陽の光に溶けるように、モモが踵を返して去っていく。
やがて小路を抜けるまで、モモは二度と振り返らず、二度と戻ってはこなかった。
「───良かったんでしょうか、これで」
モモのいなくなった小路を眺めながら、澪さんが呟く。
「わからない。
俺にも、何もかも」
モモ。
ピンクが好きで、ビスケットのお菓子が好きで、年頃の割に利発で、人懐っこくて物怖じしなくて、俺みたいなダサくて頼りない男をお兄ちゃんと慕ってくれた、普通の可愛い女の子。
結局、あの子の厄主を知ることはなかった。
初めから終わりまで、モモは正体不明の生霊だった。
「まあ、良かったんでも、良くなかったんでもさ。
気になるなら、また仕切り直せばいいよ」
「"仕切り直す"とは?」
「今度は俺たちの方から、会いに行けばいいじゃんってこと」
ねえ、モモ。
君はどうして、生霊になったの?
どうして君は、俺のところに来たの?
君は本当に、遊園地へ行きたかっただけなの?
君が帰っていった家は、本当に、君の帰るべき家なの?
「今度は、って……。
あの子がどの家の子か、どんな生霊だったかも、分からず終いなのに?」
「そりゃー、干し草から針を探すようなもんだろうけど。
……向こうは、俺たちの顔も、覚えていないかもだけど」
「………。」
「それならそれで、またイチから仲良くすればいいし。
もう俺たちは不要ってことなら、あの子の前途は明るいってことだし」
「そうですね」
「今はただ、あの子が無事に、家に帰って、いつか本当に、仲良しの誰かと、遊園地へ行けたらって。
───願おう。今は、ただ」
「……そうですね」
ハッピーエンドを迎えられたなら、一番いい。
そうでなかったなら、次こそは尽力すればいい。
遊園地が無くならないように、俺たちが繋いだ縁もまた、消えてしまうわけではないんだ。
「またな、モモ」
この時はそう飲み込もうとしたが、やはり。
夕陽に溶けた"バイバイ"だけは、どうしても飲み込めなかった。




